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2022年2月4日金曜日

アレクサンドロ・カントロフのサン=サーンス ピアノ協奏曲

カントロフ父子によるアルバムです。ピアノをアレクサンドロ・カントロフ(1997-)、オーケストラは父のジャン=ジャック・カントロフが指揮するタピオラ・シンフォニエッタです。

第1番が2018年、第2番、第3番が2016年の録音、カントロフが19から21歳のときの演奏ということになりますか。いやはや凄まじい完成度です、恐るべきといいますか。最近の若者は10代や20代前半で、このようにオーケストラとの演奏をものにできるものなんでしょうか。

2021年12月17日金曜日

ユジャ・ワン&ドゥダメル ロサンゼルス・フィルハーモニックによる「Must The Devil Have All The Good Tunes?」~ユジャ・ワン節炸裂

ジョン・クーリッジ・アダムズ John Coolidge Adams(1947-)作曲によるピアノ協奏曲を聴いてみました。アダムスの初期はミニマル音楽を、その後は新ロマン主義、ポスト・ミニマル的な音楽家と評されているようです。

2021年6月24日木曜日

シフがピリオド楽器を使ってのブラームスピアノ協奏曲

アンドラーシュ・シフ(Andras Schiff)がピリオド楽器を使い、自ら弾き振りをしてのブラームス ピアノ協奏曲の録音。オケはエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団。

https://music.apple.com/jp/album/brahms-piano-concertos/1561178466

2021年6月11日金曜日

グリモーが繋ぐ過去と現在 モーツァルトとシルヴェストロフ

グリモーは、アルバムごとに新しい断面やストーリーで曲の魅力や世界観を伝えてくれる演奏家のひとりです。

今回のアルバムも、モーツァルトの曲とウクライナ生まれの現代作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフの曲を組み合わせたもので、非常に魅力的なアルバムでした。私はこのアルバムでシルヴェストロフという作曲家を初めて知りました。

https://music.apple.com/jp/album/the-messenger/1526145158


    モーツァルト
  1. 幻想曲 ニ短調 K.397
  2. アノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
  3. 幻想曲 ハ短調 K.475

    シルヴェストロフ
  1.  使者(ピアノと弦楽のための)
  2.  2つのディアローグとあとがき(I. Wedding Waltz/II. Postlude/III. Morning Serenade)
  3. 使者(ピアノ・ソロのための)

コンセプトアルバムではりネタバレ的になってしまいますので、まずは聴いてから解説などを読んだ方が良いと思います。

2021年6月7日月曜日

アンスネスによるMozart Momentum -1785 ピアノ協奏曲第20、21、22番ほか

アンスネスの弾き振りでマーラー・チェンバー・オーケストラによるモーツァルトです。Apple Musicの解説が厚く熱いです。オケの響の安定感もさることながら、アンスネス のピアノが絶品です、聴くべきモーツァルトの演奏といえます。

https://music.apple.com/jp/album/mozart-momentum-1785/1560605515

2021年4月15日木曜日

【音盤】コパチンスカヤとクルレンツィスのチャイコフスキー

クルレンツィスのベト7を聴くために、改めてこの盤を聴いたのですが、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲の今までの常識、風景をまったく見事に覆してくれる演奏=録音だったので、簡単に記しておきます。


2019年6月20日木曜日

藤田真央さんのモーツァルト

 チャイコフスキーコンクール2019

2019年3月16日土曜日

【音盤】コパチンスカヤのベートーベンを今更になって知る

 

2015年10月23日金曜日

【演奏会】カルミニョーラ率いるヴェニス・バロック・オーケストラの演奏 トッパンホール

カルミニョーラ率いるヴェニス・バロック・オーケストラの演奏。

  • 2015年10月23日(金)19時開
  • トッパンホール 
  • ジュリアーノ・カルミニョーラ(vn) 
  • ヴェニス・バロック・オーケストラ 
  1. ジェミニアーニ作曲コレッリのヴァイオリン・ソナタ「ラ・フォリア」op5-12による合奏協奏曲ニ短調 
  2. ヴィヴァルディ作曲ヴァイオリン協奏曲ホ短調RV277「お気に入り」 
  3. バッハ作曲ヴァイオリン協奏曲ホ長調BWV1042 
  4. バッハ作曲ヴァイオリン協奏曲ト短調BWV1056(原曲:チェンバロ協奏曲ヘ短調/マルコ・セリーノ再構築) 
  5. バッハ作曲ヴァイオリン協奏曲イ短調BWV1041 
  6. ヴィヴァルディ作曲ヴァイオリン協奏曲ニ長調RV208「ムガール大帝」 

機会を得て聴かせて頂いたが、まさに至福と愉悦の時間であったと言っていい。カルミニョーラの明るさと軽妙さが如何なく発揮された演奏会だったと思う。

最初は、カルミニョーラ抜きでの≪ラ・フォリア≫。ここからしてノリのよい音楽が始まる。変奏が重なるにつれ音楽は深みを増していくが、フォリアの持つ本来の狂気やダークさには傾かない、軽快なジャブといったところ。

ヴィヴァルディから真打登場である。生カルミニョーラは初めてお目にかかるが、ガタイがでかい!ヴァイオリンの音色も格が違うと言うか、カラダが鳴ってる!フォルテなどののときに靴を踏み鳴らす音が最初は耳についたが、それさえもそのうち気にならなくなる、これもありかと。ヴィヴァルディの合奏曲を聴きながら、ヴィヴァルディの数々のオペラアリアの名曲を思い出す。まさにイタリア、演奏の全ての通底には歌があるのだなと思い知らされる。鳥のさえずりを模したようなフラジオレット、技巧云々ではない、音楽が凄い。

曲目の構成は、バッハのお馴染みのバイオリン協奏曲をヴィヴァルディで挟むという構成、バッハも普段知っているバッハの装いはしていない。どこか薄いヴェールをまとい軽やかなステップを踏むがごとく。短調の曲なのに、あれ、今日はすべて長調だったかとプログラムを確認したくらい。もっとも生粋のバッハ好きにどう感じられたかは分からない。

バッハも面白かったけれど、やはり圧巻はヴィヴァルディ。圧倒的な突き抜け感はラストの曲からアンコール4曲まで留まるところがない。フェラリーがエンジンを思いっきりふかしたかのような心地ちよさ。

イタリア人の音楽というのは、エンリコ・ガッティのバイオリンでもそうだけど、路地を歩いていてふと目に飛び込む青い海と突き抜けた空を感じる。オケのアインザッツの響き、あるいはソロの上げボウの一音目から、演奏会場の空気を手品師のように変え、眼前のカーテンをひいたかのように(あるいは歌舞伎風言えば浅黄幕が落とされたように)現出させてくれる。気づくと窓辺にはブーゲンビリアが咲き誇り、どこからともなくカンツオーネ、頬にはゆるい風さえ感じる。

演奏している彼らを見ていると、チェロの二人にしても、バイオリン奏者にしても、カルミニョーラを尊敬し、互いを意識して引き立てあい、音楽を心から表現している、演奏することが本当に楽しそう。彼らに沁みついて熟成された音楽が、カルミニョーラによってデキャンタージュされたかのような芳香。

始終後ろ姿のチェンバロの女史も、演奏に合わせての動きが何とも柔らかく自然で美しい。最長老と思われるリュートの叔父さんも、結構激しく爪弾いている。一緒に呑んだら楽しそう、ずっと歌って弾いているのではないだろうか。

音楽にも人生にも(苦しいからこそ)難しいことは要らず、生きている目的さえ違うと思い知らされた今日の演奏。イタリアの伊達男と仲間たちの演奏に思わずブラボーを高らかに叫ばずにはいられなかった。いま思い出しても≪ブラボ!≫である。

PS.ちなみに小生はイタリアに行ったことはない。あくまでも陳腐で類型的なイメージである。






2007年11月10日土曜日

【音盤】ついでにラトル&ツィマーマンのブラームスPコン1番を聴いてみる

ブラームスのピアノ協奏曲といえば、ラトルとツィマーマンがCD棚にありました。2005年発売で、以前感想を書いていたと思ったのに何も記していなかったようです。改めて簡単なインプレッションなどを。


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
ツィマーマン(p) ラトル(cond) ベルリンpo 2003
00289 477 6021

ツィマーマンにとっては1984年のバーンスタインとの演奏以来実に20年ぶりの演奏です。ライナーによりますと前回は万全の録音とは言えなかったようです。楽器は運送の事故で、とてもブラームスに適したとはいえない楽器となり、しかもビデオ録音のため各種機材の溢れかえったホールは、音響的にも悪影響であったのですとか。

"For the recording of the First Piano Concerto I was unable to get the instrument I wanted, as the van that was supposed to bring the piano from Italy was involved in an accident. The instrument that was finally placed at my diposal may well have been good for Mozart, but not for Brahms."

ツィマーマンの侮恨が伺えるコメントです。今回のレコーディングについて何を考えるかとの問いに対しては、

"Every recording documents a single moment."

と言い切る彼ですが、相当の思い入れで本録音に取り組んだことは確かなようです。当然自ら調整した"his own piano"を持ち込んでの演奏です。80以上の異なる演奏を聴き比べ、テンポ設定の研究も行ったのですとか。

"By this I dont't mean a metronomic tempo;rather,it's something subjective,something that I might call the psychological perception of a tempo."
"Everything must cerate the impression of a uniform flow."

そういう点から、非常に気合の入った演奏が聴かれます。アマゾンとかHMVのレビュでもカスタマーズ・レビュ絶賛されているようです。バックのベルリン・フィルはオケの精度も良く、確かに現在望みうる最高の演奏だと言えるかもしれません。

ラトルは相変わらずティンパニを際立たせた、ハリのある演奏に仕上げています。ホールの響きも良くバランスも良いです。ピアノは激しいところでも決して濁らずに際立ち、それでいて凄まじく、弱音部の音色も鮮やかにして美しい。ラトルの指揮下というせいもあるのか、演奏は洗練されており、ガッチリとした骨格を示し、タフであり、ベタさはありません。第二楽章冒頭のオーケストレーションなどは映画音楽!のように美しい。反してツィマーマンのピアノは、少々くぐもり内省的な響きを聴かせます。ブラームスの憂愁というより、もっと現代的なリリカルさを感じる部分です。終楽章の炸裂も鮮やかの一言。

さて、それでは、この演奏の感想が最上かと言えば、何度この演奏を聴いても心情に訴えてこないというか、ある線より上には響かない。いや、とても、とても素晴らしい演奏です、生で聴いたら、おそらくぶっ飛ぶと思いますよ。しかし、何でしょうね、このモノ足りなさは、私が古い人間なんでしょうか。

2007年6月3日日曜日

【演奏会】東京バッハ・モーツァルト・オーケストラのモーツァルト

目白バ・ロック音楽祭が昨日から始まりました。聖母病院チャペルのチェンバロ・リサイタル*1)にも食指が動いたのですが、やっぱりオケが聴きたいなあという気になって、東京芸術劇場で東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ(TBMO)の演奏会に行ってきました。

    東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ演奏会vol.2 What's MOZART
  1. 「魔笛」序曲 K.620
  2. クラリネット協奏曲イ長調 K.622
  3. 交響曲第39番変ホ長調 K.543
  • 2007年6月2日(土)19:15 東京芸術劇場
  • 指揮:有田正広 東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ(ピリオド楽器使用)
  • バセット・クラリネット:エレック・ホープリッチ

TBMOは、1989年に結成された日本初のピリオド楽器によるオーケストラ。10年間の休止期間を経て昨年6月、モーツァルトのフルートと管弦楽のための作品を演奏するために再結成され、その演奏会が絶賛されたことは、知る人なら知っているでしょう*2)

さて、そんな期待に満ちたオケによるオール・モーツァルト・プログラムの最初は「魔笛」序曲。冒頭の和音からして、ビンと張り詰めた響き。これを聴いただけで、オケのアンサンブル精度と技巧を感じ取ることができました。

演奏に余計な贅肉はなく、かといって厳格すぎるわけではなく、エキセントリックとか過度のシャープさとも離れたところにある。それでいて研ぎ澄まされた技巧は冴えており、響きはクリアで透明、あたかも吟醸酒のような趣。

この演奏スタイルは有田氏の音楽に対する真摯なアプローチの賜物なのでしょうか、聞いていて素直に心地よいです。それが逆に欠点といいましょうか、モーツァルトの心の底から沸き起こるような愉悦を感じることは少ない。

クラリネット協奏曲を演奏するホープリッチは、ブリュッヘン率いる18世紀オーケストラの首席奏者にして知る人ぞ知るクラリネット・ヲタク*3)。今日も彼自らが復元したらしいバセット・クラリネットを用いての演奏。芸術劇場の広い空間ではソロ・クラリネットの音色は2階席まで朗々と響き渡るといったものではない。特にオケとの合奏になる技巧的な中音域のパッセージは聴き取りづらい。しかし、それであっても、彼のまろやかにして独特の音色は極めて印象的。「クラリネット臭さ」がない、と書いても分からないか。非常にキモチの良くなる演奏で、これはブラボー。

最後の交響曲第39番は、再び「魔笛」と同じような印象。オケはテンポラリーな団体だとはいえ、ウマいです。しかし、私の好きなウキウキするようなメヌエット、そして終楽章のアレグレットは、なかなかドライブしてこず、有田氏はしっかりと着実に演奏します。誠実ではありながらも、はやりモーツァルトの何かが失われてはいまいかと、演奏終了後に考えてしまいました*4)

  1. こちらを読むと(→#Credo http://blog.livedoor.jp/credo5026/archives/50843939.html)、やっぱりチェンバロにしておけば良かったか、なんて・・・思ったりしています。
  2. 私は知りませんでした(^^;
  3. 私は知りませんでした(^^;;
  4. 正直に書きますと、私は今日はとても、とても疲れておりました。睡眠不足と精神的な疲労、加えて肉体的な疲労と軽い内蔵系の病から回復したばかりであり、満足に演奏を満喫するという体調になかったことは告白しておきます。モーツァルト音楽に何を求めるかは、ごく個人的な偏見に所以した要求でしかないと思っています。

2007年4月22日日曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲 K.414、K.467、K.488/ファジル・サイ

  1. ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 K.414
  2. ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
  3. ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
  • ファジル・サイ(p)
  • チューリヒ室内管弦楽団、ハワード・グリフィス(cond)
  • naive V4992

随分前に買って*1)iPodにも入れて何度も聴いていた曲なんですが、まだ感想を書いていませんでしたので、ちょっとだけ記して*2)おきましょう。

モーツァルトのピアノ・ソナタであれほど個性的な演奏をしたサイですから、ピアノ協奏曲となると一体どうなってしまうのだろう、彼の個性は発揮され得るのだろうかと若干の不安を持って聴きはじめた盤ではありましたが、まさにここには紛れもないサイの演奏が、そしてサイの美学がぎっちり詰まっていました。やっぱりサイのモーツァルトは素晴らしい。

例えば冒頭のK.414が始まったと同時に、低くかすかな唸り声が入ります。これが耳障りという人も居るでしょう。しかし、その繊細な舞うがごとき演奏からは、サイがすぐにモーツァルトの音楽世界に没入していることを知らせてくれます。協奏曲でも、サイの弱音のピアノのタッチ、鳴らし方、唄い方は絶妙であります。緩徐楽章のAndanteの美しさときたら、ここを聴くためにだけでも何度も本盤を取り出したくなります。

K.414の軽いジャブの後は、あまりに聴き慣れた名曲のK.467です。グリフィス率いるチューリヒ室内管弦楽団も小気味良い軽さでオケを鳴らしているようです。さりげなく滑らかに入るサイのピアノの明確さ、少し暗転するモーツァルトの翳と陽の妙。モーツァルトを聴く至福がこの最初の数分間に凝縮されています。サイのピアノとオケによる波状攻撃は、この曲を初めて聴くかのような興奮と哀しみと悦びを与えてくれます。

そしてサイ・オリジナルのカデンツァのドキドキする展開、茶目っ気とユーモアと美しさ、・・・言葉は余りにも無力か。Andanteの夢見るような旋律は、安穏とした午睡ではなく、モーツァルト特有の喪失の予感が巧みにオブラートされているかのよう。これまた眩暈がするほどにメランコリック。水晶を通して乱反射する硬質な陽光。終楽章ラスト近くのピアニッシモは冗談ではなく息が止まるかと思うほど。

最後のK.488も、これまた長調の明るくメランコリックなモーツァルトが炸裂しています。川田朔也氏は「CDジャーナル」に、

ショッキングなほど音を切る23番第1楽章のカデンツァが如実に示しているように、サイが目指すのはスタッカートを軸にした軽い音作り。同じ23番第2楽章のスタッカートを、譜面通りに、しかもやや強調して弾き、嬰ヘ短調の憂愁に異分子を混入させたかのような奇異さで耳を引きつける

と書き(→amazon)、宇野功芳氏は日本版のライナーで

シンプルな「K.488」の第2楽章は、あの長い主題を最弱音だけで進めてしまうが、それでいてだれず、小手先に終わらず、その独白がなんともいえない。

と絶賛しています。この余りにも有名な嬰ヘ短調のAdagio。確かにモーツァルトのペーソスではある。くぐもったペダルワークによる旋律、強調されたスタッカートによる上昇。霧の中、着地点も目標も見えない彷徨。聴きようによっては、ここにない、どこか他の場所に通じる場所に向って歩むかのような趣さえ感じます。それだけに終楽章が始まったときには、こちら側の世界にグッと引き戻された思いさえしてホッとします。モーツァルトって、やっぱりコワイ。そして、演奏からこんな「夢」を見させてくれるサイに改めて感服。

  1. サイは私が注目している鍵盤奏者の一人。Clala-Flalaのエントリは音盤DBから。
  2. ちっとも「ちょっとだけ記して」おくことはなりませんでした。聴く作業と同時進行的に文章をしたためていると、私の場合、大体こういう情動優先の文章になってしまうんですよね、反省。

2006年9月25日月曜日

モーツァルトの楽譜の指示

中村音楽工房というサイトで知りましたが、モーツァルトのホルン協奏曲の楽譜に書かれた(当時のホルン奏者への)指示が、とても凄いらしい(というか卑猥)。詳しくはこちら(「大阪モーツァルトアンサンブル」のサイト)として紹介しています。


で、読んでみますと、これがまた確かにモーツァルトにしか書けない指示というか、なんというか・・・。彼の書簡集も研究者は真面目に解読していますが、性的表現がアッケラカンとしていますし、自由にして(ちょっと幼稚で)奔放な性格であったのでしょうね。改めてこの指示を読みながら、演奏を聴いてみたいものです(笑)


2006年9月23日土曜日

【演奏会】紀尾井シンフォニエッタ東京 第56回定期演奏会

紀尾井ホールでを紀尾井シンフォニエッタ東京の定期演奏会を聴いてきました。

  • モーツァルト:ホルン協奏曲(第1番)ニ長調 K.412
  • モーツァルト:協奏交響曲 変ホ長調 K.297B(レヴィン版)
  • ブラームス:セレナード第1番 ニ長調 op.11
  1. 9月23日(金)19:00 紀尾井ホール
  2. 指揮:アレクサンダー・リープライヒ 紀尾井シンフォニエッタ東京
  • アフラートゥス・クインテット メンバー
  • ロマン・ノヴォトニー(fl) 
  • ヤナ・プロジュコヴァー(ob) 
  • オンジェイ・ルコヴェッツ(fg) 
  • ラデク・バボラーク(hr)

紀尾井ホールは職場から歩いて行ける音楽ホールのひとつであるにも関わらず、今まで行った事がありませんでしたし、紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)も名前は知っていたものの聴くのは今日が初めて。「ぴあ」で公演を知り、当日券狙いで聴いてきたのですが、いやはや、KSTというのは本格的な実力派オケであったのですね。金曜日の夕方というのにほぼ満席です。


最初のモーツァルトの2曲はアフラートゥス・クインテットのメンバーを加えての豪華な演奏。ホルン協奏曲は何と言ってもベルリンフィル・首席を勤めるバボラーク氏のホルンに打ちのめされます。音色の暖かさ、ふくよかさ、テクニックの安定感。どこを取ってもやはり一級品といって良いのでしょうか。一見するととてもまだ30歳だなんて思えません。貫禄充分といったところ。バックを勤めるKSTも厚みのある素晴らしい響きを聴かせてくれ、極上の時間。もっと聴かせてくれといいたかったところ。10月28日はトッパンホールでリサイタルがある様子。《完売》表示に「うーん」と唸る。

��曲目はアフラートゥス・クインテットの3名の木管楽器奏者に「バボちゃん」が加わっての協奏交響曲。演奏は素晴らしいのですが、何かこの曲にはイマひとつの感を覚えてしまいました。

休憩をはさんでのブラームスは、KSTの実力を充分に発揮した演奏といえましょうか。いかにもドイツ的な曲の雰囲気に、重厚にしてふくよかな弦の響きには非常にマッチしている。ティンパニの使い方などハイドン的な香りを残しながらも、全体はしっかりブラームスで、もう秋だしやっぱりブラームスもいいなあとしみじみ。


もっともKSTの実力には非常に関心したのですが、良く聴くと弦セクションに乗る木管や金管の響きに少し違和感を感じる瞬間がないわけではない(>素人の戯言ですがね)。指揮者のリープライヒ氏は現在ヨーロッパで最も注目されている若手指揮者でありミュンヘン室内管弦楽団(MKO)の首席指揮者兼芸術監督。痩身の颯爽としたキビキビした指揮姿から、キレの良い音楽を聴かせてくれました。ブラボー。

ついでですが演奏が始まる前に、KSTの誇る玉井菜採さん(vn)と中村智香子さん(va)によるロビー・コンサートが開催、曲はモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのためのデュオ ト長調 K.423 より1楽章でした。モーツァルト友人のミヒャエル・ハイドンが病気だからって急遽彼のために2曲ほどチャッチャと描いてあげたという曲。やっぱりモーツァルトって天才。

    あと蛇足ですが、プログラムノートを音楽評論家の奥田佳道氏が書かれていますが、あの「文章の分かりにくさ」は何とかならんのでしょうか・・・。何度繰り返して読んでも意味不明な箇所が随所に・・・私がムチなだけだとは思いますが。

2006年7月14日金曜日

【音盤】モーツァルト:フルート協奏曲/エマニュエル・パユ

  1. フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299
  2. フルート協奏曲第1番ト長調K.313
  3. フルート協奏曲第2番ニ長調K.314
  • アバド(cond) パユ(fl) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  • EMI Classics 56365

アバド率いるベルリンが、1996年にパユと録音したモーツァルト。パユの演奏が気に入るか気に入らないかは別としても、極上のモーツァルトが聴けることに変わりはありません。

「気に入るか気に入らないか」などと、もって回った言い回しをしましたが、パユはかつても、そして今も、世界屈指のフルーティストと言って良いでしょう。技巧面、表現力などの点からもモンクのつけようなどあるはずもありません。

そんな彼ですが、演奏をCDで聴いていますと、平板といいますか、特別なことは何もしていないように聴こえます。フルート協奏曲であるからといって、フルートソロが前面にグイグイと押し出てくるような演奏でも技巧バリバリという演奏でもない、斬新な解釈で驚かすこともしません。ごく自然に、さらりと、優雅にモーツァルトのメロディを奏でます。

たとえばK.313では第2楽章Adagio ma non troppoの気持ちよさといったらありません。肌を撫でる暑くも寒くもない、ごくゆるやかな風のような感じ、あるいは揺り籠でまどろむかのよう。カデンツァはニンフがやってきて夢見心地の唄を唄ってくれる。素敵すぎます。(ここだけではなく、カデンツァは全てが素晴らしいです)

ですからアクの強さや個性的な演奏を求める人などからは、物足りなく感じることがあるかもしれません。あまりに上品すぎるとか、うまいだけだとか・・・。

しかし、これはこれで良いかなと。極上の音楽と極上の演奏に身を任せる至福に浸りきること、私のような素人には、モーツァルトはどう演奏すべきかとか、とか、モーツァルト演奏がいかに難しいかなど、到底理解できません。聴いていて心地よければ、それが全てではないかと思ったりします。

とにもかくにも、パユのモーツァルトには惚れ惚れ。しかも聴いていて落ちつた気持ちにさせてくれる、そんな演奏だと思います。

2006年7月12日水曜日

東京藝術大学:モーツァルト管楽シリーズNo.2 高木綾子/モーツァルト:フルート協奏曲 K.313


高木さんの演奏の感想については、拙HPやブログでも何度も書いていながらにして、実演に接するのはこれが初めてです。


過大なる期待を持って演奏会に望んだのですが、聴き終わった後での感想といえば、完全に惚れ直したというのが正直なところ(ビジュアルぢゃなくて)。




まずステージに上がってきたところから既にオーラを発しています。モノが違うというのは、こういうことなのでしょう。淡いリラかラベンダーを思わせる色のドレスを颯爽と身に纏い、ステージ中央にスクと立った姿からは貫禄さえ感じます。


今年のモーツァルト・イヤーを含めて一体彼女は何回のモーツァルトを演奏しているのでしょう。ソロ活動中のパユがそうであったように、内心少々はウンザリ気味なのか、あるいは毎回気持ちを新たにできるものなのか、演奏者の表層的な内面は聴衆には分かる筈もありません。


オーケストラの前奏が始まると顔つきが一段と怜悧になり、伴奏を軽く口ずさみさえして音楽に没入していきます。その姿はスタート前のアスリートを思わせます。そして音楽に対する集中を一気に高めた後でのフルートの第一声。


��。何という音の掴みでしょう。そのビビッドさときたら、最初の出だしで一撃です。何度も聴きなれたフレーズがクイッとばかりに立ち上がる。生き生きとして快活で敏捷なモーツァルト。


彼女の演奏からは、野性とか高度な運動性能を感じることがあります。例えば、昨年発表したCDの武満徹の《海へ》。ここでも、動物的なカンとさえ思えるような印象の演奏が展開されます。他の武満像とは
少し(いや、かなり?)違う。今回のモーツァルトも学究的モーツァルト解釈の点からどうなのかは、私には全く分かりませんが、これほどにドキドキしながら聴いたモーツァルトも他にはないということも確か。


まるで黒豹を思わせるしなやかさを展開させながら、モーツァルトの世界をゆうゆうと突き抜けてゆく自在さ。1楽章最後のカデンツァは、もう息を呑むばかり。あまりに唖然。壮観、爽快、感歎。駆け抜ける音楽の至福。これがK.313なのか、いやこれこそがK313なのか。彼女の音色と残響だけが奏楽堂空間を満たしたときの音しか存在しない緊張と充実。この演奏を聴くだけでここに来た価値は充分にありました。


横で見守る金教授や藝大の関係者の方々は、どのような思いで彼女の演奏を聴いたのでしょう。カデンツァの最中に金教授がビオラの女性と目配せしているのが印象的でした。


高木さんのブログを読むと久しぶりに興奮した演奏若かりし頃の演奏に近くて、やりすぎたかなぁ~?と書かれていました。私のような聴衆(^^;;には受けは良かったと思いますよ(笑)。



ということで、予想以上の高木ショックのため、次なる高木綾子は8月27日、白寿ホールでの武満徹《ヴォイス》《海へ》に決定です。
(諸事情があって行きそびれました・・・激残念)


東京藝術大学:モーツァルト管楽シリーズNo.2


藝大の奏楽堂で、金昌国さんのレクチャーと幾つかの協奏曲を聴いてきました。



  1. レクチャー「通説に挑む」 モーツァルト フルート曲の真実ほか
  2. ホルン協奏曲 第4番 変ホ長調 K.495(大野雄太=新日本フィル)
  3. フルート協奏曲 第1番 ト長調 K.313(高木綾子=説明不要)
  4. オーボエ協奏曲 第1番 ト長調 K.314(K.285d)(小畑善昭=藝大助教授)
  5. 4つの管楽器のための協奏交響曲 変ホ長調 K.297B


  • 日時:2004年7月8日 13:00 東京藝術大学奏楽堂
  • 指揮:金昌国(藝大教授) 東京藝術大学有志オーケストラ
  • 真田伊都子(ob=日本フィル主席)、村井祐児(cl=藝大助教授)、河村幹子(fg=新日本フィル主席)、守山光三(hrn=藝大教授)



私の目当ては(当然ですが)フルーティストの高木綾子さんであります。高木さんの感想はエントリを改めることとしまして、それ以外の感想を簡単に書いておきましょう。


金教授のレクチャーの持ち時間は2時間。先生もおっしゃっていましたが、語り足りないくらいのようでしたね。フルートとモーツァルトが好きで好きでたまらなくて、「モーツァルトとフルートの関係を裂くような発言には猛然と反発したくなり、膨大な時間を費やして反論のための研究をしてきた」と言う金教授の熱意には脱帽するばかりです。最近手術をなさったとかで、まだ唇などが荒れたままで笛が吹けないのだそうです。そういえば(写真などと比べると)随分痩せたのでしょうか・・・。指揮の途中で指揮棒を落としておられましたが、今後も元気で活躍されることを祈るばかりです。


演奏会の最初は、2005年の日本音コン ホルン部門第1位、まさに日本を代表するホルン奏者 大野氏によるホルン協奏曲。丁寧で柔らかなホルンの音色から奏でられる音楽は、至福の時間を提供してくれました。ホルン奏者がこんなに格好いいものだとは、今の今まで知りませんでした。


オーボエ協奏曲は新日フィルの主席オーボエ奏者でもあった小畑氏による演奏。音楽演奏というものは人柄がにじみ出るものである、とつくづく感じました。表情が少し硬い印象を受けましたが、演奏は非常に温かみのあるもので、とても幸せな気持ちにさせてくれるものでした。カデンツァもさすがに百選練磨のプロですね、聴きごたえのある演奏でした。


最後の《管楽器のための協奏交響曲》は、モーツァルトの真作かどうかアヤシイとされている作品です。モーツァルトを愛する金教授は「モーツァルトの作品と信じて演奏します」とレクチャー最後で述べたように、素人的にはモーツァルトの作品でないと言われても真偽の程は分からない。それでも曲を聴いていますと、他の3曲の生き生きとした音楽に比べて、どこか平板な印象が拭えない印象も受けるのは先入観のなせるわざでしょうか。


��人の管楽器奏者の中では、音色の点においてもオーボエの真田さん(左写真)が群を抜く表現力でしたね。小畑さんのオーボエよりも更に明瞭で明るい音色には惚れ惚れしてしまいました。今でも演奏する姿が脳裏に浮かびます、決してビジュアル面だけでの評価ではありません。


ということで、次は高木綾子さんの演奏の感想に続きます。


2006年6月12日月曜日

【演奏会】金聖響指揮:読売日響 第79回東京芸術劇場マチネシリーズ

東京芸術劇場で読売日響のマチネシリーズを聴いてきました。

  1. モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537 《戴冠式》
  2. R・シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》

  • 6月10日(土)14:00 東京芸術劇場
  • 指揮:金聖響 読売日本交響楽団
  • ピアノ:コルネリア・ヘルマン
  • コンサートマスター:デヴィッド・ノーラン

以下のレビュはネガティブなものになってしまいましたが、考えてみれば、贅沢にして傲慢な感想です。ハイレベルな音楽をいつでも聴ける環境に居ることに、改めて気付き感謝すべきかもしれません。

1曲目のモーツァルトK.537。ピアノは日本でもたびたび演奏しているコルネリア・ヘルマンさん。彼女は写真で見る限り非常に美しい方で追っかけも多いのだそうです。母親が日本人であることもあってか、親しみやすい顔立ちです。

今日もドレスは、彼女のトレードマークなのか深い赤です。金氏のモーツァルトは、オケの人数も多くオーソドックスなモーツァルト演奏のように感じました。鮮烈なことはしない。それは彼女のピアノも同様です。

モーツァルトの突き抜けた長調の明るいこの曲に対し、彼女のピアノは少しくぐもった柔らかな音色に聴こえる。ガンガン攻めるピアノではない決してない。指先からの変化は、ときにはっとするほどの微妙な色彩を聴かせてくれます。でも、それが金氏やオケと、いやこの曲の雰囲気と合っていたか。

というのも、彼女はモーツァルトを得意としているとのことですが、今日のピアニズムからは、むしろシューマン的な香りを感じ取りました。彼女の演奏は、天真爛漫でいながら計算づくのモーツァルトの天才による至福とは違った、もっと端正なモーツァルトでした。

続く《英雄の生涯》ですが、この空疎とも云える曲を金氏がどのように料理するかにも、大きな興味がありました。しかしこの曲に期待する浪漫という点からは、今ひとつであったなあ、というのが正直な感想。「戦場の英雄」あたりの音量は凄まじいものがありましたが、粗さも否定できない。圧倒的な暴力の氾濫という雰囲気は出ていましたが。コンマスのノーランさんの奏でるテーマも、あまり心に入ってこなかった・・・。

《英雄の生涯》というのはR・シュトラウスが音楽で描いたわざとらしい戯曲だと思っています。金さんの指揮からは統率力と抜群の制御能力の高さを感じます、どちらかというと理知的といえましょうか。これを演奏するならば、阿呆くさいくらい成り切って演奏しなくては中途半端なものとなってしまうような気もします。生意気で勝手な感想で恐縮です。もっとも私の聴き方が、過去の名演奏家のイメージにひきずられ過ぎているという気がしないでもありません。


読売日響の音は良いですね。ドイツもの、特にマーラーやワーグナーなどをこのオケで聴くと格別だと思います。
ヘルマンさんのピアノは、できれば小さなホールのソロで、シューマンとかブラームス、あるいはモーツァルトのソナタなどで聴いてみたいものです。おそらくはコンチェルトとは違った魅力を聴けると確信します。今回は金聖響さんのブログを読んで、是非とも聴いてみたいという気になって駆けつけました。金聖響さんの演奏は、やっぱりベートーベンあたりを聴いてみたいですね。

2005年11月28日月曜日

モーツァルト

昨日寝たのが3時頃、休日も仕事をしなくてはならないと思うのだが朝は思うように起きられない。目覚ましが鳴るのを止めてウトウト・・・、そういえばタワーレコードから頼んだものが届いていたな、と思い出したら、いてもたってもいられなくてガバリとはね起きる。注文していたのは内田光子のモーツアルト廉価版ほか。
  • モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番|第23番 内田光子(p) ジェフリー・テイト指揮
  • モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番|第24番 内田光子(p) ジェフリー・テイト指揮
  • モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番|第26番「戴冠式」 内田光子(p) ジェフリー・テイト指揮
  • モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番|第27番 内田光子(p) ジェフリー・テイト指揮
  • 鬼才アファナシエフの軌跡2 アファナシエフ・プレイズ・モーツァルト
  • 鬼才アファナシエフの軌跡3 ベートーヴェン

早速iPodに内田さんのアルバム2枚分を入れて出勤。K.466とK.491を聴く、ああモーツアルトを聴くことのできる幸せよ。途中近くの古本屋で「モーツアルト」(岩波書店 ピーター・ゲイ著 高橋百合子訳)を見つけて思わず購入、地下鉄の中でつらつらと読み始める。著者はイエール大学の歴史学名誉教授、ヨーロッパ比較思想史を専門とし18世紀から20世紀にかけての文化史研究の第一人者らしい。この間読んだ「モーツアルト」(中央公論社 H.C.ロビンズ・ランドン著 石井宏訳)もモーツアルト研究の第一人者の書ではあったが、新書の内容のせいか総花的であまり面白い本ではなかった。こちらは読み物として割と面白そう、一気に読んでしまうのがちょっともったいない(というか、そんな時間ないんだってば)。仕事をしながら2枚分聴いてしまったので、帰宅してから残りの2枚もiPodに転送、K.467を聴き余りの美しさに涙しそうになる。