楽劇「ラインの黄金」全4場
■ 前奏曲を聴く
「ニーベルングの指環」4部作の冒頭を飾る前奏曲である。この前奏曲は低音で始まる「自然の動機」とバイオリンで奏でられるアルペジオが優雅な「波の動機」が絡み合った、非常にゆったりとした美しい音楽だ。この前奏曲を聴くと「これから指環を聴き始める」という感慨を体の底から感じることができる。壮大なる楽劇を始めるのに適切な音楽になっていると思う。ワーグナーはこの音楽を「世界の揺り籠の歌」と呼んだらしい。混沌の中から光が現れ世界が次第に形作られる様を彷彿とさせる原始的にして厳かなイメージに満ちた曲だと思う。136小節しかないこの曲の見事さは言葉にできないほどだ。
ワーグナーの音楽において示導動機(ライトモチーフ)が作品解釈において鍵となるが、冒頭にホルンにより奏される「自然の動機」は、《指環》全体を貫く主題の意味においても重要である。ワーグナー解説書によれば、この変ホ長調の和音からなる上昇音形は「元素的なもの、事物の根源の音楽による比喩」であるとのこと。「自然の動機」の上昇音形は、今後もさまざまな形で姿を変え出現することになるという。例えば第4場に登場する「エルダの動機」は自然の動機を短調に変形したものであるらしい。
《トリスタンとイゾルデ》の項でも書いた(かも知れないが)ワーグナーにおいて、上昇音形と下降音形が意味するものは明白である。上昇が憧れや発展を意味し、下降が落胆や崩壊を意味するというわけである。そういう点から、《ラインの黄金》の冒頭の壮大なる上昇音形の繰り返しは、私たちを劇の最初において、人間世界から神々の世界へと上昇することをいざなってくれるかのようである。通低して流れる低減の響きは悠久の時をしても変わらぬラインの流れさえ思い起こさせてくれる。
たかだが4分程度の前奏曲であるものの、非常に聴きごたえのある音楽になっている。
ショルティは前奏曲の冒頭を極ゆっくりと、そして低弦の響きは重々しくざらついたほどに低く始めている。そこから聴こえてくるホルンの自然の動機が対位法的に絡み合い、さらにゆったりと「波の動機」が登場するところなども、実に夢見るごとき音楽に仕上げてくれている。次第にオーケストレーションが重なってきてヴォークリンデの歌声が始まる辺りには、すっかりワーグナーの世界に浸ってしまっている自分を感じる。
抜粋版のバレンボイム&バイロイト祝祭管弦楽団の演奏と聴き比べてみた。冒頭の弦は厳かに奏されるものの、重さという点ではショルティ版は凄い迫力になっている。波の動機のあたりになるとバレンボイムは実に丁寧に音楽をまとめているが、その後の音づくりが少々グラマラスで豊穣すぎるきらいがある。ここは自然の元祖的な要素をあらわした部分であれば、盛り上がりの中にも純粋さと削ぎ落とされた音響表現が欲しい(ような気が今はする)。そういう意味からはショルティ版の厳格さが好ましいと(今は)思える。もっともたった4分間だけの比較に意味があるとは全く思えないので、つづいてラインの乙女達と不幸なるアルべリヒの駆け引きを聴くこととしよう。
(2003.3.10)
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