- Largo-Allegro moderato 18:01
- Allegro molto 07:05
- Adagio 15:07
- Allegro vivace 10:26
- スヴェトラーノフ(指揮) ソヴィエト国立so.
- 85年1月25日(ラフマニノフ)
- SCRIBENDUM/SC 033
本盤も許光俊が「オレのクラシック」で
芸能人にたとえるなら、まさに叶姉妹と絶賛しているものだからつい購入。しかし聴く前から例えるにしても「叶姉妹」は酷すぎると思っていたのですが、聴き終えてみた感想で言えば、その比喩はヒドイ以上に本質をはずしているなと。文章が面白ければ良いというものでもなかろうに。
では、この曲のそして演奏の本質が分かるのか、と聴かれると答えに窮するので、そこには触れません。(逆に叶姉妹ってどうなんだ、と聞かれても分からない。何しろTVを通して「動いている」叶姉妹に接した時間の合計は10分以下であろうと思うので) ハナシは叶姉妹ではない、スヴェトラーノフのラフマニノフの演奏です。確かに凄い。特に誰もが指摘するティンパニの打撃音の凄まじさは、まさに「落雷」。それは何も1楽章の10分過ぎに現れる強烈な打撃だけではなく、そこかしこで鉄槌のように打ち下ろされます、しかも決然と!金管と打楽器の競演による暴発、これを怒涛と呼ばずして他に何と呼べましょう。この激情はどこから発するのかと。
暴力的とは言えない、この激しさは間違っても音楽の暴力ではない。耐え切れない激情と甘美さが両立した演奏です。しかし何たる両極端さ、振幅の激しさ。この両極端さこそロシアの大地なのでしょうか、彼らの身体に染み込んだ厳しさと優しさなのでしょうか。人をも殺すほどの自然の脅威と対極にある全てを癒す包容力なのでしょうか。 弦を使った部分は甘美な歌を歌いますが、「叶姉妹」のような見せかけの人工美や色気(>あれが美で色気か?豊満か過剰か?)などでは決してない。もっと底の深い強さと荒さを秘めた美しさです。
第2楽章あたりから、ハマってしまうと、誰かのフレーズではありませんが「魂ごと引き抜かれ」たかのような気持ちになってしまいます。それが「尻の穴」か「頭のてっぺん」かは別として・・・(>何のこっちゃ)
第3楽章は、甘すぎる演奏だと「映画音楽」のように聴こえてしまいます(例えばプレトニェフのそれとか)。しかしスヴェトラーノフの演奏は、決してそんな安易な評価を与えません。入魂の演奏、堂々たる美しさ、憧憬と悦び、更には祈りにも似た畏敬さえ感じてしまう楽章です。
後半は溢れそうになる激情を必死に抑えた、これまた鬼気迫る演奏になっています。安っぽさやお手軽さは微塵もありません。許氏の
楽器のを増やしながらのクレッシェンドは猥褻なほどに悩ましげなポーズを見せるとの評を読むと、一体同じ演奏を聴いているのか?という気になります。
当然終楽章も素晴らしい、ラスト近くに至っては凄すぎて書く言葉がない(;_;)ラフマニノフにとって交響曲第2番とは、またスヴェトラーノフにとってラフマニノフとは何だったのか、と思わずにはいられません。同時収録のフランチェスカ・ダ・リミニを聴く気力は全く残っていません(>このテンションに「ハマ」ればのハナシなのですがね ^_-)。
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