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2002年5月2日木曜日

ゼネコンの再編について(2)

4月29日朝日新聞に「実るかゼネコンの再編策」という記事が掲載されていた。内容は、国土交通省がゼネコンの再編促進策を打ち出しているとの内容なのだが、業界の再編策については疑問を感じている。

昨年末から青木建設、佐藤工業など倒産、三井建設と住友建設の経営統合など、遂に動きが見え始めたかという印象を受けたが、実際にはまだ多くの問題企業が存在しいる。それどころか、業界の持つ体質など構造的な改革に至っては何一つ解決されていない。巷では「3月危機」と騒がれながらも、問題は全て先送りされたというところだろうか。

「談合体質」や、自民党の鈴木、加藤、井上議員の例を持ち出すまでもなく、古くから建設業と政治の癒着や談合体質という問題も根深い。このような風土はスーパーゼネコンだろうが、地元ゼネコンだろうが温度差こそあれ同じ土俵だ。いつまでも変わらない土建国家の古きDNAだけが受け継がれてゆく。

公共工事の受注に関しては、経常JVの導入や、銀行の履行保証割合の引上げ、更には入札ボンド(保証)制度の導入の検討も開始している。後者の対策は金融機関にリスク負担させゼネコンを選別させ業界を淘汰させようという意図が見えいささか他力本願的である。

しかし、一番の問題は業界自体が、自らを改革して生き残っていこうという気力に欠けていることのように思える。会社のメッセージでは「市場縮小の中で新たなビジネスモデルを構築し、本業で収益を確保すること」といううたい文句がのぼっているようだが、業界全体にわたる視点に乏しいのではなかろうか。まだまだ、業界の改革は始まったばかり、いやもしかしたら、まだ始まってさえいないのかもしれない。


  • 建設投資額と建設業者の数:建設投資額は1996年の役83兆円(うち政府投資額35兆円程度)をピークに2002年には56兆円(政府投資額26兆円程度)にまで縮小してきている。この数字はバブル以前の投資額にまで落ち込んだことを意味している。それに対し、建設業許可業者数は2000年の60万件をピークに、減ってきているとは言っても約57万件である。バブル期の1990年において登録業者数が51万件であったことを考えても、まだまだ業者数からして多い。この57万社の中に、年間売上高が1兆5千億円近いスーパーゼネコンから、1億円以下の会社まで含まれる。
  • 履行保証割合の引上げ:公共工事を受注した企業が、工事途中で倒産することに備えて金融機関に保証させる制度。保証額の割合を昨年度から3倍に引上げた。金融機関は保証額の一定割合を引当金として積まなければならないため、保証に慎重となることを狙ったもの。
  • 入札ボンド制度:公共工事に参入するゼネコン(総合建設会社)に対し、経営状態や施工能力について第三者からの保証を義務付ける制度。入札ボンドは米国などで、落札企業の辞退や倒産のリスクを避ける手段として導入されている。保証が得られないゼネコンを入札に参加させないことで、業界の再編・淘汰を進めるのが狙い。


2002年4月26日金曜日

ゼネコンの再編について

4月29日朝日新聞に「実るかゼネコンの再編策」という記事が掲載されていた。

内容は、国土交通省がゼネコンの再編促進策を打ち出しているとの内容なのだが、実際に業界にいて再編策については疑問を感じている。

2002年2月15日金曜日

ゼネコンの再編について(1)

今日の日経新聞に、合併を決めている三井・住友建設にフジタも分割・合流することに決まったと報じられている。

解説によると、銀行筋も「ただやみくもに企業をつぶしても評価されない」との認識から淘汰から再編に舵取りを余儀なくされているという。また不良債権処理の具体的な道筋について政府より求められたことも受けているようだ。その点で「政府主導の再建」ということらしい。

三社合わせた売上高はおよそ1兆1千億円程度で業界7位に踊り出る。しかし、売上高が増えても不良債権も激増する。その中で、フジタなどの不採算部門などを切り捨て、リストラを実行しながらの合併となると思われるが、具体的な方向性はまだ見えない。

以前に、ゼネコンの合併は受注増という点からはメリットが少ない、と書いたことがある。スーパー大手とは少し事情が異なる中堅クラスのゼネコンが、リストラを実行しつつ優良部門を統合し、財務体質を健全化するという方向はあるのかもしれない。

今後も微震、激震は続きそうで余断は許さずゼネコン・ウォッチャーとしては目が離せない。

2002年1月17日木曜日

ゼネコンの贈収賄事件に思う(その3)~業界の行く末

淘汰が進むと言っていながら全然すすまない。Xデーだの2月危機だの、「エコノミスト」系の経済誌は定期的に「ゼネコン危機」特集を組んでおり、業界通でなくとも株価の低い企業を列挙できるほどだ。

昨年、青木建設が、今年になって拓殖住宅が民事再生法の申請に踏み切った。青木は中堅、拓殖は住宅としては大手だ。民事再生法というのは、要は会社幹部は残り、債権は免除して会社の更生を目指すというものだ。更生計画の中で人員の削減はあるだろうが、会社は存続させるのだ。山一證券のような破綻ではない、会社はなくならない。青木は本業での更生を、拓殖は本業の住宅部門を捨てメンテナンス・リフォームに特化して再建を期している。

拓殖住宅のケースは、本業を捨てたということである意味画期的な再建計画であると思われる。市場規模の縮小は新築物件で著しい。しかし住宅インフラを考えた場合、リフォーム市場は今後も増えつづけることは明らかであろう。早期に業態をシフトし再建を図るというのは英断であるとともに、この部門での先鞭を付けるかもしれない。

一方青木建設は、本業での再建である。細かな再建計画は分からないが青木建設の引き受け先として、欧州などのゼネコンが声を上げているという記事も読んだことがある。日本のゼネコンは研究部門なども有し技術力は相変わらず高い。企業での経費負担の多い、事務部門などを切り捨て、技術部門だけ買い取るという考えは、今後も発生してくるパターンかもしれない。実際のところ、一部のメーカー系ではそのような技術部門だけの買収ということは珍しくないはずである。

ただ、どちらの場合にしても、これだけでは、市場の中で過剰な労働人口が健全なる調整可能な人員まで削減されるということには程遠い。

◇  ◇  ◇  ◇

青木建設が民事再生法適用に踏み切ったとき、小泉首相は「やっと、構造改革がはじまったな」とコメントした。なんなんだと思った。業界もばかだが、国土交通省も健全なる、あるいは理想とする業界像を示すことなく、力尽きて倒れるか、あるいは銀行に見放されて倒れるかを、ただ指を加えて待っているようにしか思えない。

今株価を踏みとどめている上場企業は、体力のある企業かバブルで踊らなかった企業だ。これを業界の自発的な自浄作用とでも称するのだろうか。500万人の建設労働者が例え1割削減されたとしたも、その労働人口はどこに向うというのか。建設労働者というのは技能労働者と呼ばれるものは少ない。解雇された瞬間に行き場はなくなる。昔は、そういうものを「日雇い」などと称し建設産業が労働力を吸収していたという。どこに向えというのだろう。

流通業界最大のネックであったダイエー問題にカタはついた。残るはゼネコンの整理だけなのだから、動きが生ずることは必死である。

ゼネコンの贈収賄事件に思う(その2)~業界の構造

大型物件、公共工事における競争入札。入札に絡むダンピング疑惑と贈収賄疑惑。むかーしから聞く話だ。

正確な数字ではないかもしれないが、私の記憶では、建設市場は縮小したと言われても官民合わせて50兆円規模、そこに、スーパー大手から一人親方まで含め55万社超、500万人超の会社と人が働く。バブルが崩壊しても会社数(人員もか?)は増加したという異常な業界。建設業許可が簡単に取れること、一部は暴力団まがいの隠れ蓑的なところもあるのかも知れないが、最近では建設業など利益が少ない、頭の良い人間は建設業に参入しようなどとは考えないであろう。

建設業の利益率は、一般に3%程度。売上高は恐ろしく多いものの(スーパー大手で一社当たり年間1兆3千億円程度)利益率は驚くほど低い。建設業のもうひとつの特徴は、重層下請け関係。スーパー大手に限らず、いわゆるゼネコン(総合建設会社)は作業員を有していない。トヨタや松下などの工場系と違うところである。請けた仕事は全て下請け=専門協力会社と契約し仕事をする。その彼らも、どこかに仕事を発注し・・・ひどいときは5次以上の重層下請け契約となっている。

こういう構図がおかしいと思う事業者は、ゼネコン抜き、あるいはC/M会社といわれるマネジメント会社を通して発注することを試み始めている。ゼネコンなどなくともプロジェクトが完遂することに気づき始めている。

問題点や改善点は昔から見えている。会社の駄目なところも分かっている。それなりに手は打っているのだが、はかばかしい効果は生まれない。体質も新しいビジネスモデルも見出しきれていない。しかし、会社としての損益分岐点を考えると、受注は確保しなくてはならない。もたもたしてれば、他に仕事をするところは山のようにある。条件が悪くて誰も取らなかった仕事というのは存在しない。

建設業界はM&Aなどが馴染まない。何故なら、企業間の保有技術は横並び、営業先も大部分が重複している。合併しても他社との差別化の強力な武器もなく売上高は、おそらく全く伸びない。特に公共工事の入札制度においては、受注機会が半減することを意味する。抜け駆けするか、誰かがつぶれるのを待つのみ。しかしこれが、なかなか潰れない。(最近になってゼネコン数社を持株会社の傘下に入れて統合しようという動きも見え始めた。この形式だと受注機会の減少は防げるというのだ。)

借金棒引きしてもらった企業が、ダンピングと言われてもおかしくない価格で仕事をとってゆくと、内部からは怨嗟の声さえ聞こえるという。しかし、市場はそうは見ていない。「それでも建設費は高い」と言う。実際は原価を遥かに下回っているものも多いと聞く。原価の根拠さえわからなくなってくるのだろうか。

企業に課せられた要求は、品質のみならず作業員の安全まで含め膨大な管理項目が並ぶ。極端な話、作業員が自分で滑って転んで怪我をしても、工事現場内ならば労働災害適用で元請責任が課せられる。建設業の内部では、自分で自分の体を守る自己責任という考え方は存在しない。廃棄物処理も契約先が不法投棄していたとしたら、それも元請責任となる。

かくして、八方塞りで、精神的にも経済的にも自立できない業界が、もはや何をして良いのか変わらずうめいている。うめきの中から、「グダグダ言ってねーで、実弾でいけや」という古い奴らの声が暗躍する。嗚呼・・・もはやこの業界は内部から変わることは不可能なのか?

ゼネコンの贈収賄事件に思う(その1)

茨城県石岡市長への公共工事受注に絡む競売入札妨害容疑で逮捕された「業際都市開発研究所」(東京)の捜査を進めるかなで、山形県の県立病院の受注工作に動こうとした際、大手建設会社 鹿島(東京本社)の贈賄申込み疑惑が既にあったことを知り、手を引いていたとの記事が18日付の北海道新聞夕刊 社会面に報道されていた。

鹿島は古くから東北地方には絶大なる強みを持っているゼネコンであり、前回のゼネコン疑惑(宮城県知事への贈収賄)のときも副社長以下数名が逮捕されている(他の大手ゼネコン幹部も数名逮捕されている)。

このような記事に接するたびに「またか」という気持ちと、深い怒りが込み上げてくる。何度、反省すれば気が済むのか、何度摘発されれば懲りるのか。いやいや、絶対に懲りることなどなく、あるものがスケープゴードとして祭り上げられれば、別なルートをまた考え闇で暗躍しようとするのだろうか。

表向きは不祥事とあれば、「世間」に向けて頭を垂れ、社外には綺麗ごとばかりならべ、首をすくめてやり過ごす。責任も罪も実際は感じてなんかいない。酒を飲んで運転を繰り返す、確信犯と同じである。信用失墜は当事会社のみならず、業界全体に及び、最終的には発注者への不利益=国民への裏切りと不信ということにつながるというのに。

なぜこのような体質が改善されないのか。「悪」が元から絶たれていないから、ということもある。しかし「悪」の元とは特定の幹部のみではないのではなかろうか。企業や業界体質というのは受け継がれるものだ。企業としてのDNAは、入社したときから社員の体の中に組み込まれてゆくものだと思う。いくら「私はちがう」「会社の中には真面目な者も居ます」と言った所で所詮は同じ穴の狢、腐敗のDNAは体の中に潜んでいるのだ。いつそれが増殖するかは本人の資質次第であるにしても、ある外的刺激により知らぬ間に自己増殖していないとも限らないのだ。

ゼネコンの不良債権問題も根深いものがある。銀行の再編成も始まっており、まさに不良債権をどう処理するかに経済界の論点は移行しつつある。このような時期に、いくら96年時点でのものであるとは言っても、私は総入れ替えのようなことでも起こらない限り改善されないのではないかと暗澹たる気持ちになる。

2001年12月13日木曜日

青木建設の破綻

長らく不良債権問題の牙城といわれていたゼネコンの中で、中堅ゼネコンである青木建設がついに民事再生法の申請に踏み切ったのは記憶に新しい。ゼネコン・ウォッチをしていたので「ついに牙城が崩れ始めたか」という思いで受け止めた。

青木建設の破綻は、同社の再建計画を(債務放棄していながら)市場が認めなかったこと、そして直接的にはメインバンクが自らの生き残りをかけて処理をしはじめたということでもある。瀕死の患者に生命維持装置とカンフルを与えつづけることを止めたということだ。

思い起こせば、ゼネコンの莫大なる不良債権はバブル期の本業以外でのものがほとんどである。当時、不動産取得や開発を手がけなかった企業は、これまで比較的安定した財務体質を維持しており、今から考えると賢明な判断だったとなるのだろうか。

当時はイケイケドンドンの雰囲気で、経営目標にも「脱建設業」「受注の創造」「多角経営」といった前向きな経営方針が踊ったものだ。バブル崩壊後の土地や株価の低迷による含み資産の減少、それに伴う受注の減少から本業回帰がうたわれたが、内部的にはバルブ前の企業体質にも企業風土にも戻ることはできていない。バブルをはさんだ前後を知るものは、その質的差異に気付き愕然としている。

「勝ち組」と「負け組み」という表現を、評論家やマスコミは好むが、建設業の全体市場は今でも約50兆円である。ただし、そこに不況になってもかえって増えた58万社が、スーパー大手から一人親方の会社まで群がっているのだ、どこかおかしい。青木とて民事再生法だ、企業として破綻したわけではなく再建を選んでいる。

ゼネコン問題は非常に根深いものがあるように思える。一つだけいえることはバブル以前には間違っても戻れない(バブルに戻るとっているのではない)。だとすると、新たなビジネスモデルを構築できるのかが、これからを考えるポイントであることに疑いはないのだが、その羅針盤は関係者に見えているのだろうか。