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2025年12月14日日曜日

【音盤】朝比奈隆指揮のブルックナー第7番〜聖フローリアンのブルックナー

言わずと知れた朝比奈隆指揮による不朽の名盤である。

雨の初冬、寒くて外に出る気にもならず、幸いに(笑)家には自分一人、ということで、何気なく取り出して聴いてみた。

今更に語る言葉は持たない。




2021年2月13日土曜日

【音盤】ネルソンス のブルックナー交響曲第三番

2017年からネルソンスはブルックナー全集をゲヴァントハウスと録音を開始しています。その第一弾が、交響曲第3番です。演奏はライブとのこと。 



2016年1月21日木曜日

【演奏会】スクロバチェフスキ 読売日本響 ブルックナー8番 都響 芸術劇場

スクロバチェフスキ92歳
高齢にもかかわらず立って、暗譜で、休憩なしでの演奏会
ブルックナーの8番なので、ゆうに一時間半近い演奏

1楽章から3楽章までは悠然たるテンポで鳴らす
都響は弦の厚みもあり、また金管群にもあまり不安はない
情緒的に流れることもなく、正統的なブルックナーを淡々と聴かされると言う感じ
しかし音の重なりや重厚感という点では多少不満も残るか、オケの性能というより響きのイメージ
ワーグナーチューバを使うせいか、ブルックナーからワーグナーにつながる独逸音楽の系譜みたいなものが聴き取れる
4楽章は、多くの人が「意外」と思ったように早く煽るようなテンポ
若々しいと言えば言えなくもないが、92歳である。意表を突かれたとさえ言っていい。
このテンポと今までのギャップは何なのか、若干の乗り切れなさを残しての終焉。

しかしブラボーとスタンディングオーベーションの嵐。
みんなスクロバチェフスキが好きなのだなあ、暖かい拍手。
でも、なんだかブルックナーを聴いたという満足感がない。
独逸の森の空気感も感じ取れなかった。

特にティンパニ。叩いていないわけではないのだが、軽すぎるだろう、そこでその音はないだろう、みたいな。
何かのイメージが刷り込まれているのだろうな。

スクロバチェフスキは何も独逸、ロマン派だけが得意な指揮者ではない。
自ら作曲もするし現代曲も振る。
過度な思い入れやタメも使わない、ある意味、非常に高齢だが現代的かつ合理的な指揮者なのだと思った。





2013年7月6日土曜日

【演奏会】大野和士指揮 新日本フィル ブルックナー7番

2013年7月5日(金)19時15分
すみだトリフォニーホール
指揮 大野和士
新日本フィルハーモニー交響楽団



シャリーノ/「夜の肖像」(1982年)
ツィンマーマン/「ユビュ王の晩餐のための音楽」(1966年)
ブルックナー/交響曲第7番 ホ長調(ノーヴァク版、1954年)


ワーグナー生誕200年を記念したプログラムなのだが、ワーグナーは一曲も演奏しない。大野氏がこだわりぬいたプログラムとはいえ、ひねり過ぎの感がなきにしもあらず。

シャリーノはバイオリンのフラジオレットの上に、静かな音か薄膜のようにかぶさる10分程度の曲。無調?という点ではワーグナーにつながるか。

ツィンマーマンもメジャーな曲ではない。バイオリン、チェロなどの弦が入らず、逆にオルガンやギター、ピアノ、ハープ、エレキギターなどの楽器が加わる。いろいろな曲からの引用が展開されるが、期待させたほどには乗り切れない。最後の乱痴気騒ぎのような場面(幻想の暖断頭台への行進とワルキューレが奏されるところ)も浮ついた印象だけを残す。

オモチャ箱をひっくり返したような感じ、という点では、むしろマーラーにテイストが近いように思える。

休憩をはさんでの今回のメインとなるブルックナー7番。大野氏の指揮は、過大な感情は移入せず、速めの軽快なテンポで曲を進める。盛り上がるところもしっかり音量はあり、目立った大きな破綻もない。少し雑と聴こえるところや、ブルックナー的な音の重奏感が不足しているように思え部分がなきにしもあらず、聴く場所が2階席であったせいだろうか。

しかしながら、どこか不完全燃焼の残るプログラムと演奏であったことも確か。私が聴いたのはワーグナーの息吹だったのか、正真のブルックナーだったのかと自問。


それでも、この手の音楽は生で聴くのに限ると思う。現代音楽は、聴き方や集中力が異なるから、組み合わせは別の曲が望ましいと思った次第。情よりも理が勝ったプログラムであったか。

2013年4月11日木曜日

2008年10月11日土曜日

ランニングのおとも カラヤンのブルックナー


ランニングのおともとして聴いている曲にカラヤンのブルックナー全集(→DG版:HMV)があります。これもITSでダウンロードしたものです。



カラヤンのブルックナーは、まさに豪華絢爛。田舎くささやトロさ、深刻さは全く感じられず、ひたすらに美的快感原理が追求されているように聴こえます。それゆえ正統派のブルクネリアンは、おそらく今でも彼の演奏をかなり批判的に評価するのではないでしょうか。


録音は1975年から81年にかけて。カラヤンも70歳前後と高齢ですし、ベルリンフィルとの絶頂期は過ぎています。しかし、それではあってもテクニック的にも音響的にも世界最高峰のオケです。そこから至福を感じるかあるいは壮大なる空虚と浪費を感じ取るか。これは人により大きく異なるでしょう。


カラヤンの音楽は、彼があまりにも強大な権力を持ったが故か、日本の音楽界や音楽マニアの間で貶められた時期がありました。音楽に快楽より深い精神性を求めること、正統派ドイツ音楽への追求などなに対するアンチテーゼでもあったのでしょう。そういう当時にあっても、カラヤンのブルックナーのあまりの美しさを、控えめながらも強く主張する声もあったように覚えています。


今ではクラシック音楽を巡る状況も変化しました。カラヤン生誕100年の今日にあって、こういうブルックナーを受容する層も増えたのではないかと思います。私もこうして改めて聴いていますと、ブルックナーだって深刻ぶって聴かれるばかりが能ぢゃないと思ったりする次第です(>って、走りながらとか、眠りに落ちる間際でしか聴かないんですけどね)。

2007年6月19日火曜日

[NML]ブルックナー 交響曲第3番 第1稿と第2稿を聴く

ブルックナー交響曲第3番を聴いた話を先日書いた。別に他のブログに触発されて、これを聴いたわけではないのだが、クラシック音楽のひとりごと のmozart1889さんも、たまたま最近この曲を聴かれたことをブログで知った次第。
(→http://www.doblog.com/weblog/myblog/41717)。

ノヴァーク版には第1稿から第3稿までの改訂稿があること、ブル3の副題が《ワーグナー》であることなどを、その後始めて知った。

ワーグナーの響きは第二楽章にいくつかの主題が表れる。第3稿では、かろうじて《トリスタン》的な和音を聴き取ることができるのみだったが、第1稿ではあからさまに《タンホイザー》のかの有名な断片が表れる。これには、かなりびっくりする。というのも、ブルックナーとワーグナーというのも、音楽的な特徴やベクトルは全く異なったものと意識していたので。

第1稿のその他の楽章も注意して聴いてみると、まだブルックナーらしくない響きもちらほら。第1稿から第3稿に向け、徐々にワーグナー的要素が減じ、逆にブルックナーの音楽に近くなっていくのは興味深い。

第1稿はティントナーで、第2稿はギーレンの演奏で聴いてみた。どれもNMLに納められている。ギーレンのブルックナーは如何にと思ったが、この演奏だけ聴けば結構立派であるしオケも結構鳴ってる。悪くはない。だからといって感動するかというと、これはまた別ではある。

2007年6月15日金曜日

[NML]テンシュテットのブル3に驚愕

とんでもない演奏を聴いてしまった、それもNMLで! 

メジバロ(目白バ・ロック音楽祭)ももう行けないし、ガッティのオペラはチマチマ訳しながら聴いてはいるが、仕事も相変わらず忙しいし、ということで、天秤座+AB型のバランス感覚ゆえベタな方にベクトルが傾いた。そして、何気にブルックナーの3番を聴いてみようという気になったのである。

そもそもブル3はCDさえ持っていない。従って、あまり期待していなかったし、軽い気持ちで聴きはじめたのだ。

しかし、これは何と言う演奏であろうか。そして、これはブルックナーなのだろうか。いや、確かに、第一楽章冒頭の弦とホルンの静かな始まり方、盛り上がる部分でのオーケストレーションの騒々しさはブルックナーではある。しかし、だ。第二楽章の半音階など、一瞬トリスタンだし、マーラーを思わせるところもある。

テンシュテットが振るのは、バイエルン放送響。1976年11月4,5日のミュンヘンでのライヴ録音だ。実のところテンシュテットのブルックナーは少ない。この演奏も正規版としてファン待望の盤として発売された。

それにしてもだ。全く予想を覆す演奏である。ブル3がこんなにも面白い曲であったなんて! 何度感嘆符を付けても足りない。どんな演奏かは、私の拙い感情的な感想を読むより以下を参照すると良く分かる。

その凄まじさは、許氏がおそらく生で聴けばホールの天井が抜けるのでは、いやそれより聴いている人間の神経が持たないのではと驚愕するであろうことと書くように、第一楽章から全開なのである。この爆発するエネルギーと重さはどこから生ずるのか。フォルテッシモにおける、何処までも突き抜ける金管の咆哮、恐ろしいほどの低弦の分厚さ、打楽器の確かさ。弦の旋律の滑らかさと質量感。ああ、なんていいオケなんだ。

ちょっとでも聴いてしまうと、鷲掴みにされたまま終楽章まであっという間に連れて行かれる。第一楽章も凄いが、第三楽章のスケルツォから終楽章にかけては、もはや言葉も発せられない。ダダダ・ダッダッダッの付点的な、いかにも野暮なスケルツォにミニマル音楽のような弦の伴奏が絡まり、猛烈な演奏を繰り広げる。 終楽章冒頭はゲンダイ音楽さえ彷彿とさせるが、それも一瞬で、再び凄まじい熱い激情の奔流が渦巻く。ラストのティンパニのロールのクライマックスは鳥肌もの。

いやはや、再度問う。これはブルックナーなのか。これがブルックナーなのか。いや、それに意味はない。これもブルックナーの一つの姿なのかもしれない。細かいことは私には分からない。私は何度も聴いた。そして、こういう演奏を心底凄いと思う。こういう盤があるから、クラ聴きは止められない。

ただし、好みは分かれる、保障はしない。そして、こんな演奏をNMLで聴いていていいのか?(>いいって、買わなくて) こんな演奏に感動する私は、やっぱり、冷静なバロクーにはなれないか(苦笑)

2004年6月13日日曜日

【音盤】マタッチッチ;チェコ・フィル/ブルックナー:交響曲第7番


  • 指揮:ロヴロ・フォン・マタチッチ
  • 演奏:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
  • 録音:1967年3月 プラハ、芸術の家
  • DENON COCO-70414 CREST1000

ブルックナーを聴くのは非常に久しぶりですし、サイトを始めて4年になりますがブルックナーのCDを取り上げたことは記憶では今まで1度しかないのではないかと思います。

別にブルックナーが嫌いなわけではありません。マーラーもそうなのですが、あまりにも崇高(=マニアック)であるため下手なことを書けないという思いが立ってしまうためです。

今日はウィスキーなどチビチビやりながら、ながらでマタチッチのブル7を聴いていたのですが、思わず怖気を感じてしまったので、聴きながらレビュを書くこととしました。今は岩のように硬い第三楽章のスケルツォが終わったところです。

マタチッチ氏といえばNHK交響楽団の名誉指揮者を長く務めたことでも知られていますし、ブルックナー指揮者としても確たる地位を築いていると思うのですが、恥ずかしながら氏の演奏を聴くのはこの廉価版がはじめてです。

酔った頭で思ったことは、質実剛健なブルックナーを地で行く演奏、全く停滞と淀みがなく堅牢極まりない確たる音楽の骨格が、嫌でもかというくらいに聴き手に迫ってくるということです。テンポはどちらかというと遅めでしょうか、遅いというか着実と言う方が正しいかもしれません、アゴーギクは結構ありますし。

豪快にして気宇壮大というのでしょうか、解説では「スケールの大きな解釈」とあります。スケールの小さなブルックナーなど聴いたことはないのですが、まあそういう演奏です。ブルックナーを聴く喜びがフツフツと沸いてきます。夜中なのに思わず握りこぶしを振りあげてしまいます。

私がブルックナーを始めて(CDですが)聴いたのは、朝比奈&大フィルの7番で(ザンクト・フローリアンの名盤ではない)一聴して私はブルックナーを好きになってしまいました。当時隆盛を極めていたNIFTYのFCLAでブルックナー情報を集め、朝比奈のフローリアン盤もすぐに入手し、4番から9番まで一気に集めて聴きとおしたことも懐かしい思い出です。ブルックナーは、理由は特にないのですが滅多に聴かないものの、久しぶりに聴くと血が騒いでしまいますね。

終楽章ラスト近くのホルンから一気に進むフィナーレにはもはや文句の付けようもなし! 1967年の録音ですが音質も問題なく、値段も1000円、こんな幸せがありましょうか。

2003年5月24日土曜日

【音盤】チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルのブルックナー4番


チェリビダッケ指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
1988年5月25日 ミュンヘン・ガスタイクザール
EMI TOCE-11613
許光俊氏の影響というわけではないのだが、チェリのブル4を聴いてみた。許氏は「世界最高のクラシック」で「チェリビダッケは時々、度肝を抜くような特異な表現で聴衆を驚かせたものだが、この第四楽章の数分間はその典型である」と書いて、いかにこの演奏が「想像もできないような音楽」であるのか説明している(同書 P.188)

さて、どう「想像もできない音楽」なのかは、許氏の著述を読み、本CDに接して判断していただきたいが、私は今一つ乗りきれなかったというのが正直なところである。というか、そもそもブルックナーの作品の中にあって4番は、中途半端な感じがしてしまう。チェリならばと期待したのだが、やはりその想いは完全には拭いきれなかった。

いや、確かにチェリのこの演奏は美しく華麗だ、それも類稀なほどに。霧の中に薄日が刺すかのごときホルンの響き、ホールの底がぞわりと盛りあがるかのごとき恐るべきクレッシェンド(特にチューバの響きが尋常ではない)、全身をなでて過ぎ去る弦のざわめき。長い残響と、それに合わせたテンポの遅さ、そこから聴こえる驚くべき沈黙の間合い。スケルツォ楽章でなどでは、背筋がゾクゾクしてしまう。第4楽章の冒頭も凄いの一語に尽きる。幾重にも重なった芳醇なるオルガンのようなブルックナーサウンドの洪水、頭を垂ひれ伏してしまうかのような中間部の表現、ニ声になって聞こえてくるテーマの複雑な絡み合いの効果の見事さ、そして許氏も指摘するラストに向けての壮大なる息の長いクレッシェンド・・・などなど、演奏はものすごく完成度が高い。そこかしこで、「そうくるか」「ここでそういう表現をするか」と何度もはっとさせられる。ラストのコーダには思わず忘我の境地に入りそうになってしまう、いやはや凄まじい演奏だ。

え? それだけの演奏でありながら、何の不満があろうかと? 美しすぎることが不満なのか、完成度が高すぎることへの苛立ちなのか。何か足りないと思うこと、ブルックナーの4番にそれ求めることが間違いなのか。あるいは私の勘違いのなせる技なのか。ブルックナーはやっぱり7、8、9番なのかなあ・・・と思うのであった。ブル4を責めて、チェリは責めずというところか。(>ブルックナー責めてどうするんだよ)

2001年8月18日土曜日

【音盤】クナッパーツブッシュのブルックナー8番


ワーグナー:「ローエングリン」Vol.1 第1幕前奏曲 ほか 指揮:クナッパーツブッシュ 演奏:ミュヘン・フィル 録音:1962(ブルックナー) 1963(ワーグナー) DG Westminster
DGのWestminsterレーベルからクナのブルックナーとワーグナーが発売されていた。クナといえば熱烈なファンも多くクナの優れたHPもいくつか拝見したことがある。クラシック初級者である私はクナの演奏をほとんど聴いたことがない。
さてこの盤はリマスターテープ版なのであるが、クナッパーツブッシュの演奏よりも、録音されている音の広がりやクリアな音質に驚かされた。ブルックナーとワーグナーの音楽が絶妙のハーモニーで響き渡り、天上のような音楽を聴かせてくれる。弦の艶やかさなどにも一点の曇りもなく、例えばローエングリンの美しいことと言ったら・・・言葉にはならないほどだ。また、ブルックナーの壮大さときたらどうだ。改めてブルックナーの素晴らしさを認識させられる思いだ
とは言っても、「クナのこの演奏は…」などと恐れ多いことは当分書けそうにない。ただ、非常に充実した一枚であることは確かなようだ、ということだけは記さずにはおかれない。(「当たり前だ!!」と怒りの声も聞こえそうだが…)