2007年8月27日月曜日

残暑をガッティがらみの2枚を聴いてしのぐ

今年の夏は北海道も猛暑でした。本州と変わらないような34度とかの気温に流石にぐったりです。それでも8月中旬になると、めっきりと気温も落ち着いてきて北海道らしく涼しくなったものです。しかし東京に戻ってみると相変わらず30度以上の残暑、結構バテます。

夏休み中はほとんど音楽も聴かず、ぼんやりと無為に過ごしてしまいました。昨日は残暑の中、用あってN区方面を3時間ほどウロウロ。今日は太陽の下に一歩も出る気もせず、部屋の片づけをしたり、本を読んだり、昼寝をしたり、購入しておいた盤をかけたりと、のんびり過ごしました。


CORELLI SONATA DA CHIESA,SONATE POSTUME
Ensemble Aurora, direction & violon Enrico Gatti
A402 - 3464858024026

これはたまたまHMVで見つけて購入しておいたもの。コレッリの教会ソナタなどが納められています。アンサンブル・アウロラとガッティの美音を堪能できますね。

◇  marco beasley,guido morini/il settecento napoletano
Marco BEASLEY Voice,Guido MORINI Harpsichord and musical direction,GATTI Enrico Violin,CROCE Rossella Violin,COMBS Claudia Violin,BECKER Judith M. Cello,ROCCO Stefano Guitar & archslute,PAVAN Franco Theorbo
CYP1649

《ナポリの18世紀-アレッサンドロ・スカルラッティとその時代~カンタータとソナタの世界》と題されたアルバム。こちらもHMVで、ガッティの名前に惹かれて買ったのですが、メインはマルコ・ビズリー。これは明るい、軽い、羽ばたくような歌声にガッティの美音の滴り!ひたすらに!ああ、何て聴いていて気持ちいいんでしょう、しかしイタリア人て奴らは!こういう乾いた暑さ、日本の湿度の多い夏ではなく。

カレル・ヴァン・ウォルフレン:日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり

『日本 権力構造の謎』や『人間を幸福にしない日本というシステム』などの名著で知られるウォルフレンの近著です。

冷戦終結後、アメリカによる世界支配が強まったと日本人は考えているが、そんなことはない。むしろアジアや欧州各国はアメリカから距離を置き始めているし、アメリカの主張してきたグローバリズムだって幻想であったのだよとウォルフレンは主張します。

彼にかかると『フラット化する世界』や『レクサスとオリーブの木』を書いたトマス・フリードマン氏はこの人物の視点はジャーナリストというより、億万長者のものだと評した方が正しい(P.91)となり、ピーター・ドラッカーについては彼がセレブリティであったから日本でベストセラーになったのだと断じます。セレブリティとは一般大衆の大多数が名前を認識できる人々のことであり、広く知られているから有名なのだと説きます。そのセレブリティ文化の中には9.11後にベストセラーとなったフクヤマやハンチントンも含まれます。

つまり、われわれが聞かされる誤った物語を助長する思想というのは、必ずしもわれわれが耳を傾ける必要はない、ただ単にメディアによって生み出された奇妙なセレブリティ文化によって世界的な読者を獲得した人物たちによって創られるということなのである。(P.38)

アメリカなどが進めたグローバリズムとかネオリベラリズムというのは、かつて、より安い労働力を求めて発展途上国の安い労働力を利用して先進国が育ったように、資本的にも投資的にも障壁をなくして、再びアジアやアフリカなどを搾取している構図(侵略的資本主義)に他ならないのだと説きます。

こう書くと、実も蓋もありませんし、陳腐な話題に響くかもしれません。あるいは、本書の内容に違和感を覚える人も居るでしょう。それにしても、彼が言う「間違った物語」について、同調したり反論するメディアは殆ど見られないということ。そもそも「物語の存在」さえ俎上に上らないということこそ、日本では問題なのではないかと常々思っています。

本書の投げかけているテーマは、実際は上に要約したような単純なものでは到底なく、自分的には消化しきれていません。しかし、「アメリカ支配」をどう脱するか、世界とどう日本が向き合うか、ということは古くてしかも極めて現代的にして重要な政治テーマであると思います。

2007年8月26日日曜日

福岡伸一:生物と無生物のあいだ

話題の本らしく、新聞の書評でも絶賛しています。暇な週末でしたので買って読んでみました。噂に違わず面白く、生物学の研究の場に立ち会うような興奮があって一気に読めてしまいます。それでも感想はといえば、amazonの皆さんが書かれている様に、肯定半分、落胆半分といったところでしょうか。

皆さんが褒めているように、確かに福岡さんは文章が旨い。科学的観察には一見似つかわしくない叙情的かつ詩情とノルタルジーさえ感じます。ですから、本書の一番素晴らしいのは実はプロローグとエピローグであったりします。特にエピローグに描かれた福岡氏の少年時代の体験談は圧巻で、そこには生物と時間をいとおしむ、限りなく静かな眼差しがあり、生物学者 福岡伸一の原点が述べられています。

そうなんですね、本書は福岡伸一氏の生物学に対する探求譚なんです。いわゆる先端科学の解説本というには食い足りません。「生物と無生物」の違いに関する説明も用意されているものの、もっと深い最先端の話題を期待して読む人は、大いに肩透かしを食らうことでしょう。

一方で本書を生物学に取り組んだ科学者たちの物語という読み方もできるかもしれません。おそらく福岡氏はサイモン・シンの「フェルマーの最終定理」や「暗号解読」などを意識して本書を書いたかもしれません。でも、残念ながら、シン程のワクワク感にまでは達していないんですね。

それは、おそらくは、生物学者「福岡伸一」という細胞皮膜を破ることなく、生化学という外部をあたかも膵臓細胞の小胞体が外部を内部に取り込んだように書いたことによるのでしょう。結局は生化学の物語ではなく、福岡氏の物語なのです。ラストの数章が自らの膵臓細胞研究を巡る記述になってしまったのも、全体のコンテキストから考えると違和感を禁じ得ません。ある意味において極めて私的な本と感じたのも、それ故です。もっとも、福岡氏の研究の概要を示すことをリアリティと受け取るか、あるいはテーマの矮小化と捉えるかは人それぞれだとは思います。

それにしても、ここまで鮮やかに理系と文系の両刀を使いながらサイエンスものを書く力量があるのならば、福岡氏の他の本も読んでみたいという気にはさせてくれます。

それにしても、不確定性原理を発表したシュレーティンガーの「原始はなぜそんなに小さいのか」という問いかけ。生物や無生物の構成物質が原子や分子であるとして、それらの振る舞いが確率論的にしか定まらないということ。そのような不確定な粒子あるいは波動から物質が成立しているということ。分子レベルでは、生物は数日のうちに全く入れ替わってしまうということ。

今更の知識ではあるものの、やはり改めて考えると不思議以外のなにものでもない。いかにして秩序は造られたのか・・・。

2007年8月11日土曜日

ピカソの絵が戻る!

盗まれた絵があれば、取り戻した絵もあるということで。取り戻されたのは、ピカソの孫娘宅から盗まれていた油絵2点、デッサン1点。総額80億円なのだそうです。(AFPBB News)

仏警察内の芸術品盗難を専門とするOCBCに美術関係者から通報があったことで、今回の逮捕につながった。また、重要犯罪を扱う内務省の特別捜査チームBRBも捜査に協力した。

少しGoogle Newsで検索してみました。

‘Portrait of Jacqueline’, painted by Picasso in 1961 and ‘Maya with Doll’ which depicts the owner’s mother

今回の犯人達は、ある筋からの情報により、追跡されていたのですとか。Telegraph.co.ukによりますと、犯人達は(絵画を納める)プラスチック・チューブを背中に括りつけていたらしいのですが、姿格好からバレてしまったらしいですね。

As they looked like anything but Beaux-Arts students, we nabbed them straight away.

もうちょっとそれらしい、格好をしていれば良かったものを(苦笑)。

作品は良好な状態で発見されたと当初報道されましたが、今日になってうち、「ジャクリーヌ」には明らかに破損が確認できると変化しています(AFPBB News)。写真を見ると折れ曲がっていますね(;_;)

召AFP Eric Fefferberg

、筅ヲー捏elegraph.co.ukから拾ってみましょう。

The two paintings were indeed in the tubes, but the dimwits had rolled them so tightly that they had made the painted surface crack,

と書かれています。ABC NEWSによると、

The Portrait of Jacqueline has been slightly marked, but should be easy to restore.

Maya with Doll, however, suffered some cracks and shows signs of being roughly removed from its frame.

ということらしいです。AFPBBと報道内容が微妙に違っているのが気になります。警察当局はprofessional dealers in stolen goodsと称していますが、本当にプロ集団なんでしょうか。BRBのLoic Garnier氏が言うように、

This wasn't an amateurs' job, but I can tell these people were not art lovers."

というのは本当でしょう。OCBCのBernard Darties氏が以下のように嘆くのも頷けます・・・。

It is a sign of ignorance and stupidity to do such damage to works of art - these are unique pieces

まあ、無事戻っただけ良しとすべきか。絵に保険は入っていなかったようですが。さてさて、モネやシスレーは何時戻るでしょうか!

2007年8月10日金曜日

柳原慧:いかさま師


毎度楽しみに読んでおります《弐代目・青い日記帳》で紹介されていた柳原慧氏の「いかさま師」を読んでみました(→http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1087)。

柳原氏は第2回『このミス』大賞受賞作家です。読むのは初めてですが、人物造形、ストーリーを含めて、あまり私の好みではありませんでした。内容に関する言及はミステリーですからいたしません。それよりも面白かったのは、彼の着眼点であるラ・トゥールにまつわる記述でしょうか。

(ラ・トゥールの)市民からの評判は極めて悪く、税金の徴収に来た役人の尻を蹴飛ばしたり、召使に豚を盗ませたりと、清廉な絵からは想像もつかない、俗っぽい人物像が、まことしやかに語り伝えられている。(P.72)


人間の持つ二面性、欲望と騙しあい、あるいはサバイバル戦略。ここら当たりが小説のテーマにもなっているようです。

私は高校時代(かれこれ30年前?)は美術部に所属していましたので、学校の図書館にあった美術全集などはひととおり眺めていました。ですからラ・トゥールについても独特の画風で印象(→Wikipedia)で摺り込まれていました。それでも、他の画家ほどに魅力的に感じなかったのは、陰影に富んだ独特の画風が、ひとつのパターンに陥っているように思えたせいでしょうか。それこそダリの言うようにただの「ろうそくの画家」という意味で。

「いかさま師」(→Wikipedia)や「女占い師」という作品の存在にまでは気づかなかったのですね。いや、目にはしていましたが、そういう風俗画に興味が向かなかったのでしょうね。ラ・トゥールは2005年に東京で大々的な展覧会が開催されました。私は残念ながら!見逃してしまいました。ただの「ろうそくの画家」という認識の中にありましたので、積極的に食指が伸びなかったのです。今思えば残念なことをしたものです。

柳原氏がラ・トゥールの二面性を題材に、主人公やその人生の光と影、二面性を織り交ぜたという点においては極めて秀逸なミステリーに仕上がっていると思います。美術界や贋作に関する話題も非常に意表をついていてナイスです。柳原氏は日本大学芸術学部のご出身ですから、こういった着眼点の確かさを感じます。

ただ、最初に書いたように、人物造詣などには堀の深さが認められず、ちょっとプロットに走りすぎている気はしました。

2007年8月8日水曜日

またしても、名画盗難!!

弐代目・青い日記帳によりますと(→http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1099)、フランスのニースにあるジュール・シュレ美術館から、モネ、シスレー、ブリューゲル(父)の作品が白昼堂々盗まれたらしく。



Googleで海外の新聞をいくつか検索してみましたが(>英語、読めないけど)、経過は上のごとくで、まだその後の記事は出ていないようです。この美術館からモネやシスレーがこの美術館から盗まれたのはこれが初めてではないとか。


美術館の防犯について疑義を呈する論調もありますが、覆面ガンマンが「伏せろ」って言えば、フツー伏せちゃうよね(;_;)


ネット上では盗品4点のうちモネの絵の画像が多いようだけど、作品としては少しボーっとした印象。ブリューゲル(父)の絵は、対になった寓話のようですね。シスレーの画像を掲載している記事は少ないのですが、いかにもシスレーらしい明るい絵、素直に幸せになれますね。


takさんも引用されているように、Guardian(by Kim Willsher)によれば、


Investigators believe the paintings, described as of "inestimable value" by the museum, were almost certainly stolen by "special order" and destined for a private collection as they are far too well known to be sold on the open market.


なんだそうで。この"special order"とか"private collection"というのに、一般人は非常に興味をそそられますが、そんなミスターXなんて存在しないと言い張る人も居ます(→『ムンクを追え』)。


International Herald Tribune(AP)によると、モネは最も盗難にあっている画家であり、盗品データベースでは53がリストアップされているそうな。更に、盗難の規模はFBIの推定によれば、


the market for stolen art at US$6 billion (€4.7 billion) annually. The Art Loss Register has tallied up 170,000 pieces of stolen, missing and looted art and valuables.

なのですとか!! まあ、絵の価値なんて、なんだかわけの分からないものを相手にしての金額ですが、それにしてもイヤハヤ。


盗難の理由はなんであれ、あのムンクだって2年経って発見されたのですから、今回も見つかることを祈るばかりです。


最近、これもtakさんのところで紹介のあった柳原 慧の「いかさま師」を読んでいたもので・・・反応してしまいましたが、美術の裏社会は深く暗く興味深いですね。

2007年8月6日月曜日

[NML]ヴィヴァルディ RV626、RV 601

NMLにヴィヴァルディのRV 626とRV 601があったので聴いてみました(CHAN0714X



演奏のPurcell Quartetは1983年に設立されたイギリスの古楽楽団。50以上のレコーディングがあり、幅広いレパートリーで活躍しているようです。1998年にはモンティヴェルディの最後のオペラ"L’Incoronazione di Poppea"で来日し、その後も10年近く日本とは深い関係にあるようです。いずれにしても実力派団体(→Bach Cantatas Website)。


Catherine Bottは1952年英国生まれのソプラノ歌手。彼女もシドニーのAustralian Brandenburg Orchestraを伴ってヘンデルのアリアの日本公演を果たしているらしく。古楽分野を中心にフォーレやヴォーン・ウィリアムスなどの作品でも活躍のご様子。


NMLのラインナップでもCHANDOSの録音を結構聴くことができるようです。(→Bach Cantatas Website)(写真はHyperionより


で、演奏ですが、先に聴いたピオーとはやはり全然違う。こうして聴いてみると、naiveエディションはかなり扇情的とも言える危険なバロックであると改めて思います。RV 626の一曲目を聴いて金縛りにあうこともなければ、RV 601で絶賛した'A solis ortu usque ad occasum'も美しい曲ではありますが、陶然とするほどではない。逆にブロック・フルーテ(Stephen Preston)との'Gloria Patri et Filio et Spiritui sancto'もピオーとは趣は違いますが、これはこれで絶品でしょうか。ラストの'Amen'も神々しいくらい素晴らしい。最初は何だか「もったり」した印象だと思ったのですが、繰り返し聴いていると、この演奏も気に入りましたよ。


ピオーとボットの表現の違いとともに、やはり伴奏、すなわち音楽の指向性の画然とした違いが大きいかもしれません。しかし、モテットとか詩篇というような教会音楽には、このくらいの落ち着きと大人しさが相応しいかもしれません、聴くたびに心を乱されてはかないませんからね。

2007年8月5日日曜日

Vivaldi In furore,Laudate pueri e concerti sacri

  1. モテット『正しい怒りの激しさに』 RV626
  2. シンフォニア ロ短調 『聖なる墓にて』 RV169
  3. 詩篇『主の僕たちよ、主を讃えよ』 RV601
  4. ヴァイオリンとオルガンのための協奏曲 ニ短調 RV541
  5. ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 『聖ロレンツォの祝日のために』 RV286
  • サンドリーヌ・ピオー(S)
  • アカデミア・ビザンチーナ オッターヴィオ・ダントーネ(cond)
  • naive op 30416

一年ほど前に、古楽系ブログで話題になった盤で、今更の感もありますが、聴いてみて感じたことを簡単に書いておきましょう。声楽を伴わない器楽曲も納められていますが、やはり聴くべきはサンドリーヌ・ピオーの歌声です。

  • 『はた迷惑な微罪』 2006.07.20 ~まさに激しさと、華麗さで、これぞイタリア・バロックの醍醐味
  • #Credo 2006.07.23 ~ヴィヴァルディらしい激情型の音楽でカッコよくて聴き応え十分です。ほとんどコロラトゥーラ・ソプラノ@夜の女王みたいじゃない
  • ロマンティク・エ・レヴォリュショネル 2006.07.27 ~CD屋で試聴して、一瞬で身が凍りつきました。
  • ぶらぶら、巡り歩き 2006.9.04 ~宗教曲がこんなにも劇的なものだったのか
  • Takuya in Tokyo 2006.9.10 ~特に付け加えることもありません。 素晴らしいの一言です。

激しいばかりがビバルディではありません。刺激だけなだけが現代バロックでもありません。厳かにして幽玄な部分の信じられない程の美しさと静謐さ、そして神聖さ。この俗と聖の両極端に足を踏み入れ、聴くものの心情をこれでもかというくらいにかき乱す。ヴィヴァルディの多様さと表現力の幅の広さを思い知る一枚です。

まずはRV626モテット『正しい怒りの激しさに』から3曲。

冒頭のアリアからして、度肝を抜かれ、鳥肌ものです。伴奏はスピーディーでキレが良く現代的な演奏。それにピオーの超絶的な歌声が、神聖にして厳かに、それでいて驚くほどの透明性と軽やかさを兼ね備えて飛び回ります。ほとんど奇跡の歌声。繰り返されるヴィルトオーゾ的な部分と中間部の美しさの対比の見事さ。この1曲だけでもはや脱帽。

��曲目は一転して、オルガンに乗った厳かな短いレチタティヴォ。そして、いかにも、そういかにもビバルティ的な弦の伴奏に導かれて'Tunc meus fletus'(Then my tears will be turned to joy)が唄われます。まさにsorrowfulとかpatheticとしか表現しようのない唄は、ソプラノのハイキーがはかなげで、そしてその敬虔さに涙をさそいます。

悲嘆と望みは、'Alleluia'で解放されます。メリスマティックな技巧も、ほとんど聴いていて口があんぐりな状態です。この歌声の軽やときたらどうでしょう。突然にソプラノの限界とも思えるキーがポンと出てきて、最後は軽くスパイラルアップ!敬虔にして耽美で快楽的。聴いていて背中に汗が流れてしまいます。kimataさんが18世紀前半の夜の女王と書いていましたが、まさにです。

続いてはRV601詩篇『主の僕たちよ、主を讃えよ』。

'Laudate pueri'(Prise the Lord)は、Allegro non moltoながら、上下する音符、惜しげもなく使われる高音、そして、長調が表現する喜びと明るさに満ちた、聴くだけで幸福になれる曲。

それにしても、3曲目の'A solis ortu'(From the rising of the sun to the going down of the same...)の美しさときたらどうでしょう。昇る太陽を象徴するかのように静かに刻まれる弦にのって、どこまでも伸びやかなピオーの歌声が被ってきたときには、ほとんど奇跡のような・・・と書くのが陳腐すぎるくらい。最初のロングトーンの美しさだけで確実に泣けます。体中に喜びと幸福が溢れます。最後の高音では脳内ホワイトアウトです。激しい曲もいいのですが、私はこの曲が文句なしにイチ押しです。

シリチアーナのリズムに乗った'Excelsus super omnes'は厳かな祈りか。雰囲気が変わっての'Suscitans a terra'は、ザクザクとした弦の軽快な伴奏にピオーのソプラノが勢い良く歌われます。カンタービレとビルトオージック部分が交互に歌われ、至福の時間もあっという間。

'Gloria parti'はフラウト・トラヴェルソの音色が印象的。モダン・フルートとは明らかに違う暖かな音色は、包み込むようで、ピオーの歌声もトラヴェルソと対話するかのように、しっとりと歌われます。

最後は明るく'Amen'です。中間部のAmenと歌うメリスマティックな技巧の凄まじさよ。波状攻撃の高音、限界までスパイラルアップする吹き上がりとヌケの良さ!まさにヴィヴァルディの面目躍如と言った曲。最後にこれを聴くと、ああヴィヴァ聴いたなあと大満足です。

2007年8月4日土曜日

映画:魔笛

ケネス・ブラナー監督の映画「魔笛」を、新宿テアトルタイムズスクエアで観てきました。「魔笛」が映画でどのように変化させられているのか興味ありましたし、いちおうクラファンを装っていますから・・・。

しかし、私が良く訪れるクラ・サイトではいまひとつ評判は芳しくない。

  • Takuya in Tokyo~正直結構退屈でした。(中略)モーツァルトで一番大事なのって、「ラブ&ピース」っていう「結論」では必ずしもない気がするんですね。
  • ロマンティク・エ・レヴォリュショネル~「なるほど」と感心した面と、「何だかな」と思った面と、半々といったところ。
  • オジ・ファン・トゥッテ♪~最終的には「愛と平和」に落ち着いてしまうという平凡な結末に不満も感じますが(中略)舞台表現の限界を超えています

といった具合です。私はDVD含めて「魔笛」舞台映像に接したことはありませんから、オペラ演出と比べて云々というとは全く語れません。それでも、これって、モーツァルトの音楽かなあと観ながらにして思ったことは確か、歌詞も英語ですし。

舞台が第一次世界大戦とパンフなどに唄われていますが、それは本当の世界大戦ではなく、対立する二つの集団の武器や衣装などをその時代から借用した程度の使われ方。戦車も飛行機もオモチャのよう。これには全く予想を裏切られます。まあしかし戦争映画を観たかったわけではありませんから、それもいいでしょう。

シカネーダによる台本の捩れは、映画でもそのままではあります。それでも原作以上に善と悪、暗と明、夜と昼、戦争と平和、対立と愛みたいな構図がひどくキッパリと区分されすぎていて、不可解な矛盾までは表現されていません。「魔笛」の一番の肝の部分が換骨脱退されているような・・・。愛だとか平和のようなテーマとモーツァルトというのも、少し馴染みません。モーツァルトってもっと、欲望と人間くささに満ちていますからね。

音楽も聴いていて、ちょっと疲れますね。台詞がほとんどなく、ひたすらにアリアが続きます。それが映画館の誇張されだドルビー音響で鳴らされるので、ちっとも心地よくありません。

ぢゃあ、観て失敗だったかと言うと、まあ、そうでもないかなと。音楽が元になった映像イマジネーションという点では、なかなか面白いと思いましたよ。それらを列記すると・・・

  • 序曲が始まり明るい太陽とまぶしいばかりの草原で繰り広げられる、戦闘シーン。クラシック音楽と戦争シーンてどうしてこんなに合うのでしょう。
  • タミーノが塹壕のなかで突然歌いだすのには、ビックリ。おお!これはミュージカルであったかア!!(>私はミュージカルは苦手であります。サブイボが出ます)
  • 夜の闇中、看護婦姿(?)三人の侍女が空から登場!「私が見張っている」の部分で、自らの衣装をむしりとってバストアップされた胸を強調するシーン!にドキィ!!
  • 夜の女王(リューボフ・ペトロヴァ)が戦車に乗って登場!!「怖がらなくてもいいのです」って、怖いよ!!小林幸子か?
  • 夜の女王の第一幕のかの有名なアリアのシーンの凄さ!画面左に鼻から口の横顔がドアップ、パクパクする口から菱型戦車MkIVらしきものが(→参考)蟲のようにゾロゾロと!!
  • ザラストロの衣装が作業服みたいなのは何故? 某独裁国家の独裁者のイミテーション??
  • またしても夜の女王の第二幕の復讐のアリア、今度は空を飛ぶ!それも、空気を一杯に入れた風船のように物凄いスピードで!!これを笑わずに観ることを耐えられましょうか!!このアリアを聴くたびに、このシーンを思い出してしまうかも・・・
  • ポスターにもなっている、第二幕のパパゲーノのアリアのシーン(右)の美しさと至福さ!カラフルな鳥のような衣装を着た女性たちが空から、すうっと降りてくるんですから。そしてその後の、バカバカしいまでにでかい唇。まるでB級ドタバタ劇のようなノリ>笑えねー(^^;;
  • パパゲーノがパパゲーナをゲットして「子供を作ろう!」って二人して寝床を用意しているのに、三人の童子があどけない顔で横に居てはイケマセん!
  • 終幕の一つ前、夜の女王、三人の侍女、モノスタートスが最後の登場をするところ。垂直に近い城壁みたいなところを、フリークライミングしている! そして、嗚呼・・・! なんだか、遠いムカシの「ひょうきん族」を思い出したり・・・

という具合にツッコミところ満載です。基本的には感動の物語というよりも喜劇ですかね。役柄的には、ザラストロ(ルネ・パーペ)が立派過ぎるので、こちらはあんまり突っ込めない。タミーノとパミーナも、そっとしておいてあげましょう。

  • 音楽監督・指揮:ジェイムズ・コンロン/ヨーロッパ室内管弦楽団
  • タミーノ:ジョセフ・カイザー
  • パミーナ:エイミー・カーソン
  • パパゲーノ:ベン・デイヴィス
  • パパゲーナ:シルヴィア・モイ
  • 夜の女王:リューボフ・ペトロヴァ
  • ザラストロ:ルネ・パーペ
  • モノスタトス:トム・ランドル
  • 三人の侍女:テゥタ・コッコ、ルイーズ・カリナン、キム=マリー・ウッドハウス