言わずと知れた朝比奈隆指揮による不朽の名盤である。
雨の初冬、寒くて外に出る気にもならず、幸いに(笑)家には自分一人、ということで、何気なく取り出して聴いてみた。
今更に語る言葉は持たない。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
2017年からネルソンスはブルックナー全集をゲヴァントハウスと録音を開始しています。その第一弾が、交響曲第3番です。演奏はライブとのこと。

ランニングのおともとして聴いている曲にカラヤンのブルックナー全集(→DG版:HMV)があります。これもITSでダウンロードしたものです。
カラヤンのブルックナーは、まさに豪華絢爛。田舎くささやトロさ、深刻さは全く感じられず、ひたすらに美的快感原理が追求されているように聴こえます。それゆえ正統派のブルクネリアンは、おそらく今でも彼の演奏をかなり批判的に評価するのではないでしょうか。
録音は1975年から81年にかけて。カラヤンも70歳前後と高齢ですし、ベルリンフィルとの絶頂期は過ぎています。しかし、それではあってもテクニック的にも音響的にも世界最高峰のオケです。そこから至福を感じるかあるいは壮大なる空虚と浪費を感じ取るか。これは人により大きく異なるでしょう。
カラヤンの音楽は、彼があまりにも強大な権力を持ったが故か、日本の音楽界や音楽マニアの間で貶められた時期がありました。音楽に快楽より深い精神性を求めること、正統派ドイツ音楽への追求などなに対するアンチテーゼでもあったのでしょう。そういう当時にあっても、カラヤンのブルックナーのあまりの美しさを、控えめながらも強く主張する声もあったように覚えています。
今ではクラシック音楽を巡る状況も変化しました。カラヤン生誕100年の今日にあって、こういうブルックナーを受容する層も増えたのではないかと思います。私もこうして改めて聴いていますと、ブルックナーだって深刻ぶって聴かれるばかりが能ぢゃないと思ったりする次第です(>って、走りながらとか、眠りに落ちる間際でしか聴かないんですけどね)。
ブルックナー交響曲第3番を聴いた話を先日書いた。別に他のブログに触発されて、これを聴いたわけではないのだが、クラシック音楽のひとりごと のmozart1889さんも、たまたま最近この曲を聴かれたことをブログで知った次第。
(→http://www.doblog.com/weblog/myblog/41717)。
ノヴァーク版には第1稿から第3稿までの改訂稿があること、ブル3の副題が《ワーグナー》であることなどを、その後始めて知った。
ワーグナーの響きは第二楽章にいくつかの主題が表れる。第3稿では、かろうじて《トリスタン》的な和音を聴き取ることができるのみだったが、第1稿ではあからさまに《タンホイザー》のかの有名な断片が表れる。これには、かなりびっくりする。というのも、ブルックナーとワーグナーというのも、音楽的な特徴やベクトルは全く異なったものと意識していたので。
第1稿のその他の楽章も注意して聴いてみると、まだブルックナーらしくない響きもちらほら。第1稿から第3稿に向け、徐々にワーグナー的要素が減じ、逆にブルックナーの音楽に近くなっていくのは興味深い。
第1稿はティントナーで、第2稿はギーレンの演奏で聴いてみた。どれもNMLに納められている。ギーレンのブルックナーは如何にと思ったが、この演奏だけ聴けば結構立派であるしオケも結構鳴ってる。悪くはない。だからといって感動するかというと、これはまた別ではある。
とんでもない演奏を聴いてしまった、それもNMLで!
メジバロ(目白バ・ロック音楽祭)ももう行けないし、ガッティのオペラはチマチマ訳しながら聴いてはいるが、仕事も相変わらず忙しいし、ということで、天秤座+AB型のバランス感覚ゆえベタな方にベクトルが傾いた。そして、何気にブルックナーの3番を聴いてみようという気になったのである。
そもそもブル3はCDさえ持っていない。従って、あまり期待していなかったし、軽い気持ちで聴きはじめたのだ。
しかし、これは何と言う演奏であろうか。そして、これはブルックナーなのだろうか。いや、確かに、第一楽章冒頭の弦とホルンの静かな始まり方、盛り上がる部分でのオーケストレーションの騒々しさはブルックナーではある。しかし、だ。第二楽章の半音階など、一瞬トリスタンだし、マーラーを思わせるところもある。
テンシュテットが振るのは、バイエルン放送響。1976年11月4,5日のミュンヘンでのライヴ録音だ。実のところテンシュテットのブルックナーは少ない。この演奏も正規版としてファン待望の盤として発売された。
それにしてもだ。全く予想を覆す演奏である。ブル3がこんなにも面白い曲であったなんて! 何度感嘆符を付けても足りない。どんな演奏かは、私の拙い感情的な感想を読むより以下を参照すると良く分かる。
その凄まじさは、許氏がおそらく生で聴けばホールの天井が抜けるのでは、いやそれより聴いている人間の神経が持たないのではと驚愕するであろうこと
と書くように、第一楽章から全開なのである。この爆発するエネルギーと重さはどこから生ずるのか。フォルテッシモにおける、何処までも突き抜ける金管の咆哮、恐ろしいほどの低弦の分厚さ、打楽器の確かさ。弦の旋律の滑らかさと質量感。ああ、なんていいオケなんだ。
ちょっとでも聴いてしまうと、鷲掴みにされたまま終楽章まであっという間に連れて行かれる。第一楽章も凄いが、第三楽章のスケルツォから終楽章にかけては、もはや言葉も発せられない。ダダダ・ダッダッダッの付点的な、いかにも野暮なスケルツォにミニマル音楽のような弦の伴奏が絡まり、猛烈な演奏を繰り広げる。 終楽章冒頭はゲンダイ音楽さえ彷彿とさせるが、それも一瞬で、再び凄まじい熱い激情の奔流が渦巻く。ラストのティンパニのロールのクライマックスは鳥肌もの。
いやはや、再度問う。これはブルックナーなのか。これがブルックナーなのか。いや、それに意味はない。これもブルックナーの一つの姿なのかもしれない。細かいことは私には分からない。私は何度も聴いた。そして、こういう演奏を心底凄いと思う。こういう盤があるから、クラ聴きは止められない。
ただし、好みは分かれる、保障はしない。そして、こんな演奏をNMLで聴いていていいのか?(>いいって、買わなくて) こんな演奏に感動する私は、やっぱり、冷静なバロクーにはなれないか(苦笑)