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2004年12月8日水曜日

ムター/シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

  • アンネ=ゾフィー・ムター(Vn)
  • アンドレ・プレヴィン(指揮)シュターツカペレ・ドレスデン
  • GRAMMOPHONE

師走になりましたが、今日も釧路地方では地震がありましたね。余震だそうですが、寒くなってきましたし大きな地震にならないことを祈ります。

今年は天地がちょっとばかり変で、日曜日の札幌は大雪の大荒れの天気でしたが、東京は25度だったそうですね。飛行機でたかだか1時間15分ほどの距離しかないのに、まさに別世界。

ということで、別世界のムターのシベリウスを聴いてみました。感想はこちらです。

かなり濃い目のムターのチャイコフスキーを聴いたので、実際彼女の芸風はどうだったかしらという意味から、34歳の時のシベリウスを聴いてみました。

冒頭からノンヴィブラートの音、チャイコフスキーの第二楽章で聴かれた音です。嫋嫋たると表現する人もいるようですが、絞り上げるような表現力には只者ならぬ雰囲気を感じます。

音色の変化は、ここでも見事であり、それは饒舌とも豊穣とも違ったもの、クレッシェンドになるに連れ、音は太くなり分厚さをましてきます。メタリックな感じでゴリゴリと奏する様はかなり迫力あります。しかし、そこはムターです。あくまでも多彩な表現力の一面ということですから、力まかせな乱暴さということではありません。繊細さと強烈なところのレンジが広いということでしょうか。

ムターの音楽は、極めてエネルギッシュで感情の振幅が大いものの、泣きや浪花節に落ちることはありません。ですから演奏を聴いて感情移入をして感極まるようなことはありません。ひたすらに見事だなあとは思うのですが。

第一楽章のカデンツァなど奔放さの限り、かなり好きなことをやっているように聴こえます。完全にムター節で、自分の世界を表現しているような熱演です。凄い演奏だとは思ですが、シベリウスを聴いているという温度感は希薄です、プレヴィン率いるバックのオケもしかりです。

「好きな演奏か」と問えわれれば「感心はしても感動はできません」ということになりますね。シベリウスに特別な思い入れを持っているヒトには特にそうかもしれません。

PS.年末締め切りの仕事がバタバタと入ってきたり、今までうっちゃっていた仕事の催促が来たりと、さすがに師走は忙しくなってきました。かなりしつこい風邪もひききったので、あとは驀進かァ。ブログはぼちぼちですな。

2004年12月3日金曜日

【音盤】ムター/コルンゴルド:ヴァイオリン協奏曲


チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 OP.35
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 OP.35
アンネ=ゾフィー・ムター(Vn)
アンドレ・プレヴィン(指揮)ウィーン・フィルハーモニー(チャイコフスキー)
アンドレ・プレヴィン(指揮)ロンドン交響楽団(コルンゴルド)
GRAMMOPHONE UCCG-1206

ムターのチャイコフスキーは、コルンゴルドのヴァイオリン協奏曲がカップリングされています。レビュを書いて気付いたのですが、どちらも「ニ長調 OP.35」なのですね。

コルンゴルドは1897年生まれ、幼くしてウィーンの楽壇にデビューして天才ともてはやされ、その後アメリカに渡り映画音楽の世界で成功した作曲家。本人は晩年にウィーン楽壇に復帰したかったようですが、「映画音楽作曲家」というレッテルは死ぬまでぬぐえなかったそうです。

さて、そんな作曲家が1947年に描いたのがこのヴァイオリン協奏曲。いやいや悪くないですよこれは。最初に聴いたときには、まさにハリウッド映画音楽だあと思ったものの、それはそれでよいではないですか。ロマンティシズム溢れる、甘ったるくも力強くエネルギッシュな曲です。

甘美なところはこれ以上はないと思えるほどで、とろけてしまうよう。それをムターのヴァイオリンで聴くと、暖炉の火で柔らかくなったキャンディーよろしく、「もう、どうにでもして」と言わんばかりの音色となって聴くものを骨抜きにしてくれます。特に第一楽章の冒頭の旋律が凄い、これを聴くだけでも価値があるかな。チャイコフスキーでは、先入観からか疎んじた音色が、ここでは、非常にマッチしています。

快活な部分では、芯がはっきりした太い音が、それこそ自在に駆け巡る快感は、これまた例えようもなく、聴いていて「ああ、楽しいなあ」という気にさせてくれます。古きよき時代の上昇志向な感じが懐かしいです。

コルンゴルドはフーベルマンのために、この曲を書いたそうですが、初演はハイフェッツなのだそうです。技巧的にも結構難易度が高いようですから、ヴァイオリンを聴くという意味では楽しめる曲です。

というわけで、コルンゴルドは悪くはないのですが、ふと考えてみると1947年という時代に、アメリカでこんな脳天気な音楽を作っていたとは、コルンゴルドさん・・・幸せでしたね。

2004年11月30日火曜日

ムター/チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 OP.35
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 OP.35
アンネ=ゾフィー・ムター(Vn)
アンドレ・プレヴィン(指揮)ウィーン・フィルハーモニー(チャイコフスキー)
アンドレ・プレヴィン(指揮)ロンドン交響楽団(コルンゴルド)
GRAMMOPHONE UCCG-1206

ムターの15年振りの再録となるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴いてみました。

私が「思わずジャケ買いしてしまうヲジサン」であるかはさておき、HMVで少しばかり視聴したのですが、「ひょえっ!なんぢゃこれ」というくらいに個性的な演奏で、そのまま聴きつづけるのがつらかったのでフラフラとゲットしてしまいました。

An die Musikの伊東さんは、本盤のレヴュでこれは好き・嫌いがはっきり分かれるだろう。と書いておられましたが、聴いてみればまさに個性的な演奏。出だしからこれでもかと言わんばかりの濃厚な表現が聴かれます。チャイコフスキーがこんなにも色香のある音楽だったかしらと戸惑ってしまいます。

「妖艶」「むせかえるような」などの形容詞を冠したくなる演奏で、それがムターの個性なのだといわれれば、そういうものかとも思いますが、果たしてこれが「美しい」演奏であるかは疑問です。(美しいの定義も問題ですが)

ムターのヴァイオリンは、ノンヴィブラートの音から、艶やかさと豊穣さを乗せまくったヴィヴラート音まで、あるいはポルタメントの多様やあざといまでのアゴーギグなど、表現の巾は変化自在であり極めて広いといえます。演奏スタイルは下品とか演歌的というのではないのですが、非常に濃いものです。目的のためには手段を選ばないといいますか、娘にもなれば熟女にも老婆にも化けるといったような・・・

コテコテの演奏がキライなわけではないのですが、ムターのこの演奏には、どこかついていけないものを感じます。聴いていて顔をしかめてしまうような部位がいくつもあります。例えば、第二楽章冒頭のノンヴィヴラートの音色など。もっとも、これはこれでびっくりするような音です。暗くかすれたむせび泣きであり、この楽章は全般的にヴァイオリン協奏曲というより、オペラの悲劇のヒロイン歌う哀しいアリアにさえ聴こえます。でも何となくムタれ気味になった耳に、オケのフルートの音色が新鮮に聴こえ、救われる思いだったりします。

夫であるプレヴィンとの共演というだけあってアンサンブルは悪くありません。ムターに十分にかつ自在に歌わせているように感じます。オケはバックで闊達すぎるムターを外側から優しく抱擁しているようでさえあります。

見事といえば見事なのですが、改めて伊東さんと同じように好きか・嫌いかと問われれば「好きとは言いたくない、が抗えない力も感じる」というのが結論ですな。