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2004年12月22日水曜日

立川のビラ配りの件3

「立川自衛隊テント村」という反戦団体が、防衛庁官舎にビラを配った件で住居侵入罪に問われた件について以前エントリーを書きましたが、東京地裁八王子支部で無罪判決が言い渡されたそうです。


細かな事情まで調べてはいませんから、普通に考えれば「ビラを配っただけで逮捕」はやり過ぎではないか、と思っていましたので、当然の帰結だとは思うものの、ネット上では公安の権力行使について肯定的な意見も少なくないことを知ったりしたものです。事件を報じたのが朝日新聞と赤旗だけでしたから尚更であります。


【参考サイト】






 こうした政治的なビラ配りについて、判決は「憲法21条の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すもの」と述べ、ふだん官舎に投げ込まれている宣伝ビラや風俗チラシよりはるかに大切であると説いた。


と朝日新聞にありますが、表現の自由や政治的活動の巾に関する微妙な問題を孕んでいることは否定できず、「立川自衛隊監視テント村」という、少々過激な名前の市民活動家たちの行動が、ある種類の方々の反感を買ったことは、ちょうどイラクで拘束された三人の日本人の時にも巻き起こった感情と、どこか通じるものを感じます。


彼らが反対した自衛隊は実際サマワで何をしているのか全く分りません。給水活動に道路復旧や学校復旧だと政府は言いますが、イラク復興にどれだけ寄与しているのか全体での位置付けも分りません。勿論、イラク派遣に一体いくらの国費が費やされているのかも分りません。具体的な活動内容と、それに関わる収支は是非報告していただきたいものです。


なにしろ、知らないうちにこんなものを造っていたりしたんですから。


【関連エントリー】



朝日新聞 社説12月17日

■ビラ配り無罪――郵便受けの民主主義


 イラクへの自衛隊派遣に反対するビラを防衛庁官舎の郵便受けに配り、住居侵入の罪に問われた東京の市民団体の3人に対して、東京地裁八王子支部で無罪の判決が言い渡された。


 逮捕した警察、起訴した検察の全面的な敗北である。


 そもそも身柄を拘束したり、起訴したりする必要のない事案だった。2月末に逮捕され、5月まで75日間も勾留(こうりゅう)し、公判は8カ月に及んだ。無罪の結論を出すのが遅すぎたくらいだ。


 被告とされたのは、「立川自衛隊監視テント村」という反戦団体に属する男女3人。職業は中学校の給食調理員と介護会社員とアルバイトである。今年1月と2月、東京都立川市内にある防衛庁官舎の敷地に入り、宿舎8棟のドアの郵便受けにビラを配って逮捕された。


 「イラク派遣が始まって隊員や家族が緊張している時期に、玄関先にビラを放り込まれるのは住人として大変不快であり、家族も動揺した」。証人として出廷した自衛官ら3人は口々に訴えた。


 確かに、先遣隊、主力第1波、第2波と派遣が進み、各地の自衛隊にピリピリした空気が漂っていた時期だった。


 A4判のビラは「自衛官・ご家族の皆さんへ いっしょに考え、反対の声をあげよう」という呼びかけだった。


 判決は書かれた内容を「自衛隊員に対する誹謗(ひぼう)、中傷、脅迫などはなく、ひとつの政治的意見だ」と述べた。さらに「国論が二分していた状況で、ビラはさして過激でもなく、不安感を与えるとも考えがたい」と指摘した。


 こうした政治的なビラ配りについて、判決は「憲法21条の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すもの」と述べ、ふだん官舎に投げ込まれている宣伝ビラや風俗チラシよりはるかに大切であると説いた。


 住居侵入に当たる行為ではあるが、配り方は強引ではなく、住民にかけた迷惑も少なかった。刑罰をもって報いるほどの悪事ではない。判決はそう結論づけた。明快な判断である。


 イラク開戦とそれに続く各国軍の現地派遣をめぐっては、世界のあちこちで大規模な抗議活動が繰り広げられた。欧州では、ベトナム反戦デモを上回るうねりとなった国も多かったが、日本では際立って低調だった。


 滞在中たまたま日本の反戦デモを見た外国人たちはその規模の小ささ、若者の少なさに驚いた。理由はいろいろあるだろうが、ビラ配り事件にあらわれた警察の過敏な取り締まりも一因だろう。


 自分の気に入らない意見にも耳を傾けてみる。それは民主主義を支える基本である。派遣を控えた自衛隊員にとっても、同僚や家族と全く違う意見を目にするのは無駄にはならないはずだ。くだらない意見だと思えば捨てればいい。


 そんなところにまで警察が踏み込むのは危険きわまりない。判決はそう語っている。


2004年10月9日土曜日

「サマワの日本・イラク友好記念碑に爆弾」asahi.com

asahi.comを斜め読みしていたら、こんな記事が。

自衛隊が被弾しなくて、よかったですねと思う以前に、自衛隊って、サマワでこんなモン作ってるのかよっ!

2004年7月2日金曜日

自衛隊発足五十周年に(駄文)

昨日7月1日は、自衛隊発足五十周年であったそうです。つらつらとキーボードの赴くままテキストを打ちましたが、タイトルの通り結論なしの駄文です。読んでも甲斐ないと思いますので、ご注意ください。


小泉政権になってからの自衛隊に関する「周辺事態」が急速に変貌しているため、自衛隊に関する議論がマスコミやブログ上で盛んです。私のようなノンポリ派でも、自衛隊の在り方について疑問はあるものの「自衛隊廃止」という極論には及び腰になってしまいます。これは天皇問題も同様です。




��月30日の朝日新聞社説は『自衛隊50年――「軍隊でない」を誇りに』と題して、


かつてのソ連のように、日本に直接侵攻してくるかも知れない仮想敵は見あたらない。代わって、大量破壊兵器の拡散や国際テロリズムという新しい脅威にどう立ち向かうかが、国境を越えた自衛隊の課題とされるようになった。



集団的自衛権の行使を禁じた憲法を見直し、海外での武力行使を認めようという声高な改憲論も永田町にはある。


 こうした転換の根底にあるのは、本土の防衛が差し迫った問題ではなくなったいま、自衛隊に様々な新しい任務を与え、活用しようという意図だ。

という具合に、世界情勢が変化している中での自衛隊問題を考えるという視点で以下のように結んでいます。


国の安全は自衛隊だけでは成り立たない。近隣諸国との多国間外交、テロの根をつぶすための途上国支援、大量破壊兵器の拡散防止のための貢献など、まだまだ足りないことだらけである。


 自衛隊は他国で戦争をしない。それが日本にとって国益の源泉であり、誇りでもあることをあらためて刻みたい。

一方、同日の産経新聞社説は『【主張】自衛隊 逆風によく耐えた五十年』と題し、


海外での武力行使を禁じるとする憲法第九条の解釈が制約要因になっている。同条の「戦力不保持」規定も軍隊としての地位や権限を自衛隊に与えてこなかった。そんな逆風の中、他国軍に比しても高い志を維持してきた自衛隊はもっと評価されていい。


 テロや北朝鮮など多様な脅威に的確に対応できる自衛隊像が求められている。自衛隊を一刻も早く憲法上、明確に位置付け、国民の財産として活用することが日本の課題である。

と書いています。テロの脅威という点では同様の認識かもしれませんが、「仮想敵国」という観点からは大きな隔たりがあります。他にも、同日の読売新聞も『[自衛隊50年]「『集団的自衛権』解釈変更を急げ」 』という社説が載りましたが神学論争みたいなものなので紹介は控えます。

さて、7月2日の産経抄では再び自衛隊五十周年に触れています。産経は社説でもそうですが、心情に訴えるウェットな論調が大好きなようです。

世界の国々はどこも「軍隊は国民の財産だ」と考えている。だから人びとはみな軍隊という戦闘集団を大事にし、その功績には最大限の名誉で報いている。それが世界の常識だが、にもかかわらずこの国では…。(中略)▼思えば自衛隊員とその家族にとって、この五十年は“風雪と苦難”の半世紀だったろう。学校で「自衛隊は税金泥棒」と教える教師がいたという。隊員の子らにはどんな耐えがたいトラウマ(精神的外傷)が残ったことか。(中略)▼いま国民の信頼は、災害出動からカンボジアや東ティモールの国際貢献まで。来日したイラクの宗教者は「自衛隊の撤退じゃなく、増派を頼む」と要請して帰国した。ここに至るまでの隊員の歯を食いしばった奮闘と、それを支えた家族の苦労を心の底からねぎらいたい。

長々と引用しましたが、後になるとネット上で読めなくなってしまいますので、「肝い」部分だけを抽出しておきました。


さて、両者の間に深い溝があることは疑い様もありません。それは国家とか国防に関する問題であり、国際関係の中での外交問題でもあります。欧州の列強諸国は、日本が島国内でチャンバラ派遣争いをやっていたときから、ダイナミックな領土拡大、文化侵略活動、植民地主義を貫いてきたわけです。島国の中だけでの争いとは規模も歴史も違いますから、防衛に関しても筋金入りなのだと思います。民族としてのプライドということも強く意識されていますし、日本では想像できないほどの同胞意識、自立意識に驚いたりします。映画「トロイ」を見ていて、そういう意味からはほとほと疲れました。


一方アメリカは、もともといた原住民を皆殺しにして領土を確保しました。それ以来は、豊富な資源に恵まれ大国としての地位を築き、世界各国に共産主義勢力の拡大阻止だとか、独裁政権からの解放だとかいらぬ介入をしてきているわけです。元来、人種差別とジェノサイドがお好きなのです。


日本は、日米不平等条約を結んで依頼、米国の属国としての地位から脱却できないでいまま、アメリカの言われるままに国防を備えてきたのですから、国際貢献だとか外交だとか国防などと言っても、子供がやっとオトナ語を話せるようになったという程度に過ぎないのではないかと思うことがあります。


自衛隊合憲を積極的に唱える人たちは「普通の国」になることを主張しますが、「普通の国」とはしっかりとした主権を有する国であるわけですから、アメリカとの関係を論ずることなく「普通の国」になどなれるとは思えません。日米安保は維持して「普通の国」なんて、考えただけでオバカな話しのような気がします。


安保を維持したまま自衛隊を格上げするということは、子分には今までは護身用のスミス&ウェッソンしか与えていなかったのを、今回はマグナム弾を撃てる銃をあげるよということではないのでしょうか、お前も物分りがよくなってきたから、しっかりやれよと。(ちょっと違うかもしれないが) あくまでも、米国の対日関係が変化しないことが前提です。


仮想敵だか現実敵だかテロだか知りません、まして、それが現実なのかデッチ上げなのかさえ分りませんが、とにかく「ならずもの」がいる以上(尖閣諸島に乗り込む輩も、日本近海に出没する不審船も「ならずもの」ですかね)武力も外交の一手段とするという現実的な選択は間違っていないのでしょう。
しかしそれ以前に、武力がない状態での「外交」がお粗末なまま棚上にしておいて、推進派は武力を有したら毅然とした外交ができるようになるとでも言うのでしょうかね。

それにしても個別論議だけで日本の将来的な方向性が全く見えないという状況は、どうなんでしょう、国としてのビジョンが徹底的に欠けているのではないかと思わざるを得ません。政府も官僚もダメになってしまい、形だけが先行して時代の先(あるいは後)に行くというのは、私には歯止めもタガも外れた状態にしか写りません。閉塞状態の中でプチナショナリズムが育ち、ゆるやかに右傾化してゆくことにも危機感を感じます。


かくして自衛隊問題は私の中で再び曖昧模糊としたままに取り残されることになるのでありました。(ね、読んでも甲斐なかったでしょう・・・)

2004年5月31日月曜日

サヨクを論破する理論武装?


産経新聞社の月刊誌「正論 2004年6月」は《サヨクを論破するための理論武装入門》という、ワクワクするような記事でしたので、買って読んでみました。文責は石川水穂氏、産経新聞論説委員です。

15頁ほどの記事は全部で7章に分かれており、1.自衛隊イラク派遣と集団的自衛権 2.国旗・国家問題と朝日社説 3.首相の靖国公式参拝は合憲 4.朝鮮人強制連行という歪曲 5.間違いだらけの慰安婦問題 6.南京事件の重大なうそ 7.竹島・尖閣諸島はまぎれもない日本の領土 という内容です。

集団的自衛権に関しては、『どうしても必要』であると説きますが、その理由の第一が『日本国民にとって、イラクより深刻な北朝鮮の脅威が現実化』することに危惧を抱いていることにあるようです。北朝鮮の脅威が消えたらどうなるのでしょう、新たな脅威を作るのでしょうか。

国旗・国歌問題は、ここのブログでも数度触れましたが、東京都の通達に関しての教師処分とからめて朝日新聞を批判してるのですが、産経は授業で『国旗・国歌の意義や由来を含めてきちんと教えておけば[...]むりなく国旗に向かって起立し、国家を歌うことができるのです。[...]生徒の自主性とは何の関係もありません。』と書きます。それって、政治的プロパガンダとどう違うのでしょう。

教員には当然、国旗・国歌の指導義務』があると書きますが、「良心的行為の自由」についてはどう考えるのでしょう。そんなもの公僕には存在しませんか。

靖国神社に関しては、『戦没者慰霊の中心施設として、遺族をはじめ日本国民の崇拝を集めて』いる、靖国参拝は『遺族や国民が待ち望んでいる』と書きます。「遺族」の部分は正しいでしょうが、「国民」と書くのはいかがなものでしょう。少なくとも国民である私は、崇拝も待ち望んでもいませんが。

同じような論法は『靖国代替施設構想は遺族や多くの国民から批判』『どんな形で死んだにせよ、死者を必要以上にムチ打たないのが日本の伝統的な国民感情』などというすり替えを行っていきます。死者にムチなど打ちたくありませんが、罪については裁かれ罪を贖ってこそではないですか、単なる恩赦ではないでしょうに。それとも戦犯たちにも「受命の抗弁」が成立するのですか。

続いて首相の靖国参拝を意見とした福岡の判決について、『裁判官個人の政治的信条の吐露』でしかなく『独善的』『裁判を利用した一種の政治運動』と舌鋒鋭く批判しています。これは、「SAPIO」(小学館)に掲載されている小林よしのり氏の「新ゴーマニズム宣言」でも同様のことが書かれており、小林氏に至っては、私的なサヨク的見解を述べたに過ぎない『暴論』であると怒りをあらわにしています。(SAPIO 5/26号)

しかし、現段階では、福岡地裁の判決の背景がどのようなものであるにせよ、靖国参拝がグレーゾーンであることに変わりはないというのが私の実感です。

朝鮮人強制連行や慰安婦、南京大虐殺に至っては、もはや根も葉もないでっち上げとする主張なのですが、例えば、

  • 「朝鮮人強制連行」は、朝鮮総連系の学者の造語
  • 徴用は法律に基づく戦時勤労員動員であり、それを「強制連行」とはいわない
  • 日本の群や警察が強制連行したことを裏付ける資料は一点もない
  • 「従軍慰安婦」という言葉は戦後の造語
  • 創氏改名の「強制」も間違い、差別もなかった
  • 南京大虐殺の「40万人」は学問的に検証された数字ではない、荒唐無稽な数字
  • 南京の人口は日本軍の攻略後もほとんど変わっておらず、10万単位の虐殺などありえない
  • 「南京大虐殺」は戦後、米国経由で東京裁判に持ち込まれた

などなど、いろいろと列挙してくださいます。自虐史観から抜け出し、自国の歴史を問い直そうという態度には、何度も述べますが敬意を払いますし、「学問的に検証」しようとする努力にも頭が下がる思いです。

しかし、私はサヨクではありませんが、残念ながら産経の主張には全く論破されませんでした。

ああそうなんだ、以前のエントリーにトラックバックしてくれた、k-tanakaさんの言葉を思い出した。

藤田の指摘から産経のつまらない主張に立ち戻って考えれば

そうだ、つまらないのだ産経の主張は、そんな暇があれば藤田省三の著作でも紐解き、天皇制とか国家について内省した方がましであると、ようやくにして気付いたよ。

2004年5月22日土曜日

立川のビラ配りの件2


イラク自衛隊派遣に反対するビラを配った市民団体「立川自衛隊監視テント村」が住居侵入の罪に問われたことを以前書きましたが、5月11日にやっと八王子拘置所から保釈されたのですね。(22日 朝日新聞記事


これに対し朝日新聞は22日社説で『長期勾留――ビラ配りで75日とは』と題して『ただごとではない』と批判しています。




朝日は人権派新聞ですから


人権擁護団体のアムネスティ・インターナショナルは、3月半ば、「憲法や国際法で保障された表現の自由を侵害された」と、3人を「良心の囚人」と認定した。国内では初めてのことだ。

と書き、


同時に、違った考えや価値観を持つ人々を力で押さえ付けるような社会でいいのだろうか。民主主義を支える柱、司法の質が問われている。

というぐあいに、かように不当に拘留されたことを人権や権利について焦点を絞って論旨をまとめています。


しかし、朝日の論調からは彼らの思想的背景や日常の活動は浮かび上がってきません。「思想的背景」というのは、イラク人質事件でも一部のメディア話題にされ、私は複雑な思いを抱きましたが、ある判断をする上で両刃の刃のような側面を持つように思えます。すなわち個人の言動に横たわる思想信条に関し偏見を生むおそれもあり、慎重にならねばならないと思うのですが、それでも朝日新聞紙面からは彼らの活動が浮かび上がって来ないことは、朝日新聞というメディアの限界なのでしょうか。


従って、「ビラ配りだけ」で75日も拘束という異常事態に対して人権面のみからしか説明しない点には大いに不満があるのですが、一方で私個人としては、公安当局もやりすぎなのではないかという気もしており、最近の政府の動きと絡めると(例えばこういう)、そぞろ薄ら寒くなるのも事実で、引き続き公判の成り行きなど(仕事が爆発しなれば)興味があるところです。

2004年5月6日木曜日

クラクラする産経新聞


私は普段は新聞(ペーパー)はあまり真面目に読んでおりませんでして、大手新聞の社説とコラム、それに電子新聞サイトの主要記事だけをざっと眺めるという乱暴なことをしております。社説など滅多に読まない(読みたくない)という方は多いのですが、クラシックサイトの擬藤岡屋日記で『最近の「産経新聞」の主張(社説)は面白い。[...]面白すぎて、頭がクラクラする。というエントリーが目に止まりました。私もこの頃産経のオモシロさにクラクラしておりましたので。




もっとも私は産経批判をするほどに思想的でも知識が豊富でもありませんので気分や感想でしかないのですが、それでも5月2日の産経新聞の憲法改正に関する社説(主張)で


フジテレビ「報道2001」による二月二十六日調査は「改正すべきだ」が65%を示した。最近の各種世論調査はそろって改正派が多数を占め、国民の認識の深まりを反映している。


と書いているのを読むと、私の感覚は少数派意見なのかと思たりしてしまいます。産経新聞はサッカーW杯予選などで若者が日の丸や君が代を歌う様を『社会が成熟してきた証』とか書いたりもします。産経にしてみると、世の中の趨勢は産経にありというところなのでしょうが、どうしても私の感覚とずれているなあと。


では「憲法の矛盾を是正せず、自衛隊は廃止、天皇制も廃止し皇居は解放した公園にでもしたいのか」と問われると答えに窮することも確かで、ここらあたりが改憲派からは突け込まれる論理的弱さなのだと思います。


��月4日の朝日新聞社説は靖国神社の遊就館について書いていました。これは私も以前「意見箱」で書いたことがありますし、東京に居る間に一度は訪れてみたく思っている場所のひとつなのですが、朝日は以下のように書いていました。


戦争には相手があった。しかし、展示や説明には、あくまでも当時の日本から見た敵国への憎悪や世界の姿があるだけだ。戦争をする日本を世界がどう見たのかという客観的な視点は、およそうかがえない。ただひたすら戦地に散った日本人の心の尊さをたたえるのだ。


どちらがズレているのかは、やはりすぐには答えが出せません。今日は『サヨクを論破するための理論武装入門』というこれまたクラクラする題名につられて、『正論6月号』(産経新聞社)を購入してしまいましたよ。

2004年4月29日木曜日

「反日」


人質事件――「反日」とは何ですか』と題する4月28日の朝日新聞の社説です。


「人質の中には、自衛隊イラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府、反日的分子のために血税を用いることは、強烈な違和感、不快感をもたざるを得ない」

 自民党の柏村武昭参院議員が参院決算委員会の質問の中で、そう述べた。
��中略)

自衛隊の派遣に異を唱える者はみんな反日だ。そんな連中はどんな目にあっても、放っておけばいい。柏村氏の発言はそんなふうに聞こえる。

 「反日」とは、なんだろうか。



柏村氏は人質になったことを「反国家的」「利敵行為」とも述べた。まるで戦時体制のような言い方だった。


つらつら考えるに、時代の空気なのでしょうか。「非国民」という言葉だって、普通に使われるようになるのではないでしょうか。やっぱりオカシイと思いませんか、私は思います。自らが自由を少しずつ狭めているのは、日本という国の閉塞感と見えない圧迫感から来るのでしょうか。

2004年3月19日金曜日

Voiceの「目覚めよ自衛隊」を読んで


Voice 4月号(PHP研究所)が『目覚めよ、自衛隊』という特集記事を載せていましたので、面白そうなので買って読んでみました。

執筆は、中曽根康弘氏、田原総一朗氏をはじめ、拓殖大学教授の森本敏氏や同じく拓殖大学海外事情研究所の佐瀬昌盛氏などの『私の自衛隊改造計画』という私論、そして西尾幹ニ氏と志方俊之氏との『自衛隊は戦えるか』という対談、最後はハドソン研究所主席研究員の日高義樹氏の『外務省は自衛隊を見殺しにする』という記事まで、結構盛りだくさんです。

論調には多少の温度差はあるものの一律です。彼らの主張をかなり乱暴ですが意訳すると以下のようになりますでしょうか。

  • 日本には国防に関する意識が欠如している。
  • 冷戦時代とは世界の情勢が変わった。冷戦時代は安保の傘のもと憲法を持続させることが国益に適っていたが、現在は事態が変わった。
  • 日米安保は維持させるべきである。それは今でも核を持たない日本に対する抑止力となっている
  • 世界がテロとの戦いへと移行した以上、憲法九条ニ項は少なくとも変えるべきである。
  • 現行憲法であっても自衛隊の集団的自衛権は認められていると考えるべきである。独立国である以上、集団的自衛権を持つのは当然である。
  • 集団的自衛権に関する日本政府の見解は、昭和30年2月29日の衆議院内閣委員会における鳩山一郎総理大臣の答弁から変わることはない。すなわち集団的自衛権につては現行憲法下でも既に30年前から認める考えを集団的自衛権の行使は当然のことである。
  • 自衛権の行使を認めない、自衛隊を専守防衛に限定するのは自虐的歴史観に基づいている、あるいはアメリカのいう「ビンの蓋」理論に他ならない。
  • 自衛隊は軍隊ではないため、軍法などが整備されていない。国際貢献として海外に派遣されても自分の安全も確保できないばかりか、行動に制限が多く十分な貢献活動が果たせない。
  • 自衛隊を派遣するたびに法律を作るという状況はおかしい、防衛基本法の整備がぜひとも不可欠である。<
  • 日本にとっての脅威は明らかに北朝鮮であり、あるいは中国と台湾の紛争の結果も懸念しなくてはならない。国益とともに国際関係の中での情報収集など強化してゆくべきである。
  • 外交カードとして「戦争」も最終手段としてありうると国外に示すことは重要なプレッシャーである。

読めばそれなりに妥当性を感じます、国際関係がきれい事の外交や理想論的な平和主義では立ち行かないことは、さすがに分かります。国防なくして国家が成り立つかと強く言われれば答えに窮しますし、君は身の危険が迫ったら座して死を待つのか、家族が危機に瀕したら立ち向かわないのか、と問われればこれも、立ち向かわないとはいえないでしょう。

絶対正義の戦争などこの世にあるのでしょうか、あるいはあったのでしょうか。本雑誌の「ボイス往来」という読者欄で、80歳の男性が「(イラク戦争は)古今往来、洋の東西を問わず、人類史上でこれこそが100%の正義の戦いであったと断言できる戦争」と言っているのを薄ら寒く感じます。

しかしです。彼らからごっそりと抜け落ちているのは、最終的に戦争を覚悟するということは、戦地で殺し合いをするのだという皮膚感覚です。湾岸戦争からアメリカは精密兵器を使ったピンポイント攻撃を全面に打ち出し、従来のドンパチ型の戦争とは質が変化したことをアピールしています。中曽根氏も近代兵器をもっと充実させるべきだと説きますし、西尾、志方両氏はもっと民間技術を活用して軍事利用せよ(新型兵器を作れ)と主張しています。

ここでも抜け落ちているのは、ピンポイント爆弾の下に居る者たち、ピンポイント爆弾のボタンあるいはレバーを押すものたちの肉体と意識です。アフガニスタンでも大量に投下されたレーザー誘導弾GBU28(バンカーバスター)、燃料気化爆弾BLU82(ディジーカッター)、クラスター爆弾などなど。その下には軍事施設の鉄とコンクリートだけではなく、生身の人間も居るわけです。

現在の自衛隊の武器使用は警察官職務執行法に準じているため、軍隊としての武器使用ができないと論客の方々は口を揃えますが、ここでもそうです。危険が迫ったら、自らの機関銃で相手を掃射せよと言っているわけですよね。

Voiceの執筆人の方々は、決して「好戦論者」ではなく、戦争と平和とどちらが良いかと問われれば間違いなく平和維持と答えるでしょう。外交と国防に関する考え方は、結局国益と国家というところに行き着くようですが、ここに平和主義者とは絶対に相容れない溝があるように思えてきました。


2002年12月30日月曜日

【風見鶏】「自衛隊の統制者は誰か」

12.30 朝日新聞社説

朝日新聞の社説で知ったのだが、「防衛庁の統合幕僚会議が自衛隊の縦割り運用の弊害をなくすことをめざした改革案をまとめた」らしい。3自衛隊をとりまとめる制服組の最高指揮官となる統合幕僚長(仮称)を設け防衛庁長官の命令を一元的に受けるのだとか。

これに対し朝日新聞は「憲法に沿って、自衛隊が役割を広げることを支持したい」という主張をしている。国会の役割や情報の公開を充分に行った上でと条件をつけてはいるが、昨今のテロや世界情勢を鑑みて、自衛隊を「使える自衛隊」とする措置が必要としているわけだ。

そうか「天下の朝日」も、結局はなし崩し的防衛力整備、有事関連法案に賛成しているというわけか。私だって北朝鮮の脅威などを見てしまうと、あるいは中国や韓国の動向を考えると、防衛力の曖昧な主権国家というものが成立するのかという疑問にぶち当たってしまう。

しかし、世の中の政治家には「拉致被害者は軍隊を派遣してでも取り戻す」と声高々に主張する輩もいらっしゃる。「(自衛隊や派遣問題につては)現在の憲法のもとでは、詭弁に詭弁を重ねてきているわけです」と大学で学生相手に講演なさる政府高官もいらっしゃる。そういう方々には賛同できないんですよ。

なし崩しは困ります。知らないうちに、マスコミをはじめ世論を防衛力強化に導くようなこともやめてもらいたい。幼稚な言葉遊びに近い議論ではなくて、あるいはアレルギー反応のような反戦、改憲反対論でもなく、主権国家としてのありかたを考える必要があるのぢゃないでしょうか。

それにしても「憲法に沿って~支持したい」ですか。もはや、憲法精神の砦が脆くも瓦解していることを改めて気付かされる年末でした。



HIYORIみどり 「でも、世界第三位の防衛予算を使っている自衛隊が、命令系統がはっきりしないばかりに役に立たないぢゃあ、目も当てられないわよね」

KAZAみどり 「なんともいびつな国よね。防衛論争をする以前に、主権国家としての意思、世界の中での日本の立場、昨今の世界的な覇権主義争いに対する日本の戦略や哲学、そういうものが欠けていると思うわ。やっぱりアメリカの子分
なわけかと・・・」

HIYORIみどり 「いくら大義を掲げても戦争では人が死んでゆくわ」

KAZAみどり 「イラクの飛行禁止区域では相変わらず米英が空爆を続けているようね。民間の人も巻き添えになっているわ。たまたま通りかかった人が、上空彼方からのミサイルで吹き飛ばされる・・・、何とも理不尽だわ。」
HIYORIみどり 「10月からはじめた新聞ウォッチだけど、明るい話題はほとんどなかったわね」


2002年12月6日金曜日

【風見鶏】イージス艦の派遣決定で分かれる新聞社説

イージス艦をインド洋に派遣することが決定された。これを受けて反対派の朝日、毎日、賛成派の産経、日経に意見は分かれた(読売は捕捉できず)。


朝日新聞  「イージス艦――これは納得できない 」 ~ これではなぜいま転換なのかの十分な説明にはなっていない(本文より)

毎日新聞  「イージス艦 派遣するならルールを守れ」 ~ イージス艦派遣を決めたことは、禍根を残す(本文より)

産経新聞  「むしろ遅きに失した決定 【イージス艦派遣】」 ~ テロ掃討作戦の米国を、憲法の範囲いっぱいまで支援するのは同盟国としてのいわば義務(本文より)

日本経済新聞  「1年遅れたイージス艦派遣」 ~ 海上自衛隊補給艦の安全を考えれば、高性能護衛艦を配備するのは当然(本文より)


各新聞サイトは無断転載を著作権法違反だといっているが、面倒なので四誌の全文をコピーした(→こちら)。各誌がどういう論調であるのかを覚えておいて損はない。産経、日経は日米安保条約を前提とし同盟国としての当然の義務であると結論付けている。



HIYORIみどり 「で、あなたはどう思っているの?」

KAZAみどり 「米国とイラクの緊張が極限になる前に派遣というタイミングは絶妙だと思うわ。石破長官はそもそも派遣を一刻も早く実現したかたのでしょうし。」

HIYORIみどり 「集団的自衛権とか周辺事態とか難しいんですけど・・・」

KAZAみどり 「言葉遊びや防衛アレルギー反応はやめて、平時の有事法制をまじめに考えるべきね。力のない平和なんてありえないわ」