昨年から、レイ・ダリオの発言に注目しています。
彼の著作の日本語版は全て入手し目を通し、また最近の英語版の著書「How Countries Go Broke: The Big Cycle (Principles) 」も、日本語版が発売されていないので、仕方なくゲットしています。

時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
昨年から、レイ・ダリオの発言に注目しています。
彼の著作の日本語版は全て入手し目を通し、また最近の英語版の著書「How Countries Go Broke: The Big Cycle (Principles) 」も、日本語版が発売されていないので、仕方なくゲットしています。

新NISAが数年前にはじまり、また、暗号資産などでFIREする人も増えてきた。
金銭的な心配がなくなるので憧れだが、FIREして幸せという人はどのくらいいるなだろう。
これは年金生活者とて同じこと。人間は社会的な生き物だから、他者との関係性なしには幸福感を得られないという真実。
一人であることに全く苦にならない人は、おそらく何か他の生きる目的が明確な人であるのだろう。
だから世の社畜と揶揄されるリーマンどもも、定年延長に苦々しく思うものの、諾々と従うのだろう。
他人が決めてくれる人生ほど楽なものはない。
世の中は新NISA制度になってから、にわか投資ブームみたいになっています。
今までのNISAよりも、大幅に制限が緩和され、より投資しやすい制度となったことも原因であり、証券会社や金融機関は、こぞって口座を開くことを煽っているようです。
もとはといえば、政府の年金制度が破綻しており、自らが老後資金を蓄えなくてはならなくなったのと、家計の2000兆円を超えるとも言われる眠った資産を、なんとか動かしたいということを考える輩の作戦に、まんまと国民が引っかかったというところでしょうか。
暗号資産もリスクはあるものの身近になってきました。
自分が投資を始めたきっかけは、今後のインフレ局面に向けての資産保護が第一。大きくゲインを得ようとは思っていません。
ましてや完全に老後域に入っており、あと何年か収入があるかも分からない立場、大きなリスクは取れません。
新NISAにまんまと乗せられたわけではないですが、さすがに自分でやってみないと語ることもできません。
まずは小額から試してみようと思っています。
日本でもオミクロン株の4人目の感染者がみつかり、3度目のブースターショット計画も報道される中、Bloomberg日本版を見ていましたら、コロナ禍にあって超富裕層の資産が過去最大に達したとの報道がありました。
フランスの経済学者トマ・ピケティ氏が設立した「世界不平等研究所(World Inequality Lab)」というのがあり、同研究所の12月7日の発表によります。これによると、「超富裕層の2750人前後が世界の富の3.5%を支配」しており、彼らが「コロナ危機の間に増やした富は3兆6000億ユーロ(約460兆円)」であるそうです。3.5%という超富裕層の資産保有比率は、昨年初めの2%強から一段と上昇したとのこと。
題名の通り続編です。読んでみますと前編の実践編ということになりましょうか。
森永は金持ちなのにどうしてそういう本を書くのか、というキモチは私も持ちましたが、そう思った読者の方は多かったようです。
前作を読んで成る程と思う反面、ちょっと違うなあということも感じたのですが、共感できる部分も多かったため、ついでに続編である本書も読んでみました。前書が2003年3月1日発行、本書が11月25日発行ですからその間約半年程度しか経っていません。ですから森永氏の経済に対する考え方には全く変化はありません。(むしろ半年の間で経済状況は悪化していると指摘していますが。)
そういう本書のテーマは「まえがき」の以下の部分に要約されています。
前作を読んでいただいた方々から、たくさんのご意見をいただいた。[...] 一つは、具体的にどのような対策をとれば年収300万円で暮らせるのか教えて欲しいというもので、もう一つは年収300万円で暮らせると言いながら、実は森永は金持ちではないかというご批判だった。(P.4)
このように書かれていますので、前編の実践編というふうになりましょうか。森永氏は所得格差は絶対に進む、数年後には必ず意図的なデフレ脱却が起こり土地や資産は上昇し、そうなったらもう日本は過去のような皆が平等であった時代には二度と戻れないと警鐘を発しています。
彼はそういう市場原理と戦っていくという姿勢よりも、300万円で身の丈にあった生活をした方が人間的な生活を回復できますよと説いているのです。第4章で森永氏で自らの前書の書評を紹介していますが、まさに「『逃散』の勧め」というわけです。ですから、そういう生活を選択した方々の生活ぶりについても第3章「心豊かなライフスタイルを模索し実践する人たち」として紹介しています。
ちょっと違うのではと思うのは、世の中が1億以上稼ぐ社会の数パーセントの人と、社会の6割り程度を占める年収300万円代の人と、年収100万円以下の三つの層に分化するということでしょうか。(P.65) 確かにアメリカ社会は数パーセントの超金持ちと一般の人に分化しているという話は聞きますが、本当にそうなるのかとなると、鈍いせいか実感を伴いません。それでも彼は書きます。
一つだけどうしても言っておきたいのは、「これから日本が市場原理主体の社会に変貌するなかで、能力や成果が政党に評価されるようになるのだから、きちんと仕事で成果を出していけば、それが出世に結びついていく」と考えるのは、完全な誤りだということだ。(P.235)
会社生活にはもはや夢も希望もないと言い切っているのと同じです。会社の中で「ラットレース」を繰り返し身も心もボロボロにするよりもっと豊かに暮らせというのですが、確かに会社生活は厳しい面もありますが、皆そこの中で自己実現を重ねてきているわけです。急にそういう人生を止めなさいと言われても、実のところ戸惑うばかりです。自分の足元の階段をはずされるようなものですから。
森永氏の考え方に同調できる部分も実は多いだけに考えどころです。思うに、日本の会社勤めの人の大部分はあまりにも忙しすぎ、家庭はおろか、近隣や社会、自国の政治、さらには国際社会としての役割に、個人的に関わっている時間がないと感じています。あるいはすごく忙しく働くことが、社会やその他の人たちと直接結びついている人たちは幸せかもしれません。多くの会社勤めの人は、自分の成果を社会に還元して納得できにくくなっているのではないでしょうか。
会社勤めはどんなに頑張っても、役員や顧問にならない限り長くて60歳で定年です。リストラ後の再就職がままならないように、普通の会社勤めの人が、そこでのキャリアを定年後にも生かせる機会は稀有と言ってよいでしょう。会社という肩書きを外れた個人として、自分が自分以外のものとの繋がりが薄すぎることが日本人とそして日本の最大の不幸なのかもしれないと思うこのごろです。
森永さんの経済に関する考え方についての論評はできませんが、内容は示唆に富むものでした。相容れないところもなくはありませんが。
テレビ朝日のニュース・ステーションに出演されている森永さんの本です。最近この人の書いたものを良く目にします。特に経済系の週間・月間誌、30代ビジネスマン向けの雑誌をぱらぱらと捲れば、人の良さそうな彼の写真をすぐ探すことができます。だから本の題名が良くないですね。「あちこちで結構稼いでいるくせに、人には年収300万円で生き抜けとご教授を垂れるのか」と、やっかみにも似た反発を覚えるものです。
そうは言っても、何を言っているのか、とりあえず読んでみました。
景気回復と不良債権処理の考え方は、竹中金融相や木村剛氏の考えとは真っ向から対立しているようです。森永氏は不良債権をなくしてもデフレからは脱却できず景気も回復しない、むしろマネタリー・ベースを増やして流通現金量を増やし、更に土地担保主義の金融システムを復活させよと主張しています。一方の木村氏は「悪臭の源は不良債権である」(日本資本主義の哲学:木村剛)と言い切っているのですからね。
デフレ処理と不良債権処理に関するテクニカルな問題については、私はその是非を判断する知識を持ち合わせていません。興味のある方は両者の著書を読み比べて判断されると良いかもしれません。
私が面白かったのは、「日本に新たな階級社会が作られる」(2章)、「1%の金持ちが牛耳る社会」(3章)などの部分で、全てではないにしてもかなり説得されてしまいます。薄々私が感じていることと似ているからです。森永氏は最初控えめながら、こう書きます。
不良債権処理を進めても、マネーは増えず、景気も回復しない。[...] (政府は)何ひとつ良いことが起こらない金融再生プログラムをなぜ強行しようとするのか。一つの可能性は、小泉内閣のブレーンたちが、とてつもなく頭が悪いということだ。[...] (そんなことはありえないので)むしろ、小泉内閣の正体が「金持ちをますます金持ちにする」ことになるのだとしたら、この金融再生プログラムは実によくできている (P.49)
これを実現させる手順は以下のようだと書いています。
- ITバブルを引き起こして「頭金」を作る。
- 金融引き締めによるデフレを仕掛けて、資産価格を急落させ、不動産を借金で購入した企業を追い込む。
- 不良債権処理を強行して、放出された不動産を二束三文で買い占める。
- デフレを終わらせて、買い占めた不動産価格でキャピタルゲインを得る。
- 一度たたき落とした旧来肩の企業や一般市民が、這い上がってこないように弱肉教職社会へ転換する。
今、東京で起きている現象に妙にラップする部分を感じてしまうのは私だけでしょうか(まさに日々そういう事象を仕事でも目にしていますから)。現象は②~③に達しています。
しかしここからが良く分からないのです。森永氏の言う「勝ち組」とは具体的にどこに居る人たちのことなのでしょう。私の業界(完全な「負け組」ですから)では、全く実感を伴いません。
また彼の論では、家族もかえりみず寝る暇も惜しんで働き1億円の年収を得る一部のサラリーマンと、「負け組」の年収300万円のサラリーマン、更にそこにさえ達さない三つの層に分かれると書いています。これは少し私の感覚と異なります。年収1億円のサラリーマンも、年収300万円のサラリーマンも、同じように死ぬほど働いているのが現実のような気がします。(死ぬほど働く期間は異なるでしょうが)。
真に恩恵をこうむるのは、どこに居るのか分からない、死ぬほど働くことを一生しないですむ「資産家」「投資家」のような気がします(それこそ、そんな人たちはどこに居るのだと思いますが)。また、森永氏が主張するように300万円でよしとして、ガリガリ働くことを放棄して優雅に過ごせるような人など、それこそ僅少であるように思うのです。
日本において価値観の転換が必要ということは、おそらく言われなくても皆が気づき始めています。でも理不尽に思うことは、世界でもトップクラスの平均年収を誇り、物質的にも衣糧・教育環境とも豊かな日本国民が、なぜにこんなに「幸福感」を実感できないでいるのでしょう。それは労働時間や高い地価だけのせいでしょうか。
彼の主張は私に色々なことを考えさせてくれました。それはまたおいおい書いていきましょう。