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2004年6月18日金曜日

アメリカの国旗が持つ意味

NHKスペシャルで「21世紀の潮流 アメリカとイスラム」という2回シリーズが放映されています。第1回はイラク人虐待のモデルともいわれるキューバのグアンタナモ収容所とイラクとアフガンに挟まれながら反米姿勢を崩さないイラン革命25年目の素顔に迫るものでした。

グアンタナモ空軍基地にある収容所は悪名高い収容所で、アメリカの国内法も国際法も及ばない場所です。ラムズフェルド国防長官も「彼らを法のもとに裁こうと思っていない、テロを未然に防ぐために疑わしき者を収容しているのだ」と言って憚りません。

番組では、ある日突然失踪した息子が、実はグアンタナモに収容されていることを知ったレバノン人の父親が取材されていました。父親が一枚の写真を取り出して語ります。写真はテロ被疑者がアメリカ軍に捉えられ、グアンタナモに輸送される飛行機内で撮られたものでした。被疑者数十名は覆面をされ、手足を縛られ、ロープのようなもので壁に固定された状態で、軍用機の冷たい鉄板の上に座らされていました。彼らの脇にはアメリカ人が立ち、背後には機内の天井から星条旗が垂れ下がっていました。

父親はその星条旗を指し「アメリカ国旗には私も誇りに感じたこともあった。アメリカ国旗は民主主義と自由の象徴であった。それが、こんな使われ方をするとは」と憤りにうち震え、そして息子の安否を気遣っていました。

E.W.サイードは「わたしたちの民主主義を返せ」という一文で、次のように語っています。

途方もなく犯罪的だと思われるのは、民主主義や自由といった重要な言葉がハイジャックされ、略奪行為や領土侵略や怨恨を晴らすための隠れ蓑に使われていることだ。 アラブ世界についての合衆国の計画はイスラエルのものと同じなってしまった。 シリアと並んで、イラクはかつてイスラエルにとって唯一の重大な軍事的脅威だった。だからこそ、壊滅させねばならなかったのだ。

サイードはアメリカの中東政策がイスラエルを擁護するシオニスト一派の戦略に支配されていることを前提にしていますし、それであっても、彼がアメリカに民主主義と自由の理想を重ねていたことが分ります。ここでアメリカの国旗や愛国心についてのサイードの見方にも触れておく必要があるかもしれません。「もうひとつのアメリカ」という「戦争とプロパガンダ4」にも納められている一文からの引用です。

国旗を振ることに、これほど重要な図象学的な役割を持たせている国は他に知らない。 タクシーにも、男物ジャケットのラベルにも、住宅の前窓や屋根の上にも、そこらじゅうに旗が翻っている。 それは国民イメージの具現化であり、英雄的な耐性と、価値なき敵との戦いに悩まされているという感覚を表している。

これは、アメリカという国に対する荒いスケッチの断片です。アメリカのアイデンティティの根源に国旗と、国旗が象徴する民主主義や自由という精神が込められていたとするならば(レバノン人の父親の言を思い出すまでもなく)現在のアメリカがその精神を冒涜し踏みにじったという主張は、単なる理想論的な悲憤という以上の意味を伴っているようにも思えます。

アメリカの民主主義が絶対であるという価値観に拘泥するものではありませんが、アメリカの世界における位置付けや意味付け、そしてウェイトが変化してしまったことを示唆しているのかもしれません。アメリカ政権内部でのシオニスト、ネオコンなどの保守派と中道派の局地的な主導権争いが繰り返されるなかで、アメリカ全体が大きく舵をとり始めているのではないかという認識ですが。

そういう認識からアメリカ対日本という関係を考える必要がやはりあるのであろうとは思うのです。

2004年6月17日木曜日

日本における議会制民主主義

年金改革法案が通ったことや、自衛隊イラク派兵問題から多国籍軍に至る政府のなし崩し的な決定を見ていると、日本における議会制民主主義がもはや機能していないことを痛感させられます。

サイードの書き込みそれに連なるエントリーについて、Flamandさんから過分なるレスをいただき、つらつら民主主義とかについて考えていたところ、とあるメールマガジンで以下のような書き込みを見つけて成る程と思ってしまいましたので紹介しておきましょう。



北野一  :三菱証券 エクィティリサーチ部チーフストラテジスト


 年金改革法案が徹夜国会の末に成立した翌日の日経新聞には、「(年金改革法案を)廃案に持ち込むには硬軟織り交ぜた戦略が必要だった」との反省が民主党内にあったと紹介されておりました。しかし、彼らが反省すべきは、この国会における(戦略というよりも)戦術の誤りではなく、昨年11月の選挙で、年金改革を前面に押し出して、政権を獲得できなかった戦略の誤りです。



 また、メディアにも言いたいことがあります。国会審議次第では民主党案が成立するかも知れないと国民が錯覚するような記事を何故書きつづけたのでしょうか? また、戦術次第では年金改革法案を廃案に出来たかも知れないという民主党の反省など、報道する必要もないのです。そうではなく、「総選挙が終わった時点で、今日の結果は見えていた。だから選挙が重要なのだ」とはっきり書くべきなのです。

北野氏の結論は、現在の結果を招いたのは国民のせいでもあると指摘しています。同じような論調がもうひとつありました。

津田栄  :エクゼトラスト投資顧問株式会社 顧問


 (年金改革法案がろくに審議もされず可決されたことに対し)自己責任という観点から、国民自身も、自民・公明連立政権を昨年11月に選挙で選択した点で、こういう結果を招いたということがいえましょう。ただ、企業経営でも、選ばれた経営陣が株主・従業員などの企業関係者に当初の経営方針・計画に説明を尽くし、疑義が出てくれば、再度見直しをし、間違いに気付けばその計画を変更して、その結果の責任を経営陣が最終的に負うように、企業関係者および消費者との信頼を基礎にした民主主義的経営が行われます。


 その点は、どこの民主主義国の政治でも、状況が時々刻々変化していくなかで、選ばれた政治家が国民の考えと乖離していれば大なり小なり修正を迫る国民の姿が見られることにも通じます。そこには、企業経営と同様、国民に対する説明責任(説明およびその結果に対する責任)、政策に対する結果責任を負っている政府および議員と国民との間の信頼関係という民主主義的基盤があります。しかし、この日本においては、国民の声は国会に届かず、説明責任も果たさないで、既存の制度を維持し、既得権益を手放したくないために官僚の作った法案がそのまま採用され、国民不在のどこかの国とそれほど変わらない、ダイナミックさを失った政治が行われています。

津田氏も議会制民主主義の前提に立っても、選挙が重要であると力説した上で、以下のように続けます。


 そのためには、国会議員は、主役が国民の負託を受けた自分たちであることを改めて認識し、その責務を自覚することを強く望みます。そして、国民である私たちは、この年金制度を改めて考え、議論し、他人任せにしないことであり、今後の政治における判断でも、自己責任から、選挙で自分の考えにあった議員を選ぶべきでしょう。


この文脈の中での「自己責任」という意味は重いと思います。そういう意味で、改めてFlamandさんの書き込みにあった


言い古された言葉ですが、民主主義体制では「国民のレベルを上回る政治(家)を手に入れることはできない」ということは当たっていると思います。政治家達の馬鹿さ加減を批判しそれを放置するということは、自らの愚かさを自嘲していることに他ならないことだと思います。

という言葉を考えています。ちなみに、ここでの「民主主義」とサイードの言うアメリカの踏みにじられた「民主主義」とは、意味するスコープがかなり異なっているようです、これについては、また時間があれば書きます。


・このエントリーは茜色のこころにトラックバックしました(2004.6.25)

2004年6月14日月曜日

アメリカの民主主義

6月5日に、元アメリカ大統領のレーガンがアルツハイマー病の合併症で亡くなりました、享年93歳の大往生でした。日本のマスコミ各社もレーガンの功績を高らかに称えていましたが、アメリカの論調も同じであったらしく、これは現職のブッシュのあまりのダメさ加減のため、あてつけのようにレーガン賛美をしていたのだそうです。




翌日の6月6日は「Dデー」すなわち、第2次世界大戦で連合国軍が攻勢に転じるきっかけとなったノルマンディー上陸作戦の記念日で今年は60周年でした。ブッシュ米大統領は、


この地で尊い目的のため戦ったすべての解放者を尊敬する。米国は友人のため再び同じことをする

という事を述べたようです。かのレーガンはDデー40周年の式典で、


この地に倒れた人々よ。民主主義はあなたがたの犠牲に耐えうるものなのか。答えはイエスだ。何故ならば、あなた方には信念があり、確信があり、愛があったから・・・

と高らかに演説したのだとか。

昨日、サイードの本を紹介いたしましたが、アメリカの「民主主義」は20年前は(今よりは)健在だったのでしょうか、あるいはレーガンが政治家として少しだけ優れていただけなのでしょうか。

「信念」と「確信」と「愛」というオブラートをまとってアメリカの国益に殉じた者たちや、剥き出しのエゴイズムとしての国益のために爆破され吹き飛ばされた人たちは、どう弔われるのでしょうかね・・・

【本棚】E.W.サイード:「裏切られた民主主義」


この本は、「戦争とプロパガンダ」シリーズの第4部であり、アメリカのイラク侵攻が濃厚になりつつあった2002年11月からバグダット陥落直後の2003年4月までに発表されたものを集めたものです。彼の視座からは大国の不遜と欺瞞があぶりだされてきます。

●ヨーロッパ対アメリカ●イラクについての誤情報●緊急課題●ゆるしがたい無力●偽善の金字塔●責任者は誰だ?●もう一つのアメリカ●ラガドのアカデミー
●E.W.サイード 裏切られた民主主義 戦争とプロパガンダ4
●中野真紀子訳●みすす書房

エドワード・ウィリアム・サイード、エルサレム生まれの文学研究者であり文学批評家であり、西洋文明の中心に帝国主義を据えたことで特筆すべき功績を残しています。またパレスチナ問題に関する率直な発言者でもある彼は、昨今のアメリカのイラク侵攻に対しても鋭い批判をしていましたが、2003年9月25日享年67歳で白血病の合併症で亡くなりました。

ここでは偉大なるサイード氏に関する感想を述べるより、彼の論点をいくつか引用するに留めます。

何ゆえ、このような沈黙、このような驚くべき無力におちいっているのだろう。
史上最強の国家が、アラブの一主権国家に今にも戦争をしかけようとして、ひっきりなしにその意図を再確認している。現在のそのアラブ国家を支配している政権はおぞましいものであるが、明らかにこの戦争の目的は(中略)中東全体の設計を完全に変えてしまうことにある。(中略)それにもかかわらず、アラブ世界からは、長い沈黙が続いた後に、やんわりと意義をとなえる少数の声がぼんやり聴こえてくるだけだ。(中略)このような人種差別的なあざけりをわたしたちが受けいれるいわれがあるだろうか。(「ゆるしがたい無力」P.41)

このように、着々と進む戦争に対し、アメリカにおいてもアラブにおいても無力な状態を悲痛な思いでつづっています。

ブッシュ政権が戦争に向かって一方的に、容赦なく突き進んでいるのはさまざまな理由から憂慮すべきことである。だが、ことアメリカ市民に関するかぎり、このグロテスクな見世物は民主主義のとんでもない破綻を意味している。おそらく裕福で強力な共和国が、ほんの一握りの人間たちの秘密結社によってハイジャックされ、(彼らはみな選挙で選ばれたわけではなく、したがって民衆の圧力には感応しない)、あっさりと転覆されてしまったのだ。(「責任者は誰だ?」P.56)

中傷され、裏切られた民主主義。賞賛されながら、実際には面目を損なわれ、踏みにじられた民主主義。一握りの男たちが、この共和国の運営を掌握するようになったからだ。まるで-まるでアラブの一国と同じだというかのように。(「責任者は誰だ?」P.63)

「裏切られた民主主義」とは、この本のタイトルともなっていますが、アメリカにおいて民主主義が既に破綻していることを指摘しているのは彼だけではありません。一握りの男たちとはシオニスト・ロビー、右派キリスト教団体、軍産複合体などに属する三つの少数派集団のことであることは言わずもがなです。サイード氏はメディアも戦争体制の一翼を担うものでしかないと厳しく批判しています。

メディアが、戦争の口実としてイラクが十七の国連決議を無視していることにふれるときも、イスラエルが(合衆国の支持を受けて)無視している六四の国連決議のことは決して語られない。(中略)嫌われ者のサダムが何をしてきたにせよ、まったく同様のことをイスラエルのシャロンもアメリカの支持のもと行ってきたのであるが、後者については誰も何も言わず、ただ前者を声高に非難するばかりだ。
(中略)
そういうわけで、アメリカの国民は意図的に嘘を告げられており、彼らの利害はシニカルに偽って代弁され、偽って伝えられ、ブッシュ二世とフンターの私的な戦争のほんとうの目的やねらいは、徹底した傲慢さで隠蔽されている。(「責任者は誰だ?」P.61)

そのとき日本の報道が何を伝えていたか、小泉首相をはじめアメリカの侵攻に協力する人たちは、どこまで情勢をつかんだ上で判断していた(あるいはいる)のでしょうか。

「国際政治に正しいとか悪いはない、あるのは国益だけだ」と言ってのけたは親米保守派の筆頭である岡崎久彦氏ですが(6月13日 テレビ朝日「サンデープロジェクト」)、シャロンが何をしようとサダムが何をしようと、こんなアメリカに追従していればよいというわけですか。

(気が向けば、つづく)