2020年8月録音、2021年6月発売の本盤は、1981年から85年に録音されたものの再録音になります。あれから40年の年月が経っているのですね。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
2021年12月7日火曜日
2021年6月2日水曜日
クルレンツィスのベートーヴェン交響曲第7番は期待外れか
満を持して発売になったクルレンツィスのベートーヴェン交響曲第7番です。衝撃とも言える第5番が出たのが2020年、次は7番と聞かされて、ファンとしては相当に待ち遠しかったのではないでしょうか、録音は5番と同様に2018年です。

https://music.apple.com/jp/album/beethoven-symphony-no-7-in-a-major-op-92/1553729421
出だしからマッシブな音を聴かせてくれます、テンポは中庸といったところでしょうか。
全体を通して、よくまとまっているとは思うものの、一聴した感想としても、Amazonのレビュウを読みましても、どうも中途半端感が否めません。この曲に求める興奮と高揚が少ないというのが、その理由です。
2021年5月27日木曜日
ベートーヴェン1802年ハイリゲンシュタットというアルバム
ベートーヴェン 1802年といえば、彼のの死後(1827年3月)すぐに、伝記作家シンドラーらによって発見された、ハイリゲンシュタットの遺書が書かれた年です。
ベートーヴェンは、以前から難聴の兆しに悩まされ、一時は自殺まで考えたものの、この遺書では、その苦悩を乗り越えたことが伺えるものになっています。

https://music.apple.com/jp/album/beethoven-1802-heiligenstadt/1560814813
2021年4月7日水曜日
2021年2月19日金曜日
【音盤】 Florent Boffard でベートーベン からベルク、シェーンベルクのピアノ曲を聴く
フローレン・ボファール(Florent Boffard)の新盤を聴いてみました。
- ベートーベン:ピアノ・ソナタ第23番へ町長 Op.57「熱情」
- ベルク:ピアノ・ソナタ Op.1 ロ短調
- ブーレーズ:ピアノ・ソナタ 第3番
2021年1月10日日曜日
【音盤】ロバート・トレヴィノ/マルメ交響楽団 ベートーベン交響全集
2020年10月3日土曜日
【音盤】レ・シエクルのベートーヴェンとゴセック
Classica Japanの飯尾さんのブログより。
(ゴセックが)ベートーヴェンと共通するのは、カッコよさとダサさの共存。ただし、カッコよさとダサさの天秤でベートーヴェンは前者に傾くけど、ゴセックは後者に傾いていて、終楽章の元気いっぱいのエンディングで少し笑いが残る。そこがチャーミング。もし彼らと同時代に生きていて、両者を一度聴いただけで、片方は何百年後も全世界で演奏され片方はほとんど演奏されないなどと予測できるかといえば、できないと思う。
上手い言い方です、確かにと静かに首肯してしまいました(笑
確かに笑!#ロト 指揮 #レ・シエクル の新譜、ベートーヴェン&ゴセック https://t.co/suZY4dvDSx
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) October 3, 2020
2020年4月7日火曜日
2019年3月31日日曜日
【音盤】ポゴレリチをApple Musicで、初期の録音から聴きなおしてた
ポゴレリチをApple Musicで、初期の録音から聴きなおしてみました。
改めて、彼の天才性が確認できましたね。
この方のレビュウは興味深い。確かに彼の演奏は入りも驚き、どこかズレているのだけと、そこが微妙すぎる。https://t.co/CwRiw70Lkc
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) February 19, 2019
知っているハズの曲が、全然違う曲のように聞こえるという不思議さ。強弱の激しすぎさ。まともには聴いていられない演奏。
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) February 20, 2019
そう思って聴いていたら、こんな評も見つかった。1981年当時の #吉田秀和 さんの評の引用とか。https://t.co/3dts5vU7UY
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) February 20, 2019
圧倒的に美しい第ニ楽章に圧巻の終楽章。ラストのピアノ旋律の上昇には戦慄さえ覚えるよ、シャレでなく。久々にチャイコ聴いたなー。何年ぶりだろ、みたいな。
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) February 21, 2019
若き #ポゴレリチ が #ベートーベン の世界に分け入り開示させてくれる世界の凄さ。このアリエッタときたら。 https://t.co/OJtogXo3EA
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) February 22, 2019
耳直しというほどにはショパンも #ポリーニ も聴き込んでいるわけではない。ポリーニが定規がと問われても、明確に答えるにも窮するのだが、それでも #ポゴレリチ とは明らかに違う世界観に聴こえる。テクニック云々を超えた表現世界、立っている土台の違い。 https://t.co/qYN6FXzrE8
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) February 22, 2019
このまま #ポゴレリチ で #ショパン を聴き続けて良いのだろうかと、いくら私でも疑問に感じなくもない。あまりに強烈、鮮烈。うるさいだけと評する人がいるのも分からなくもないが。 https://t.co/wJXdftPWTU
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) February 25, 2019
#ポゴレリチ の #モーツァルト これは良い。どうなる事が聴く前は危ぶんだが。もっとこの時期に録音して欲しかった。 https://t.co/HbyVbQ3Dz0
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) February 27, 2019
#ポゴレリチ のピアノは #スカルラッティ の音盤まで辿り着いた。この演奏を聴きながら家路に着く空間の何たる隔絶感。音楽の明晰さと鮮やかさに冒頭から息を飲む。先のモーツァルトといい、この先何を求めようか。 https://t.co/MOuyhzIuWk
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) February 28, 2019
追記
#ポゴレリチ インタビュー。後でゆっくり読む。
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) March 22, 2019
イーヴォ・ポゴレリッチの「神話」――1度聴いたら忘れられない超個性的なピアニストの素顔に迫る https://t.co/ip8y3Zp7S4
2009年1月22日木曜日
【音盤】ドゥダメルのベートーベン交響曲第5、7番(DG 1week)
DGの1週間視聴サービスで真っ先に聴いてみたのが、今更ながらにドゥダメルのベートーベン。話題になるだけあって、注目に値する演奏でした。買っていない盤の演奏を、しかもストリーミング配信されているものを評する行為が「妥当」なのかはさておき、インプレッションを書いておきます。
問題はドゥダメルの楽天性と明朗性についてどのような判断を下すかです。今のところは素直に肯定、受容する気持ちと、態度を留保したい気持ちに分かれています。
ドゥダメル自身、インタービューなどで語っているように、彼は音楽の力を信じています。またベートーベンの交響曲の持つ音楽的テーマについても精通しています。またベネズエラという国、決して西側諸国のように裕福とは言えない環境に居た音楽家達によって演奏されるベートーベンということ。
これらをすべて理解するかしないかに関わらず、演奏から聴こえてくるのは楽天性と明朗性。そして単純な世界観と若者らしい可能性と希望です。悪いはずはありません。いやむしろ出来すぎているとさえ感じます。
音楽と同時進行で主観的感想を連ねてみたら、A4で4枚もの賛辞と疑問で埋め尽くされました。それ程までに刺激的で驚きの演奏です。既に多くの人たちが熱狂的に支持するのも首肯できます。特に交響曲第七番 終楽章の圧倒的なスピードとリズム、凄まじいまでの疾走を聴くと、体の内部からふつふつと沸き起こる本能的肉体的な喜びを抑えることができません。
第五番 第三楽章のコントラバスの響きも鳥肌ものです。チェロとコントラバスのフガートの部分です。コントラバスがこんなにもリズミカルに弾けられるものでしょうか、まさに「踊る巨象」です。
You Tubeにプロムスの映像があります。まるで「のだめ」でも披露されていた楽器回し(本当にクルクル回す!)。あのノリと軽さ、ラテン的健康な官能性。(本当にあの映像は衝撃です)。クライバーの洒落て豪奢なノリとも違う。
とはいえ、いわゆる爆演系とはなっていない。弱音も丁寧に、ダイナミックレンジも広い。ですから、聴く前に想像していた演奏とは少々異なり、最初に聴いいたときには肩透かしのような感じがしたものです。何度か繰り返して聴くに従い、彼のこの盤における特性が分かるようになってきました。深い精神的ドラマは歌われていませんが、ラストへの歓喜を志向する強い確信と希望を感じます。そこには南国を吹き抜ける生ぬるい熱風さえ錯覚します。いいぢゃないですか。ベートーベンに深い精神性を求めるならば、何もドゥダメルを聴かなくても満足できる盤は他にもありましょう。
さて、こうして何度か繰り返して聴いてみますと、彼がほかの曲もどう料理するのか、ぜひとも聴いてみたいという欲求が沸き起こってきました。
2008年7月4日金曜日
[演奏会]コバケン&新日フィル:ベト7+チャイ5
本日は、とある企業が主催する公開録音に招かれ、すみだトリフォニー・ホールにてコバケンと新日本フィルハーモニー交響楽団による、ベト7とチャイ5を聴いてきました。自分でお金出したわけではなく「ご招待」なので、偉そうに感想を書くのは憚られます。サラリと述べるに留めましょう。
��月以来、音楽活動も非常にプアーな状況でしたので、久々の生オケは充分に堪能できました。曲も曲でしたし。ベト7は、少しもったりと重いかなという印象でしたが、チャイ5ではコバケン節炸裂ですね。パワフルな曲を続けてですから、オケの皆さんを始めコバケンもお疲れのことでしょう。
昔はチャイ5命みたいなところありましたが、このごろはほとんど聴きません。久しぶりに聴くと、あまりのストレートさに気恥ずかしくなるほどですが、それなりに「スッキリ」感は得られ、まずまずといったところでしょうか。
しかし、これを期に音楽活動が活発になることは、ちょっとなさそうですね・・・。
2007年11月9日金曜日
【音盤】ベルマンの「悲愴」を聴いてみたが
ベルマンの演奏は、ロシアン・ピアニズムの継承者などと称されています。「ロシア・ピアニズム」という本もありましたが、では一体にその本質は何かといったら、私のようなトーシローには漠たるイメージしかありません。
ロシアン・ピアニズムとは何かという点についてのネット上の知識といえば、「おかか1968」ダイアリーで2006年から不定期連載された『【不定期連載】全く役に立たないロシアピアニズム・ガイド*1)』が一番詳しいのかなァなどと思いながら、ラザール・ベルマンが弾くベートーベンのピアノ・ソナタ第8番を聴いたりしています。(ブラームスのカップリングだったから)
ベルマンのベートーベンはあまり俎上にのぼらないようですが、この演奏も清冽なテンションがピンと張り詰めた好演であると思います。第一楽章は激烈な音楽でさえありますが、ゆるぎないテクニックとそれをベースにしたドライブ感に、冷ややかさと計算を感じます。第二楽章のカンタービレも甘すぎない。第三楽章冒頭のフレーズの出だしはあまりに美しく、乾いた冷たい粉雪がサッとばかりに舞うかのよう。だんだんとそれが吹雪になっていき、最後の打鍵はダンッとばかりに強烈。カーネギーの割れんばかりの拍手にも納得。続けて4度も聴いてしまった・・・。
ベルマンといえば、リストとかラフマニノフとかチャイコフスキーのバリバリな演奏が有名なようです。実は全く未聴なそれらの演奏も、聴いてみたいと思わせるのでした。
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
ラザール・ベルマン(p) ラインスドルフ(cond) シカゴ響 1979
ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」
ラザール・ベルマン(p) 1979 カーネギー・ホール・ライブ
SICC 824
◇
- 参照URL→http://okaka1968.cocolog-nifty.com/1968/2006/08/post_c30c.html
2006年10月1日日曜日
ファジル・サイ ピアノ・リサイタルinパルテノン多摩
パルテノン多摩でファジル・サイのリサイタルを聴いてきました。
- モーツァルト:「ああ、お母さんに聞いて」の主題による12の変奏曲 ハ長調 K.265
- モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331《トルコ行進曲付き》
- モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
- J.S.バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ
- ベートーベン:ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57《熱情》
- 9月30日(土)19:00 パルテノン多摩
- ファジル・サイ(p)
本日のプログラムはCDなどで「お馴染みの」、サイ得意の曲ばかりがズラリと並んだもの。最初の曲もモーツァルトの《キラキラ星変奏曲》と非常に親しみ易い曲から始まりました。
サイのモーツァルトは聴いていて、心の底が浮き立つような、うれしくなるような、そんな演奏です。私の席からはサイの口元が良く見えたのですが、モーツァルトの愛すべき曲が心底好きなのか、始終唄いながらピアノを弾いています。彼のピアノは弱音の美しさ、独特のタメとドライブ感が特筆モノだと常々感じています。今日の演奏でもそれを充分に味わうことができました。解釈はCDとほとんど変わることがありませんが、彼が舞い散らしたモーツァルトの花びらは風に舞ってホール中に散りばめられた感さえあります。
休憩をはさんでのバッハは、CDで聴くより余程迫力のある演奏。ブゾーニ編曲による、まさに壮大な建築物を構築するかのような音楽が奏でられました。ただCDでもそうなのですが、これほど彼の演奏に心酔していても、実は今ひとつシャコンヌには共感ができません。音が多すぎて濁りがあるのか、サイ独特の美しさが現れないような気がするのです。
しかしベートーベンは圧巻でしたかね。ともすると猛烈な第三楽章ばかりに関心が向いてしまいますが、今日の演奏では第二楽章の素晴らしさが際立っていた。祈るかのような第一主題が優しく奏でられた瞬間に、そのあまりの美しさにあいた口がふさがらず、この場でサイの音楽を聴けたことを心から感謝しました。
演奏姿を見て分かりましたが、弾き始めと同時にサイの両手は鍵盤を踊ると同時に空中を舞い、あたかも指揮をしているかのよう。曲にあわせて揺れるのみならず、ほとんど客席に向かって語りかけるかのような仕草。左足はソフトペダルを操作しながらも常に拍子をとっている。曲が興に乗ってくるとメタボリックな全身がリズムと化した様に弾み、演奏にも一層ビートがきいてきます。このノリの良さ!
アンコールの《ブラック・アース》はYouTubeの画像でしか接したことがなかったのですが、特殊奏法の部分がこんなにも効果的だとは、実際に聴くまでは思いもしませんでした。この曲にもサイの美学が散りばめられていて、一瞬ウィンダムヒルかと思う部分もなきしもあらずですが、それもよしです。アンコールの後の2曲には文句の付ける余地などあるはずもありません。ベートーベンから上がりっぱなしになったテンションは、最後に一音で最高潮に達し、思わず「ブラボー」と叫んでしまいました。
今日の演奏会を振り返ってみると、実は変奏曲のオンパレードだったのだと気付きました。K.265は12の、K.331は第一楽章が6つの、バッハは30の、そしてベートーベンの第二楽章は3つの変奏が聴かれます。もっともシャコンヌの変奏を全て聴き取ることは至難の業ですが。クラシックもジャズも結局はソナタ形式を含めて主題と変奏の展開の音楽ですからね・・・(^_-
- 音盤DB:ファジル・サイ
2006年8月31日木曜日
ベートーベン:ピアノ・ソナタ21番「ワルトシュタイン」・17番「テンペスト」/ファジル・サイ
- ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調 o.57『熱情』
- ピアノ・ソナタ第21番ハ長調 o.53『ワルトシュタイン』
- ピアノ・ソナタ第17番ニ短調 o.31-2『テンペスト』
- ファジル・サイ(p)
- 2005年6月 シオン(スイス)、ティボール・ヴァルガ・スタジオ
- AVCL25092
それにしてもファジル・サイのベートーベンはモンク無しにカッコいい。走り抜ける軽快さ、抜群の運動性能と若き熱情、そして儚いまでの美しさと快活さ。生きていることの潔さも苦しさもひっくるめて、しかし深刻ぶらず深淵にはまらず表現しきる。激しい表現をしていながらも重くベタ付くことはない。スピードが哀しさを誘うというのは、ちょっとモーツァルト的。また彼のピアノを聴くことから、ある種スポーツに似たカタルシスを得ることができます。
《ワルトシュタイン》は第一楽章の刻むリズムがベートーベン的反復で印象的な曲。弾けた乱痴気騒ぎや悪戯、物思いや憂鬱など、光と影の対比を私は感じます。この曲は第二楽章から第三楽章に移る部分が私はとても好きです、何度聴いてもいいなあと。完全にひとつ上に突き抜けた感情が、控えめながらも高らかに、そして限りなく美しく表現されているかのよう。いつしかファジル・サイと一緒になって鼻唄さえ歌ってしまう、しかしそれでも、最後の雄たけびは、やっぱり余計か。
《テンペスト》は、シェイクスピアの戯曲など知らなくても名曲だと改めて思います。この頃のベートーベンは悪化する耳の病気と危機的な精神状態にあったのだとか。第一楽章は暗くも勢いのある曲想、悲劇へと向かう走駆を思わせますが、サイのピアノはどん底の悲劇を描きはしません。ピアニシモの表現にいとおしむかのような美しさを聴くことができます。有名な終楽章も悲劇性と軽やかさを両立させながら、哀しみを美しさにくるんで提示します。緩急強弱のメリハリがはっきりしていて、強奏部の激しさとともに、弱奏部の余韻も美しい。思った以上に繊細な表現が聴かれるだけに、何度も繰り返し聴くとサイの唸り声が耳障りになってきます。
2006年8月5日土曜日
【音盤】ベートーベン:ピアノ・ソナタ23番「熱情」/リヒテル
GREAT PIANISTS OF THE 20th CENTURY
- ベートーベン
- ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 作品26
- ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31の2《テンペスト》
- ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 作品57《熱情》
- アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO57
- ピアノと管弦楽のためのロンド 変ロ長調 WoO 6
- ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 作品109
- ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110
- ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111
- 456 949-2
ファジル・サイの《熱情》を聴いて、ふと他の演奏も聴きたくなって、手元にあったリヒテルの演奏を聴いてみました。
ここに納められている演奏は1960年11月、ニューヨークのスタジオ録音のものです。もはや評価の定まった演奏であろうとは思うものの、改めて聴いてみれば圧巻の一言。確信に満ちた響きと圧倒的な凄みには返す言葉がありません。
それにしてもリヒテルのピアノを響きの深さといったら! 余韻の持つ美しさ、決して粗野にならない強靭さ。音に込められた意味が、音楽でしか表現できない感情が、ここには詰まっています。
ファジル・サイの演奏では経過句に過ぎなかった第2楽章が、かくも優しく染み入るような深さで表現されてしまっては完敗です。中盤の早いパッセージ部では思い出と哀しみの華が散り乱れるかのようで痺れてしまいます。
第3楽章であっても、あくまでも微妙な起伏と激しさを高度にコントロールしながら、早い中にも響きを込めます。
圧倒的名演というものは、何度も聴いていられるものではありません。救いなく渦巻きながら疾駆する絶望と哀しみ、プレストでの自虐と諧謔の後の凄まじさ。嗚呼・・・もはや論評不能。
2006年8月4日金曜日
ベートーベン:ピアノ・ソナタ23番「熱情」/ファジル・サイ
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ファジル・サイが「熱情」を弾くとどうなるか。いくつかのCDレビュ読み予想はしていたものの、この演奏はそれをはるかに上回る、凄い。いや正統なピアニストやベートーベン好きからは否定される演奏であるかも知れません。しかし、私は激烈にこの演奏を好み、何度も何度も繰り返し聴いています。
ファジル・サイはうなり声さえ上げながら、第1楽章から猛然としたスピードで突き進みます。第2楽章に入ってもテンションは少しも緩むことはありません。
そこかしこに聴こえるサイのうなり声。ピアニストのうなり声が録音されている演奏は少なくはありません。あのポリーニの「熱情」しかりです。しかしファジル・サイのそれはもはや猛獣の咆哮。内部のあふれるばかりの感情が抑えきれずに爆発し、溢れ、奔流する。勢いにまかせてはいますが、テクニックは抜群でピアノの粒も際立ち、ただでさえ起伏の大きい曲の振幅は激しく上下します。
恐ろしいまでの勢いで突入する第3楽章、その速いこと。もはやベートーベンの深みや狂おしいばかりの感情は、轟然とした疾走の中に置き去られます。「華麗なる絶望の曲」。ベートーベンは歓喜を込めたはずではないのに、あまりに壮烈。疾走する絶望。
速すぎて楽譜を逸脱しているとか、コーダで加速できていないという批判もありましょうが、リズムの変化は実際の加速以上に刺激的。鍵盤を駆け回り叩きつける指先の強烈さ。
かように極めて現代的な表現、今の世にして成立する演奏。スポーティーな感覚に身を委ね聴き終わった後には達成感とスッキリ感さえ覚えます。これもベートーベンか。
2006年3月15日水曜日
【音盤】ベートーベン:交響曲第3番&8番/クナッパーツブッシュ
Archipel RecordからクナッパーツブッシュのベートーベンがHMVで1000円という廉価盤で販売されていました。「クラシック・ジャーナル 17号」でSyuzoさんが53年盤の「エロイカ」をベースにクナッパーツブッシュを語った企画を思い出し購入してみました。
しかし、こと「エロイカ」に関しては、この盤は「失敗」でした。音質が悪く、この演奏で楽しめと言われても、それはちょっとムリかなと。クナの片鱗くらいは伺えるのかもしれませんが、後日もう一度聴こうという気にはなりませんでした。クナの熱烈なファンであるSyuzoさんも交響曲第3番は塩ビの長いパイプの中で鳴っているような音
と評されていますが、それは聴き終わった後に読みました。機会があれば別の盤を入手することとしましょう。(>仕方ないので二度聴いてみたら慣れてきて、それなりに楽しんでいる自分がいたりしますが・・・、それでも人には薦められません)
一方、交響曲第8番は非常に良いです。「塩ビパイプ」の中で鳴るような貧弱さを耐えた後では、一気に「土管」にまで空間が広がったというか、あるいは土管の中から眺めた空のよう視界が開けた感じ。もっとも、あくまでも音質上からの印象に過ぎませんが。
演奏の方は、これはもう堂々としたベートーベン。しかもベートーベンにしては深刻に傾かない曲の輪郭をくっきりと描ききっている。ベルリンフィルの個々の技量も安定感があります。特に第3楽章のホルンの部分は良い。第4楽章も着実に演奏は進む、急くことはせず確信的な響きを刻んでいるように聴こえる。曲調は軽いのに演奏は演奏は決して軽くはない。
2006年2月19日日曜日
【音盤】ベートーベン:交響曲第6番「田園」ほか/ムラヴィンスキー
- ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調『田園』
- ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』より 前奏曲と愛の死
- ワーグナー:楽劇『ジークフリート』より 森のささやき
- ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』より ワルキューレの騎行
- 1979年5月21日東京文化会館
- ムラヴィンスキー(指)レニングラードpo.
- ALT063
これは芸術を愛し、芸術に耽溺する人間なら、拝跪するしかないような、最高の芸術である。こんあ芸術は人間から平和を奪う。社会性を奪う。常識を奪う。それどころか、人間を狂わせる。(許光俊著「オレのクラシック」 P.126)
おなじみの許氏による評であります。彼特有の眉唾かハッタリを覚悟しながら聴いてみたのですが、《田園》には全く恐れ入ってしまいました。《田園》を聴いてこんなに感銘を受けるとは、思ってもみませんでした。といいますか、こんなにも素晴らしい曲であったのかと再認識した次第です。
西岡昌紀氏や音楽評論家の平林直哉氏が1979年当日の演奏会終了後の様子を含めて解説を書かれていますが、言語を絶する演奏であったことはCDを通しても伺い知ることができます。演奏会に接した人にとっては、生涯忘れることのできない経験になったようです。
音質はムラヴィンスキーにしては良いとのことですが、強音部は割れていますし客席のノイズも大きく録音状態は決してよくはありません。再生装置にもよるでしょうが、私の安価なCDコンポでは随分と硬質な音に聴こえてしまいます。「繊細さ」とか「柔らか」さとは無縁な無骨な演奏に聴こえる怖れもあります。
そういう録音でありながらも「しかし」なんですね。ムラヴィンスキーの《田園》から聴こえてくる音楽を一体なんと表現して良いのか。いや言葉で表現するということを超えている音楽世界です。実のところ私は何と、第一楽章から終楽章までずっと打ちのめされ放しで、涙腺のタガ外れてしまったのではないかと自ら訝しんだほどです。
演奏は決して煽るようなことはしてはいません。淡々と進むのですが、そこには《田園》というのどかなイメージとは違った確固としたベートーベン的世界が屹立しているのです。《田園》という標題や田舎風景の奥に隠されたベートーベンの苦悩と悟りと希望、しかしそれを表立ってあからさまに表現することはせず、演奏を通して分かる人に語りかけるといったような、そんな演奏なんです。
西岡氏はムラヴィンスキーの音楽を特徴付けるものが「孤独」であるとして、
この《田園》には、ムラヴィンスキーの孤独な感情とその孤独を乗り超えようとする強い意志のようなものが感じられる。孤独は彼の音楽の最も重要な感情要素
と解説に書かれています。孤独はムラヴィンスキーの音楽を彼の音楽にたらしめて来た彼の芸術の秘密である
と西岡氏は指摘します。彼の指摘に全面的に首肯できるほど、ムラヴィンスキーの演奏に接してはいないですし、この盤に納められたのがベートーベンの音楽なのかムラヴィンスキーの音楽なのかという議論もありましょうが、《田園》がかくも「名曲」であることを示し、さらにムラヴィンスキーの音楽の峻厳さ、それとは逆の優美さを聴かせるたという点において類稀な名盤であると思います。
誰もが絶賛している「ワルキューレの騎行」は、ライブを聴いていたならば、あたかも超新星爆発を目の当たりにしたかのようであり、演奏会の後はブラックホールが生じたかのような虚脱状態になっていただろうと想像いたすほどです。
2006年2月16日木曜日
【音盤】ベートーベン:交響曲第1番/テンシュテット
テンシュテット ベートーベン交響曲第1番
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同時収録は以前紹介したベートーベン交響曲第5番(何度聴いても凄い)とエグモント序曲(何度聴いても息が止まる)。キール歌劇場オケとの演奏も壮絶ではありましたが、1968年の東独時代のこの演奏もエネルギーレベルが極めて高く、そして瑞々しさに溢れた演奏に仕上がっています。
ベートーベンの1番なんて滅多に聴こうという気になりませんが、改めて聴いてみると、こんなにも良い曲であったのかと気付かされます。第1番はベートーベンらしさと、古典派のテイストが旨い具合に溶け合っていて、そんなに気負わずに聴ける曲ですが、テンシュテットの演奏からは、しっかりベートーベンの息吹を感じ取ることができます。
やたらと刺激的ではないものの重厚さと迫力は充分。さらっと流して聴ける演奏ではないです。第一楽章はそれこそあっという間。第二楽章も悠然としていながらも、演奏全体からは若々しい力を感じます。第三楽章などは、もうすこし綾とか余韻が欲しいところですが、テンシュテットの推進力はグングンと勢いを増し圧巻の終楽章に進みます。このキビキビとした運動性能の心地よさ!
聴いていると体内の奥底からフツフツと喜びが沸いてくるというのは、ベートーベンの持つ音楽の力です。なんだかんだ言っても俺ってベートーベンが好きなんだなと思ってしまいます。
2006年1月8日日曜日
【音盤】ベートーベン:「エグモント」序曲/ザンデルリンク ライプツィヒ放送so.
- ベートーヴェン:『エグモント』序曲 1969.1 スタジオ収録
- ヘンデル:合奏協奏曲 op.6-3 1972.9. ライヴ収録
- R.シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』 1972.2. ライヴ収録
- ザンデルリンク(指揮) ライプツィヒ放送so.
- Weitblick SSS0055-2
テンシュテットの「エグモント」も凄かったのですが、ザンデルリンクの演奏も凄い。何が凄いって、これまたsyuzoさんではないのですがティンパニしょうか。
HMVの許光俊氏の評を引用してみましょう。
ドイツのオーケストラらしい重厚な響きを誇りつつ、鈍くさくない。雄渾なのに粗さがない。心地よい緊張感が張りつめ、音楽は痛快なまでにグングンと前に進んでいく。背筋がピンと伸びたような姿勢のよさ、凛とした気品がある。
テンシュテット&キールpo.でも感じましたが、こういう重厚さがドイツのオケなのでしょうか。しかし、当然のことながらテンシュテットのアプローチとは明らかに異なます。音楽は粛々と歩みを進め、一歩づつ運命の時に向って進みます。音楽の推進力は、テンシュテットのように坂を転がり落ちるような勢いをもったものではなく、不可逆な運命を確信しているかのような響きがあります。それを表す小刻みな弦の刻み、不安感を誘う木管や弦の響き、全く堂々としたものです、素晴らしい。
テンシュテットが熱狂さえ超えたかのように表現した勝利の解放感はザンデルリンクにはありません。あくまでも最後まで堂々と、ティンパニの乱打は凄いものの、統率されて曲を閉じます。それを許氏が指摘するように凛とした気品
と呼ぶことに、少しも意義はありません。








