2013年8月25日日曜日

ルーブル美術館展 東京都美術館

200点を超える作品、4000年を超える歴史。
もう、おなかいっぱいです。


2013年8月16日金曜日

高村薫:太陽を曳く馬を読了はしたものの

読了とはいうものの、内容のほとんどは意味不明、理解不能
ひたすらに問い続ける小説。高村氏自信が問い続けること、その答えを求めるためには膨大な言葉を連ねるしかないということ。

仏教もしかり、オウムもしかり。その中での仏教論、認識論などなど
現代でそのような形而上的な問題を問う意味があるのか、ということに真っ向から反抗し立ち向かう。


2013年8月3日土曜日

村上春樹 1Q84 読了

amazonの評価を読むと、賛否両論というか、否定的な意見が多い。
批判者はあまり、文学に親しんでおらず、たまたまベストセラーだから始めて読んだみたいな人も含まれているようである。

村上作品は、決してわかりやすくないし、面白くもない。
自分勝手で日現実的なキャラも共通。
意味深なような謎掛けはあるものの全くの解決はなく。
ノルウェーの森に見られた性描写はここでさらに枠を拡げる。
何を書きたいのか?と疑問をつける人も多かろうが、多義的な世界を書いていることは確か。
しかし、最初のクールな青豆のイメージがだんだん幼稚になっていった、という感想は一理あると思うとともに、女から母親になったことによる変化ととらえてもいいのかも。
あくまでも男性視点あることは否定しない。
20年前との幼なじみが再び出会うなんてロマンとも思えないような妄想を小説の一つのテーマと大団円に据えることそのものが、歪で現実感も生活感も伴わない設定に思える。
天呉のあくまでも社会性のない、ナルシスてィゥクな受け身なキャラ、そのままの印象。
読んでいて、村上小説の世界観やキャラ設定を理解できない人には、つまらない以上に、嫌悪さえ覚えると思う。

しかし、ここに描かれた、ある種の回復できない喪失感と再生への期待とか、より困難な世界に立ち向かうスタンスとかは、ひとつの村上的な理想を示しているかもだ。あくまでもロマンとして。
この程度のロマンも許さないのならば、世の小説のほとんどはゴミ箱行だ。
宗教に対する認識の薄さは、ちょっと目に余るのだけど、宗教を信じていない、あるいは批判精神もない人に、オウム的なもののありようとかを使ってはもらいたくなかったね。

読み切ってはいないが、高村薫の太陽が曵く馬の難解さと深さに比べると、恥ずかしくなるほど。

エンタメと考えれば楽しめないこともなかったよ。