時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
2008年7月4日金曜日
[演奏会]コバケン&新日フィル:ベト7+チャイ5
本日は、とある企業が主催する公開録音に招かれ、すみだトリフォニー・ホールにてコバケンと新日本フィルハーモニー交響楽団による、ベト7とチャイ5を聴いてきました。自分でお金出したわけではなく「ご招待」なので、偉そうに感想を書くのは憚られます。サラリと述べるに留めましょう。
��月以来、音楽活動も非常にプアーな状況でしたので、久々の生オケは充分に堪能できました。曲も曲でしたし。ベト7は、少しもったりと重いかなという印象でしたが、チャイ5ではコバケン節炸裂ですね。パワフルな曲を続けてですから、オケの皆さんを始めコバケンもお疲れのことでしょう。
昔はチャイ5命みたいなところありましたが、このごろはほとんど聴きません。久しぶりに聴くと、あまりのストレートさに気恥ずかしくなるほどですが、それなりに「スッキリ」感は得られ、まずまずといったところでしょうか。
しかし、これを期に音楽活動が活発になることは、ちょっとなさそうですね・・・。
2003年11月11日火曜日
日本フィル 第137回サンデーコンサート
日時:2003年11月10日 14:00~
場所:東京芸術劇場
指揮:小林 研一郎
演奏:日本フィルハーモニー交響楽団
ヴァイオリン:二村 英仁
リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン(ジプシーの歌)
ラヴェル:演奏会用狂詩曲「ツィガーヌ(ジプシー)」
モンティ:チャールダーシ
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
コバケン+日フィルの演奏会に出かけた。リストのハンガリー狂詩曲に始まり、二村氏のヴァイオリンが3曲、そして「展覧会の絵」と親しみやすいプログラムであった。
しかし、日曜日14時のに始まる「サンデーコンサート」という気楽な雰囲気の演奏会のためか、会場が始終ざわついていてどこか緊張感に欠けていた。それは演奏中でもそうで、開放咳ならまだしも鞄やパンフレットのガサゴソする音が始終絶えない。そういう私も体調があまりよろしくなく、なかなか演奏に没頭できないで終わってしまったというのが正直な感想。
二村氏のヴァイオリンは優しく温かみのあり、それでいてなかなかに聴かせる演奏だったと思うのだけど、心には響いてこなかった。二村氏と日フィルとの相性という点ではどうだったのだろうか。「ツィゴイネルワイゼン」のような通俗名曲を技巧でブイブイ弾きまくる演奏が、二村氏のスタイルには似合わないのかもしれないとも思った。
ラヴェルやモンティは、私には始めての曲で、全くもったいないのであるが、とにかく楽しめないままに二村氏は去ってしまった。二村氏は、機会があればもっと近い席でじっくりと聴かせて貰いたい音であったことは付記しておこう。
次は「展覧会の絵」である。コバケンの展覧会なのだからとかなり期待して聴き始めた。しかし、本番であるから事故やミスは止むを得ないと思うのだが、金管群が不安だ。弱音でのアンサンブルの乱れも気になり、どことなく雑な印象を受ける。そして時々、自分の耳がおかしいのでは訝ったのだが、音程がどうもピンとこない。それも弱音での出だしの音だったり、重要な部分での音程であるだけに演奏全体の印象がぼやけてしまった。(プロのオケなので、音程が悪いということはありえないと思う。私は当日は風邪気味であったから、頭と耳がぼやけていたのだと思う。)
展覧会の絵は、強弱や緩急取り混ぜながら、最後のキエフの大門に向かって盛り上がる曲だが、最後のクライマックスも弱音での緊張が維持されてこそ壮大な感興が得られるものだ。肝心の弱音での繊細さや緻密さ、美しさに乗り切れなかったため、今日の演奏には満足できなかった。
アンコールは、何か1曲やった後に(忘れた)キエフの大門のラスト数分をもう一度演奏した。こういうアンコールもありかなとは思ったのだが、コバケンの生真面目さとサービス精神、そして音楽と日フィルへの深い愛情は感じたが、今日の演奏の印象をくつがえすものではなかった。
4月に東京に来て日フィルの演奏を聴くのはじめてであったのが、今まで数度聴いた東響と比較すると、弦の音色や雰囲気が異なっているように思えた。東響はどちらかといえば透明感が際立っているが、日フィルには音に粘性を感じ重心も低く、良い意味での雑味も感じることができる。それだけに全体のバランスが崩れてしまうといただけないというのが、今日の感想ではあった。体調の良いときに再度、コバケン+日フィルを聴いてみたい。
蛇足になるが、コバケンは3階席にいてさえ、その唸り(叫び?)声が聴こえるほどである。それでも、帰り際にクラシックファンたちが「コバケンも年をとったなあ」と感慨深げに話す声が、なぜか耳に残ったのであった。
2001年2月26日月曜日
小林研一郎 指揮 チェコ・フィルによる第5番交響曲
- 指揮:小林 研一郎
- 演奏:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
- 録音:25-26 Feb 1999 「芸術の家」ドボルザークホール
小林 研一郎とチェコ・フィルによる第5である。彼のディスクは他にも日フィルを指揮したものなどいくつかあるようだ。小林 研一郎といえば「炎のコバケン」の愛称があるくらいに、熱く激しい指揮者と言う印象がある。クラシック経験の浅い私は、コバケンの演奏を聴くのは本CDが初めてであるため、大いなる熱演を期待したのだが、聴き終った後の感想は最初のイメージとは少し異なるものだった。
まず、1楽章から深く響きの重心が低い。不安感の混ざった、ざわざわとした感じが上手い。打楽器の音もしっかりして激しく、弦楽器が憂愁を帯びた旋律を奏するところは、十分に歌わせてる。解説にある「叙情的な表現と力強い表現との力関係」というこの交響曲の持つ性格を、十分に把握した上でのテンポ設定や、弦・管楽器の歌わせ方を考えていると思わせる。両者の力関係ということで書けば対比が見事であり、強いドラマ性を感じさせる解釈である。
上手く表現できないのだが、激しいところはひたすら激しい。打楽器と弦楽器によるリズムの刻みは、精緻さや鋭さはないが底から迫ってくるようなストレートな迫力がある。逆にゆったり奏するところは、不思議な抑揚と余韻がある。比喩が適切とは思えないが、重いはずみ車を回した後、慣性で回りつづける・・・といった余韻、あるいは非常に粘性の高い液体の中を棒でかき回すときの抵抗感といったらよいのか。ただしこれを好むか好まないかは意見が分かれるかもれない。(適切な比喩じゃないなあ・・・)
2楽章のホルンの旋律の部分も響きが分厚い。チャイコフスキー自らの問いかけとそれに対する答えがやさしい。懐の広さと、包み込むような解答がこめられているかのよう。第1楽章で感じたような粘性感が上手くこの楽章の表現にマッチしている。
3楽章のワルツはちょっと野暮ったい感じを受ける。丁寧すぎる奏し方と相まって優雅さに欠ける。6分25秒という演奏時間は、今までの中でカラヤン・ベルリンに次いで長く、一番短い盤に比べると1分近くも遅い。演奏時間の長短を比較することに意味あるかはさておき、全体にのったりした印象を受けることも否めない。もっとも他の盤との比較による相対的な感じ方なのだろうが・・・
4楽章序奏部の堂々としたリズムと余韻は、言いようのない懐かしさが漂う。トランペットの不思議な抑揚や弦の響きが気持ちを揺さぶる。幾多の旅の果てにここにたどり着いたかのよう。3分過ぎからは、一転して早く激しくなる。1楽章で感じた余韻や粘着感がこの楽章でも感じられる。それはそれで、一つの解釈の結果なのだと思うが、例えば金管群の奏し方が甘く曖昧にも感じられる。いわゆる切り込むような鋭利さは感じられない。悪い意味で評しているのではない、逆に金管群がうるさすぎないため、ある種のロマンチシズムをたたえた、やわらかさのある演奏である。CD解説には「堂々とした曖昧さのない出来栄え」とか「金管などを強調しつつも・・・」とあるのだが、私の受けた感じ方は少々異なるものだ。(まあ、冷静に聴けば金管も凄いよ)
ラストに向けて、打楽器の響きも凄くなり、緩急自在のテンポ設定がいやがおうにも、大きなクライマックスを感じさせてくれるものの、全体に暑苦しく汗たぎる演奏ではない。コバケンに「汗臭い」イメージを聴く前に持っていただけに、少々意外であったのだが、それでも物凄い熱演であることに変わりはない。緩急のつけ方や強弱の対比、楽器群の差異など非常に明確で、曲の持つ性格を十分に表出していると言える。激しさとやさしさを併せ持った演奏という印象を受ける。演奏時間のトータルを見ると、他の盤に比べて特別速いわけではないのだが、躍進するリズム感や推進力をも見事である。以上のような意味合いからは「炎のコバケン」と言われるのも、分からないでもない。
ただし、指揮者の唸り声が随所に聴こえる。ゲルギエフ盤でも唸りが聞こえるのだが、これはちょっといただけないなと個人的には思う。演奏にのめりこめばそれほど気になるものでもないか・・・(ヘッドフォンで聴くことはお薦めしない、近隣に注意しながらスピーカーを通して聴きましょう)
蛇足だが、スラヴ行進曲は凄い! 何たる演奏と重み!!!!!!!
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