敬老の日を含む三連休、初日こそ雨模様でしたが残る二日は、久々に天気が良く行楽日和になりました。それにしても、今年の天気は少しおかしくて、金木犀も9月初旬には開花していましたし、通勤途中の今日は、銀杏の潰れた独特の匂いを嗅ぎました。
そんな、秋が深まってくる中、ロビン・ティチアーティ(Robin Ticciati)とベルリン・ドイツ交響楽団によるラフマニノフの交響曲第2番を聴いています。カットなしのオリジナル版とのことで、演奏時間も1時間3分と長いです。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
敬老の日を含む三連休、初日こそ雨模様でしたが残る二日は、久々に天気が良く行楽日和になりました。それにしても、今年の天気は少しおかしくて、金木犀も9月初旬には開花していましたし、通勤途中の今日は、銀杏の潰れた独特の匂いを嗅ぎました。
そんな、秋が深まってくる中、ロビン・ティチアーティ(Robin Ticciati)とベルリン・ドイツ交響楽団によるラフマニノフの交響曲第2番を聴いています。カットなしのオリジナル版とのことで、演奏時間も1時間3分と長いです。
あちこちで絶賛されていた盤、去年買っていてiPodにも入れていたのですが、オリンピックも終わりましたし、このたびやっと落ち着いて聴いてみることとしました。
まずピアノ協奏曲1番の冒頭の打鍵の凄まじさに思わずのけぞります。激しいながらも暴力的ではなく、硬質なガラスが一気に砕け散るかのような爆発的美しさ。Zimerman弾くピアノの粒立ちは特筆もので、どこの断片を切り取ってもキラキラと何色にも光っています。表現も鋭利ではありますが、しかし演奏は少しも冷淡ではない。いやむしろ硬質な光の中に熱い火が隠されているかのようで、ヘタに触れるとやけどしそうなくらい。第1楽章はあっという間に過ぎてしまいます。
第2楽章は、打って変わって泣きたくなるほどに美しい。しかし表現は抒情と感情に溺れてはいない、適度に理知的にコントロールされた演奏は一線を越えることを踏みとどまります。
Allegro Vivaceの第三楽章は再びZimermanのピアニズムが弾けます。どこまでも曇りのない音色は快感と眩暈さえ覚えるほど、高度なピアノ演奏を聴く愉悦を充分に堪能できます。
続くピアノ協奏曲第2番の冒頭の和音の重いこと。低い重心から奏でられる音塊はまるで鉛のようでありながら、驚くべき機動性を発揮します。実に強靭なピアノニズムです。この通俗名曲に近いメロディーから、こんな迫力を生み出すとはっ!重さと軽さ、深刻さと軽やかさを自在に行き来しながら、バックでは小澤のボストン響が端正かつ、きっちりと抑えています。出すぎてこないところが好ましい。
これまた第2楽章が夢見るほどに美しい。ゆったりとしたピアノのアルペジオを聴いているだけで、静かな別世界で悠久の時を思うかのよう。チャイコフスキーの交響曲第5番の第2楽章を彷彿とさせるロシア的ロマンティシズム。第3楽章はもはや文句なし、ラストなどカッコ良すぎて惚れ惚れ。
「言葉野遊戯」というブログで
このラフマニノフの旋律をピアノで表現するのって、高貴さが必要。
気品が感じられないと、それはまるでR・クレイダーマンのショウを思わせる(^^;)、
と書かれているますが、一方で逆の方向で間違えると泥臭くなったり土砂降りの演奏になりかねない。泣き崩れないリリシズムこそがラフマニノフには美しい、そしてそこがチャイコフスキーとは一線を画するところだと思うのです。
しかし、ここまで「褒め殺し」のような書き方をしましたが、アシュケナージの名盤と聴き比べてみると、私はアシュケナージの演奏の方を好ましく感じます。それが何故なのか、その差異を表現する語彙を私は持ちません。
芸能人にたとえるなら、まさに叶姉妹と絶賛しているものだからつい購入。しかし聴く前から例えるにしても「叶姉妹」は酷すぎると思っていたのですが、聴き終えてみた感想で言えば、その比喩はヒドイ以上に本質をはずしているなと。文章が面白ければ良いというものでもなかろうに。
楽器のを増やしながらのクレッシェンドは猥褻なほどに悩ましげなポーズを見せるとの評を読むと、一体同じ演奏を聴いているのか?という気になります。
フォリアのテーマは色々な作曲家のイマジネーションを刺激しているようです。ラフマニノフの作品42はコルレリの「ラ・フォリア」を基にした変奏曲で1931年の作品です。静かで荘厳な雰囲気と激しく叩きつけるような変奏と緩急の振幅が大きい曲になっています。ピアノ技術を駆使した壮大な音の洪水は、もはや舞曲としての原型をとどめないほど。それでも核としては厳然とあの耳に親しんだ三拍子のテーマが流れており、かくも変形してまでも音楽家を捉えて放さないフォリアの魔力を感じる一曲か。
アシュケナージのピアノについて云々する知識も経験はないが、緩やかな部分の繊細さと美しさは目を見張る。それでいて情緒には溺れず、強打する部分は決然として潔くクリア。曲の持つ二つの性格の対比がうまく出ていると思います。