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2021年3月15日月曜日

ヒラリー ・ハーンの「パリ」を聴く

ヒラリー・ハーンが「パリ」というタイトルの新譜を出たので聴いてみました。

 


  1. ショーソン:詩曲 Op.25
  2. プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 Op.19
  3. ラウタヴァーラ:2つのセレナード(ヒラリー・ハーンのために)

  • ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
  • フランス放送フィルハーモニー管弦楽団
  • ミッコ・フランク(指揮)
  • 録音時期:2019年6月(1,2)、2019年2月(3)
  • 録音場所:パリ
  • 録音方式:ステレオ(デジタル)
  • 世界初録音(3)
  • https://music.apple.com/jp/album/paris/1547821040

2005年6月7日火曜日

ヒラリー・ハーン&N響のプロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番

昨月来日しN響(パーヴォ・ヤルヴィ指揮)と共演したヒラリー・ハーンによるプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番の演奏が昨夜のN響アワーで放映されました。期待して番組を観ましたが、まさにCDで聴いていたようなキレのよい演奏が展開され、会場で聴きたかったものだとつくづく後悔しました。

ハーンのヴァイオリンは、色々な人が指摘する様に技巧の正確無比さが図抜けており、輪をかけてCDのジャケットや公式サイトのイメージから硬質な演奏を想像させるのですが、しかしそれは機械的で無機質な演奏というわけではありません。今回もプロコフィエフ的な技巧的パッセージの鮮やかさとともに、ヴァイオリンを歌わせる部分においても懐の深さのようなものを聴くことができた気がします。

プロコのヴァイオリン協奏曲を演奏するのに当たってのインタビューで「印象派的なところもあれば、ロックのようなところもある」とハーンが語っていました。映像で見るハーンの演奏は実にキビキビとしていて高い運動性能を示しています。プロコフィエフの複雑なリズムと一体になっているかのような演奏からは、爽快感さえ漂います。特に第1楽章の中盤、ピチカートが荒れ狂う当たりから後半にかけての表現の適確さ、そして第2楽章は圧巻といったところ。しかも、演奏はベタベタと熱くならないところが凄い。

「印象派的」と言うところも私には分らなかったのですが、そう言われれば第1楽章後半で、フルートと絡んだするところなどは、そういう雰囲気がありますかね。プロコの音楽は印象派とは対極にあるように思っていましたから、意外でありました。もっともプロコのこの曲には、あまり親しんでいるわけではありませんので、機会があれば他の演奏で聴いてみたいと思います。

2004年11月21日日曜日

ハーン/エルガー:ヴァイオリン協奏曲


エルガー:
ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 作品61
4つのピアノ小品 Op.119
ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
サー・コリン・デイヴィス(指揮)
ロンドン交響楽団
Deutsche Grammophon
474 5042

しばらく多忙で、音楽を聴くどころかエントリーするのも面倒な状態が続いておりましたが、アクセス解析を見ると、更新しなくても訪問してくださる方もいらっしゃるようで、恐縮でございます。

さて、遅ればせながら、ヒラリー・ハーンの新譜であるエルガーのヴァイオリン協奏曲を聴きました。最初はパッとしなかったのですが、10回くらい聴いたら良さが分かってきました。曲に最初馴染めませんでしたので、ハーンへの言及は僅かです。

エルガーのヴァイオリン協奏曲を聴くのは本盤がはじめて。ヒラリー・ハーンの新譜ということで購入したのですが、一聴しただけでは長大なだけでとらえどころのない曲といった印象。

そもそもエルガーなんて「威風堂々」と「愛の挨拶」くらいしか知らない、「チェロ協奏曲」なども持っているハズだが、ドンナ曲だったかはさっぱり。

そういうわけですのでライナーなどを頼りに知識を仕入れると、ヴァオイリン協奏曲は彼の最愛の友人であるAlice Stuart-Wortley(妻の名前と同じであることから、エルガーはWindflowerと名付ける)に捧げられたものなのだとか。

表向きは、名ヴァイオリニストのクライスラーに捧げられていることになっていますが、楽譜には「ここに...の魂を封じ込める」とスペイン語で書かれているのだそうです。実際1912年にAlice Stuart-WortleyにI have written out my soul in the concerto,Sym.ll& the Ode & you know it. In these three works I have shewn myselfと書き送っているそうですから。

有名な「愛の挨拶」は、二人の婚約を記念した美しい曲ですし、愛妻家で知られたエルガーですのに、Windflowerをはじめとして、彼の周りには少なからぬ女性が登場しているようです。ただ、関係は非常にプラトニックなものであったそうですが。

さて、このようなエピソードが作品解釈上有効であるのかはさておき、改めて聴いてみるならば彼の情熱と憂鬱、老年にさしかかっての回顧や悔恨などがほろ苦く聴こえてくるようですから、先入観というのは恐ろしいものです。

重苦しいオーケストレーションに対してヴァイオリンに与えられた技巧的なフレーズは、抑えがたい感情の本流にも感じられます。そこかしこに聴こえるWindflowerのテーマは、聴いていて切なくなりますね。あんた、そこまで思っていたなら・・・などと考えてしまいます。

しかし、そこは愛妻家で鳴らしたエルガーですから、立ち込める霧のようにほの暗く曖昧とした中に、ふと立ち現れる感情なのでしょうか。控えめであるだけに、美しいのですね。

解説によると、第二楽章のヴィルトオージックなヴァオイリンのフレーズが"トリスタン・コード"で導かれていると書かれています。"トリスタン"はめくるめく破滅への愛の世界ですが、確かに私は第一楽章からトリスタン的な狂おしい雰囲気を感じはしました。ただし破滅には向かいませんがね。

エルガーが人生の終わりに近づいた頃、16歳のメニューインの録音を聴きながらThis is where two soul merge and melt into one anotherと語ったそうです・・・。(ああ、死ぬ前でよかったね)

この第二楽章のヴァイオリンのフレーズなど涙が出そうになるくらいに美しいです。それを支えるバックも見事。解説では伝記作者Michael Kennedyのno matter whoese soul[the concetro]enshrines, it enshrines the soul of the violinを引用していますが、まさに其の通り。エルガーのソウルがヴァイオリンの精へと昇華しているかのよう。

それで、ヒラリーのヴァイオリンなのですが、このような音楽を表現するのに、これ以上はないのではないだろうか、というくらいに美しく、繊細で、慎重で、しかし力強い音楽を奏でてくれています。音色は心が一本通っています。表現にクセはなく、相変わらずテクニックには一分の隙もなく、硬質ながらも仄かな気品さえ漂わせながら、この長大な愛の音楽に正面から挑んでいます。

2004年8月6日金曜日

ヒラリー・ハーンの新譜発売ですか


以前も書きましたが、ヒラリー・ハーンの新譜が発売されているのですね。

曲目はエルガー:ヴァイオリン協奏曲とヴォーン・ウィリアムズ:あげひばりです。
どちらも聴いたことがないのですが、HMV解説によりますと『古今の数あるヴァイオリン協奏曲の中でもトップ・クラスの難曲とされるこの作品』 らしく、コリン・デイヴィス率いるロンドン響の演奏も『特筆すべきクオリティ』だそうです。

一方、加藤さんのClassical CD Information & Reviewsでのレビュでは、ヴァイオリン協奏曲の演奏に対し、『聴き手に深い感懐を抱かずにはおかない決定的名演』として『強力に推薦』しております。

ああ、早く聴きたいなあ・・・と、安易に注文してしまうと、また未聴CDが増えてしまうなあ。たくさんCDを買うクラシックファンの方は、一体いつ聴いているのでしょう・・・

2004年6月22日火曜日

ヒラリー・ハーンの新譜

Classical CD Information & Reviewsや、wanderのエトセトラ日記Tower Recordsなどで紹介されていましたがヒラリー・ハーンのドイツ・グラモフォン移籍 第2段のCDが出るようですね、7月21日発売予定ですとか。

曲目はエルガー:ヴァイオリン協奏曲とV.ウィリアムズ:「あげひばり」、C.デイヴィス指揮する、ロンドンSOの演奏ですか。今までハーンの演奏はオケや伴奏者に問題があると指摘する人もいましたが、今回は期待できそうですね。



実は、先週はハーンのデビューCDである、バッハのパルティータを繰り返し聴いていました。このCDもネット上では賛否は分かれていたように記憶していますが、私としては何度聴いても飽きのこない演奏です。パルティータの収録は2番ニ短調と3番ホ長調だけですから、早く全曲を録音してもらいたいものです。

ヴァイオリンのことは(も)余りよく分らないのですが、とにかく7月に向けて期待大というところでしょうか。

・サイト内のヒラリー・ハーンのページ

2003年12月18日木曜日

ジュネスさんのヒラリー・ハーンのレビュ

アマチュア・ヴァイオリニストのジュネスさんから、ヒラリー・ハーンのレビュが届いたので紹介したい。ジュネスさんは以前もレビュを送ってくださったことがあるように、熱烈なハーンのファンである。今回のレビュも、ジュネスさんのこの曲に対する考え方や、5枚のCDを比較検討した上でのハーン評など、大変に丁寧な文章になっているので、ぜひとも読んでいただきたい。

レビュを読みながら改めてCDを聴いてみた。私はどうもブラームスとの相性があまりよくなく、ブラームスで心底感動する演奏に、あまり接したことがない。渋さというか重厚さという先入観からか、飽いてしまうところがなきにしもあらずなのだ。

ハーンの演奏は、爽快さをともなって、どこか突き抜けた世界観をいつも構築してくれているように私には思える。軽やかというのとも違うのだが、ブラームスの協奏曲も、彼女の手にかかると艶やかさと軽やかさの中に、確たるものを聴かせてくれている。軽快さはジュネスさんも指摘してるオケの編成のゆえかもしれない。

彼女の毅然として凛とした演奏手法はフレーズの隅々にまで行き渡り、神経がギリギリにまで研ぎ澄まされているかのような印象を受けながらも、決して技巧だけに傾いた演奏ではない。技巧の極地は逆に音楽に余裕さえ与えているように思える。エモーショナルに傾いた演奏でも、重厚さや艶やかさを強調した演奏でもないのに、音楽から溢れてくる美しさと躍動感。彼女の演奏はやはりどこか突き抜けていると感じた。

2003年11月13日木曜日

【ヒラリー・ハーンを聴く】



(2003年当時の記事であり、リンク切れになっています)

アメリカの若き天才バイオリニスト、ヒラリー・ハーン。今、最も注目されるバイオリニストという評価がある一方で、彼女の人気は一過性のものであるとするクラシックファンも存在しているようだ。気になる演奏家であることは間違いない。ジュネスさんの投稿レビュもアップしました。

ディスク・レビュ

サイト内のその他の書きこみ

  • 音楽雑記帳 ~ ヒラリー・ハーンの音楽 2002/02/02
  • 音楽雑記帳 ~ ヒラリー・ハーンのバーバー、メイヤーのアルバム 2001/03/14

ヒラリー・ハーン ファンのレビュ

音楽のBBSに時々書きこみをしてくださっているジュネスさんは、アマチュアのバイオリニストであり、そして熱烈なるヒラリ-・ハーンのファンです。演奏会の感想のレビュをメールで読ませていただき、せっかくの文章ですのでジュネスさまにレビュを本HPに公開しないかと持ちかけてみました。うれしいことに快諾いただけましたのでここに紹介いたします。

ヒラリー・ハーン/バッハ バイオリン協奏曲



ヒラリー・ハーンのグラモフォン移籍の1枚目はバッハのヴァイオリン協奏曲だ。今では当たり前のようになってしまった古楽器系の演奏ではなく、現代楽器による颯爽とした演奏である。では、ここに納められた演奏は、今の評価からすると「異端」なのか。ここにバッハ音楽の奥深さと複雑さと歪曲と、そして誤解があるように思える。

バッハは演奏家からすると「試金石」のようなものであるらしく、高名な演奏家であってもバッハと対峙するのは相当の解釈論と経験をつんでからでないとできないという人も多い。ハーンはデビューからしてバッハのソナタを演奏し世界をあっと言わせたのだが、私はここでもあっと思ってしまった。

1曲目のヴァイオリン協奏曲 ホ長調の出だしのスピード感ときたらどだろう。一瞬にしてハーンの巧みな音楽世界にさらわれてしまう。そして Adagio での憂いと翳りの表現。見事なまでの対比が、それこそ一分の隙もない音色で奏でられる。だからといって、感傷的であったり感情表現に傾きすぎているというわけでもない。聴いてみれば、切れの良い表現で淡々とバッハの音楽的世界が語られているように思える。

2003年1月5日日曜日

ヒラリー・ハーン/メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64

 
演奏:Oslo Philharmonic Orcestra 指揮:Hugh Wolff 録音:April 17 & 19-20, 2002 

さても今更ながらにメンコン(メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲)かと思う。

この超通俗名曲、幾多の演奏を耳にしただろうと思い浮かべ、ふと我がCD棚を探してみると驚くべきことに、メンコンは1枚も所有していないことに気付いた。いったいどこで耳タコ状態となるほどに聴いたと言うのか、誰の演奏に親しんだというのか。そういう記憶一切が、メンコン=通俗名曲という固定概念によって形成されたものなのかしらと訝ってしまう。 

そこでヒラリーのメンコンである。先にも書いたように誰のメンコンの演奏が記憶に刷り込まれているのかは定かではないが、ここで演奏されているのは、いままでのようなメンコンではないことに気付かされる。
もともとヴァイオリンのヴィルトオーゾ性を際立たせるような曲であるが、ヒラリーの技は冴えに冴えわたっている。彼女がメンデルスゾーンのコンチェルトを学んだのが11歳のとき、そして翌年にはそれを演奏しているという。24歳の彼女にしてすでに12年の付き合いの曲であるわけだ。 

彼女の演奏は、ショスタコーヴィチでもそうだったように情に傾かない。洒落ではないが、まさにヒラリヒラリと華麗に、しかも物凄いスピードで駆け抜けている。これだけのスピードでありながら(比較はできないが)演奏からは余裕のような雰囲気が漂ってくるところがタダモノではない。 

スピードとともに音色の艶やかさにも感歎する。ショスタコのときのような、若干鋭利な音作りとは印象を変えているのだろうか、ここでは女性的にしてでふくよかで温かみのある音に仕上げているように聴こえる。それでいて、ともするといやらしさを伴うような音ではなく、あくまでもヒラリーらしい怜悧さを残している。 

こういうメンコンを好まない人もいるかもしれない。しかし私には、むしろ抒情を敢えて殺ぎ落としたかのような華麗にしてスポーティーな(しかし体育会系では決してない)メンコンも好ましいと思える。

もっともメンコンを何度もレビュのために聴き直したり聴き比べたいとも思わない。雑な感想だがこれまでにしておこう。

2003年1月3日金曜日

ヒラリー・ハーン/ショタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77



演奏:Oslo Philharmonic Orcestra
指揮:Marke Janowski
録音:February 20 & 22-23, 2002

ヒラリー・ハーンの新譜が発売された。メンデルスゾーンのコンチェルトとの同時カップリングがショスタコーヴィチのコンチェルト1番である。こういう組み合わせは、ベートーベンとバーンスタイン、あるいはブラームスとストラヴィンスキーといった具合にハーン(またはSONY)のいつものやり口だ。

メンデルスゾーンのコンチェルトはさておくにしても、まずはショスタコ-ヴィチである。この演奏は、ハーンの熱烈なファンであるジュネスさんによるベルリンフィルとの来日公演の丁寧なレビュを思い出す、彼女の得意な曲なのかもしれない。彼女がはじめてこの曲を演奏したのは17歳のときであるとのこと。

ヒラリーを評するとき、人は彼女の完璧なまでなテクニックと、その上に構築される音楽性を賞賛し、これが今年で24歳の若者の音楽であるかと感歎してやまない。MOSTLY CLASSICの音盤紹介でも黒田恭一氏が手放しで褒め称えている。

ショスタコのヴァイオリン協奏曲1番というのは、内容からして何ともひねりが加えられた皮肉な音楽だ。作曲されたのは1947~48年、当初オイストラフに捧げられたものであったが、当局の監視や弾圧が高まる中、初演はスターリンの死後まで待たなくてはならなかったというものだ。

第一楽章のノクターンは時代を象徴するような暗さから始まり、一方でスケルッツオやブルレスカにはショスタコーヴィチお得意のメロディの中に、諧謔性やアイロニーそしてい歪みなどを込めている音楽だ。非常に複雑な感情が吐露されており、まさにショスタコーヴィチの内面を表した音楽と言える。

おそるべき曲ではあるが、私はヴェンゲーロフとロストロポーヴィチ、ロンドン響による1枚しか所有していない(左)。この盤は、1994年の英グラモフォン誌においてレコード・オブ・ザ・イヤーを受賞した名盤である。当時ヴェンゲーロフは何と若干20歳である。

このCDを聴いて私は、その高まる感情に度肝を抜かれた覚えがある。こんなに凄まじき音楽を、いくらロストロポーヴィチが指揮しているとはいえ若干20歳そこそこの若者が演奏可能なのだろうかとたまげた。今回改めてこの盤を聴いてみたが相変わらずヴェンゲーロフの弦は、うなりをあげて聴くものに迫ってくる。音楽が躍動しいびつな感情に揺れ動く。

さて、そこでヒラリーである。彼女の演奏はBBSなどを読んでいると「氷上の音楽」と評する人がいる。どのような意図から「氷」という言葉を用いているのかはわからない。しかし、SONYのCDジャケットは、前回のブラームスもそうであったが、ダークブルーの背景に蝋人形のような硬質なヒラリー像を配している。チョン・キョンファであったら決してこのようなデザインにはならないだろうと思う。

実際に音楽を聴いてみると、CDジャケットの印象がかなり音楽の性格を表しているのかもしれないと思う。もしかしたらSONYの固定観念に騙されているだけなのかもしれないが。

従ってというべきか先のヴェンゲーロフの盤と比べた場合、音響的な深や厚みのようなものはハーンの盤から感じることが少ない。誤解されては困るのだが、ハーンの音に厚みや深みがないといっているのではない。これは、オケを含めた全体としての表現力の違いだと理解してもらいたい。ロストロポーヴィチ率いるロンドン響のサウンドはやはり、オスロフィルとは一味もふた味もちがう。そこに油の乗ったヴェンゲーロフだ、重量感のあるなショスタコがこれでもかとばかりに展開されている。

一方でハーンの音楽だ。そういう盤と比較してしまうとオスロフィルには物足りなさを感じないわけではない。しかし、その上前を刎ねてしまうほどに彼女のヴァイオリンは冴えている。まさに彼女の独断場にしてしまったのがこのショスタコなような気がする。

ハーンは決して過度の感情を表出しはしないが、縦横にあるいは重層的に積み重ねる音は、重ねるたびに逆に一点のにごりもなく響き渡る。絵の具を混ぜてゆくと灰色に濁ってゆくのに対し、光の色を重ねてゆくと限りなく白色になってゆく。まさに、ヒラリーの音は後者のような印象なのだ。それを現代的な表現ということもできるかもしれない。今まで聴いたこともないような音が聴こえてくる。彼女のそういう音から奏でられるショスタコからは、人間的な感情を越えた高みに上ってゆくかのような飛翔する感覚さえ感じてしまう。

この曲では第三楽章の後に、ほとんど独立したカデンツァが挿入されるが、ここでの彼女の音楽の深さはどうだろう。音色のせいばかりではない、ショスタコーヴィチがどんな感情を込めたのかは不勉強にして理解していない。それでもここからは音楽家の不安や嘆き憂い、そして時代に対する絶望ではなく、どこかへと馳せる思いを感じる。そして更には、ある種の静かな祈りさえ聴こえてくるようだ。

最終楽章のブルレスカ(乱痴気騒ぎ)にしても、ハーンのヴァイオリンの狂騒には乱れが全くない。波風一つ立たない水面の下で激しき水流が渦巻くがごときだ。畳み掛ける音色はただならぬ緊張感をはらんで疾走し駆け上がる。まさに氷上を滑るがごとく、あるいは磨き上げられた氷の表面と、その下の激しい水流の迸りを感じる。この楽章だけでも聴く価値があると言えるかもしれない。

こういうショスタコーヴィチを聴いてしまうと、噴出するがごとき激し表現は、わざとらしさとあざとささえ感じてしまうというのは皮肉なことかもしれない。新しい感覚のショスタコであると感じる。もしかしたら、ショスタコーヴィチのはぐらかすような心境には、こういう表現の方が近いかもしれない。そういう意味から、従来型のショスタコをお好みの方には今ひとつという印象かもしれない。もっとも、わたしとてそんなにショスタコに通じているわけではない、このへんでいい加減なことを書くのはやめようと思う。

同時収録のメンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲はこちら。


2001年3月30日金曜日

ヒラリー・ハーン(Vn) によるメイヤーのヴァイオリン協奏曲


指揮:ヒュ-・ウルフ
Vn :ヒラリー・ハーン
演奏:セント・ポール管弦楽団
録音:Sep 1999
SONY SRCR2571 (国内版)

エドガー・メイヤーは、CD解説によると現代アメリカの作曲家にして優れたコントラバス奏者であるらしい。代表作には「コントラバス協奏曲」「コントラバスと弦楽四重奏のための五重奏曲」などがあるとのこと。この作品はハーンのために書かれた曲であり、作曲は1999年。ハーンが世界初演にして初録音となる。

このヴァイオリン協奏曲は二楽章形式で構成されており、叙情的にしてアクティブな、またヴァイオリンの技巧(特にハーンの技巧を想定した)を十分に引き出している名曲といってよいと思う。

各楽章ともメロディアスなテーマと、(不安げな)速い動きの部分が対比されているようで、そこに静と動あるいは穏やかさと粗々しさなどの対比的なものを感じ取ることもできるかもしれない。途中でパグパイプ風(?)のメロディなども挿入されるが、全ての部分が明晰なハーンの美声により奏でられており、色彩美豊かな曲の姿を聴かせてくれる。

1楽章の出だしのメロディアスなテーマも印象的だが、2楽章の朝靄が明けるような、曖昧さとまどろみからの覚醒を感じるかのようなテーマも美しい。

ラストは非常に活発にしてヴァイオリンが躍動するかのような感じで終わるのだが、ハーン自らが解説で述べているように「パワフルでドラマチック、叙情的な美しさを持った」作品といえよう。この感想を書いてからも、何度も聴いてみたが、聴くほどにこの曲のもつ力みたいなものを感じることが出来るようになってきた。ラストに向けての盛り上がりは、非常にカッコいいと思う。

「現代音楽」というくくりが今の音楽界において有効であるかは所論あろうかと思うが、一般的な傾向として美しいメロディーの復帰というものがあるのだろうか。ともすると難解にして不快な音の連続と思われがちな「現代音楽」ではあるが、ここには音楽を聴く喜びを感じさせてくれる何かがあると思う。

「クラシック初級者」の私であるため、過去の偉大なるヴァイオリン奏者とハーンを比べて評することは今の私にはできない。若干21歳という若さの彼女だがこのCDは3枚目のもの。初めての録音をバッハのパルティータとしたことも瞠目に値するが、このような意欲的作品を奏する、あるいはアメリカの現代の作曲家(あえて現代音楽家とは呼びたくないが)が彼女のために曲を委託するという事実。こういうことは素直に喜ぶべきだと思う。

若手を育てることと、スターたるべき人材を発掘することが難しいことは、低迷久しいクラシック音楽界にあって心ある音楽関係者の口から語られることである。ヒラリーが今後どのような活躍や成長を遂げるのか、またメイヤーという同時代の作曲家が、今後どのような曲を作ってくれるのか。音楽を聴くものとしてその動向を静かに見てゆきたいと思わせる一枚であった。(残りのハーンの盤もそのうち入手しようと考えている。残り3枚なんで「コンプリート・コレクション」はすぐに出来上がるし(^^;;;)と言っても、今月はもう駄目だな・・・・

2001年3月29日木曜日

ヒラリー・ハーン(Vn) によるバーバーのヴァイオリン協奏曲 作品14


指揮:ヒュ-・ウルフ
Vn :ヒラリー・ハーン
演奏:セント・ポール管弦楽団
録音:Sep 1999
SONY SRCR2571 (国内版)

今年1月で廃刊となった「Gramophone Japan JAN 2001」で、「”ヒラリー・ハーン”という名の”引力”」というインタビュー記事が掲載されていたので、読まれた方も多いだろう。その中で同誌は彼女の演奏をして「過去の歴史の束縛から解き放たれ、限りなく伸びやか」と評している。また、「バーンスタインやバーバーの曲で表現している、友達のような親近感すら大作曲家達の曲に与えている。それでいて、作品そのものがもつ気品や、構成美も完璧な技巧の裏づけの下に提示してくれる」とある。

昨年、来日してショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲などを奏し話題になったので、生で接したことのある方も多いと思われる。  私は彼女の演奏は本CDが初めてであるが、私が彼女のこの盤の演奏を聴いて感じたのは、明確さと明晰さであった。

第一楽章はいきなりハーンの艶やかにして、そして確信を持った、たっぷりとした音色で開始される。スターン盤に比べて若々しく、青春のあこがれや若葉の煌めきを唄うかのようである。甘美さの中の陰影など逆にあまり感じられない演奏だ。録音が良いせいもあるのだろう、高音のトレモロの美しさや低音から中音域の音色は豊かである。音が非常に明確であり、それがある種の明るさを生んでいるように思える。言葉を変えれば、躍動する光と言っても良いかもしれない。

第二楽章は、哀しく美しいメロディがまず木管と弦で奏される。それに続くバイオリンソロにおいても迷いはなくストレートに曲が響いてくる。高音がなんとも言えずに美しく、また低音での歌も説明的ではない。聴き進むにつれ、いつの間にかバーバーの曲の流れに身を委ね、体の奥底からの深い充足感で満たされている自分に気付かされる。バーバーの音楽そのものがもつ魅力と、それを十分に引き出しているハーンの実力の賜物なのだろうか。

第三楽章は早いスケルツォの中にも、どこかユーモラスな響きを感じ取ることができる。これはハーンの余裕、あるいは遊び心だろうか。短い楽章だが心が浮き立ちせき立たされ、それでいて心地よい。少しバックのオケがもどかしく感じる部分もないわけではないが(後半の特にバイオリンとトランペットが絡むあたりから)それでも、ラストは激しすぎずに、しかし、決然と終わるさまは潔い。

この演奏を聴いてから、スターン盤を聴いてみて驚いた。そのスピード感の違いである。技巧を要すると言われるこの楽章を、それこそハーンは猛スピードで駆け抜けている。時間はスターンが3分54秒、ハーンは3分25秒。数値ではそれほどの差が無いように思えるが、実際聴いてみるとスターンは「ゆっくりと練習しているのではないか」とまで思ってしまう、それほどの違いだ。

全体を通じて、バーンスタイン・スターン盤で感じられたような「ハリウッド的」なメランコリックや、ガーシュイン的な響きは全く感じられない。先の演奏の感想を読んでみると、まるで別の曲を聴くかのようだ。彼女の演奏は現代的で爽快、曲の姿をくっきりと透明に描き出しているように感じられるのであった。

この感想を書いて気付いた。「ストレートに」だとか「説明的」などという抽象的な言葉が、あるいは「○○のような」などの比喩が、どれほど他の人にも通用する表現なのかは分からない。音楽を言葉にすることの難しさを感じずにはいられない。