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2002年1月5日土曜日

【シベリウスの交響曲を聴く】 マゼール指揮 ウィーン・フィルによる交響曲第7番


指揮:ロリン・マゼール 演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:3/1966 EMI DECCA POCL-6043 Legends (国内版)
マゼールのシベリウスである。録音は1966年であるので、考えてみれば今のようにシベリウスの名演が氾濫してはいない時期の演奏ということなのだろう。4番のレビュでも解説を引用したが、当時は絶大なる評価を受けた演奏だ。ベルグルンドの三度目の録音や、ヴァンスカ&ラハティなど高度な演奏を聴くことのできる現在において、マゼールの演奏は過去のもので、もはや価値のないものであろうか。
私はこの演奏を聴くと、どうしてもっと評価が高くないのだろうかと不思議でならない。それは同時期のチャイコフスキーの交響曲の演奏にも言えることである。ビルトオーゾ的な彫りや深みなどは少ないかもしれないが、ここに聴かれるのは、圧倒的な運動性能である、言い換えれば音楽の持つ推進力というものかも知れない。
シベリウスの7番に「推進力」など求めない、と人は言うだろう。しかし私がここで述べた推進力とは、ただ速い演奏とか性急な演奏という意味ではなく、曲の到達点に向けての説得力と音楽の構成を崩さずに表現を形作るというような意味だ。
こう書いてみて、そんなものは一流のオーケストラが演奏しているのだ、基本の「き」であって、あって当たり前ではないか、と言うものもいるかも知れない。それはそうなのだ、しかし、何かが他の演奏とは、本当に微妙に違うのだ、あるいは気のせいかもしれないし思い込みであるかもしれない。音楽レヴュなど書くという作業は、一瞬の思い込み(思い違い)を文章にしているだけなのだろうし。
��番交響曲では、トロンボーンによる核主題が重要なテーマを与えていることは、お聴きになれば分かるだろう。ここでは、4分30秒、9分50秒、そして16分50秒頃に現れる。この三つの核主題を改めて聴いてみたが、どれもが曲のクライマックスで登場してはいるものの、それぞれを明確に性格を異なえて登場させている。最初のそれは静かなクライマックスの中で、まさに大自然の呼吸というような印象を受ける。二回目のものは荘厳な雰囲気のなか、後ろで支える弦が音は小さいものの、音楽に深みを与えているのに成功している。三回目はテンポを落とし弦の高音でのトレモロを伴うことで、全く違った煌きが与えられてその存在を感じることができる。三回目でテンポを落とすのは他の演奏も同じだが、たとえばベルグルンド&ヨーロッパ室内管の演奏と改めて比較するとかなり性格が違うことが分かる。
全体に演奏の性格としては、抒情的にしてロマンチックに少し傾いた演奏であるかもしれないが、過度なものではない。こういう演奏を聴くと、現代のマゼールは良く分からないが、若かりし頃のマゼールは、己の溢れる才能と、ともするとどこまでも加速してしまいそうなその勢いと情動に、計算しつくしたブレーキをかけつつ演奏しているような気がするのだ。従って非常にクレバーな印象を受ける。ただ、ベルグルンドの緻密さと濃密さとは異質だが・・・(これとて、マゼールを知って書いているわけではないので見当違いかもしれないが)
18分以降のコーダに向かうラストは、この演奏の中では最高の出来になっていると思う。決然とした響きを聴かせた後の、ヴァイオリンが奏でるテーマの中での休止の使い方のうまさ、緊張感を生んだ後にトロンボーンのテーマがふとよぎりフルートの優しい音色が聞こえてくる。緊張から弛緩へ移行し限りなき安寧を受ける。ラストの不思議な和音の終わり方も美しい。
名演という評価のない演奏のレヴュを、またもや長々と書いてしまった。「7番の名演として薦めるか?」と問われれば「否」と答えるだろう、わざわざ本演奏を聴かずとも7番の真髄に触れることはできる演奏は多いだろう。ただ、なんと書いて良いのか分からないが、この時期のマゼールの才能を改めて確認した次第である。
また、この盤を聴いた上でベルグルンドの演奏を聴くと、彼の演奏の特異さと気高さがさらに認識される気もするのであった。

2001年7月10日火曜日

【シベリウスの交響曲を聴く】交響曲第4番 マゼール指揮 ウィーン・フィルによる交響曲第4番

指揮:ロリン・マゼール 
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 
録音:4/1968 EMI DECCA POCL-6043 Legends (国内版)

マゼールの演奏は、数あるシベリウスの録音の中でどのような位置付けだろうか。少なくともシベリウスの名演という点では候補からはずされてしまうかもしれない。しかし、チャイコフスキーの交響曲の特集でも感じたのだが、この時期のマゼール&ウィーンの演奏は若さと切れの良さが程よくマッチし、多少粗削りな印象を受けるものの、曲の持つ構成を見事に浮き彫りにしてくれる名演であると感じる。全ての音が明確に聴こえ、複雑な音楽の見通しが非常に良いことも演奏の特徴だと思う。音楽が余計な感情を抜きにして聴く者にせまってくる迫力があるのだ。実際、解説によると当時の評価としてはマゼールのシベリウスの全集の中でも4番の評価は非常に高く「この音楽の神秘に近づいたビーチャム以来の初めての指揮者」とされたらしい。
第一楽章の出だしから切り込むよな激しさが感じられ、続くチェロの音の枯れた音と低弦の支えには、一切の妥協のなさを感じる。そこから立ち昇ってくる金管の和音にも厳しさと激しさを感じ慄然とさせられる。音楽により導かれた先は、澄み切り凍てついたかのような虚空の世界さえ感じ取ることができようか。しかし、何と美しい世界であることか。
第二楽章のスケルツォをどう考えるかは演奏のポイントかもしれない。マゼールの演奏からは、素早い動きの中から生命感や若々しい躍動感を感じ、前向きのムーブメントを表現しているように思える。不安さはすぐに翳を落としはするものの、ポジティブな方向での音楽作りを目指しているように思える。また、この楽章については、やたら懐古的や田園風に描写するのを避け、むしろ推進力を前に出し厳しい走句を形作っているように聴こえ、それがかえって心地よく響く。
第三楽章の冒頭はフルートの主題が象徴的である。続くホルンの音色を契機に深く想いに沈んでゆくような音楽つくりは曲想に従順であるように思える。時々現れるチェロのテーマは、ここでも何の飾り気もなく澄み渡り、あたかも波ひとつない湖面を眺めるかごとき静謐さがある。後半になりテーマが展開され大きなさざ波が立ち始めるが、ここでもマゼールは感情の波を押さえ込み冷静に棒を振っているように思える。感情の波は山を迎えても崩れることはなく、再びうちに秘められてゆくのだ。クライマックスの苦悩でさえ救済を求めるかのように吐露しているが、一人日記に感情をぶつけているかのような感がある。
第四楽章はマゼール盤でも鉄琴が使われている。音楽は素早く進行してゆく。この楽章でもそうなのだが、とにかくマゼールの演奏はイキがよく勢いが最大の魅力だと想う。さらに先に述べた音のクリアさと構成の明快さにより音楽的にスリリングに仕上がっており、辛口にして全く退屈しない演奏に仕上がっている。後半に明るさが消え失せてゆく部分の劇的さは余りにもドラマチックで、背筋に刃物を突きつけられたかのような冷ややかさと恐怖さえ感じる。
もっとも、4番へのアプローチというのは、苦悩や暗さよりも、むしろ明るさと推進力に重きを置いた演奏に聴こえる。ムダを配したキリリとした(多少、粗いという印象も受けるが)音作りは辛口の印象を受けるが、演奏解釈的には希望をもたせた演奏であると感じる。ラストにしても救いが全くないという終わり方ではないと思える。

2001年3月12日月曜日

【チャイコフスキーの交響曲を聴く】交響曲第6番 ロ短調 作品76「悲愴」  マゼール指揮 ウィーン・フィルによる交響曲第6番


交響曲第6番 ロ短調 作品76「悲愴」 
指揮:ロリン・マゼール 演奏:ウィーンフィル 
録音:1963 London 430 787-2(輸入版) 
チャイコフスキーは「情」を表に出した作曲家であるということは論を待たないだろう。悲愴交響曲が、チャイコフスキー自らの遺書とかレクイエムであるとの解釈も、先のカラヤン盤を聴く限りにおいては納得のできるものではあった。しかしチャイコフスキー自身としては、特定の人物や事件を想定したような「標題性」までは、この曲に付与してはいないのかも知れない。
マゼールのチャイコフスキーをここまで聴いてきて感じるのだが、全てにおいて非常に新鮮な切り口を見せてくれたように思う。悲愴においてもマゼール演奏を聴くことで、何度もはっとさせられる思いがした。
マゼール・ウィーン版で特筆すべきは、弦楽器群の美しさもさることながら、旋律と対旋律やバックの動きが非常に明確であり、曲の持つ構成美を見事に表出してくれていることだ。耳を良く澄ますと、色々な動きが聴こえてきてチャイコフスキーの言わんとすることがストレートに伝わってくるかのようだ。また、「若々しさ」とか「荒々しさ」、キビキビしたスピード感などという表現も何度も使ってきた。この演奏においても、切り口が鋭く鮮やかさであり、演奏に今までにない凄みを与えている。重心が低くない演奏であり、それ故、鋭い刃物で切りつけ、あたかも鮮血がほとばしるかのような想いを受ける。このような演奏を聴くと、粗さまで計算ずくの指揮のもと、ウィーン・フィルがそれに答えているように思えてくる。
例えば1楽章の9分ころから始まるクライマックス。激しさの中に、とてつもない運命の前への服従や諦めが見事に表現されており胸を打つ。しかも、激しさを持ちながらも、マゼールは冷静に、この曲の「情」に入り込みすぎないよう距離をおいた解釈をしていると思わる。それが逆にこの交響曲の持つ性格を見事に抽出している。1楽章の最後に見せるコーダはテーマは光に包まれた、微笑みさえ感じ2楽章へのつながりを感じさせる。
��楽章のワルツは、非常に流麗な演奏で、5/4拍子という不安定な拍子が表す揺れる不安な心がうまく伝わってくる。規則的にたたかれるティンパニは迫り来る運命の鼓動だろうか、さらりと早いものの、テンポの揺らしなども結構あり、新たな発見に満ちた演奏である。
��楽章は良く聴いてみると、行進曲風の力強いテーマの裏に、チャイコフスキー好みの繊細な動きが見え隠れし、ざわめきとして聴こえてくる。何か走馬灯のように今までの過去を振り返りながらの凱歌に聴こえてくる。華やかなこの楽章からして、過去を鎮魂するレクイエムなのかと思わせる。
��楽章は切り込むような鋭さで開始されるものの、感情過多にはなっていない。その解釈が普遍的な、悲しみの深さや諦念を見事に表現しきっていると言えようか。途中のクライマックスの悲劇的な部分も見事であり、激しくも静かな美しさに満ちている。
概して、マゼールの演奏は「情」の音楽であるチャイコフスキーの交響曲に対して、知的にして清冽なアプローチを試みた演奏であると思わせる。私は悲愴交響曲をチャイコフスキーという実像抜きに聴くことは出来ないと考えているが、マゼールはある意味、そういうものから脱皮し美しき普遍性へと昇華させた音楽を目指したと思えるのであった。マゼール盤は、純粋なチャイコフスキー党からは、好まれないタイプの演奏かもしれない。しかし、私はマゼール盤を聴かなければおそらく、チャイコフスキーの交響曲の真髄の一端に触れることはできなかったと断言できる。でも、色々なサイトで「悲愴」の名盤を読んだが、マゼール盤を推している人は・・・少ないなあ・・・
��実際マゼールが何を目指したのかは、解説には一言も書かれていないので、分からないのだが・・・、ぜーんぜん的外れかも知れないよ。)

2001年2月24日土曜日

【チャイコフスキーの交響曲を聴く】交響曲第5番 ホ短調 作品64  マゼール指揮 ウィーン・フィルによる交響曲第5番


交響曲第5番 ホ短調 作品64 
指揮:ロリン・マゼール 
演奏:ウィーンフィル 録音:1963 London 430 787-2(輸入版) 
 
なんと書いてよいのか分からない。マゼール盤でこのチャイコフスキーの5番をこんな感動をもって聴けるなどとは、予想だにしなかった。次に書くゲルギエフ盤へのつなぎくらいの気持ちでいたのだ。他の人の評価がどうかは知らないが、私はこの演奏をはじめて聴いたとき、2楽章の途中から体の震えと涙が止まらない想いをさせられた。これほど、慣れ親しんでいた曲であるのにだ。
何が違ったのか、いや、根本からして違ったのだ。私のこの曲に対する認識もそしてここに納められた演奏も。
この曲は、脳内に麻薬物質をばら撒くだけの曲なんかではなかったのだ。虚飾と余計な感傷を排除したときにこの曲が見せる姿は、運命に対する勝利などではなく、慈しみと受容であるのだと感じた。4番交響曲とはテーマに対する回答が違う、10年経ったチャイコフスキーの姿をそこに見ることができる。こんな風にこの曲を聴いたことがなかった。
1楽章の出だしから音が非常にクリアで新鮮さがある。カラヤン・ベルリン盤に比べアンサンブルも粗い、テンポもゆれるし強弱の幅も大きい。また、時に強いアタックやアクセントを楽器に要求しているが、それらはアクの強さとはならずストレートに心に響いてくる。マゼールは熱くなりまくって棒を振っているわけではなさそうだ、冷静な分析のもとに作品を見据えているように思う。
曲の進み方もカラヤン・ベルリン盤より速い。1楽章で2分、2楽章でも1分半、3楽章でも1分速い。快速系というわけではないが、この演奏の粗削りなところが、逆に切れ味の鋭さを呼んでいる。弦も強い、ティンパニの叩は乾いているが決然とした意思がある。無駄が排除された音が聴くものに訴えかけてくる。
1楽章の最終部から2楽章への渡りの音楽のつなぎ方がまた見事である。暗く憂愁の想いをこめた弦の響きの美しさ。そして、主題を奏でるホルンの音色もくぐもった暗めの音色で、年輪を経た木質系響きを感じる。これに絡むクラリネットやオーボエとの掛け合いは、親しい友人たちと語らいであったのか。この楽章では色々な楽器たちが話しに加わる。カラヤン盤でイメージされた月光の心象風景は浮かばない(!)。ここには甘美な世界はなく、淡々とした語りと思考がある。弦が受け持つ主題はホルンが象徴するもの(チャイコフスキー自身か)に対する慰めや諭しにさえ聴こえてくる。
運命のモチーフが最初に出現する7分すぎに、テンポがぐっと遅くなり引っ張るのだが、それが唐突に終わる意外さ。その後のテーマは元のテンポに戻っているがピチカートがクリアだ。そこに進み始めたドラマがを感じる。11分で現れるティンパニとトロンボーンによる暗く強いテーマの部、その突然さは人生に用意された陥穽の暗示なのか。しかし、その後に続く優しい弦の響きにを聴かされたとき、思わず涙が浮かんでしった。今まで、ここで感動したことはなかった、慈しみという言葉が頭をよぎる。
3楽章は速い、軽快に駆け抜けてゆく、べたべたした感傷はない。5分半と短いためさらに経過句的な意味合いを強めている。ワルツだがこの演奏ではワルツは踊れない。
4楽章の出だしの滑らかさと優しさ、そしてオケの緊張感、鳥肌が立った(出だしの一音めが合っていないことを差し引いても)。3分すぎからの展開部の入り方、駆けてはいるが逃げてはいないことに気付く、目指したのは運命との共存か。トロンボーンからトランペットに引き継がれる上昇音形の前は、いたずらに昂ぶらない。トロンボーンとトランペットが奏でるフレーズの二度目の決然とした意思の表明という明確さ。
最後のフィナーレも運命に対する勝利ではない、チャイコフスキーが10年かけて見つけたのは、優しさと受容だったのか。マゼールは、決してチャイコ節をブリブリ言わせていない、しかし、その突き放したような演奏が逆に本質をえぐっているのか。各声部が明確に聴こえ、音楽を聴くものに語りかけるかのような説得力をもっていると感じた。
なぜかこの演奏と聴いたときの感情がシンクロしてしまったようだ。後日再び同じ感想となるかは分からないが、とりあえず日を改めて二度まじめに聴いてみた感想であると付しておこう。

2001年2月18日日曜日

【チャイコフスキーの交響曲を聴く】交響曲 第4番 ヘ短調 作品36 マゼール指揮 ウィーン・フィルによる交響曲第4番


交響曲 第4番 ヘ短調 作品36 
指揮:ロリン・マゼール 
演奏:ウィーンフィル 
録音:1963 London 430 787-2 (輸入版)
カラヤン盤との比較で聴いてしまうと、マゼールであってもどこか素朴さがが残る、まっとうな解釈の演奏であると感じてしまう。刷り込みとは恐ろしいものである。テンポの取り方も速すぎることもなく、カラヤンのような眩惑的な演奏ではない質実なアプローチである。もっとも先のカラヤン・ベルリンも決して速くはない、演奏時間を比べるとほとんど同じ程度である。
なお、眩惑的というのは、悪い意味で書いているのではない。マゼールを聴いた後、しつこくも再びカラヤンを聴いてみると、本当に1楽章からして眩暈を覚えそうになるくらいの耽美的なところが、やはりその演奏にあるのだ。
それにしても良く聴いてみると、ウィーンフィルは爆演気味の演奏であり、マゼールの指揮に良くついていっているようである。トロンボーンを始めとする金管群の迫力、それにコントラバスの低弦の動きはすざまじいばかりの迫力である。随所に現れる木管のソロや弦楽器との絡みの部分は、素朴な味わいとヒヤリとした透明感があり、ロシア臭さや自然の息吹を感じさせる。また、全ての演奏が対旋律までしっかり浮き出て聴こえ、曲のもつ面白さや構成を非常によく見通すことができるのだ。
��~3の交響曲の感想でも書いたが、この全集でのマゼール・ウィーンのコンビの演奏には、少々粗削りなところを感じる。それが本演奏の魅力ともなっているのだが、この交響曲の演奏ではその粗さが剥き出しになっており、聴くものに有無を言わさぬ運命との駆け引きと葛藤を示してくれているようだ。
��楽章はチャイコフスキーがフォン・メック未人に示した標題を念頭に聴いてみることは、音楽の本質を損なう作業だろうか。カラヤン盤(グラモフォン)の解説では、「標題は、作品への道を音楽的に誤って導くものではあっても、音楽的な方向を与えるものではなかった。(トーマス・コールハーゼ)」と書いている。マゼール盤(London)の解説を読むと、その標題とは以下である。
the melancholy which steals over us when, at evening, we sit indoors alone, weary of work, while the book we have picked up for relaxation slips unheeded from our fingers. A long procession of old memories goes by...There were moments when young blood pulsed warmly though our veins and life gave all we asked. There were also moments of sorrow, of irreparable loss."
私の下手な和訳で読むよりも、辞書を開いて読んでみたほうが雰囲気がつかめるだろう。この標題はそれほど演奏の的をはずしていないと私は考えるのだが・・・・
��楽章のスケルツオでも顕著なのだが、リズムが強調されるような演奏の仕方である。ピッコロの奏し方も激しく、キビキビした印象と若さをと弾むエネルギーを感じさせる。この演奏を聴くと、3楽章が4楽章への序奏(助走)であることがはっきり分かってくるのだ。
��楽章のモチーフ「白樺の木」はまだ白樺らしさを見せており、歓喜あるいは勝利のテーマや運命のテーマよい対象になっている。ただ、この楽章のマゼールの演奏は、やはりリズムを強調するような感じに聴こえ、少々軍隊行進曲風に聴こえる部分がないでもない。コーダの前に登場する、1楽章の第一主題(運命のテーマ)の当たりの盛り上がりと悲愴感はこの演奏の中での圧巻ともいえる部分で凄みさえ感じる。ホルンから始まるテーマからラストへは一気に駆け上り、歓喜爆裂といったところである。
いずれにしても、聴くほどに新たな発見のある演奏であり、曲であると思うのであった。

2001年2月4日日曜日

【チャイコフスキーの交響曲を聴く】 交響曲 第3番 ニ長調 作品29 「ポーランド」


交響曲 第3番 ニ長調 作品29 「ポーランド」 
指揮:ロリン・マゼール 
演奏:ウィーンフィル 
録音:1964 London 430 787-2
スヴェトラーノフ版との比較で聴いてしまうと、マゼールのこの演奏は、別の曲のような印象を受けてしまう。
��楽章の出だしの暗いテーマからして、なにやら軽やかであり華が感じられる。序奏から盛り上がりを見せてゆく部分から、堂々たるテーマが奏される部分に至まで何たる上品な音つくりよ。ウィーン風と称してもよいかもしれない。チャイコフスキーのちょっと野暮ったいテーマや扱いも、指揮者の軽妙さとドライブ感のためずいぶんとスマートに感じる。
マゼールは1楽章のもつ高揚感を、粗さと流麗さで見事に表現している。どの版で聴いても、この楽章だけで「ごちそうさま」という気分にさせられるのだが。(マッタク、チャイコフスキーは何を考えていたのだろうか)改めて、この楽章を聴いてみると、どこがというわけではないものの、第4番交響曲につながるような処理が仄見えてくるようで面白い。
��楽章の木管による最初のテーマやっぱりいい。この不思議な気持ちにさせてくれる曲をずっと聴いていたい気にさせてくれる。これも踊りなのだろうか。チャイコフスキーというとバレエ音楽と連想されるような固定観念のせいだろうか。交響曲第3番は「白鳥の湖」と同時期に作曲されたものらしいが、彼の根底に潜むものとして、踊りの音楽というのがあったような気がする。それゆえに、ガンガン鳴らす楽章の魅力も捨てがたいが、チャイコフスキーの交響曲は、こういった楽章に真価が表れているように思える。
もっとも、主題の展開や変奏などの面白み、人間的な苦悩や深みみたいなものは(いわゆるドイツ系の大作曲家が表現したような)、これら初期の交響曲群から発見することができないのだが、そこに彼の交響曲の賛否があるのかもしれない。
マゼールの演奏にしても、熱狂と静かさの対比の中で音楽を掘り出すことに終始せざるを得ないと思える。その点、スヴェトラーノフの場合はロシアとしての血がそれ以上のものを生み出すのだろうか。
演奏にもどると、全体に低音(主に低弦と打楽器の扱いの違いだろうか)の迫りくるような響きはないかわりに、バイオリンなどの弦の美しさと優雅さが特筆されるかもしれない。ロシアのオケでなくウィーンフィルが演奏しているという思い込みによるものかもしれないが・・・・
マゼールは全体に早めのテンポ設定で駆け抜けてゆく指揮をしている。特に5楽章などは開始早々、フルスロットルのスピード感である。
何度も聴いてみると、かなり粗削りな印象も受けないではない。結構勢いでオケをドライブしているようでもある。フーガに至るところでも、比較的あっさりと曲を処理して快速さを失わないような指揮さばきをしているようだ。ここら辺も、粗さとも感じられる部位だ。
低音が響かないと書いたが、軽い演奏というわけではない。フィナーレの金管群の咆哮はそれはそれで聴き所だと思う。(前にも書いたが、低音の響きだの音量などは再生装置で聴く限りにおいては主観的な評価をであることを免れないと思う。)
総じて非常に若々しさと瑞々しさに溢れる演奏である。ロシア系の重厚な演奏も良いが、このようなアプローチも楽しいものである。

2001年2月3日土曜日

【チャイコフスキーの交響曲を聴く】 交響曲 第2番 ハ短調 作品17 「小ロシア」/マゼール ウィーン・フィル


交響曲 第2番 ハ短調 作品17 「小ロシア」 
指揮:ロリン・マゼール 演奏:ウィーンフィル 
録音:1964 London 430 787-2
これもまた、熱演であると思う。
��楽章の刻みのリズムと低弦の響きは、ここ1~2週間この曲を聴き続けたが、改めて背筋に戦慄を覚えるような思いだ。楽章の終わりのほうはテンポを速めてゆくのだが、それが効果的で感情を高めてゆく。そして、そのあとの弦のたゆたうような響きでそれを緩める。この起伏の作り方は見事である。(正確に何小節目という表現ができず、申し訳ない)
��楽章からスケルツオの3楽章へ向けての推進力は少しもたるみや衰えをみせずに、4楽章の冒頭へとつながってゆく。起伏のつけ方も非常にドラマチックである。
それにしても4楽章の冒頭の華やかな感じときたら、「展覧会の絵」のキエフの大門を少し髣髴とさせる。音楽的なアイデアにやはりロシア人としての共通の枠組みがあるのだろうか。
��楽章の弦のピチカートから始まる部分で提示されるテーマは、まさに聴く物を弾ませるようなワクワクさせるような、そんな演奏である。楽章中に二度ほどあらわれる、金管による下降音のあとのドラのフレーズ(?)は、どの版で聴いても不可解な部分だ。マゼールで聴いてもよく分からないのだがチャイコフスキーは何を意図したのだろう?(苦笑を禁じえない部分なんだよな)
感想としては、総じて非常に精力的な演奏で、聴き終わったあとの爽快感はチャイコフスキーを聴けた満足に十分にひたることのできる演奏である。実際に、この版もそろそろチャイコフスキーにも飽きてきたと言うのに、30分ちょっとの長さであるため、何度も聴いていて、それでいて新たに色々なことが発見されるのである。

2001年2月2日金曜日

【チャイコフスキーの交響曲を聴く】 交響曲第1番/マゼール ウィーン・フィル


交響曲 第1番 ト短調 作品13 「冬の日の幻想」 
指揮:ロリン・マゼール 演奏:ウィーンフィル 
録音:1964(チャイコフスキー交響曲全集より)
 
1964年の録音であるから、マゼールが35歳ころの若かりしころの録音である。この若さにしてウィーンフィルとチャイコフスキーと全集を録音するというのだから、マゼールの早熟ぶりが伺えるというところなのだろうか。
これを聴く前に書いた、スヴェトラーノフとティルソン・トーマスの演奏を改めて聴きなおしているわけではないので、あくまでも頭に残っている印象として、比較を読んでいただきたい。
スヴェトラーノフ版をベースとしてこのチャイコフスキーの初期交響曲群を聴いているが、曲のもつ迫力はこの版であっても決して遜色ない。いやそれどころか、勢いとともに優美さを兼ね備えたチャイコフスキーになっているのではなかろうか。(その代わり、スヴェトラーノフ版のようなロシア臭はやはり薄いのだが)
マゼールは、ウィーンフィルをしっかり鳴らしきっており、それでいてフォルテッシモにおいても金管群がうるさすぎたり、シンバルの音が強すぎるような演奏になっていないところが、ウィーンフィルたるところか。低弦もしっかりとした音量で、木管のうたいを支えている。当たり前といえば当たり前の感想だが、非常にバランスの良い演奏になっていると思う。
��楽章の夢見るような美しさはどうだ。陰気な霧の多い土地とのイメージはないが、湖のほとりで、静かに鳥の囀りを聞いているような、または湖に移る月光をみるような、そんな本当にゆったりと美しい楽章である。スヴェトラーノフではちょっと、演歌調かと思わせたが、マゼール・ウィーンフィルはあくまでも上等なコニャックのような音楽を提供してくれる。2楽章最後の盛り上がりの部分の金管の響きは圧倒される思いだ。
��楽章は、スヴェトラーノフでもMTTでもピンとこない印象を受けた。以前のCD感想を読んでも余り言及がない。しかし、このマゼール版のこの楽章の素晴らしさは特筆ものか。細やかなリズムとそれを支える弦の動き、それと中間部の美しい旋律。なんと優雅に奏することか。ホルンの音色のまた良いこと。この楽章だけ取り出して聴いても十分に満足できる仕上がりではなかろうか。
��楽章の懐の大きさを感じる。オケの揺らし方も決してガリガリとやるのではなく、大きな振り子か揺りかごの中をスイングするよう。ppからフォルテにかけての感情の高まりもすごく、この楽章のもつ面白さを十分に表現しきっていおり、熱狂的なまでの仕上がりになっているといえよう。最後、テンポを落としぎみにしたところに感情の溜めがあり、壮大にして華麗な幕切れである。
もっとも、どうしてこんな盛り上がりになるのかという、解釈の問題や、曲自体が単純すぎる(!)という思いも残るのだが、まあ難しいことはとりあえず脇においておいてこの曲を楽しむのが良いかと。
ということで、若かりしマゼールに「ブラボー!」を送りたい。このCD全集が、3080円(4枚組)なのだから、何とも・・・・