時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
2004年10月1日金曜日
【音盤】アムラン/カプースチン:ピアノ作品集
ということで、今日はアムランの演奏です。
変奏曲Op.41
8つの演奏会用エチュードOp.40
バガテルOp.59-9
古い形式による組曲(スィート・イン・オールド・スタイル)Op.28
ピアノ・ソナタ第6番Op.62
ソナティナ Op.100
異なるインターヴァルによる5つのエチュード
マルク・アンドレ・アムラン(p)
アムランが2000年の来日公演でも取り上げて話題になったカプースチンのピアノ作品をHyperionに行ったのが2003年6月、アムランは相当にカプースチンに入れ込んでいたとのこと。アムランが好きか嫌いかはさておき、超絶技巧ピアニストの演奏は1曲目から驚くほどのノリの良さです。
最初のVariations Op.41は6分ほどの曲ですが、短い導入に続いていかにもジャズ風なテーマが流れてき洒落た曲だなと思ううちにピアノが物凄いことになり、中間部では非常に美しいバラードを聴かせ、最後はPrestoで火花を発するがごとくに締めくくる、というまさにカプースチンを堪能できる曲になっています。
ここらあたりをボーっと聴いていますと、アムランのピアノの巧みさからホテルのラウンジやバーなでど流れる「洒落た軽いジャズ」のようにも聴こえる瞬間がないわけでもないのですが、極めて技巧的な音楽であります。
技巧的といえば、ラストに配置されたFive Etudes in Different Intervals, Op.68という練習曲も「気の狂ったような」としか書けないような曲です。No.1 Allegro (Etude in minor seconds)では鍵盤上をラリっているのではないかと思うような速さと華麗さで駆け巡り、バカみたいな高音の右手と複雑なリズムを刻む左手の応酬が聴き所になっています。No.1の短調のテーマがNo.4 Vivace (Etude in major seconds) で長調になって再現されるのも面白いです。
No.3 Animato (Etude in thirds and sixths) を聴いていて感じたのですが、カプースチンの曲はジャズのバスパート(例えばブギ・ウギ風のリズムだったりするのですが)を左手に受け持たせています。これをしっかり打鍵するかどうかで雰囲気がかなり変わると思うのですが、アムランはバスをやり過ぎない程度に弾いているようで、それゆえどこか「洒落た」とか「上品」に聴こえるのかもしれません。Bagatelles Op.59という短い曲においても左手のパートは控えめでさり気ない感じです、これは趣味の問題かもしれませし、単なる勘違いかもしれませんし、私が全然わかってないのかもしれませんが。
全ての曲について書くことはできませんが、Concert Etudes Op.40は「楽譜の風景」というサイトに楽譜のさわりが掲載されています。これを拝見しながらCDを聴いたら更にビビってしまいました。
いずれにしてもカプースチンの曲は相当な難曲であるらしいのですが、難しさなど全く感じさせずに弾ききっているアムランの演奏には、ピアノを弾けない私でも舌を巻き「開いた口がふさがらない状態」です。いったい技巧だけのアムランのどこがいいのだという評もネット上ではよく目にしますが、私は悪くないと思います。
もっとも、アムランの演奏とカプースチンの音楽性については今の段階では確たるものを書けないのですが(だったら書くなという説もある)、こういうアムランの演奏を通じてカプースチンが受容されたとしても(かくいう私もそう)作曲家にとって不幸なことではないと思われます。旧来のピアノ曲に飽いていたり深刻なソナタを敬遠する人や、ジャズにあまり親しみのない方には「これ好きっ!」と思わせるには十分な演奏であると思いますし。
ただ何度か聴いていますと技巧的には申し分ないものの、何とも説明のできぬ違和感を感じることも確かです。あまりにスピード感があり、余裕綽々の演奏なので(猛絶な演奏でもあるのですが)、何かがすり抜けているような感じがしないわけでもないのですが、それが何なのかは分かりません。完璧な新体操が面白くないとか、そういう感覚・・・とも違うか。
2004年9月18日土曜日
【音盤】カプースチンのピアノ
カプースチンは1937年生まれのロシアの作曲家、モスクワ音楽院を卒業しクラシカルな作品を作成するかたわら、ジャズ・ピアニストとしても名を成し、ここに納められているようなクラシックとジャズが融合したような曲を描いています。
ジャズとクラシックの融合だなんて、生粋のクラシックファンの方や、根っからのジャズファンの方はアヤシイと眉をひそめるかもしれません。流して聴いているだけだとホテルのラウンジから流れる自動ピアノのような雰囲気の曲もあるのですが、なかなかどうして、親しむうちに軽妙な曲調とともに音楽的な多彩さと驚くべき技巧に気付かされ、たただた唖然とするばかりです。アムランの盤なども一曲目からジャズCDとしか思えないような出来です。
ピアノ作品集 (p)マルク・アンドレ・アムラン hyperion CDA67433 |
ピアノ作品集 (p)スティーヴン・オズボーン hyperion CDA67159 |
24の前奏曲とフーガ作品82 (p)ニコライ・カプースチン TRITON OVCT-00010 |
『24の前奏曲とフーガ』は、カプースチン自演によるもので、最近の密かなカプースチン・ブームに押されてTRITONからの再発売されたもの。アムランも良いですが、オズボーン盤も曲がいいので捨てがたく、どれも聴き逃せない曲ばかり。暇なときは、このごろこればかり聴いています。カプースチン自演盤はまだ聴きこんでおらず。
もうちょっと立ち入った感想は、機会があったら書きましょう。
2004年8月23日月曜日
【音盤】カプースチンのピアノ
- 変奏曲Op.41
- 8つの演奏会用エチュードOp.40
- バガテルOp.59-9
- 古い形式による組曲(スィート・イン・オールド・スタイル)Op.28
- ピアノ・ソナタ第6番Op.62
- ソナティナ Op.100
- 異なるインターヴァルによる5つのエチュード
- マルク=アンドレ・アムラン(p)
- Hyperion
クラシックとジャズの融合というのでしょうか、ジャズ風クラシックとかそんなものではありません。そんなクロスオーバー的なヒーリングミュージックなのではなく、炸裂する音楽がここにはあります。超絶技巧を駆使した即興と思われるようなジャズ風コードが、きっちりと楽譜に書かれているのだそうです。 カプースチンンの曲はピアニストにとっては難曲の部類に入るらしいく、HMVの解説によると2000年3月の東京でのリサイタルでもカプースチンを弾いたそうで、アムランはまたしても、
作曲者の自作自演盤でも守られていなかった早いテンポ指定を、その通りに、まるで何でもないかのように平然と演奏、ピアノに詳しい人ほど「空いた口がふさがらない」状態だったそうな。確かに凄い演奏です。『
ロシア伝統のヴィルトゥオーゾ・ピアニズムと、ジャズ(特にバップ)が融合したカプースチンの音楽(HMV)』なかなかに聴きこたえがあります。 カプースチンが気に入ったので、下の二つの盤も入手してみました。こちらも一聴した限りで感想をおいそれと書けるものでもありませんが、非常に気に入りました。もう少し聴き込んでみます。
2004年7月2日金曜日
【音盤】アムラン/シチェドリン:ピアノ協奏曲第2番
アムランのショスタコとのカップリングは、ロディオン・シチェドリンというロシアの作曲家のピアノ協奏曲第2番(1966年)です。シチェドリンという作曲家は、名前を知るのさえ初めてです。CD解説などによると、シェドリンはピアノの名手で、自分のピアノ協奏曲やソナタなどを自演しているそうです。この曲も1967年にロジェストヴェンスキー指揮、モスクワ放送交響楽団の演奏で初演を飾っているとか。
さて、そんなピアノの名手による現代のピアノ協奏曲ですが、"Dialogues"という副題の第一楽章から、かなり激しくそして鋭い音響が耳をつんざきます。ピアノとオーケストラの作る高い緊張感が聴きどころでしょうか。アムランの硬質にして強靭なピアノが冴えます。
現代音楽的というと敬遠しがちですが、決して聴きづらいわけではなく、劇的にしてメロディアスな曲です。ピアノは縦横無尽にオケとの対話を繰り返し、いくつものクライマックスを作ってゆきます。第ニ楽章は"Improvisations"との副題が付いています。この楽章も鋭い音響が続きますが、このせわしなさは時代を感じさせます。ラスト近くに現れるフルートとピアノのソロ部、それに続くピアノソロは、この曲で一番美し部分でしょうか。
それでも何と言っても面白いのは第3楽章に尽きます。ヴァイオリが奏でる暗く哀愁を帯びたメロディが続いていたかと思うと、突然にそれが打ち破られ、驚くことにジャズ風の(というかまさにジャズそのものの)音楽が現れます。まるでライブハウスでジャズコンボを聴いているような感じです。目の前の風景に突然亀裂が生じ、別世界を垣間見るかのごときです。
フルートのソロが叩きつけるようなピアノと奏でられるところも、捨てがたい魅力があります(>つーか、フルートソロなら、何でもいいという説も・・・)。こういう渾然とした断章のような風景が、ラストに向けて再び激しいオケとピアノに塗りつぶされる様は何とも圧巻です。副題が"Contrasts"となっているのも頷けます。
そんなわけで、初めての作曲家でしたが十分に楽しむことができますし、滅多に聴く機会のない曲であるだけに、ありきたりのピアノ協奏曲に飽いた方にはCDとしてはお得かなと・・・
【関連サイト】
2004年6月27日日曜日
【音盤】アムラン/ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番、第2番
- ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35
- ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 作品102
- アムラン(p)
- リットン指揮 BBCスコティッシュSO
- Hyperion CDA67125
ピアノ界の鬼才アムランのショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第1番と2番を聴いてみました。アムランはときどき紹介しているように、いつも抜群のテクニックに仰天してしまうのですが、この盤においても冴えまくった腕を聴かせてくれます。
テクニックさえあれば楽しめるというものではないのですが、彼の演奏スタイルからは、何か面倒くさい取り決めとか段取りを全て飛び越えてしまうような爽快さを感じるのです。それが私のどこかに触れるのかもしれません。
ピアノ協奏曲第1番(1933)はトランペット独奏者とともに演奏されるというちょっと風変わりな曲ですが、ショスタコ独特のメロディの美しさや、少しとぼけた雰囲気などが楽しめる曲です。ショスタコはあまり詳しくないのですが、作曲者は『英雄的な、はつらつとした、きわめて快活な』感じを意図していたようです。そういう雰囲気を曲から感じ取れるかは人によると思いますが。
第一楽章からピアノとトランペットはハイテンションで飛ばしまくります。こんな勢いで最後まで行くのかと思うほどですが全くそんな心配はおかまいなしというところでしょうか。ちょっと深刻な感じの第二楽章Lentoと、第三楽章Moderatoをはさんで終楽章に突入するところからピアノが再び物凄い疾走を始め、そこにオケとトランペットが被さります。ピアノは打鍵も強く天上から地下までこれでもかと打ち鳴らされるさまは、軽い躁鬱を繰り返した後に来る破れかぶれの明るさにのようなもの(何だそれ?)満ちています。中間部のトランペットソロは、ちょっとボケが過ぎないかと思わず笑ってしまうのですが、ラストに至ってはもはや破顔でブラボー!です。
続くピアノ協奏曲第2番(1957)も軽いノリで始まります。続いてすぐに粒の揃ったピアノがオケと対等に渡り合う様は胸のすく思い。一楽章からとにかく激しいのです、物凄いスペクタクルを観る思い、あいた口がふさがらない。ショスタコのピアニズムが凄いのか、あるいはアムランが凄いのか。音楽からここまでのエネルギーを引出す手技には脱帽。
第二楽章は一転して物静かな弦で始まりますが、こういうメロディの扱い方は何とも言えませんね、間違いなく泣けます。今でこそヒーリングミュージックとしてもてはやされるようになってきましたが、ここだけ取り出して聴くものではありません。それにしても甘美過ぎる!この曲は息子のマクシームのために作られたとされておりますが、第二楽章は父から息子への贈り物なのだそうです。
そして怒涛のような激しさの終楽章が、転がるようなコミカルなメロディから開始されます。終楽章に作曲当時、モスクワ音楽院に在学中の息子が練習していた曲であるハノンを引用していることも、この曲を特徴つけていますが、そういうことを知らずともアムランの冴えに冴えているピアノを聴いていると細かいことはどうでもよくなります。彼の演奏に切れ味とかそういうものばかりを求めてしまうのも何だかなあとは思うのですが、梅雨時の鬱陶しさを吹き飛ばすには格好の盤であると言えましょうか。
【サイト内の関連】
・アムランのほかのCDレビュ
2003年9月14日日曜日
【音盤】アムランのアルカンほか
Variations de Consert Op.11 (Frist Recording)
Charles-Valentin Alkan (1813-1888)
Concerto da Camera Op.11/1
Concerto da Camera Op.10/2 (First Recording)
Piano:Marc-Andre Hemlein
Conductor:Martyn Brabbins
BBS Scottish Symphony Orchestra
Recording in Govan Town Hall, Glasgow, on 2 3 December 1993
ここに納められている Henselt と Alkan は、リストやショパンと同時代の作曲家であるらしい。Alkan は名前くらいは聴いたことがあるが、Henselt は読み方さえ分からない。この盤のふたつの曲がともに世界初録音とは驚く。
数多くの作曲家の中で現代でも聴き続けられているのには理由があるのだろうが、歴史の中に埋もれてしまっている作曲家も、私が知らない以上に多いのかもしれない。アムランが発掘したこの二人の作品も、これが何故に今まで誰も演奏しなかったのか不思議でならない、あまりに不当な扱いではないか。
どちらの曲もピアノの技巧をこらした、壮大なる曲である。音楽的な起伏も大きく、しかも深刻になりすぎず良い意味で刺激的でかつ健康的な美しい曲であると思う。特に凄まじい速さで速さで上下する旋律はロマン的な華やかさに満ちていて、アムランの精巧なテクニックで聴かされると、ふつふつと快感のようなものまで感じる。
しかし、何度もこの曲を聴いていると、「彼は、素晴らしくて、とてもいい人なんだけど~」的なつまらなさを感じることがなきにしもあらず。これらの曲が埋もれてしまった理由は、そんなところにもあるのかもしれない。もっともアムランのような者が弾けば、作品は生き生きとして蘇るのではあったが。
2003年1月7日火曜日
【音盤】アムランによるゴドフスキーのアルバムを聴いて
私はピアノについての知識がほとんどないので、ゴドフスキー作曲のソナタと、パッサカリア(シューベルトの未完成交響曲のテーマを用いた44の変奏曲)がどのくらい難しいのかを真に理解することは出来ない。しかしネットでゴドフスキーあるいはアムランを調べるたびに、いかに恐るべき曲であることを知るのだ。
もっとも人は音楽を聴いてそれが難曲であり技巧的に難しいから感動するのではない。曲芸のような演奏からは、人をたまげさせることは出来ても感銘を与えることはできない。果たせるかな、アムランは単なる曲芸師でもキワモノなどでも決してない。
アムランはどちらかというと、かなりマイナーな作曲家をマイナーなレーベル(英hyperion)と録音しているが、彼の弾く馴染みのない曲からは、名状しがたい新鮮な感動をいつも感じることができる。
曲が素晴らしいのか、あるいはアムランの技量が卓越しているのか私には判断できない。彼が好んで弾く曲集が、アムランの技量をして初めて真価の発揮できるたぐいの曲であるのかもしれない。
こんなことを書くと、ろくにショパンも知らず、ホロヴィッツもリヒテルもコルトーも満足に聴いたことがない人間が何を戯言を言うかと思う人も多いと思う。私も大きな声では言えないが、そういう考えを否定しきることができない。このような感覚がクラシック音楽を狭い範囲に限定するものだとアタマでは理解していても、ジッサイのところアムランてどうなんだ?と思ってしまう。どなたか聴かれた方いらっしゃいますか?
2002年11月26日火曜日
【音盤】アムラン/カレイドスコープ
- エドナ・ベンツ・ウッズ:幻想的ワルツ(ヴァルス・ファンタスティーク)
- セルゲイ・ラフマニノフ:V Rのポルカ
- ヨーゼフ・ホフマン:夜想曲
- ヨーゼフ・ホフマン:カレイドスコープ(万華鏡)
- マルク=アンドレ・アムラン:練習曲第3番(パガニーニ=リスト「ラ・カンパネラ」に基づく)
- フェリクス・ブルーメンフェルド:左手独奏のための練習曲
- ジェイコブ・ギンペル:「海兵隊賛歌」による演奏会用パラフレーズ
- マルク=アンドレ・アムラン短調による練習曲第6番(ドメニコ・スカルラッティを讃えて)
- ジュール・マスネ:狂ったワルツ(ヴァルズ・フォル)
- モリッツ・モシュコフスキ:練習曲変イ短調
- フランシス・プーランク:間奏曲変イ長調
- レオポルド・ゴドフスキー:アルト・ウィーン
- アレクサンドル・ミシャロフスキ:ショパン「即興曲第1番」変イ長調に基づく練習曲
- アーサー・ルリエ:ジーグ
- エミール・ブランシェ:古い後宮の庭で
- アルフレート・カセッラ:「2つのコントラスト」――グラツィオーソ(ショパンを讃えて)
- アルフレート・カセッラ:「2つのコントラスト」――反グラツィオーソ
- ジョン・ヴァリアー:トッカティーナ
- アレクサンドル・グラズノフ:小アダージョ――バレエ音楽「四季」より
- ニコライ・カプースチン:トッカティーナ
- ピアノ:マルク=アンドレ・アムラン
- 録音:2001年2月、ヘンリー・ウッド・ホールでのデジタル録音
- 英HYPERION CDA 67275(輸入版)
ヴィルトゥオーゾ、アムランのアンコール・ピース集。このディスクはアムランならではのアンコール・ピースで、彼にしか弾けないような難易度の高い作品がぎっしり収められています。 たとえばアムラン自作の練習曲第3番は、パガニーニ=リストの「ラ・カンパネラ」を複雑にしたもので、リストの原曲より難易度もはるかに高くなっています。ギンペルの「海兵隊賛歌」はホロヴィッツ版「星条旗よ永遠なれ」の伝統を踏襲したかのような派手なパフォーマンスが聴きものです。 マスネの「狂ったワルツ」は昨年、一昨年のアムラン来日公演でのアンコール曲目。それこそ「狂ったように」難しい曲という印象です。最後のカプースチンも聴きものです。ロックのリズムを大胆に導入したこの「小トッカータ」には、すでにカプースチンの自作自演CDがリリースされていますが、アムランは作曲者本人と親交がある数少ないピアニストの一人なので、演奏内容も万全です。その他、表題にもなったヨゼフ・ホフマンの「万華鏡」や、ゴドフスキーの作品に至るまで、超絶技巧を前提にし、しかも親しみやすい作品が大量に収録されているのはピアノ好きには堪らないポイントと言えるでしょう。 (HMVサイトより引用)こういう超絶技巧曲がいとも容易く弾かれるのを聴くと、個々の曲がどうだ、などという細かなことを論じる気さえなくなってしまう。そもそもこれらの曲は、アムランのアンコールピースなのだ。それにしても何と言うアンコールピースであることか!これぞ「体育会系ピアニズム」の極致と言えるかもしれない。
HMVの解説にもあるが、例えば耳慣れたリストの「ラ・カンパネラ」! リストの曲を知っている人も、パガニーニの原曲を知っている人も、肝を潰してしまうような音楽になっている。難しさという点ではなく、技術を駆使したその先のグロテスクなまでに変形させられた音楽の持つ、まがまがしくさえある強烈な魅力に驚いてしまう。
しかし仔細に聴いてみれば、アムランは技巧をひけらかすためだけにアンコールピース集を録音したととばかりにも思えない。リストの曲集でも感じたが、技巧派のレッテルにありがちな機械的な味気なさとは違うものを、アムランのピアニズムからは感じる。ピアノという楽器の能力を最大限にまで弾き出しているような演奏からは、アムランの偏執的とも思えるほどのピアノへの愛が伝わってはこないだろうか。
実際「狂ったように難しい曲」ばかりが納められているのではないのだ。たとえばMOSZKOWSKI(1854-1925)の練習曲やPOULENC(1899-1963)の間奏曲などは哀愁を帯びた美しさを湛えた小品であるし、GODOWSKY(1870-1938)の Alt Wien ('Old Vienna')や、GLAZUNOV(1865-1936)のバレエ音楽をもとにしてアムランがアレンジした「Petit Adagio」も、初めて聴くものにとってさえ、これらが愛すべき美しい曲であることを知らせてくれる。
最後のKAPUSTIN(1937-)の「Toccatina」は、CD解説に「Oscar Peterson ? No, a succinct and dizzying toccata by a Russian composer.」とあるように、ロックのリズムというよりは洒落たジャズ風の曲で楽しませてくれる。
まさにあっという間の、圧倒的な20曲だ。思わずブラボーと叫んでしまう。ピアノ曲を聴くという快感と醍醐味を存分に味わえる一枚と言えるかもしれない。
2002年11月18日月曜日
【音盤】アムラン/フランツ・リスト作品集
- パガニーニによる大練習曲S.141 Six Grandes Etudes de Paganini S141
- 葬送行進曲 Trauermarsh - Grande Marche funebre
- アレグレット・フオコーソ Grande Marche
- 騎兵隊行進曲 Grande Marche caracteristique
- ピアノ:マルク=アンドレ・アムラン
- 録音:2002年2月、
- ヘンリー・ウッド・ホールでのデジタル録音
- 英HYPERION CDA 67370(輸入版)
アムランといえば技巧派のピアニストとして有名だ。CD試聴記でもブゾーニのピアノ協奏曲のレビュを、驚きと感動を持って書いたことを思い出す。そんなアムランが、リストの超絶技巧練習曲を録音したというのであるから、少なからず興味を持っていた。
リストという作曲家が好きかと問われれば、否というか、好きと答えるほどには親しんでいないというのが正直な回答だ。中学時代にジョルジ・シラフが弾くハンガリア狂詩曲 第2番のLP聴いたときの衝撃は忘れられないが(それこそ擦り切れるほど聴いたものだ)、それ以降リストの作品に食指が伸びることはあまりない。
さて、今回のアルバムは疎遠なリストを私に近づけることができる一枚になったであろうか。
まずは、パガニーニによる第練習曲。リストがパガニーニの演奏を聴いて「ピアノのパガニーニになる」と決意したという逸話は有名だ。この練習曲はパガニーニの原曲以上に難しいと言われてきた難曲であるらしい。第3番「ラ・カンパネラ(鐘)」は有名でよく演奏されていると思うが、全曲を通して演奏されることは、最近までは少なかったようだ。
私はピアノを弾かないので、聴いていてもどこが難しいのか、真に理解し驚嘆することはできないのだが、それでも、恐ろしく複雑にして多層にわたるアルペジオやら音階がスピーディーに弾かれるのを聴いていると、ほとほと感心してしまう。
アムランはこれらの「超絶技巧」といわれる難曲を(今では多くの演奏家が演奏可能なのだろうが)いともたやすく、弾いているように聴こえる。一部の隙もない演奏からは、技術を落とさないための日課練習をしているような余裕さえ感じられるところがオソロシイ。
しかし、この演奏を聴いて感動するかと問われれると、首を傾げざるを得ない。原曲のパガニーニのカプリ-スをどうしても思い出してしまう。原曲以上に難しいというが、原曲に漲る、悪魔的ともいえるほどの魅力と、技術的な冴えのようなものが、薄められてしまっているように思えてならない。
パガニーニ大練習曲、シューベルトの行進曲/マルク=アンドレ・アムラン(pf)フランツ・リストの有名なエピソードに、1832年、パリでヴァイオリンの名手パガニーニの超人的技巧と悪魔的容貌に接した際、「ピアノにおけるパガニーニ」になることを決意したという話があります。その若きリストの思いがストレートにあらわれたのがこの「パガニーニ大練習曲」だと言われています。 リスト初期の成功作となったこの作品、6曲のうち5曲が「24のカプリース」をとことん技巧的にピアノ編曲したもので、有名な第3番「ラ・カンパネッラ」のみヴァイオリン協奏曲第2番から編まれています。 これまで、「リスト弾き」といわれる人でも、特に有名なこの「ラ・カンパネッラ」のみを弾くことが多かったのですが、昨今のフランツ・リスト・ルネッサンスと、超絶技巧ピアノ・ブームの盛り上がりにより、全6曲の本格的な演奏がなされる機会も着実に増えてきているようです。その先鞭を付けたのも実は、このhyperionレーベルだったのかもしれません。レスリー・ハワードによるリスト:ピアノ作品全集の第48巻(CDA 67193)で、全曲版を2ヴァージョン ―― 1838年版と1851年版 ―― とも録音して大評判となったのはかれこれ4年ほど前のこととなります。 空前絶後のテクニックで不滅の金字塔を打ち立ててきたアムランの、これが待望の最新作。アムランにとってCD一枚丸ごとリスト作品というのは、96年録音のライヴ盤「プレイズ・リスト」(CDA66874/国内仕様MCDA66874)以来となります。今回の録音は、今年2月にヘンリー・ウッド・ホールで入念にセッション・レコーディングされたものです。今考えればアムランは「パガニーニ・エチュード」全曲録音のための伏線も、実はしっかり張り巡らしていたのでした。2001年2月に録音された「万華鏡(カレイドスコープ)」(CDA67275/国内仕様MCDA67275)で、アムラン自作のエチュード第3番「パガニーニ=リスト:ラ・カンパネッラによる」を入れていたのです。このアムラン流・超絶技巧てんこ盛りの「ラ・カンパネッラ」は、今回のアルバムへとつらなる明らかな道しるべだったと言えるでしょう。コンポーザー=ピアニストにこだわり続けるアムランの評価は、ヨーロッパでもこのところますますうなぎり。前作のゴドフスキー:ピアノ・ソナタ ホ短調/パッサカリア(CDA67300/国内仕様MCDA67300)はhyperionの数あるニュー・リリースの中でも空前のセールスを記録。ヨーロッパの店頭では「飛ぶように売れ、あっという間に売り切れた」と伝わっています。持ち前の超絶技巧に加え、音楽的にも深みを増しつつある、アムランの躍進ぶりには目を見張るばかり。 パガニーニ=リスト=アムラン、という3人のコンポーザー=ヴィルトゥオーゾの時空を越えた邂逅は、聴く者にきっと最高のカタルシスを与えてくれることでしょう。
超絶技巧の作品を果敢に演奏し続けているアムランがリストの難曲を録音したCDが発売されたのを見つけさっそく入手して聴いてみることにしました。パガニーニによる超絶技巧練習曲はリストの作品の中でもポピュラーなものですが,シューベルトによる行進曲の録音は比較的珍しい録音に属するのではないでしょうか。 ここで聴かれるアムランの演奏は相変わらず見事で,最初の超絶技巧練習曲集では,目まぐるしいパッセージをものともせずに冷静なコントロールによって生み出される精妙な表情の変化には唖然とするばかりですし,表情の幅や力感も十二分に発揮されており,表現が無味乾燥になることがありません。 私自身,この演奏の複雑で困難なパッセージがハイスピードで正確に再現されているのを聴いているだけでも,メカニカルな快感と,スポーティな爽快感と,高度なものを成し遂げた達成感を感じ,自分が弾いているわけでもないのに大いなる満足感に浸ることができました。 ただそれでも,この演奏は精密な機械仕掛けのからくりを聴いているような気もしてしまうのも事実で,冷静かつ完璧なコントロールに耳を奪われながらも,聴き手に迫るパワーや迫力といったものは感じられないので,リストの超絶技巧作品を聴くにしてはクールに過ぎるのではないかとも思えます。 しかしそれは,これまで聴いてきたリストの演奏によって蓄積されてきた作品のイメージに過ぎず,そもそもリストはパガニーニの演奏を聴いて,自分は「ピアノのパガニーニ」になろうと思ったというのですから,パガニーニのようなクールビューティな演奏こそ作品の姿を伝えるのかもしれないなという気もしています。 続いて収録されているシューベルトによる3つの行進曲は,シューベルトのD819の6つの大行進曲とロンド,D859の葬送大行進曲,D886の2つの性格的な行進曲から再構成した作品で,原曲はいずれもピアノ連弾曲なのをピアノソロにアレンジしたという難曲です。 こちらは,オリジナルのシューベルトの作品そのままといった印象があるのですが,声部が増えたときには独りで弾いているとは思えないような対比が聴かれ,それをアムランが鮮やかに弾き分けているのは全く見事で,表現そのものというか,メッセージ性は淡泊といえるのですが,フォルテでの力感や,華やかなパッセージのブリリアントな響き,そして軽快なリズム感も聴き応え十分で,アムランの表現のパレットの様々な階調を堪能できるものでした。 こうして聴いてみると,いずれも難曲になればなるほど持ち味を発揮するアムランの超絶技巧が遺憾なく発揮された,鮮烈な演奏に唖然とするばかりでしたが,それが持てるテクニックのぎりぎりのところで演奏されているのではなく,余裕を持ったコントロールの範疇内でなしえていることに,アムランの技量の途方もなさを感じます。これは豪快なリストを聴きたい方にはお薦めできないかもしれませんが,技術の粋を尽くした1つの究極を思わせるリストの名演として強く推薦したいと思います。
2001年7月20日金曜日
【音盤】アムランのピアノ バーミンガム市響による ブゾーニのピアノ協奏曲
ピアノ・パートは難しい、と言うも愚かなほど難しい(長木誠司)というブゾーニのピアノ協奏曲をアムランが演奏しまた録音したというのだから、モノ好きだとは思うが聴いてみたいと思うではないか。さっそく、札幌のPALS21に出かけてCDをゲット。店員さんに「アムランに興味があるのですか?」と聞かれても、なんだかアムラン買うの初めてですと言い出せず、「はあ・・」と曖昧な返事を返すのみであったが、親切にもhyperionのチラシを渡してくれた。心の中で(ええ!? こんなにCD出しているんだ! と恥じ入る)
さて、まず聴いてみて非常にびっくりした。ブゾーニというから知的で緻密な音楽が展開されているのかという、訳のない先入観を持っていたが、ものの見事に覆された。なんだか良く分からないけど凄い、かっこいいと思った。爆発するようなエネルギーを撒き散らしているような男性的な音楽だ。
何度か聴いてみたのだが、繰返し聴くにつけ、すさまじき音楽であると思う。力強さ、爆発するパワー、グロテスクさ、はじけるような陽気さ、春の祭典的な雰囲気さえ漂わせながら怒涛のごとく進む音楽の威力には圧倒されるのみだ。不勉強にして知らなかったが、ブゾーニはイタリア人であるらしい。そう思って聴いてみると、これまた先入観のなせる技か、レスピーギのローマ三部作をふと思い出しながら聴いてしまう。(曲は全然似ていないけどね)
解説は英語なので、レコード芸術と、拙い読解力で把握したところによると、この曲は全部で五つの楽章に分かれている。第1楽章は「プロローグと入祭唱」、第2楽章は「おどけた楽曲」、第3楽章は非常に長く「厳粛な楽曲」「序奏」「最初の部分」「次の部分」「最後の部分」に分けられている。第4楽章は「イタリアの風に」そして第5楽章はデンマークの作家、エーレンスレーアの「アラーへの賛歌」が歌われる。
ブゾーニ自身の妻に当てた手紙によると、1、3、5楽章は三つの建築物を意味し、間の二つはスケルツォとタランテラを配した構成だという。三つの建物はそれぞれ、"Graeco-Roman"、"Egyptian"、"Babylonian"とされているらしいが、私にはそれらを視覚的にイメージできる知識はない。
レコード芸術の長木氏とのインタビューで、アムラン自身が作品のパワーや魅力は正しく演奏すれば自ずから分かる音楽作品に付いて絵画的あるいは思想的な連想や考えは持ちません。それは結局音楽そのものではないので…と語るのは意味深い。しかし、聴きながらどうしても、「言葉」による手がかりを求めてしまうことを避けることができない。
これらの曲からイメージされるものは、壮大にして荘厳なるイメージやら(1楽章)、非常に暗くグロテスクな舞踏であったり(2楽章)、荘厳にしてかつ暴力的なまでのカタストロフィクを感じたり(第3楽章)、猛烈なエネルギーの爆発による生命力の発散だったり(実際「ヴェスヴィオス火山の噴火」とされる)、自然の神秘に対する畏敬だったりする。また、爆発するばかりではなく、ピアノとしての美しさも十二分に堪能できるところも多い。
第四楽章の圧倒的コーダの後に配置された、長調から短調に至る非常にテンションのピチカートの戦慄(not 旋律)や、ピアノのことなど何も知らない私には理解できないくらいテクニック的に難しいらしい、重音のトレモロやら畳み込むようなピアノの轟き、圧倒的なカデンツァなどなども舌を巻く(アムランが「殺人的」というくらい)。第5楽章コーダの男性合唱の美しさと力強さといったらどうだ。
とにかく上品な曲ではない、名曲でもないかもしれない。しかし、この圧倒的な恐ろしく南イタリア的な太陽と空気が、さながら熱風のように聴く物の体を吹き抜けてゆく快感!
ブゾーニ自身が、「建築物」にこの曲を例えたように、通して聞いてみてもまた、ある楽章だけ取り出して聴いても、骨格がはっきりした(ある部分ピラミッド的な美しさを感じる)音楽に聴こえ、決して奔放にして放埓なだけの音楽ではないことも確かだ。従って聴いた後には、何と言うか壮大なる旅をしてきたかのような満足感に浸ることが出来るのだ。ああ、イタリアに行きたい!と思うよ。
もはや、こればかりは聴いてもらうしかない。他に類例がないと思われるこの音楽を言葉にするには余りにも語彙が不足しており、これ以上書き続けることの限界を感じてしまうのであった。
- Prologo e intorroito (15:38)
- Pezzo giocoso (9:47)
- Pezzo serioso:Introductio (4:02) Prima Pars (4:43) Altera Pars (11:30) Ultima Pars (2:57)
- All'Italiana (12:17)
- Cantico (10:50)
- 指揮:マーク・エルダー
- ピアノ:マルク=アンドレ・アムラン
- 演奏:バーミンガム市交響楽団
- 録音:June 1999
- hyperion CDA67143 (輸入版)
2001年7月8日日曜日
【音盤】ピアノ関係の盤 3枚
レコード芸術などで紹介されたり、クラシック関係のHPなどで紹介されており気になっていたCDを3枚購入した。はからずも全てピアノがらみとなってしまったのが、別にラフマニノフから始まってピアノづいてしまったわけではない。
シューマン ダヴィッド同盟舞曲集・管弦楽のない協奏曲
- ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ
- 録音:6/2000
- UCCG-1026(国内版)
レコード芸術6、7月号でも取り上げられているが、実にポリーニらしい精緻なピアニズムを堪能できる一枚と言えるのではないだろうか。
ポリーニのシューマンである、あまり軽々しく評したりできるものではないな。すこしじっくり聴いてみたいと思う。
プレトニョフ/カーネギー・ホール・ライブ
- ピアノ:ミハイル・プレトニョフ
- 録音:11/2000
- UCCG-1028(国内版)
レコード芸術3月号で取り上げられている1枚。技巧派のプレトニョフのカーネギーデビューアルバムである。初回限定版はアンコールのボーナスCDが付いており、結構お買い得感がある。
力強さと精緻さの対比が見事な演奏であり、曲のもつダイナミズムを十二分に表現しているように思える。こういう演奏をホールで聴けば、さぞかし熱狂するだろうなとは思う。
まだ聴き込んではいないのだが、じゃあこの演奏が好きか? と問われると、何かが不足しているような気がするのである。
ブゾーニ/ピアノ協奏曲 ハ長調 作品39
- ピアノ:マルク・アンドレ・アムラン
- 録音:6/1999
- hyperion CDA67143(輸入版)
レコード芸術6月号で取り上げられた1枚。超難曲にして合唱まで入る編成のため、めったに演奏されないこの曲を、超絶技巧派のアムランが入れたという、ファンには垂涎の演奏。私はアムランもブゾーニも初体験であった。
しかし、聴いてぶっ飛んだ! これは凄い、かっこいい!! まだ1回しか聴いていないが、衝撃は大きかった。ブゾーニの曲も凄いが、アムラン恐るべしだな。こうなると日本語解説がないのが辛い! レヴューも書いたのでこちらから。














