ヒラリー・ハーンが「パリ」というタイトルの新譜を出たので聴いてみました。
- ショーソン:詩曲 Op.25
- プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 Op.19
- ラウタヴァーラ:2つのセレナード(ヒラリー・ハーンのために)
- ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
- フランス放送フィルハーモニー管弦楽団
- ミッコ・フランク(指揮)
- 録音時期:2019年6月(1,2)、2019年2月(3)
- 録音場所:パリ
- 録音方式:ステレオ(デジタル)
- 世界初録音(3)
- https://music.apple.com/jp/album/paris/1547821040
以下に転記した本アルバムの解説を読みますと、ヒラリー・ハーンが並々ならぬ意欲をもって、このアルバムをまとめたことが分かります(ヒラリー・ハーンに関するClala-Flala内の記事)。
一番の聴きどころは、彼女のために作曲されたラウタヴァーラの「2つのセレナード」でしょうか。この曲は2019年に初演され、今回発録音となる曲です。この曲が作曲された経緯もひとつのドラマとなっていますが、慈愛と祈りに満ちたような崇高な音楽です。
ラウタヴァーラの曲は、随分前にまとめて聴いたことがあるのですけれど(ラウタヴァーラに関するClala-Flala内の記事)、どちらかというと激しいクラスターによる音の塊が印象的な現代曲として記憶に残っていました。ですから、この曲は、最初に聴いたときは本当にラウタヴァーラの曲なのかと思ったものです。かつての記事をいくつか読んでみると、ラウタヴァーラにロマンティシズムと現代音楽的混沌のモダニズムを感じ取っていたようです。しかし、記事の日付は2004年です。ラウタヴァーラも成長しましたし、音楽も変わったのでしょう。
「2つのセレナーデ」は、本来はパリで初演する新作の協奏曲となるはずでした。ラウタヴァーラの体調が思わしくなくなり、結果として彼の死後にこの曲になったものです。自分の場合は「中抜け」になってしまいましたが、彼の辿ってきたであろう音楽の途を思いながら静かに聴いています。
1曲目のショーソンの「詩曲」も同様に、メロディアスで哀愁を帯びた曲です。この曲はパリでイザイによって初演された曲です。ハーン自ら「鎮魂歌」のような作品でありながら「祝祭」でもあると書いているように、静かなだけではなく振幅も大きな曲ですが、全体を支配する印象は、タイトルの通り私的であり詩的です。
プロコフィエフは解説の必要はないものの、この曲も1923年にパリのオペラ座でマルセル・ダリウーのヴァイオリン独奏とクーセヴィツキー指揮パリ・オペラ座管弦楽団により初演されているんですね。テクニカルで攻撃的な印象でしたが、こうして改めて聴いてみますと、静と動が対比されており、最終的には静で終わる構成になっています。
ヒラリー・ハーンが「パリ」が意味するものに込めたものが「情感」と表現されるような、微妙なニュアンスであったり、雰囲気であったり、あるいは変化する激しさであるのか。それは個人の人生のようでもあり、都市のもつ歴史でもあるのかもしれません。
そういうようなことを想いながら、幾度かアルバムを聴き返しています。
(以下はネットでの解説記事)
ヒラリー・ハーン/『パリ』~プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番、他
2021年03月09日 (火) 17:00 - HMV&BOOKS online - Classical
現代最高のヴィルトゥオーゾがパリ所縁の3作品を新録音!
ヒラリー・ハーンが長年パリで共演してきた家族のようなオーケストラ、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団。ミッコ・フランクが首席指揮者を務めるこのオーケストラのアーティスト・イン・レジデンスを2018~19年に務めたヒラリー・ハーンが熱望した録音。
1916年から17年にかけて作曲され、1923年パリで初演されたプロコフィエフの協奏曲第1番は、ヒラリー・ハーンのお気に入りの協奏曲。いままで最も多く演奏してきた作品のひとつで、録音の最適な共演者とタイミングを待ち続けていました。
パリ出身のショーソンによる神秘的で瞑想的な『詩曲』の初演は、パリでイザイによって行われました。この曲はイザイに献呈されたショーソンの代表作。ヒラリー・ハーンの師ヤッシャ・ブロツキーはイザイの最後の弟子で、彼女はこの作品に自身の音楽的なルーツとして、個人的な繋がりを感じずにはいられません。
2016年に亡くなったフィンランドの作曲家ラウタヴァーラとは、2013年のアルバム『27の小品~ヒラリー・ハーン・アンコール』で『ささやき』という楽曲を委嘱・演奏したのが最初のコラボレーションでした。また、ミッコ・フランクはラウタヴァーラの親しい友人であり、その作品の理解者として優れた演奏家でした。2014年にラウタヴァーラのヴァイオリン協奏曲を演奏した2人は、パリで初演するための新作協奏曲を委嘱することにしましたが、ラウタヴァーラの健康状態が良くなく、その作品はセレナードに変更されました。作曲家の死後、2曲目の途中までオーケストレーションがなされ、残りはピアノのスケッチがのこされた『2つのセレナード』が発見され、ラウタヴァーラの弟子である著名な作曲家カレヴィ・アホがオーケストレーションを完成させて、2019年2月に世界初演し、この世界初録音が行われました。(輸入元情報)
CLASSICAL FEATURESヒラリー・ハーン待望の新作『パリ』3月5日発売決定「ヴァイオリン協奏曲第1番」先行配信スタート
Published on 1月 22, 2021 discovermusic.jp
アルバム『パリ』は、ヒラリー・ハーンの1年のサバティカル休暇からの復帰作であると同時に、ドイツ・グラモフォンへの6年振りの新作となる。
彼女のために書かれたエイノユハニ・ラウタヴァーラによる「2つのセレナード」の世界初演録音の他、エルネスト・ショーソンの「詩曲」、1923年にパリ都で初演されたセルゲイ・プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番を収録。「ヴァイオリン協奏曲第1番第2楽章」は本日、先行配信がスタートした。
「『パリ』の主眼は表現です」とハーンは語る。
「情感です。ある街があり、その街の文化の交わりがあり、切り離すことのできない感性があります。それが演奏者にも聴く人にも閃きを与えます。アルバムにはパリが貫かれています。それだけではなく、私の音楽家人生とも大いに脈絡があります。私は十代の頃からパリで演奏をしていますが、オーケストラとの共演は、いつもと言っていいほどフランス放送フィルハーモニー管弦楽団とでした」。
「パリ」の録音の構想は、2018年から19年にかけてのシーズンでハーンがフランス放送フィルハーモニーのアーティスト・イン・レジデンスになったことから膨らんだ。2014年、ミッコ・フランク指揮でラウタヴァーラのヴァイオリン協奏曲を演奏した後、ハーンはフランクに彼と同郷の友人のこの作曲家が協奏曲第2番を書く気持ちはないかと尋ねた。
フランクとラウタヴァーラは話し合い、セレナードを数曲まとめた形にするという構想で落ち着いたが、ラウタヴァーラの病によりその実現は阻まれたかに思われた。2016年7月享年87歳でラウタヴァーラは死去、すべてはこれにて一巻の終りとフランクは嘆き悲しんだ。
ところがラウタヴァーラの未亡人が彼に見せたのは、完成間近のヴァイオリンと管弦楽のための素晴らしい哀歌調の曲だった。「即座にミッコはこれが私達の曲だとわかりました」とハーンは回想する。フランス放送フィルハーモニーは、著名なフィンランドの作曲家でラウタヴァーラに師事したこともあるカレヴィ・アホにオーケストレーションの仕上げを依頼した。
「私達のこの録音は、2019年2月の世界初演からとっています。この感極まる歴史的な演奏で、ラウタヴァーラの作曲カタログは締めくくられます。最後の音符が鳴り終わった時、ミッコは天に向かって楽譜を高く掲げ、今もそこにいる作曲家の魂に敬意を表しました」。
本アルバムでラウタヴァーラの「2つのセレナード」と並ぶ楽曲を選ぶに当って、ハーンはパリに背景をもつ2曲の音楽を選んだ。彼女はショーソンの「詩曲」を、徹底した対比に満ちた「あくまでも表現的な作品」と呼ぶ。「ある意味、ショーソンの私的な鎮魂歌のような予兆的な作品でありながら、喜び溢れる祝祭でもある。最大の身ぶりと最小のニュアンスを描いている」と、ハーンは分析する。
「詩曲」はイワン・ツルゲーネフの短編小説から閃きを得ている。ツルゲーネフは晩年の多くをパリ近郊で過ごした。だがこの音楽は文学的標題から解き放たれ、メランコリーとほとばしる熱情の間で曲想を行き来する。「詩曲」のパリでの初演は1897年4月、ベルギーの名手ウジェーヌ・イザイが演じ熱狂的に歓迎されたが、ショーソンは自転車事故でその2年後亡くなった。
プロコフィエフがその初めてのヴァイオリン協奏曲に着手したのは、第一次世界大戦の初期の頃だった。1917年、ロシアの十月革命の少し前に彼は再び譜面に向かい、祖国で脱稿し、ニューヨーク次いでパリに亡命した。楽曲の公での演奏は遅く、1923年の10月になってパリのオペラ座で初演された。
「規則破りの協奏曲です」とハーンは語る。
「私の愛奏曲の一つ。陸上競技で走っている気がする時もあるし、蒼天を漂っている気になる時もあります。絶えず移ろい、演奏者も聴衆もどきどきはらはらしっぱなしです」。
新作「パリ」は、ハーンのフランスの都との長いつながりと同時に、フランス放送フィルハーモニーとミッコ・フランクと培った芸術的コラボレーションの特異性を象徴している。
ハーンが言う通り、そしてここに聴かれるように、一緒に音楽を演じると、“音符は会話の言葉の様に流れ、音色はぴたりと寄り添い、感情は誇張されるというよりも包まれる”。
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