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2021年9月20日月曜日

【音盤】ロビン・ティチアーティのラフマニノフ交響曲第2番

敬老の日を含む三連休、初日こそ雨模様でしたが残る二日は、久々に天気が良く行楽日和になりました。それにしても、今年の天気は少しおかしくて、金木犀も9月初旬には開花していましたし、通勤途中の今日は、銀杏の潰れた独特の匂いを嗅ぎました。

そんな、秋が深まってくる中、ロビン・ティチアーティ(Robin Ticciati)とベルリン・ドイツ交響楽団によるラフマニノフの交響曲第2番を聴いています。カットなしのオリジナル版とのことで、演奏時間も1時間3分と長いです。


2006年3月2日木曜日

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番&2番/小澤&Zimerman

あちこちで絶賛されていた盤、去年買っていてiPodにも入れていたのですが、オリンピックも終わりましたし、このたびやっと落ち着いて聴いてみることとしました。

まずピアノ協奏曲1番の冒頭の打鍵の凄まじさに思わずのけぞります。激しいながらも暴力的ではなく、硬質なガラスが一気に砕け散るかのような爆発的美しさ。Zimerman弾くピアノの粒立ちは特筆もので、どこの断片を切り取ってもキラキラと何色にも光っています。表現も鋭利ではありますが、しかし演奏は少しも冷淡ではない。いやむしろ硬質な光の中に熱い火が隠されているかのようで、ヘタに触れるとやけどしそうなくらい。第1楽章はあっという間に過ぎてしまいます。

第2楽章は、打って変わって泣きたくなるほどに美しい。しかし表現は抒情と感情に溺れてはいない、適度に理知的にコントロールされた演奏は一線を越えることを踏みとどまります。

Allegro Vivaceの第三楽章は再びZimermanのピアニズムが弾けます。どこまでも曇りのない音色は快感と眩暈さえ覚えるほど、高度なピアノ演奏を聴く愉悦を充分に堪能できます。

続くピアノ協奏曲第2番の冒頭の和音の重いこと。低い重心から奏でられる音塊はまるで鉛のようでありながら、驚くべき機動性を発揮します。実に強靭なピアノニズムです。この通俗名曲に近いメロディーから、こんな迫力を生み出すとはっ!重さと軽さ、深刻さと軽やかさを自在に行き来しながら、バックでは小澤のボストン響が端正かつ、きっちりと抑えています。出すぎてこないところが好ましい。

これまた第2楽章が夢見るほどに美しい。ゆったりとしたピアノのアルペジオを聴いているだけで、静かな別世界で悠久の時を思うかのよう。チャイコフスキーの交響曲第5番の第2楽章を彷彿とさせるロシア的ロマンティシズム。第3楽章はもはや文句なし、ラストなどカッコ良すぎて惚れ惚れ。

言葉野遊戯」というブログで

このラフマニノフの旋律をピアノで表現するのって、高貴さが必要。

気品が感じられないと、それはまるでR・クレイダーマンのショウを思わせる(^^;)、

と書かれているますが、一方で逆の方向で間違えると泥臭くなったり土砂降りの演奏になりかねない。泣き崩れないリリシズムこそがラフマニノフには美しい、そしてそこがチャイコフスキーとは一線を画するところだと思うのです。

しかし、ここまで「褒め殺し」のような書き方をしましたが、アシュケナージの名盤と聴き比べてみると、私はアシュケナージの演奏の方を好ましく感じます。それが何故なのか、その差異を表現する語彙を私は持ちません。

2006年1月7日土曜日

【音盤】ラフマニノフ:交響曲第2番/スヴェトラーノフ&USSR State so.


  1. Largo-Allegro moderato 18:01
  2. Allegro molto 07:05
  3. Adagio 15:07
  4. Allegro vivace 10:26
  • スヴェトラーノフ(指揮) ソヴィエト国立so.
  • 85年1月25日(ラフマニノフ)
  • SCRIBENDUM/SC 033

本盤も許光俊が「オレのクラシック」で芸能人にたとえるなら、まさに叶姉妹と絶賛しているものだからつい購入。しかし聴く前から例えるにしても「叶姉妹」は酷すぎると思っていたのですが、聴き終えてみた感想で言えば、その比喩はヒドイ以上に本質をはずしているなと。文章が面白ければ良いというものでもなかろうに。

では、この曲のそして演奏の本質が分かるのか、と聴かれると答えに窮するので、そこには触れません。(逆に叶姉妹ってどうなんだ、と聞かれても分からない。何しろTVを通して「動いている」叶姉妹に接した時間の合計は10分以下であろうと思うので) ハナシは叶姉妹ではない、スヴェトラーノフのラフマニノフの演奏です。確かに凄い。特に誰もが指摘するティンパニの打撃音の凄まじさは、まさに「落雷」。それは何も1楽章の10分過ぎに現れる強烈な打撃だけではなく、そこかしこで鉄槌のように打ち下ろされます、しかも決然と!金管と打楽器の競演による暴発、これを怒涛と呼ばずして他に何と呼べましょう。この激情はどこから発するのかと。

暴力的とは言えない、この激しさは間違っても音楽の暴力ではない。耐え切れない激情と甘美さが両立した演奏です。しかし何たる両極端さ、振幅の激しさ。この両極端さこそロシアの大地なのでしょうか、彼らの身体に染み込んだ厳しさと優しさなのでしょうか。人をも殺すほどの自然の脅威と対極にある全てを癒す包容力なのでしょうか。 弦を使った部分は甘美な歌を歌いますが、「叶姉妹」のような見せかけの人工美や色気(>あれが美で色気か?豊満か過剰か?)などでは決してない。もっと底の深い強さと荒さを秘めた美しさです。

第2楽章あたりから、ハマってしまうと、誰かのフレーズではありませんが「魂ごと引き抜かれ」たかのような気持ちになってしまいます。それが「尻の穴」か「頭のてっぺん」かは別として・・・(>何のこっちゃ)

第3楽章は、甘すぎる演奏だと「映画音楽」のように聴こえてしまいます(例えばプレトニェフのそれとか)。しかしスヴェトラーノフの演奏は、決してそんな安易な評価を与えません。入魂の演奏、堂々たる美しさ、憧憬と悦び、更には祈りにも似た畏敬さえ感じてしまう楽章です。

後半は溢れそうになる激情を必死に抑えた、これまた鬼気迫る演奏になっています。安っぽさやお手軽さは微塵もありません。許氏の楽器のを増やしながらのクレッシェンドは猥褻なほどに悩ましげなポーズを見せるとの評を読むと、一体同じ演奏を聴いているのか?という気になります。

当然終楽章も素晴らしい、ラスト近くに至っては凄すぎて書く言葉がない(;_;)ラフマニノフにとって交響曲第2番とは、またスヴェトラーノフにとってラフマニノフとは何だったのか、と思わずにはいられません。同時収録のフランチェスカ・ダ・リミニを聴く気力は全く残っていません(>このテンションに「ハマ」ればのハナシなのですがね ^_-)。

2005年11月6日日曜日

【音盤】アシュケナージ/ラフマニノフ:コレルリの主題による変奏曲Op.42

vladimir ashkenazy rachmaninoff CD5:Variationen op.42 uber ein Thema von Corelli(LA FORIA)20:06 Vladimir Ashkenazy(p) 1973 DECCA 467 003-2

フォリアのテーマは色々な作曲家のイマジネーションを刺激しているようです。ラフマニノフの作品42はコルレリの「ラ・フォリア」を基にした変奏曲で1931年の作品です。静かで荘厳な雰囲気と激しく叩きつけるような変奏と緩急の振幅が大きい曲になっています。ピアノ技術を駆使した壮大な音の洪水は、もはや舞曲としての原型をとどめないほど。それでも核としては厳然とあの耳に親しんだ三拍子のテーマが流れており、かくも変形してまでも音楽家を捉えて放さないフォリアの魔力を感じる一曲か。

アシュケナージのピアノについて云々する知識も経験はないが、緩やかな部分の繊細さと美しさは目を見張る。それでいて情緒には溺れず、強打する部分は決然として潔くクリア。曲の持つ二つの性格の対比がうまく出ていると思います。