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2006年1月11日水曜日

ゲルギエフ指揮:マリンスキー劇場管 ワーグナー「指環」演奏会形式


��日はゲルギエフ指揮マリンスキー劇場管によるワーグナー「指環」の演奏会形式版を所沢で聴いてきました。


    ワーグナー 舞台祭典劇「ニーベルングの指環」より

  1. ヴァルハラ城への神々の入場~「ラインの黄金」より
  2. ヴァルキューレの騎行~「ヴァルキューレ」より
  3. 魔の炎の音楽~「ヴァルキューレ」より
  4. 森のささやき~「ジークフリート」より
  5. 「ヴァルキューレ」第1幕,全曲(演奏会形式)


  • ジークムント:アレクセイ・ステブリアンコ(T)
  • ジークリンデ:ムラーダ・フドレイ(S)
  • フンディンク:ゲンナジー・ベズズベンコフ(Bs)

行く前は「演奏会形式」ですし随分迷ったのですが、当日券(1階18列20)を開演5分前に購入、結局聴いてしまいました。結果的には満足のゆく充実した演奏会であったと思います。




まず、演奏曲目が「指揮者の強い要望により」上記に変更されたとのアナウンス。知名度の点からは「ヴァルキューレの騎行」ははずせないのだろう、とは思いましたが、前半はちょっと雑駁な印象。


いきなり「ラインの黄金」の「ヴァルハラ城への神々の入場」から聴きはじめるのは、どうしたって違和感、無理がある。「ラインの黄金」を演奏するならば、「指環」全体を象徴するかのような前奏曲ははずして欲しくないなあ、などと勝手なことを考えながら聴いてしまいます。二曲目から「騎行」を聴かされるのもツライ、まだそんな気分ではない。


歌が入らない演奏なのも、主人の居ない(あるいは眠り薬で眠らせている)家にお邪魔しているような感じで、どうも居心地が悪い。それはヴァルキューレでも同じで、彼女たちの奇声が聴こえない騎行は興醒めでシンバルの連打も白々しい。しかも勇壮な金管の彷徨が耳に馴染まない、というか何か変。タンギングの付点リズムはそういう音符でしたっけ?と疑問に感じながら、煮え切らない気持ちで聴き続けます。「魔の炎の音楽」もしかり、アタマの中でヴォータンやらブリュンヒルデの歌声を補間して聴いてしまいます。


もっともこれは、勝手な私の感想であって、演奏自体は悪くない、というか音の厚さの点でさすがと思わせます。楽団員が舞台に上がってきた時の印象は「でかいな」というものでしたし、低弦や金管の音量も十分。ゲルギエフは指揮台を設置しない平場で、タクトを持って精力的に指揮していました。そういえば、演奏前のチューング音のバラバラさは、結構印象的でしたね。そこにこのオケの自由奔放さとイキの良さの片鱗を聴いたのですが、実際はどうなんでしょう。


休憩をはさんでの「ヴァルキューレ」第1幕は、予想外の大満足といったところ。前奏曲の嵐とそこを逃げるジークフリートを象徴するかのような音楽から、ズイズイと演奏に引き込まれます。


ジークムント役のステブリアンコは、どう見てもジークムントには無理のある体型ですが、(チクルスではジークムントは別の人)声の張りは若々しく素晴らしい。またジークリンデのムラーダ・フドレイ は美貌と美声を兼ね備えた歌手。歌声もホールの隅々まで通り申し分なし、声質も魅力的です。


この二人が自らを告白しあい、愛に目覚めてワーグナー的「ふたりだけ」の世界に没入してゆくさまは見事で、演奏会形式ではあったものの、十分に楽しめるものでした。オケと歌手の音量バランスもよく、音楽が高まっても歌声が聴こえなくなるということは全くなし。眩暈のしそうな音楽を作り上げています。一体この演奏にどういう演出をしているのか興味はつきませんが、演奏会形式ですと曲そのものを堪能することができます。


この段になると、ゲルギエフがどうとか、金管のあれがどう、とか言うのは野暮なことです。ラストに向けての迫力や盛り上がりは素晴らしく、どこまでも駆け上るめくるめく感興と圧倒的な迫力で幕となったときには、思わず「うむ!」と訳の分からないコトバを発してしまいました。


ただし、オペラの実演には接したことのない私ですから、この演奏が「オペラ演奏的」あるいは「ワーグナー演奏的」見地から評した場合どうか、ということについては、全く述べることができません。基本的には、あまりクセや官能に重きをおかない、といって機械的過ぎることもなく、適度に感覚を刺激しながらストレートにふけ上がる性能の良いエンジンという感じですかね(>かえって分からねーよ)。


第1幕だけで終わったのは、演奏が満足いくものでしたから、物足りなくもあり、フドレイが膝を突いて観客に挨拶する仕草を観ているだけで、「あ"~、オペラ観てー」という気は強くなったことだけは確かです。

2005年7月14日木曜日

スターウォーズとニーベルングの指環2

自分で書いておいて、没企画(「CDでワーグナーの歌劇・楽劇を聴く」という無謀なシリーズ)になっていたものだからすっかり忘れていました。スター・ウォーズと指環の類似性について言及した海外サイトが、そういえばあったのですよね。


Richard Wagner Web Siteというサイトの中の「スターウォーズ・シリーズとワーグナーの《指環》~構成、主題そして音楽のつながり(The Star Wars series and Wagner's Ring
Structural, thematic and musical connections
)」というページです。あの時は内容を読まずにスルーしたので今まで全く忘れていました。テキストは膨大でまだ触りしか読んでいませんが、せめてタイトルだけでも拾っておきましょう。



Introduction

■Structural identities


  1. The dimensions
  2. The non-linear realisation
  3. To create a World
  4. The need for total control
  5. The cult following

■Thematic identities

  1. The Old Sin which is Atoned by Youthful Heroism
  2. The Conflict Between Power and Love
  3. Father and Son : The Central Conflict, and Two Battles of Life and Death
  4. Father and Daughter - a Conflict of Will
  5. The Magic Sword
  6. The Orphaned Hero
  7. Tuition and Initiation by a Dwarf
  8. The Incestuous Hero Twins
  9. The Symbols of Power
  10. The Evil Dragon
  11. The Forced Marriage, the Tyrannical Husband
  12. Magic Sleep and Sex Change
  13. The Magic Helmet

■Musical identities

General similarities

  1. The importance of the orchestra
  2. The opening effect
  3. The use of leitmotifs
  4. The construction of the leitmotifs

Specific identities of construction

  1. Luke Skywalker = Siegfried
  2. Obi-Wan Kenobi / the Force = Siegfried as tragic hero
  3. Siegmund & Sieglinde, twins = Luke & Leia, twins
  4. The Death Star = The Ring
  5. Leia = Brünnhilde
  6. Darth Vader = Hunding
  7. Han & Leia = Tristan & Isolde

タイトルを眺めるだけで、ワーグナー好きな方でスター・ウォーズも好きな方には興味深い内容ではないかと思います。英語が読めない人でも、ライトモチーフの項は楽譜とMIDIファイルが提供されていますので両者の類似性を目と耳で楽しむことができます。あまりにも鮮やかな解説です。(>そうか、デス・スターがリングだったのか!)

2005年7月12日火曜日

スターウォーズとニーベルングの指環

スターウォーズがワーグナーの「ニーベルングの指環」に似ているというのは、あながち私だけの感想ではないようです。つらつらと読んでいた感想にも、ライトモチーフについての言及が結構ありました。

ルークとレイヤは双子との設定ですが、ジークムントとジークリンデの関係に似ていますか。ただし二人は愛し合ってしまう前に互いを制御するのはハリウッドの倫理観でしょうか(>って、一般人の倫理観だよ)。

またルークとレイヤを生んで母親のパドメが死んでしまうのも、ルークをジークフリートと考えるとこれも同じです。ジークフリートはミーメに育てられますが、ルークもタトゥイーンで育てられそしてその枠を破って外の世界に飛び出しました。そしてジークフリートはヴォータンの力の元である槍を折ってしまうのでしたよね。ルークがダース・ヴェイダーとの闘いとある意味で似てます。

ジェダイのライトセーバーはノートゥングかとか、ヴォータンがダース・ヴェイダーならワルハラ城はデス・スターかよとか(ヴェイダーがエピソード3で満足げにデス・スターの建設されている様を眺めるのは印象的)、だから神々の黄昏かよとか(>だんだん記憶があいまいになる・・・)

じゃあ、ブリュンヒルデは誰なんだとか、グートルーネは、アルベリヒやラインの乙女たちは、ローゲは?トネリコの木はここでは何を意味するんだよ、フォースはどうだ・・・ヨーダは・・・などとやりだすとキリがありません。私もワーグナーに詳しいわけではありませんので、ここらへんでボロが出ないうちに止めるとしましょう。誰か、後お願いしますm(_ _)m >てことでclassicaにトラバして寝ます。

2005年1月12日水曜日

ワーグナー本

Syuzo's Weblogで吉田 真著「ワーグナー」の紹介ありました、要チェックですな(つーかSyuzoさんのサイトからのネタが続くな・・・)

考えてみたら「CDで聴くはじめてのワーグナー」のシリーズは、昨年3月に「ラインの黄金」を聴き始めて止まったままです・・・まいいか。

2003年11月11日火曜日

ワルキューレ 第1幕

「CDで聴く初めてのワーグナー」というシリーズが春から全く停滞しているのだが、久しぶりに「ワルキューレ」の前半を聴いてみた。

ワルキューレの第1幕は、ジークムントがジークリンデの家へ迷い込むところから始まります。またしてもお互い一目惚れしてしまいます(兄弟なのに)。上で旦那のフンディンクを眠り薬で眠らせて、二人で陶酔的な愛を交わすという、とんでもない幕である。

しかし、音楽を聴いていると一時にワーグナーの異常な世界にどっぷりはまり、第3場の「剣のライトモチーフ」とともに、ヴォータン(ジークムント兄弟の父)の与えた剣を手にするシーンは、まさにに圧巻という印象を受けます。凄まじきはワーグナー、映像を見ずともこれほど鮮やかに劇が再現されると驚くばかり。

第2幕第1場は、ヴォータンが娘のブリュンヒルデ(ヴォータンが女神エルザに生ませたワルキューレの一人)とつるんで、息子のジークムント(ヴォータンが人間に生ませた双子の兄)を助けようと企みます。それが、ヴォータンの正妻であるフリッカにはたまらない。しかもジークムントとジークリンデは近親相姦してしまっているのだから、結婚の女神のフリッカは許すことができない。それで、夫であるヴォータンにキレまくっているシーンなのだが、ここはとても笑える。ワーグナーって、一体どういう倫理観だったのだろう・・・

2003年6月5日木曜日

アバド/ワーグナー・アルバム

1 歌劇《タンホイザー》:序曲
2 舞台神聖祭典劇《パルジファル》:第1幕への前奏曲
・舞台神聖祭典劇《パルジファル》:第3幕からの組曲
   3-4 聖金曜日の奇跡 5 鳴り響く鐘と騎士たちの入場
   6 パルジファルが聖槍を高く掲げる
7-8 楽劇《トリスタンとイゾルデ》:前奏曲と愛の死
9 楽劇《ワルキューレ》:ヴァルキューレの騎行(国内盤のみのボーナストラック)

クラウディオ・アバド 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
スウェーデン放送合唱団
2000年11月、2003年3月
DG UCCG1149(国内盤)

2000年から2002年にかけてのアバドとベルリンフィルによるワーグナーの演奏である。2000年のベルリン来日の際に《トリスタンとイゾルデ》を演奏したので聴きに行かれた方も多いだろう。私はその頃ワーグナーなど聴かない人間だったので、あまり興味が沸かなかったのだが、考えてみれば惜しいことをしたものだ。(もっとも時間とお金ともなかったとは思うが・・・)

ここに収録されているのは《パルジファル》前奏曲と《トリスタンとイゾルデ》そしてヴァルキューレが2000年11月ベルリンの、残りが2003年3月のザルツブルク、祝祭大劇場で録音されたものらしい。

アバドのワーグナーが世間でどのような評価を得ているのかは不勉強にして知らないが、この盤を聴く限りにおいては、非情に高度なオーケストレーションの技術に裏打ちされた完成度の高い演奏のように思える。それに艶めかしさやワーグナー独特の濃さよりも、何か大切なものを削りながら音を構築しているような、ある種悲愴感が漂うようにも思える。それは選曲によるのか、それとも、この時期アバドが病苦と戦いながら演奏活動をしていたという事実が頭に刷り込まれているからだろうか。それゆえというべきか、旋律の甘美さや美しさは陶然とするがごときだ。

《トリスタンとイゾルデ》と、ヴァルキューレはオーケストラヴァージョンなのが残念である。イゾルデのラストの慄然とするような歌唱や、ヴァルキューレの螺旋のように渦巻く叫び声を聴けないのは、この曲を聴く楽しみを半減させてしまってはいる。頭の中で、誰かの歌唱を補完しながら聴いてしまうのだが、最初はわさびの入らない上等の鮨を食わされているような思いであった。合唱部分をヴァイオリンなどが代役を務めているのだが、ヴァルキューレなどは少し滑稽に聴こえなくもない。

《パルジファル》第3幕も、騎士たちの合唱は入っているのだが、これに続く死を願うアンフォルタスと、彼を聖槍で救うパルジファルの歌は、やはりオーケストラヴァージョンになってしまっている。

オーケストラヴァージョンとして何度か聴けば、これほど密度の高い演奏というのもそうあるものではないと思わせはする、音響的な分厚さはさすがというべきか。しかしながら、セレクト盤なのでワーグナーを聴き通したいう満足感と感動は得られず、返って鰻の匂いだけかがされてしまったような気持は残るのであるが。



2003年4月5日土曜日

楽劇「ラインの黄金」全4場 その5

楽劇「ラインの黄金」全4場


■ 第1場 (1)ラインの乙女とアルベリヒの駆け引き

続いてアルベルヒが登場するのだが彼がラインの乙女たちを見ていて心乱されたのも分からないでもないと思う。

ではアルベリヒに次ぎはご登場願おう。 水の中を自由に泳ぐ乙女たちだが性格的には性悪らしく、自分たちの美しさに言い寄ってくる男たちを水底に引きずり込んでは犠牲にしているらしいのだ。第2場でフリッカは以下のようにラインの乙女たちのことを語っている(CD1[13]のラスト)。

Von dem Wassergezucht mag ich nichts wissen: ( I wish to know nothing of that watery brood: )
schon manchen Mann --- mir zum Leid ! --- ( many a man -- to my sorrow -- )
verlocketen sie buhlend im Bad. (have they lured with their seductive sport. )
水中の一味のことなど、聞くもおぞましい
すでに少なからぬ男を --- 残念なことに ---
水中でたぶらかしたのですから

そういう性悪女でも騙されたいと思うのが醜い小人族のアルベリヒである。彼女達を(誰でもよいから)何とかモノにしたいと言い寄る場面がここだ。

こういう様子を見ていると、水商売の女性とそれに群がる男たちという図式を思い浮かべる人もいるかもしれない。実際、ラインの乙女たちをコールガールに見立てた演出もないわけではない。

(2003.4.5)

ここまでで力尽きてしまい、連載は中断してしまいました。

次に再開出来るのはいつになるやら。

2003年3月11日火曜日

楽劇「ラインの黄金」全4場 その4

■ 第1場 ラインの乙女たち

ラインの三人の乙女とは、ヴォークリンデ、ヴェルグンデ、フロースヒルデである。彼女たちはラインの河底に沈む黄金を守る役割を負っている。三人の中でフロースヒルデだけがメゾ・ソプラノである。ヴォークリンデとヴェルグンデが戯れるさまを嗜めたりしていることから、彼女が一番年配格なのだろう。

ワーグナーの天地創造とも言える前奏曲に引き続き、ヴォークリンデの「Weia ! Waga ! Woge, du Welle ! Walle sur Wiege ! Sagalaweia ! Wallala weiala weia !」という歌声が波の動機にのって歌われる。愛らしい歌声が印象的で、音楽は混沌の中から生ある存在を表現しているようだ。この部分は非常に浮き立つような音楽になっている。特に上下するアルペジオによる波の動機と上昇音形が絡み合った音楽的な華やかさと高揚感は見事だと思う。

ラインの乙女たちは視覚的にもキャラクター的にも魅力に満ちていなくてはならない。ラインの乙女たちがアルベリヒをからかい、彼にひどい仕打ちをすることでアルベリヒは復讐をこめてラインの黄金を盗むことになる。ここから全ての物語が始まるという意味において、非常に重要な場面であるからだ。それゆえに後にも紹介するが、ラインの乙女たちは画家や演出家によって様々にイメージされているようだ(中には娼婦に見立てた演出まであると聞く)。右はエミール・デプラーによるスケッチだが、この絵では愛らしいというより少し逞しいと見えなくもない。

この後にアルベルヒが登場するのだが、彼がラインの乙女たちを見ていて心乱されたのも分からないでもないと思う。ではアルベリヒに次ぎはご登場願おう。

(2003.3.11)

2003年3月10日月曜日

楽劇「ラインの黄金」全4場 その3

 

楽劇「ラインの黄金」全4場


■ 前奏曲を聴く

「ニーベルングの指環」4部作の冒頭を飾る前奏曲である。この前奏曲は低音で始まる「自然の動機」とバイオリンで奏でられるアルペジオが優雅な「波の動機」が絡み合った、非常にゆったりとした美しい音楽だ。この前奏曲を聴くと「これから指環を聴き始める」という感慨を体の底から感じることができる。壮大なる楽劇を始めるのに適切な音楽になっていると思う。ワーグナーはこの音楽を「世界の揺り籠の歌」と呼んだらしい。混沌の中から光が現れ世界が次第に形作られる様を彷彿とさせる原始的にして厳かなイメージに満ちた曲だと思う。136小節しかないこの曲の見事さは言葉にできないほどだ。

ワーグナーの音楽において示導動機(ライトモチーフ)が作品解釈において鍵となるが、冒頭にホルンにより奏される「自然の動機」は、《指環》全体を貫く主題の意味においても重要である。ワーグナー解説書によれば、この変ホ長調の和音からなる上昇音形は「元素的なもの、事物の根源の音楽による比喩」であるとのこと。「自然の動機」の上昇音形は、今後もさまざまな形で姿を変え出現することになるという。例えば第4場に登場する「エルダの動機」は自然の動機を短調に変形したものであるらしい。

《トリスタンとイゾルデ》の項でも書いた(かも知れないが)ワーグナーにおいて、上昇音形と下降音形が意味するものは明白である。上昇が憧れや発展を意味し、下降が落胆や崩壊を意味するというわけである。そういう点から、《ラインの黄金》の冒頭の壮大なる上昇音形の繰り返しは、私たちを劇の最初において、人間世界から神々の世界へと上昇することをいざなってくれるかのようである。通低して流れる低減の響きは悠久の時をしても変わらぬラインの流れさえ思い起こさせてくれる。

たかだが4分程度の前奏曲であるものの、非常に聴きごたえのある音楽になっている。

ショルティは前奏曲の冒頭を極ゆっくりと、そして低弦の響きは重々しくざらついたほどに低く始めている。そこから聴こえてくるホルンの自然の動機が対位法的に絡み合い、さらにゆったりと「波の動機」が登場するところなども、実に夢見るごとき音楽に仕上げてくれている。次第にオーケストレーションが重なってきてヴォークリンデの歌声が始まる辺りには、すっかりワーグナーの世界に浸ってしまっている自分を感じる。

抜粋版のバレンボイム&バイロイト祝祭管弦楽団の演奏と聴き比べてみた。冒頭の弦は厳かに奏されるものの、重さという点ではショルティ版は凄い迫力になっている。波の動機のあたりになるとバレンボイムは実に丁寧に音楽をまとめているが、その後の音づくりが少々グラマラスで豊穣すぎるきらいがある。ここは自然の元祖的な要素をあらわした部分であれば、盛り上がりの中にも純粋さと削ぎ落とされた音響表現が欲しい(ような気が今はする)。そういう意味からはショルティ版の厳格さが好ましいと(今は)思える。もっともたった4分間だけの比較に意味があるとは全く思えないので、つづいてラインの乙女達と不幸なるアルべリヒの駆け引きを聴くこととしよう。

(2003.3.10)

2003年3月9日日曜日

楽劇「ラインの黄金」全4場 その2

楽劇「ラインの黄金」全4場


《ラインの黄金》概要

■ 《ラインの黄金》の背景となる世界

《ラインの黄金》は《指環》四部作のうちの最初を飾るもので「序夜」という位置付けがなされている。《指環》がジークフリートの死から構想され、ジークフリートの成長、ジークフリートの誕生にいたる物語、そして《指環》全体を支配するテーマとしてのラインの黄金というように発想されていることは 以前触れた 。楽劇最初の《ラインの黄金》に登場するのは神話上の神々たち、ニーベルハイム(死の国)に住む小人たちそして巨人族であったりする。ここでの神々というのも「 指環を概観する 」で書いたように、決してキリスト教的倫理観に基づいた神々ではない。権力と富とを求める人間的な神であり、一方で自然界を支配する原始的な神々である。

例えばヴォータンは主神であるとされ、ドンナ-は雷神、ローゲは火の神である。ヴァルハラ城の建設の対価として提供されそうになったフライァは美や青春(若さ)を司る神であり、ヴォータンを諭し、《ラインの黄金》以降でヴォータンと結ばれてしまったエルダは智の神だ。

ここで、ラインの乙女(水の精)たちをあわせて考えると、水、火、土、大気など元素的な要素が色濃く支配する神話的世界であることが分かる。英語のWednesday、Friday、Thursdayはそれぞれヴォータン、フリッカ(ヴォータンの妻)、ドンナ-を語源としているらしい。《ラインの黄金》には人間は一人も登場しない(小人や巨人が人間だというのなら当たらないが)。支配しているのは自然界の象徴としての、それでも人間以上に人間くさい神々なのである。

■ 指環に込められたテーマ

《ラインの黄金》は4場で構成されており演奏時間も2時間半程度と《指環》四部作の中では一番短い。それでもここには、今後の《指環》を聴いてゆく上で重要なテーマや音楽的な動機が散りばめられている。

ストーリーは単純に書くと、「ラインの水底に沈む黄金を、愛を断念したアルベリヒが盗み指環に替える。指環は富と権力を我が物にできる力を持つとされる。その指環をヴォータンが奪い取るものの、アルベリヒは指環に呪いをかけてしまう。ラインの黄金の最後は指環をヴァルハラ城建設の代償として城を建設した巨人達に与え神々は城に住まう」ということになる。

右の絵はTheodor Birisになる《ラインの黄金》を表したものだ。一番上にラインの乙女達(左上)と黄金を盗み取るアルベリヒ(右上)が、中央にフィライアをさらってゆく巨人兄弟(中左)とそれを止めることができない神々(中左の女性はフリッカか)、遠くの山の上には完成したヴァルハラ城が見える。下には地底世界の小人族たちとそこに下っていったヴォータンとローゲ(下左)が書かれている。

さてストーリーを書いてはみたものの、このままではこの楽劇で何を表そうとしているのか全く分からないので少し補足しておこう。最も重要なのは指環に込められた意味であろうか。指環は富と権力を得るための象徴的なものとして登場するが、これを得るためには「愛を断念する」ということが不可欠とされている。

「富と権力を得るために(男女の)愛を断念する」というテーマは強烈だ。ワーグナーの人生観において両者は両立しえないと考えたと言うことなのであろうか。裏を返すと富と権力を投げ打っても愛の方が重要であるという主張でもあるのかもしれない。それほどまでにワーグナーにとって愛は重要なテーマであったということなのかもしれない。

ここでの愛とは肉親や兄弟愛なども含んでいると考えてもよいが、狭義にはやはり性愛を含めた男女間の愛だと思われる。ここにおいてワーグナーにとっては肉親愛は男女間の愛に容易に変遷してしまうように書かれていことは驚くべき点だ。彼の倫理観を問うよりも彼の個人的な生い立ちによるのだろうか、詳しいことはまだ調べていないので分からない。ただ、ワーグナーが9人兄弟の末子で、両親ともワーグナーが年少の時に(特に母ガイヤーはワーグナーが8歳のときに)亡くなっている点は記憶しておいてよいのかもしれない。いずれにしても、権力と愛への希求と選択ということが劇の登場人物に架せられた課題であることを《ラインの黄金》は冒頭から示している。

ここでワーグナーの女性像や愛の形というものを考えた場合、彼の描く愛はもっぱら男性側の理想としての女性の愛という印象を受けないでもない。男性から女性へのオファーは少なく、もっぱら女性の愛情を一身に男性が受ける、どんなに男性が身勝手でも女性の愛情で救われるというように感じられてしまう。このような点はワーグナーの他の楽劇でも同様で、それ故にワーグナーの書く男性像が、私にはどこか子供じみた印象を受けてしまう。《指環》を仔細に聴いてゆけば、このような感想を変えることができるだろうか。

《ラインの黄金》における主神ヴォータンは性格的には男性的なものの象徴のように思われるが、彼は一方で権力欲が強くそして女癖が悪いキャラクターとして描かれている。妻のフリッカがヴァルハラ城を巨人族に建設させたのも、居心地の良い家を作りヴォータンを家に留めておきたいがため、というから泣かせるではないか。

こうして考えると指環四部作とて難解近づきがたい作品では全くないことに気付く。ワーグナーの楽劇や他の多くのオペラ作品と同じように「男女間の愛」を(ひとつの)テーマとしていることに変わりはないようだ。(ワーグナーはジークフリートを軸に《指環》を構築したということになっているが、この点は後にゆっくり聴いてゆきたい)

では前置きはこのくらいにしておいて《ラインの黄金》を聴いてゆくことにしよう。

(2003.3.9)

2003年3月5日水曜日

楽劇「ラインの黄金」全4幕 その1

楽劇「ラインの黄金」全4幕


■ ショルティ/ウィーンフィル

サー・ゲオルグ・ショルティ指揮
ウィーンフィルハーモニー

1958年9~10日

Wotan:George London
Frika:Kirsten Flagstad
Freia:Claire Watson
Loge:Set Svanholm
Froh:Waldemar Kmentt
Donner:Eberhard Wachter
Mime:Paul Kuen
Erda:Jean Madeira
Alberich:Gustav Neidlinger
Fasolt:Walter Kreppel
Fafnaer:Kurt Bohme
Woglinde:Oda Balsborg
Welllgunde:Hetty Plumacher
Flosshilde:Ira Malaniuk

■ バレンボイム/バイロイト(抜粋版)

指揮:ダニエル・バレンボイム
バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団

1991年6&7月 バイロイト祝祭劇場(デジタル・ライブ録音)

Wotan:Jhon Tomlinson
Donner:Bodo Brinkmann
Froh:Kurt Schreibmayer
Loge:Graham Clark
Frika:Linda Finnie
Freia:Eva Johansson
Erda:Birgitta Svenden
Alberich:Gunter Von Kannen
Mime:Helmut Pampuch
Fasolt:Matthias Holle
Fafner:Philip Kang
Woglinde:Hilde Leidland
Wellgunde:Annette Kuttenbaum
Plosshilde:Jane Turner


2003年2月5日水曜日

ワーグナー関連サイトについて(海外)

日本に満足できるサイトがないので、仕方ないから海外を検索してみた。Goolgeで「Wagner」というキーワードだけで検索しているところが無謀ではあるのだが・・・

●Richard Wagner Home Page

最初に見つけたのは「Richard Wagner Home Page」Jose Antonio Amaralさんと Sao Pauloさんというブラジルの方のサイトのようである。最終更新が2000年2月21日とサイトのアクティブ度としてはちと低い。しかし、このテのサイトは頻繁に更新される類のものではないので良しとしよう。ライトモチーフ(示導動機)のMIDIファイルも納められていて、ワーグナー入門には手ごろなサイトかもしれない。例えば「《指環》初心者のためのガイド(A Beginner's Guide to Der Ring des Nibelungen)というページでは、《指環》にどのように接し始めれば良いのか丁寧に指南してくれている。「もしも貴方が映画《地獄の黙示録》の《ワルキューレの騎行》と《ジークフリートの葬送行進曲》しか聴いたことがないなら、注意深くアプローチしなさい」と書き始めている>オレのことだよ。

次ぎに、サイトの作者は《指環》の概略を読んで、リブレットを買えと勧める、もしも《指輪のハイライト》しか持っていないのならという注釈付きでだが>ここはクリアしたぜ。

音盤やDVDなどはできるだけ音質が良く、オーソドックスな演出を選べとも勧めている。ただし古い録音の中にも良いものがあるから注意せよと(やっぱりクナッパーツブッシュだよ)。彼は無難なところではカラヤンやレバインが良いと言う、ショルティは勧めないらしい。映像ではバレンボイムやサバリッシュは選ぶべきではないと(斬新で現代的過ぎる演出てことだと思うよ)。

で、この膨大な作品をどうつまみ食いしてゆくかを説明してくれている。詳しくはサイトをご覧ください。私などこの先、何も書くことがなくなってしまいました。《トリスタンとイゾルデ》《タンホイザー》《マイスタージンガー》に関するコメントもあるけれど、こちらは《指環》に比べたら力が入っていない。

●Richard Wagner Web Site

もうひとつは「Richard Wagner Web Site」というKristian Evensenさんのサイト。こちらはまずデザインが見やすい(つーか、今までのワーグナーサイトのデザインがトホホなのだが)。こちらはコンテンツも膨大なようで、例えば「《指環》の示導動機(Leitmotifs in Der Ring des Nibelungen - an introduction)」というページには《指環》の成立背景と概要からはじまって、タイトルの通りライトモチーフの意味するものが、楽譜とMIDIにより詳しく紹介されている。いやはや素晴らしい!こういうサイトがあればもう何も加えることはないと言う気になってくる(つーか、ホントはまだ全部読めてないけど)

また「スターウォーズ・シリーズとワーグナーの《指環》~構成、主題そして音楽のつながり(The Star Wars series and Wagner's Ring Structural, thematic and musical connections)」という興味深い論考もある。(つーか、タイトルしか読んでないけど)

「Loge - person and element, commentator and agent」という《指環》に登場するアイロニカルな火の神ローゲに対する論考もあるようで、これまた興味が尽きない。

●RICHARD WAGNER ARCHIVE

最後に(疲れてきたし)紹介するのは「RICHARD WAGNER ARCHIVE」という Hannu Salmiさんが運営するサイト。こちらはワーグナーに関する様々な情報の宝庫といえる。作者が「My idea is to collect and to display all kinds of material dealing with the German composer Richard Wagner. I have myself worked as a Wagner scholar since 1987 and published two books on Wagner and Wagnerism.」と書いているように、ワーグナーに関することなら何でも集めてしまうという貪欲さに満ちている。ワーグナーを徹底的に追及したいという人向きか、ただし英語だけではなく独逸語も読めた方が良さそうである。



2003年2月4日火曜日

ワーグナー関連サイトについて

ワーグナー関連のサイトをGoogle検索してみたところ、ワーグナーほどの偉大な作曲家だからさぞかしファンサイトが目白押しかと思うのだが、以外とアクティブなサイトは少ない。

最初に紹介するのは「ワーグナーの歌劇な部屋 by ルカ~Wagner Fan Page」というサイト。Googleの最初にヒットする。ワーグナーの作品全般に渡って概略を知るにはうってつけのサイトである。最終更新が1999年5月5日とかなり古いのだが掲示板は健在である。私も、まずはこのサイトからワーグナーに接し始めた。

Googleで次ぎにヒットするのが「ワーグナー・アラカルト」である。こちらは掲示板もサイト本体も今でも更新し続けているアクティブなサイト。面白いのは掲示板の発言で興味深い内容のものをコンテンツにしている点。例えば「忠臣蔵とアーサー王伝説・・・・・・そして、パルジファル」というスレッドなど延々と続いていて、なるほどっつーか、げっぷっつーか。「私が抱きたい女」「私が抱かれたい男」「一緒に鍋を囲むなら」などというアンケートもあって、ワーグナー通には楽しめる(?)。掲示板の内容は結構ヘビーで、生ワーグナーに接した人でないと楽しめないかなとは思うことも。私のようにCDだけで満足している向きにはちょっとハードルあり。

もうひとつは、上のサイトからもリンクしている「richard wagner homepage」というサイト。こちらは各作品の音盤データベースが非常に充実している。しかし膨大なリストの中でどれがお奨めなのか作者のコメントがないのが寂しい。ワーグナー徒然草というエッセイを読むと、ついにクナッパーツブッシュも聴かなくてはならないのかと憂鬱かつ暗鬱な気分に襲われます(^^;;

あとは、今のところこれといったサイトが見つからない。ちょっと物足りないと思う気持も捨てきれない。(2003.02.3)

■ 追記

「国内はちょっと物足りない」と書いたのだが、ある方からメールでクナッパーツブッシュのサイトを紹介していただいた。ここは知る人ぞ知る、syuzoさんのページで(←クリックして驚かないように=笑)、全てのページが凄まじい文字量と情報量そしてクナへの愛情と執念に満ちている、まさにおそるべきサイトである。

このサイトの存在を知らなかったわけではないが「死んじゃった(あるいは死にかけの)じいさん」にまで触手を伸ばす余裕がないため、近づかないようにしていた。それでもテンシュテットという指揮者を知り、テンシュテットの青物が見つかるたびに買うようなったことや、はたまたサイトで企画連続モノを書こうと思ったきっかけは何を隠そう syuzo さんのサイトの影響である。(それなのにムシしていたとは考えてみれば失礼なハナシである)

さて、クナといえばワーグナーというくらいに両者の結びつきは強いらしい。syuzo さんの飽くなきクナへの執着は「クナを聞く~ヴァーグナー編」という、気も遠くなるような(14回にも渡るらしい)詳細な解説とレビュを展開している。改めて読まさせていただきましたが、参りました・・・またしても 小生など足元にも及びませんです。しっかり勉強させていただきます。(2003.02.18)

2003年2月3日月曜日

《指環》の抜粋を聴く2

バレンボイムのバイロイト版抜粋を聴いて、引き続き彼の「ジークフリート」と「神々の黄昏」を入手しようと思ったのだが、余りにもその演奏が素晴らしいので抜粋版を買うのがもったいないという気になってしまった。そこで、以前買ってあまり聴かずにいた抜粋版を取り出して聴いてみることとした。


マレク・ヤノフスキ指揮/ドレスデン・シュターツカペレ

《ラインの黄金》(第4場)~虹のかけ橋~ワルハラ城への神々の入場
《ワルキューレ》(第3幕)~ワルキューレの騎行
《ワルキューレ》(第3幕)~魔の炎の音楽
《ジークフリート》(第2幕)~森のささやき
《神々の黄昏》(プロローグ)~夜明けとジークフリートのラインへの旅
《神々の黄昏》(第3幕)~ジークフリートの葬送行進曲
《神々の黄昏》(第3幕)~終曲-ブリュンヒルデの自己犠牲

《指環》で有名な<ワルキューレの騎行>そして中学生のブラスバンド経験者ならばお馴染みの<ジークフリートの葬送行進曲>などが収録されているため格好の「入門版」かと思っていたのだが、それは当たらないようだ。この版は1000円で入手できるのだがあまりお勧めできない。
というのも、15時間以上にも渡る音楽を1枚のCDにしているということにも無理があるのだが、それ以上に違和感を感じるのを禁じえないのだ。

ワーグナーの音楽は、それぞれの部分が独立しておらず連綿とつながって構成されている。従って例えば有名な<ワルハラ城への神々の入場>を聴いても、なぜエルダの登場のシーンがカットされているのかと不満になってしまう。同様に<ブリュンヒルデの自己犠牲>にしても、それ以前のグートルーネとのやり取りがないではないかと・・・。所詮は抜粋版というのはその程度のものだと割り切るしかなさそうである。

さて、演奏の方だが不勉強にしてヤノフスキという指揮者をわたしは知らない。ワーグナーの音楽としては非常にあっさりとした薄味の演奏に聴こえる。コテコテワーグナーに飽いた人には向いているのかもしれないが、ワーグナー初心者の私には、ヤノフスキのような演奏もアリかなと思う。全集版が欲しいかと問われればNoではありますが。


2003年2月2日日曜日

《指環》はファンタジーか

ワーグナーの《ニーベルングの指環》は1200年頃の成立したゲルマン叙事詩「ニーベルゲンの歌」および北欧神話「エッダ」や「ヴェルズング物語」(ヴェルズンガ・サガ)を素材としている。北欧神話のキーワードをちょこっとウェブ検索してみたところ、ヴァルハラやヴァルキリー(ワルキューレ)などの名前を見つけることができた。しかし他の作品同様、台本はワーグナーオリジナルである。

「作曲家別名曲ライブラリー」(音楽之友社)の解説によれば、ワーグナーの楽劇の登場人物と中高ドイツ語、そして北欧神話では人名綴りや発音も異なっているらしい。ワーグナーと結婚することとなるグートゥルーネが現代ドイツ語ではクリームヒルトに当たる。

映画化で話題のトルーキン「指輪物語」(1954年発表)とは、素材が同じであるが物語は別物であるらしい。おそらくトルーキンも「ニーベルゲンの歌」や北欧、ギリシャ神話、アーサー王物語、そしてワーグナーの楽劇などから多くの着想を得たのだろうと推察する。(が、本も映画も観ていないのでこれ以上は言及できず)

ワーグナーの《指環》にも巨人族や小人族が登場するし、ジークムントが剣を得るところなどアーサー王伝説を彷彿とさせるものがある。それゆえに、壮大なるファンタジーオペラであるという観方もできるかもしれない。もっとも、《指環》から何をテーマとして感じるかは、まさに作品に触れた人の数だけ存在するのではなかろうかなどと、この膨大な音楽を前にして思うのであった。(>などというほどに、《指環》に親しんでいるわけではないのだが…やっと全貌の一端に触れることができたというだけです、ハイ)


2003年1月30日木曜日

《指環》を概観する

《ニーベルングの指環》は上映するだけで15時間もかかるという大作である。物語の概観をつかむのは非常に困難を極める作業だ。ネットを検索すると多くのサイトが見つかるが、そのなかにBunⅢの音楽よもやま話というサイトがある。ここはワーグナー作品ばかりではなく、オペラ作品の多くがMIDIなどを提供しながら分かりやすく解説されており初めに読むのに良いと思う。ワーグナーの《指環》につても複雑な人間関係を含め丁寧に解説してくれている。かくいう私も、ここから《指環》に取り組み始めた。

《指環》は長さとともに、複雑な人間関係に辟易して作品を敬遠してしまう向きもないではない(私もそうだった)。しかし、しばらく眺めたり聴いたりしていると、まずは重要な人物だけ押えれば良いと気づく。基本は以下の人物ではなかろうか。

- ヴォータン:欲深い神
- フリッカ:その嫉妬深き妻
- ローゲ:火の神、ブリュンヒルデを封印したりする
- エルダ:ヴォータンの不倫(?)相手の女神
- ブリュンヒルデ:ヴォータンとエルダの娘、後にジークフリートとの悲しい愛が芽生える
- ジークムント、ジークリンデ:ヴォータンが人間の女性に産ませた(!)双子の兄妹
- ジークフリート:ジークムントとジークリンデの近親相姦の愛から生まれた(!!)子供
書いているだけでムチャクチャ・・・という気がしてくる。ちなみにブリュンヒルデはワルキューレの一員、ワルキューレとは空を駆ける戦場からの死体搬送業者のことである。その他に押えておくべき人物は(異論もあろうが)以下であろうか。

- アルベリヒとミーメ:小人族、醜さ故に愛を捨てラインの黄金を盗んだ
- ファルゾートとファフナー:巨人族、強欲でアタマの悪そうな建設請負業社(?)
- グートルーネ:ジークフリートと結婚させられる女性、ブリュンヒルデの引立て役(「ニーベルンゲンの歌」のクリームヒルト)

まだまだ居るのだが、重要なのは何と言ってもジークフリートとブリュンヒルデだ。この二人の物語を作るために延々としたドラマが繰り広げられていると言っても過言ではないのだから。ただ第1日目の《ワルキューレ》においてさえジークフリートはまだジークリンデの胎内に宿るのみなのだ。

この数人が、15時間の中で入り乱れ、愛し合い、生まれ、そして企み合い、憎み合い、殺し合う。それ故に《指環》のテーマは非常に多岐に渡っている。権力と富、策略、禁じられた愛と愛憎、女性の自己犠牲による贖罪など、いかにもワーグナー的なテーマと言えようか。

特に女性(今回はブリュンヒルデ)による罪の浄化というのはワーグナーお好みのテーマなのだろか。《タンホイザー》でのエリーザベトも同じような役廻りを演じている。あるいは愛のために愛の力で自ら死すイゾルデの姿ともだぶるものがあると感じる。ワーグナーの理想の女性像の反映だろうか。

対するジークフリートは英雄という設定なのだろうが、ワーグナーの描く男性(英雄)は、女性と比べるとどことなく子供じみていると感じられてしまう。トリスタンしかり、タンホイザーしかりである。《指輪》のヴォータンもとても神とは思えないところが笑える。(このヴォータン、巨人族に自分たちの城=ヴァルハラ城 を造ってもらっておきながら、踏み倒そうとしていたフシがある>そんな神なんて聞いたことねー。)

ワーグナーは神話的世界を舞台に《指環》を始めたが、それはキリスト教倫理観に基づいた神話世界ではないことは、上のような事柄から分かると思う。神々とは言っても至極人間的な愛憎や欲求の強い神々であるのだ。

で、ストーリーはと言えば、『ラインの黄金が小人族のアルベリヒに盗まれてから再び(幾多の物語を作りながら)ラインの川底に戻るまでのお話し(まさにリング!)』とも言えるし、『ワーグナーがわざわざ蘇らせた神々を再び没落させた物語』でもある。あるいは『ジークフリートの誕生と愛と死の物語』(これぢゃあ《トリスタン》だ)でもある。

え? こんな解説では全然分からない? と言う人は、素直に書店とCD店に行きましょう。


2003年1月28日火曜日

《指環》の成立年代について

ワーグナーの壮大なる四部作《ニーベルングの指環》の成立年代について知っておいて損はない。調べてみると以下のようになった。年表によると1948年、35歳のときに「ジークフリートの死」として着想したテーマが、最終的に結実し全曲が演奏されるまで実に26年以上の歳月を要していることが分かる。

ワーグナーにとってエポックメイキング的な《トリスタンとイゾルデ》が完成したのが1859年のこと。《指環》の作曲は《トリスタン》の前後に渡っているが、《トリスタン》以前に作曲されたものが《ラインの黄金》と《ワルキューレ》、以降に作曲されたものが《ジークフリート》と《神々の黄昏》ということになっている。

それにしても、ワーグナーが書きたかったのは事象としての「ジークフリートの死」(《神々の黄昏》とそれにまつわるドラマであったらしい。それを物語として肉付けするに当たり、ジークフリートの人間としての成長を描いた《ジークフリート》が成立し、更にジークフリートの誕生に至る物語《ワルキューレ》を生み(ジークムントとジークリンデの近親相姦による禁じられた愛の物語)、そして更にはジークムントとジークリンデを生み出すことになった前史としての《ラインの黄金》(ラインに眠る黄金の物語)が着想らしい。作曲は年代を追っているが、着想は劇順と逆になされたわけである。何ともはやワーグナーの誇大妄想的なイマジネーションの膨らみには恐れ入るばかりである。














































































































































年代ニーベルングの指環その他の作品と主な出来事
1842(29歳)《さまよえるオランダ人》完成
1843(30歳)《さまよえるオランダ人》ドレスデンで初演
1845(32歳)《タンホイザー》総譜完成、ドレスデンで初演
1848(35歳)《ジークフリートの死》(《神々の黄昏》の原型)の劇詩完成《ローエングリン》完成
フランスで2月革命
1849(36歳)ドレスデン蜂起に参加、「未来の芸術作品」脱稿
1850(37歳)《ローエングリン》ワイマールで初演
1851(40歳)《若きジークフリート》(《ジークフリート》の原型)の劇詩成立

《ラインの黄金》《ヴァルキューレ》の劇詩のための最初の散文スケッチ完成
論稿「歌劇と戯曲」を完成
1852(39歳)《ヴァルキューレ》の第2の散文稿および劇詩完成

《ラインの黄金》の劇詩完成
1853(40歳)《ラインの黄金》の管弦楽前奏曲を構想
1854(41歳)《ラインの黄金》総譜完成

《ヴァルキューレ》の作曲開始
1856(43歳)《ワルキューレ》総譜完成
《ジークフリート》作曲開始
1857(44歳)第2幕の終わりで《ジークフリート》作曲中断《トリスタンとイゾルデ》の筋をスケッチ、劇詩執筆、作曲開始
1859(46歳)《トリスタンとイゾルデ》総譜完成
1860(47歳)《タンホイザー》パリ版完成
1861(48歳)パリ オペラ座で《タンホイザー》上演
《マイスタージンガー》の第2散文稿完成
1862(49歳)《マイスタージンガー》の劇詩執筆、作曲開始
1865(52歳)《トリスタンとイゾルデ》ミュヘンで初演
《パルジファル》台本の最初の散文稿完成
1867(54歳)《マイスタージンガー》総譜完成
1868(55歳)《マイスタージンガー》ミュンヘンで初演
1869(56歳)《ジークフリート》の作曲再開
《ラインの黄金》ミュヘンで単独初演

《ジークフリート》総譜完成
《神々の黄昏》作曲開始
1870(57歳)《ワルキューレ》ミュヘンで単独初演
1871(58歳)《ジークフリート》完成
1873(60歳)バイロイト祝祭歌劇場完成
1874(61歳)《神々の黄昏》総譜完成
1876(63歳)《指環》全曲がリヒターの指揮でバイロイトにて初演
1882(69歳)《パルジファル》総譜完成、バイロイトにて初演
1883(70歳)ヴェニスのヴェンドラミン館にて死去


2003年1月20日月曜日

《指環》抜粋を聴く

ワーグナー楽劇の集大成といえば「ニーベルングの指輪」四部作につきるのだろう。「指輪」を聴かずしてワーグナーは語れないとワグネリアンなら言うだろうか。 



ショルティの偉大なる業績は昨年来から入手済みであったのだが、何しろ解説が英語とドイツ語とフランス語である。物語の概要も全く知らないのに8ポイントくらいの小さな文字の解説など読む気にならない。気軽に聴こうと思ってもボックスが4セットである。正常な神経の持ち主ならうんざりするのが当然だろう。封も切らずに棚に置かれたままになっていた。


オペラの抜粋ものというのは、どうしても触指が伸びないのだが、ものの試にと Teldec Classics から発売されてる「New1枚でオペラ」シリーズから「ラインの黄金」と「ワルキューレ」をゲットしてみた。どちらも指揮はダニエル・バレンボイム、演奏はバイロイト祝祭歌劇場管弦楽団、前者は1991年の後者は1992年のバイロイトからのライブ録音である。 
さて、今でも「指輪」のストーリーはほとんど分かっていないのだが、ジークムント、ジークリンデ、ジークフリートなどの名前くらいは聞いたことがある。配役の名前を読んでいるだけで、なんだかワクワクしてくる。松本零士のマンガも思い出す。

本来なら「ラインの黄金」から聴くべきなのだが、そこはそれ「ワルキューレ」第3幕、かの「地獄の黙示録」で有名な「ワルキューレの騎行」だけ、まず聴いてみた。「地獄の黙示録」のワルキューレは、どうやらショルティの演奏であるらしい。しかし映画では音をかなりいじって重ねたりしているので、本来の演奏からはかけ離れたものになっているとのこと。
さてさて、バレンボイム版とショルティ版を聴き比べてみたが、どちらの演奏もワルキューレたちの「Hojotoho! Hojotoho! Heiaha! Heiaha! 」という奇声に乗って奏でられる曲は壮絶である。まったく延髄蹴りをくらったかのような眩暈を感じてしまう。
続いて「ラインの黄金」の抜粋を聴いてみた。「ラインの黄金」なんてなじみがないだろうなあと思っていたら、あにはからんや、第4場のラスト「雷鳴の動機」に始まり「ヴァルハル城の動機」へと移る<ヴァルハル城への神々の入場>は聴いたことがあるではないか、それもすっごくユーメーなフレーズ! ウゲゲと再びワーグナー的な壮大な感動に包まれてしまう。
ジークムントとジークリンデの近親相姦による禁じられた愛の行方は、そして権力と富の象徴の指輪の行方はどうなるのか。うーん、壮大なドラマが込められているのだなあと思うと同時に、マジメにこんなものに取り組んでいたらいくいら時間があっても足りやしない。もう一度ラインの川底にでもCDを沈めてしまうかあ、と思うのであった。ということで、『「指輪」を聴く』という企画はスタートしないのであった。「ホー・ホ・ホ・ホ・ホ・ホ・・・」
とは言いながらも、オペラ対訳ライブラリー(音楽之友社)をしっかりネットショッピングで注文してしまったよ。

2002年9月27日金曜日

《マイスタージンガー》のべックメッサーについて

《マイスタージンガー》に登場するベックメッサーは、ユダヤ人をカリカチュアライズしたもの(《指輪》のアルベリヒ,ミーメ,ハーゲン,クリングゾール,クンドリーもそうらしい)、と指摘しているのは「ワーグナーの世紀」を書いた三富明氏ばかりではない。もっとも、ワーグナーは匿名の著書「音楽におけるユダヤ性」において、ユダヤ人批判をあからさまに行ってはいるが、作品において人物をユダヤ人と特定したり、ユダヤ人批判を行っているわけではない。ベックメッサーがユダヤ人であると指摘されなければ、聴衆は気づくことはないだろう。エドワード・W・サイード(Edward W. Said)は、「ワーグナー唯一の喜劇作品『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の中で愚弄されるベックメッサーと、当時ユダヤ人について言われていたカリカチュアとの類似が明らかであるとしても、ベックメッサーという劇中人物はドイツのクリスチャンであって、ユダヤ人とはされていない。」*2と指摘している。

ユダヤ人を徹底的に排除(抹殺)しようとしたヒトラーが、ワーグナーの音楽をこよなく愛したという事実を(特に、《マイスタージンガー》はことさらお気に入りだったようだ。そもそもニュルンベルクそのものがヒトラーと結びついている)作品と合わせて考えると複雑な気持になるものだ。イスラエルにおいて長らくワーグナーの作品が上演禁止であったこと、2001年7月7日にイスラエル・フェスティバルに客演していたバレンボイム率いるベルリン・シュターツカペレが《トリスタンとイゾルデ》の一部ををアンコールに演奏し話題(スキャンダル)になったことも記憶に新しい。

我々のように島国に住む者にとっては、ユダヤ人差別、ユダヤ人蔑視という感情を、知識として理解はしても実感としては納得できないものだ。「ベニスの商人」のシャイロックはあまりにも有名だが、西欧人がユダヤ人を蔑視する理由のひとつに、実は彼らの優秀さへの裏返しがあるのではないかと思うこともある。

以上のことを踏まえた上でだが、作品鑑賞上ベックメッサーにユダヤ人の隠喩を嗅ぎ取るか必要があるかどうかについては論が分かれるように思う。実際、ベックメッサーは、最初からかわいそうな役どころとして登場している。第1幕においても、いつも苛立ち、怒っている。ヴァルターの才能に嫉妬し、古い因習を振りかざして新しい芸術を理解しない野暮な男として描かれている。第2、3幕となると更に悲惨な書かれ方をするのだが・・・。ワーグナーと敵対する音楽評論家のカリカチュアライズであったとしても、辛辣すぎるという気がしないでもない。

ワーグナーの意地の悪さというのはかなり徹底しており、一見善良そうなザックスについても、彼の陰謀と策略の陰湿さが気にかかるようになる。これらを「喜劇」として笑えるかどうかは、ドイツ的心情の有無により決まるようにも思える。

ドイツ的心情とはニーチェの言葉を引用するとよく雰囲気が分かると思う。

「人がよくて、悪賢い」この二つの性格が併存することは、他の全ての民族では矛盾であるが、ドイツにおいてはしばしば正当化されてしまう。(中略)ドイツ人は「率直さ」「愚直さ」を愛する。率直であり、愚直であることはなんと快いことか。ドイツ的実直さの人なつっこさ、親切、あけっぴろげなところ、これは今日ではひょっとすると、ドイツ人が心得ている最も危険で最も幸福な仮装であるかも知れない。この仮装はドイツ的メフィストフェレスの技巧であって、これによって彼らは「もっと成功する」こともできるのだ。
ニーチェ 『善悪の彼岸』


このような視座から《マイスタージンガー》を聴くならば、単純なる明朗な喜劇とばかりには響いてはこないものである。予備知識や薀蓄の弊害と言えようか。

(*2)「バレンボイムとワーグナーをめぐる論争に寄せて」エドワード・W・サイード

2002年9月26日木曜日

CLASSICA JAPAN でのワーグナー人気投票

CLASSICA JAPAN(衛星TVでない)のHP企画、QuickVoteにおいて「ワーグナーの舞台作品、一番好んで聴くのはどれ? 正直に答えれ。」という人気投票が行なわれている。

現時点で有効投票総数1627、ニーベルングの指環、さまよえるオランダ人、一切聴かない、トリスタンとイゾルデ、ニュルンベルクのマイスタージンガー、タンホイザー、ローエングリン、パルジファルという順になっている。《指輪》が20%程度の得票率で第一位になっているのだが、ワグネリアン恐るべしという印象を受ける。あんなに長い音楽を聴いていて、いったいぜんたいワグネリアンというのは飽きる事がないのだろうか・・・(^^;;;

まだ未聴なのだが《パルジファル》に人気ないというのも分かる。悟ってしまったワーグナーになど、興味は沸かないものだ。