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2004年12月22日水曜日

立川のビラ配りの件3

「立川自衛隊テント村」という反戦団体が、防衛庁官舎にビラを配った件で住居侵入罪に問われた件について以前エントリーを書きましたが、東京地裁八王子支部で無罪判決が言い渡されたそうです。


細かな事情まで調べてはいませんから、普通に考えれば「ビラを配っただけで逮捕」はやり過ぎではないか、と思っていましたので、当然の帰結だとは思うものの、ネット上では公安の権力行使について肯定的な意見も少なくないことを知ったりしたものです。事件を報じたのが朝日新聞と赤旗だけでしたから尚更であります。


【参考サイト】






 こうした政治的なビラ配りについて、判決は「憲法21条の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すもの」と述べ、ふだん官舎に投げ込まれている宣伝ビラや風俗チラシよりはるかに大切であると説いた。


と朝日新聞にありますが、表現の自由や政治的活動の巾に関する微妙な問題を孕んでいることは否定できず、「立川自衛隊監視テント村」という、少々過激な名前の市民活動家たちの行動が、ある種類の方々の反感を買ったことは、ちょうどイラクで拘束された三人の日本人の時にも巻き起こった感情と、どこか通じるものを感じます。


彼らが反対した自衛隊は実際サマワで何をしているのか全く分りません。給水活動に道路復旧や学校復旧だと政府は言いますが、イラク復興にどれだけ寄与しているのか全体での位置付けも分りません。勿論、イラク派遣に一体いくらの国費が費やされているのかも分りません。具体的な活動内容と、それに関わる収支は是非報告していただきたいものです。


なにしろ、知らないうちにこんなものを造っていたりしたんですから。


【関連エントリー】



朝日新聞 社説12月17日

■ビラ配り無罪――郵便受けの民主主義


 イラクへの自衛隊派遣に反対するビラを防衛庁官舎の郵便受けに配り、住居侵入の罪に問われた東京の市民団体の3人に対して、東京地裁八王子支部で無罪の判決が言い渡された。


 逮捕した警察、起訴した検察の全面的な敗北である。


 そもそも身柄を拘束したり、起訴したりする必要のない事案だった。2月末に逮捕され、5月まで75日間も勾留(こうりゅう)し、公判は8カ月に及んだ。無罪の結論を出すのが遅すぎたくらいだ。


 被告とされたのは、「立川自衛隊監視テント村」という反戦団体に属する男女3人。職業は中学校の給食調理員と介護会社員とアルバイトである。今年1月と2月、東京都立川市内にある防衛庁官舎の敷地に入り、宿舎8棟のドアの郵便受けにビラを配って逮捕された。


 「イラク派遣が始まって隊員や家族が緊張している時期に、玄関先にビラを放り込まれるのは住人として大変不快であり、家族も動揺した」。証人として出廷した自衛官ら3人は口々に訴えた。


 確かに、先遣隊、主力第1波、第2波と派遣が進み、各地の自衛隊にピリピリした空気が漂っていた時期だった。


 A4判のビラは「自衛官・ご家族の皆さんへ いっしょに考え、反対の声をあげよう」という呼びかけだった。


 判決は書かれた内容を「自衛隊員に対する誹謗(ひぼう)、中傷、脅迫などはなく、ひとつの政治的意見だ」と述べた。さらに「国論が二分していた状況で、ビラはさして過激でもなく、不安感を与えるとも考えがたい」と指摘した。


 こうした政治的なビラ配りについて、判決は「憲法21条の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すもの」と述べ、ふだん官舎に投げ込まれている宣伝ビラや風俗チラシよりはるかに大切であると説いた。


 住居侵入に当たる行為ではあるが、配り方は強引ではなく、住民にかけた迷惑も少なかった。刑罰をもって報いるほどの悪事ではない。判決はそう結論づけた。明快な判断である。


 イラク開戦とそれに続く各国軍の現地派遣をめぐっては、世界のあちこちで大規模な抗議活動が繰り広げられた。欧州では、ベトナム反戦デモを上回るうねりとなった国も多かったが、日本では際立って低調だった。


 滞在中たまたま日本の反戦デモを見た外国人たちはその規模の小ささ、若者の少なさに驚いた。理由はいろいろあるだろうが、ビラ配り事件にあらわれた警察の過敏な取り締まりも一因だろう。


 自分の気に入らない意見にも耳を傾けてみる。それは民主主義を支える基本である。派遣を控えた自衛隊員にとっても、同僚や家族と全く違う意見を目にするのは無駄にはならないはずだ。くだらない意見だと思えば捨てればいい。


 そんなところにまで警察が踏み込むのは危険きわまりない。判決はそう語っている。


2004年11月2日火曜日

[ニュースメモ]イラクの香田氏殺害事件


イラクの香田氏事件について。


  • 今回は仕方ないという風潮、自己責任と自業自得
  • 24歳の世界認識の甘さ=日本の認識の甘さ、少しは情勢を知る者ならばイスラエルからイラクには入らない
  • 海外のメディアの反応、日本人の態度の「冷たさ」
  • 小泉首相は「人質を殺すな」ではなく、「テロと戦う」というメッセージをいの一番に出したことの意味
  • 世間の酷薄さと日本人の酷薄さ
  • 自衛隊をイラク派遣していなければ起こらなかった~という論理に欠けているもの
  • 彼を殺した犯人は連続殺人鬼と称される重要犯罪人ザルカイとされるが、香田氏のような無知を生み出したのも日本である



2004年10月14日木曜日

米大統領選の行方と防衛構想

アメリカでは来月の大統領選挙に向けてブッシュとケリー候補がTV討論などで熱弁をふるっています。海外のWeb Newsを見出しだけでも見るとはなしに見ていても、毎日彼らの話題で持ちきりなことが分ります。

今回の選挙は「戦争最中の選挙」であることから、「イラク戦争」を含め今後の防衛についてどう考えているのか、今後4年間で何を実現させるのかを占う点でも、日本にとっても無関係の話題ではありません。

しかしどうなんでしょう、防衛に関して言えば、日本はアメリカ追随の姿勢から、武器輸出三原則の見直し、憲法改正、独自の防衛力構想をも含め、何か議論がかみ合っていないような気がしています。「テロとの戦い」というのを最大限許容したとしても、ハード面でもソフト面でも冷戦時代をひきづっていないかと。その最たるものがMD(Missile Defence)だったりします。

これについて、10月9日付けのJMMは「アメリカの選択、日本の選択」と題しこの問題は日本の産業競争力を損なう危険があり、計画に参加すべきではないし、また武器輸出三原則の緩和も日本経済を繁栄させるという観点から見て、下策だと書いており、納得させられました。

「産業競争力を損なう」という主張は、防衛産業という国家機密に類する産業は国際競争力が働かないためであるとし、以下のように書いています。

戦車や軍用機、そしてハイテクの塊のようなMDなどに至っては、「軍事機密」という隠れ蓑の向こう側で、一体何が妥当な価格なのか、社会的なチェックは不可能です。こうした環境は日本経済の不得手とするところです。MDプロジェクトにおいて、アメリカから強く誘われるまでになった日本の技術力は、民需の過酷な価格と性能の競争によって養われたことを思うと、政治と軍事の影に隠れた世界では、コストと性能という板挟みの中で戦う緊張感を維持することはできないと思います。

MDによる均衡の崩れとか、MDの実質的な効果とか、対テロにMDが必要かとか、果てしない軍拡競争というかつての冷戦時代にもあった技術的問題も被さってきます。北朝鮮の脅威を最大限に考えたとしても、得策かどうかは分りません。

10月12日Washington PostのOP-EDでもDavid Brooks氏は、大統領選挙における候補者の主張「赤字の削減」と「軍事費の拡大」の矛盾を鋭く突いており、MDについても以下のように述べています。

A starting point for defense budget skeptics is national missile defense. The Bush administration plans to spend $10.7 billion this year in a rush to deploy a system that even some of its own experts say isn't ready. That spending could be cut in half, to allow the testing for a system that would eventually work against potential adversaries such as North Korea or Iran.

David Brooks氏はMDのほかにも冷戦時代を踏襲したような無駄な軍備について指摘していますが、日本がアメリカの軍事費までをも肩代わりをするようなことに、みすみすなってしまうことは避けてもらいたいものです。

2004年10月9日土曜日

「サマワの日本・イラク友好記念碑に爆弾」asahi.com

asahi.comを斜め読みしていたら、こんな記事が。

自衛隊が被弾しなくて、よかったですねと思う以前に、自衛隊って、サマワでこんなモン作ってるのかよっ!

2004年8月26日木曜日

【本棚】勝谷誠彦:イラク生残記


元文藝春秋の記者にして、現在はコラムニストあるいは写真家として、またはTVのコメンテーターとして活躍する勝谷氏による今年3月のイラクでの取材記録です。

このときに同行した橋田・小川両氏が5月にイラク・マフムディアの路上で銃撃された事件は、あまりにも衝撃的でした。勝谷氏も血の涙を流しているのではないかと思えるほどの無念さを、自らのサイトで吐露しておりましたので、この本は襟を正して読むかなとは思ったのです。

表紙の写真(右)は、作者である勝谷氏がフセインが拘束された「穴」に入っている写真です。これは驚きますよね、「フセインの穴」に突撃進入しているのですから。この表紙を見るまで、「フセインの穴」をまともに取材したマスコミがあっただろうか、と思ってしまいました。

という大きな期待を持ってこの本を読み始めました。「イラク生残記」とは何を意味するかは明白で、今年2004年5月28日にイラクで銃撃された日本人ジャーナリストの橋田信介氏と小川巧太郎氏に捧げられる形になっています。

内容は2004年3月、橋田・小川両氏と、まさに銃撃されたGMCを駆ってイラクを共にしたことを記したものです。勝谷氏らもイラクで生死を分かつような恐怖を何度も味わっているだけに、その悲しみと無念さはいかほどのものかと思います。(氏の日記サイト勝谷誠彦の××な日々。にも同時進行的に心情が吐露されています。)

さて、そういう類の本ですし、他ならぬ毒舌家である勝谷氏ですから、いい加減な感想など書けないのですが、この本にはちょっとはぐらかされた思いです。帯に曰く、

亡くなった橋田・小川両氏とチームを組み、自らも武装集団に銃口を突きつけられた著者が、それでも現場に立たずには「発言しない」ことにこだわり続けた渾身の「戦場文学」!

勝谷氏の、現場を見ずに語れるか、行くからには自分の責任で行くという覚悟は、まっとうであり、私のように座して人の活動を眺めるだけの輩に、ああだこうだと言う資格などないのだとは思いますが、「戦場文学」はないでしょうに・・・

日本人外交官はだれに殺されたのか、
なぜ米軍の陰謀説が浮上するのか。
自衛隊はサマワで本当は何をしているのか、
そもそもサマワとはどういうところなのか。
フセイン拘束は米軍の演出なのか、
拘束された「あの穴」は今どうなっているのか。

とは帯裏にあるのですが、上記の事柄に触れられてはいますが、取材と言うほどの取材ではなく、実態はちっともこの本からは分かりません。自衛隊が頑張っているのは分かりますが、それ以上でもそれ以下でもありません。サマワも日本人大使館殺害も、数人からのヒアリングと数日間の著者の行動からの推測だけです。それでも

大手メディアも専門家も、そして何より政治家は、なぜ現場に行かずに無責任なことを言えるのか。

という著者の批判になるのですが、「ええ~っ?」という思いです。そりゃあ、砂漠の真ん中で、アリババに銃口を突きつけられた実感は、あるいはイラクやサマワでの現実の皮膚感覚は、実際の場所に立たなくては得られませんし、そういうものは伝わってきますよ。実際に殺されるかもしれない、という状況の中に立ったものが国会での議論に憤慨するのももっともだと思います。でも本書が、橋田氏と小川氏への追悼的な内容に振れていること、「オレは行ったぞ、オマエはどうだ」という既成事実というかアリバイ作りのように読めてしまうのですが、いかがでしょう。民主党が3時間だけイラクに行った(降りた?)というのよりは、はるかにまともなんですが。

おっと、またしてもだ、座して人の活動を「ああだこうだ」などと言う資格は私になどないのです。でも、誰だって思い立ってすぐにイラクに行けるわけでもなく、行った人に期待はするものです。決して勝谷氏を批判しているわけではなく(何度も言いますが「批判」でも「批評」でも出来るわけないのです)、もう少し掘り下げを期待しただけです。

最後は、本書と関係ない蛇足ですが、サマワで頑張っている自衛隊員にはおそらく罪はなく、自衛隊派遣反対を主張することは、彼らの努力に対して失礼だという意見があります。小林よしのり氏も、このごろそういう論法を取っています。M・ムーアの「華氏911」で息子が軍隊にいる母親が「反戦運動は大嫌いです。息子に泥を塗っているような気持ちになります」というような意味合いのことを言っていました。あるいは、ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」における、ナチスの一員として収容所で働いたハンナです。彼らあるいは彼女ら個人を責めることができないのと、それを含む制度や決定事項を批判することを同一には語れないと思うのですが。当然ですが、勝谷氏は同一には語ってはいませんよ。

2004年6月28日月曜日

ちょっと待てよ、人質関連の経費

イラク人質事件の日本政府負担についての記事。


●イラクの3邦人人質事件の政府負担は1815万円

 外務省は25日、4月にイラクで発生した邦人人質事件で政府が負担した経費は総額約1815万円だったと発表した。

 最も費用を要したのは、ヨルダンに派遣した逢沢一郎外務副大臣ら外務省職員の出張関連経費の約1370万円。

 このほか、<1>在ヨルダン日本大使館の現地対策本部運営費約97万円<2>解放された人質3人をバグダッドからドバイに移送したチャーター機の運航費約53万円<3>川口外相がテレビで人質解放を呼びかけたメッセージ作成費約16万円――などとなっている。

 3人は、チャーター機代の自己負担分計約12万円と、家族の出迎えの渡航費用の立て替え分など計約237万円を外務省側に払っている。



(2004/6/25/13:12 読売新聞 無断転載禁止)


1815万円のうち1370万円が出張費です。何人、誰が、いつからいつまで、何のために、どこに宿泊したのですか? 政府からの身代金はこの中には入っていないわけですね、情報収集費用もなかったと。よく解釈すれば公にできないということですか。


全然釈然としません。マスコミはもっと突っ込んでもらいたいものです。

記事は、暗いニュースリンクで知りました。本当に、寝る前に暗い気分になりましたよ。

2004年6月27日日曜日

韓国人人質の殺害事件

韓国人人質を殺害した一神教聖戦団が今度はトルコ人を拉致したそうです。暴力の連鎖に歯止めが利かなくなっているようです。そんな中で「テロとの戦い」を強調と協調をアメリカ系各国は主張するのでしょう。6月27日の読売新聞 編集手帳では以下のようにありました。


◆テロリストと取引をし、存在を許す国があるから、テロリストが我が物顔に振る舞うようになる。国家でも政治家でも、一般の人でも、どんな苦境に立たされても取引をしてはいけない場合がある◆自由を語るだけでなく自由を守るために犠牲を払う用意がある、その決意を示すことも必要だとサッチャー元首相は言う。イラク情勢を考えると余りに重い言葉だ。


言うことは分かりますが、前提が正しいのでしょうか。




つまりはイラクへの米国を中心とした戦略そのものが正しかったのか、今でも正しいのか。テロと戦うと言うが、誰の誰に対するテロと戦っているのか。イラクへ参戦するまでは、日本や韓国が矢面に立ってテロの標的とされる、具体的な理由が果たしてあったのかということです。


世界情勢は色々な関連の中で動いているので、日本だけが無関係というつもりはありませんが、『イラク情勢を考えると余りにも思い言葉』なのではなく、もっと突きつけている課題は大きく重いのだと思います。では、と次になかなか進めないのですが。

そんな中、ブッシュ米大統領は26日、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に出席するたトルコ入りしています。

2004年6月25日金曜日

検証が可能であるということ

「CVID」「完全に、検証可能なやり方で、再生不能なかたちで破壊する(Complete, Verifiable, Irreversible Dismantlement)」とは北朝鮮の核開発プロジェクトに対するアメリカの主張です。これは北朝鮮に対するアメリカの強硬姿勢の現れとも取ることが出来るのですが、一方でイラクの大量破壊兵器に関してもそうであったように、北朝鮮やイラクが近隣諸国の武力が近隣諸国に対し脅威足りうるのかどうか、そこのところをアメリカ側の主張だけをもとにして信用してよいものか、疑問を感じもします。




政府の主張するイラク自衛隊派遣から多国籍軍への参加につながる判断についても、北朝鮮の脅威を前提とした上での国益を護るためと主張しているのですから、盲信・盲従でないことを願いたいところです。


日本国にはアメリカに匹敵する諜報機関も諜報能力も有していないのですから、アメリカの調査結果を正面切って否定することができないわけです。そういう意味からは、情報が著しく「非対称」であると言えます。検証などできないですし、アメリカの主張を疑問視する国との協調関係は全く築けていないように思えます。


相手に対し「完全に、検証可能なやり方で」と主張するからには、自身の調査結果についても本来はそうでなくてはならないわけですから、つまりは最近話題にした「外部監査」という機能が必要なのではないかと思うわけです。イラクの大量破壊兵器に対するパウエル国務長官の政略と詭弁に満ちた発現についても、世界各国は国益にかけてアメリカの妥当性を検証せねばならなかったはずです。


同じ話しは日本国内での年金問題や税金問題についても同様で、政府の示すバランスシートに対しての正当性を評価するようなことがあってこそ、新たな議論が始まるのではないかと、つらつら思うのでした。そういう意味では木村剛氏の活動に期待はしているのですが・・・ちょっと話しがバラバラでしたね。

2004年6月14日月曜日

【本棚】E.W.サイード:「裏切られた民主主義」


この本は、「戦争とプロパガンダ」シリーズの第4部であり、アメリカのイラク侵攻が濃厚になりつつあった2002年11月からバグダット陥落直後の2003年4月までに発表されたものを集めたものです。彼の視座からは大国の不遜と欺瞞があぶりだされてきます。

●ヨーロッパ対アメリカ●イラクについての誤情報●緊急課題●ゆるしがたい無力●偽善の金字塔●責任者は誰だ?●もう一つのアメリカ●ラガドのアカデミー
●E.W.サイード 裏切られた民主主義 戦争とプロパガンダ4
●中野真紀子訳●みすす書房

エドワード・ウィリアム・サイード、エルサレム生まれの文学研究者であり文学批評家であり、西洋文明の中心に帝国主義を据えたことで特筆すべき功績を残しています。またパレスチナ問題に関する率直な発言者でもある彼は、昨今のアメリカのイラク侵攻に対しても鋭い批判をしていましたが、2003年9月25日享年67歳で白血病の合併症で亡くなりました。

ここでは偉大なるサイード氏に関する感想を述べるより、彼の論点をいくつか引用するに留めます。

何ゆえ、このような沈黙、このような驚くべき無力におちいっているのだろう。
史上最強の国家が、アラブの一主権国家に今にも戦争をしかけようとして、ひっきりなしにその意図を再確認している。現在のそのアラブ国家を支配している政権はおぞましいものであるが、明らかにこの戦争の目的は(中略)中東全体の設計を完全に変えてしまうことにある。(中略)それにもかかわらず、アラブ世界からは、長い沈黙が続いた後に、やんわりと意義をとなえる少数の声がぼんやり聴こえてくるだけだ。(中略)このような人種差別的なあざけりをわたしたちが受けいれるいわれがあるだろうか。(「ゆるしがたい無力」P.41)

このように、着々と進む戦争に対し、アメリカにおいてもアラブにおいても無力な状態を悲痛な思いでつづっています。

ブッシュ政権が戦争に向かって一方的に、容赦なく突き進んでいるのはさまざまな理由から憂慮すべきことである。だが、ことアメリカ市民に関するかぎり、このグロテスクな見世物は民主主義のとんでもない破綻を意味している。おそらく裕福で強力な共和国が、ほんの一握りの人間たちの秘密結社によってハイジャックされ、(彼らはみな選挙で選ばれたわけではなく、したがって民衆の圧力には感応しない)、あっさりと転覆されてしまったのだ。(「責任者は誰だ?」P.56)

中傷され、裏切られた民主主義。賞賛されながら、実際には面目を損なわれ、踏みにじられた民主主義。一握りの男たちが、この共和国の運営を掌握するようになったからだ。まるで-まるでアラブの一国と同じだというかのように。(「責任者は誰だ?」P.63)

「裏切られた民主主義」とは、この本のタイトルともなっていますが、アメリカにおいて民主主義が既に破綻していることを指摘しているのは彼だけではありません。一握りの男たちとはシオニスト・ロビー、右派キリスト教団体、軍産複合体などに属する三つの少数派集団のことであることは言わずもがなです。サイード氏はメディアも戦争体制の一翼を担うものでしかないと厳しく批判しています。

メディアが、戦争の口実としてイラクが十七の国連決議を無視していることにふれるときも、イスラエルが(合衆国の支持を受けて)無視している六四の国連決議のことは決して語られない。(中略)嫌われ者のサダムが何をしてきたにせよ、まったく同様のことをイスラエルのシャロンもアメリカの支持のもと行ってきたのであるが、後者については誰も何も言わず、ただ前者を声高に非難するばかりだ。
(中略)
そういうわけで、アメリカの国民は意図的に嘘を告げられており、彼らの利害はシニカルに偽って代弁され、偽って伝えられ、ブッシュ二世とフンターの私的な戦争のほんとうの目的やねらいは、徹底した傲慢さで隠蔽されている。(「責任者は誰だ?」P.61)

そのとき日本の報道が何を伝えていたか、小泉首相をはじめアメリカの侵攻に協力する人たちは、どこまで情勢をつかんだ上で判断していた(あるいはいる)のでしょうか。

「国際政治に正しいとか悪いはない、あるのは国益だけだ」と言ってのけたは親米保守派の筆頭である岡崎久彦氏ですが(6月13日 テレビ朝日「サンデープロジェクト」)、シャロンが何をしようとサダムが何をしようと、こんなアメリカに追従していればよいというわけですか。

(気が向けば、つづく)

2004年5月26日水曜日

イラク人質虐待の捏造

英国の大衆紙デーリー・ミラーに掲載された英兵によるイラク人虐待写真が捏造であったと報じられたのは14日のことでした。それ以来、捏造事実と未だに続く虐待報道がどのような連関で語られるのか時々気にしているのですが、どうもよく分りませんね。

17日産経新聞の産経抄は、米国のボストン・グローブ紙の捏造についても言及し、

同紙は反ブッシュ政権色が強い新聞として知られる。イラク戦争批判に利用しようとするあまり、偽写真に飛びついたようだ。

と書いています。マスコミ報道については、政治的プロパガンダを含め注意しなくてはならないという警告であるとして読みましたが、その同じ紙面で産経は以下のようなプロパガンダを展開するのですよね。

こうした捏造・誤報といえばどうしても、昭和十二年の南京攻略戦での「百人斬り」報道を思い浮かべる。日本軍の将校二人が日本刀で殺人競争を行ったと東京日日新聞(現毎日新聞)が報じた。荒唐無稽な話し(であるのに)戦後になって、真実顔をしてひとり歩きし、歴史の副教材になるなど「自虐史観」のよりどころになっているのだ。

南京大虐殺はなかった、デタラメ、中国のでっち上げと、それを真に受けた一部のマスコミのせいとする一派の学術的調査による成果として、よく引き合いに出されるエピソードです。真実は知りたいと思うものの、もとより私にはどちらが正しいか分りませんし、深く追求したいとも思いません。

とにかくマスコミは注意しなくてはならないことは、改めて分りましたが、先に戻ってイラクの人質虐待はどういうふうに展開してゆくのでしょうね、というか戦後イラクそのものが、ひいては世界の勢力関係がですが。

2004年5月1日土曜日

【本棚】酒井啓子:イラク 戦争と占領


イラク関連の報道番組ではおなじみになった酒井啓子さんの近著です。アメリカ主導によるイラク戦争が開始されてから、13年振りに現地を訪れた酒井氏がイラク「解放」の実態と問題点を、イラクの歴史的経緯を踏まえながら丹念に書き上げた本です。

本書を読むと、イラクがいかにイギリスやアメリカによって恣意的に扱われてきたかが嫌というほどによく分かり、イラク国民の期待と希望と、そして幾度と無き裏切りと占領によって国家を蹂躙されている歴史がまたしても繰り返されていることに、驚きと憤りに近い感覚を覚えます。

田中宇氏の「イラク」でも書いていましたが、イラクは誇り高い国民です。いや誇りを捨てた国民などいないのですし、自国に愛着を抱かない国民もいないはずです。更には自国の平和を願わない国民だっていないはずです。

しかしイラクはそれらをことごとく奪われてきたといっても過言ではないかもしれません。今回の戦争は独裁者からイラク国民を解放したという点では一時的に歓迎されましたが、アメリカのフセイン後の統治政策の無策により、当のアメリカがフセインとなんら変わらない存在になってしまったことということについては、酒井氏は何度も指摘しています。

この本を読むと、イラクの国民の中でも民主化政策に対する考え方については、統一的な考えが醸成されるまでには至っていないことが分かりますし、戦後の混乱に乗じて様々な勢力が台頭し新たな紛争が始まる気配についても感じることができます。でも、それ以上にアメリカが中東に招いたそれを上回る不振と混乱は、どう贔屓目に見ても支持できるものではないようですし、アメリカによる中東戦略は平和と安定ではなく戦争と混乱しか引き起こしていないことを、ジャーナリストはもっと喧伝すべきなのかもしれません。

そのようなアメリカに議論もなく追随してしまっている日本国政府とそれを支持しているらしい日本国民は、イラクに住む人から見るとアメリカと同列と見なされても止むを得ない面もあるのだと思います。人質事件は起こるべくして起きた事件ですし、それを契機として日本でなければできない貢献の仕方というものが、どこかにあるのではないかと思わずにはいられません。

アメリカのイラク攻撃と自衛隊派遣に賛同する人は、えてして保守派層が多いと思います。その彼らが憲法改正や自主憲法制定、対米追従の見直し、国防の増強を主張するということに、今の時点では疑問を感じざるるを得ないことを蛇足ですが付記しておきます。

2004年4月29日木曜日

「反日」


人質事件――「反日」とは何ですか』と題する4月28日の朝日新聞の社説です。


「人質の中には、自衛隊イラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府、反日的分子のために血税を用いることは、強烈な違和感、不快感をもたざるを得ない」

 自民党の柏村武昭参院議員が参院決算委員会の質問の中で、そう述べた。
��中略)

自衛隊の派遣に異を唱える者はみんな反日だ。そんな連中はどんな目にあっても、放っておけばいい。柏村氏の発言はそんなふうに聞こえる。

 「反日」とは、なんだろうか。



柏村氏は人質になったことを「反国家的」「利敵行為」とも述べた。まるで戦時体制のような言い方だった。


つらつら考えるに、時代の空気なのでしょうか。「非国民」という言葉だって、普通に使われるようになるのではないでしょうか。やっぱりオカシイと思いませんか、私は思います。自らが自由を少しずつ狭めているのは、日本という国の閉塞感と見えない圧迫感から来るのでしょうか。

人質パッシングの海外の見方とか

4月23日のLetter from Yochomachiで紹介していたThe New York Timesのイラクの人質3人に対するパッシングについて書かれた記事は『反日日系人(?)による自作自演』であるとするブログを見つけました。


社怪人日記2004」と「リアルじゃ他人には話せないこともあるし。」というサイトですが、記事を書いたのが「NORIMITU OONISHI」という日系人東京支局長であるという点と、朝日とNTは記事提携をしている点のみから類推し『それだけでストーリーが見えてしまいます』と書いています。





築地周辺の情報だけニューヨークや世界に流さないでほしいなぁ。(社怪人日記2004)



朝日のマッチポンプにはいい加減うんざりです。(リアルじゃ他人には話せないこともあるし。)


Letter from Yochomachi氏のサイトは毎日チェックしているのですが、これも最近ですが仏ルモンド・ディプロマティックの記事を紹介したエントリーに対して、記事の執筆者が「進歩的左翼」の「東京特派員記者」である点を突き、ルモンドの記事は偏向していると指摘するコメントが付けられたこともありました。これらを読むに付け、どうしても自分の論理に優位なように難癖を付けたり裏を勘ぐっているような、つまり相手に全く敬意を抱かず不信感ばかりを表明することに何だかなあと思っていたら、また続きがありました。


Letter from Yoshimachiの4月27日のエントリーでは『保守派でタカ派のリチャード・コーヘン』氏によるWashington Postの記事を紹介しながら、小泉政権や一部の日本人が人質パッシングに走ったことに大きな違和感を感じているというものです。記事には疑問点もあるのですが、アメリカの保守系の方の日本に対する端的な見方が露呈されているようで、これはこれで衝撃的ではありましたが。


人質パッシングを積極的に行った方々や、ルモンドや朝日新聞を保守系の方は目の仇にします。中国の文化大革命や北朝鮮を擁護した朝日新聞を、毛嫌いすることは仕方ないのかもしれませんし、赤旗をはなから相手にしない気持ちもわからないでもありません。


しかし、軸足の定まらない私のような浮遊層にとっては、どの新聞や雑誌であっても思想的な色や、ゆるやかであっても一定の編集方針があることはおぼろに理解できますし、朝日も産経も読売も思想的プロパガンダを展開している点では(程度の差こそあれ)大差はないように思えているため、どうしてそんなに目くじらを立てて「自作自演」だとか「マッチポンプ」だとか言って感情論的な展開をするのかが理解できません。これこそ、文化の違いなんだろうかなどと同じ日本人でありながらも、彼らとの間に横たわる溝の深さに呆然としてしまうのですが、いかがでしょう。


浮遊するのはいだたけないのですが、色々な視点の中から日本をどう捉えるかということこういうことこそ問題であると思うので、日々のくだらない仕事に追われつつも、ふと立ち止まって考えてみたりするのですが。・・・と何だかまとまらないエントリーになってしまいました。仕事しながら缶水割り飲んでいたので脳が開いてしまいまひた。

2004年4月25日日曜日

産経の自己責任ということ2

4月25日 主張より。被害者の自己責任について『個人の自由を考える上で、避けて通れない問題』とし、

被害者がイラク入りした目的は問題ではない。どんな崇高な目的であれ、自分の判断でイラク入りを選択した以上、責任は自分にあるのだ。もちろん、そうであっても、国には邦人保護の義務がある。

と書く一方で、

家族は反省し、政府と国民に迷惑と心配をかけたことを謝っている。反省していないのは、家族の当初の発言を利用し、自衛隊撤退論に結びつけようとした一部マスコミである。

と批判の矛先をそぞろ朝日をはじめとするマスコミに向け始めています。産経の主張する「責任」とは何をすることなのかと考えてしまいます。

この自己責任という言葉は、最近は金融関係でよく聞かれるようになりました。例えば企業年金を止め確定拠出年金移行した企業は、社員に対して「掛け金の運用については自己責任が伴いますと」説明しておりました。損をしても会社はもう面倒みないよと。彼らや家族の負った責とは・・・既に十分という気もしないでもないのですが。

なぜもう下火になっているこの問題を引きずるのかというと、今回の一件で私の考える方向というものが、どうやら多数はではないこと、ネットでは暴言流言が横行し、私を含め感情論的にある方向へ意志が誘導されてしまう危険性を感じたこと、マスコミも一斉にある論調に傾いてしまうこと、政府の大本営的発表とは裏腹に実像が全く見えなかったことなどイロイロ知ったからであります。

マスコミといえば、特に朝日のスタンスは軸足がぶれがちであること、産経を筆頭に他のマスコミは朝日が大嫌いであること、赤旗は相変わらず相手にされないどころか嫌悪されている(文春)ことも改め分かったからでもあります。

2004年4月24日土曜日

読売の自己責任ということ

4月16日 編集手帳より

◆自分なりの目的があっての旅だと三人は言いたいだろう。正しいと信じる目的のためならば手段は常に正当化される――といった幼稚な理屈はテロリストと狂信者だけにとどめておきたいものである


なるほど、アメリカの中枢部(おそらく右派)は、イラク(中東問題)について正しいと思ったことを強引に進めているわけですから、ブッシュを含む一派は幼稚でテロリストで狂信者ということですか、読売もやっと分かったぢゃ無いですか。

産経の自己責任ということ

4月23日 産経抄より


人質の多くは反戦活動家といわれている人で、日ごろは国家や政府を否定し批判している。その人たちが、いざ困った時は国家が自分を助けろというのは少々虫が良過ぎはしまいか。


例えば人質になったのが、小泉政権方針に全面的に賛成し、自衛隊派遣を是認し、NGOとして自衛隊の人道支援を後方から直接的に支援したいという意志でイラク入りして拉致されていたとしたら、産経を初めパッシングする方々はどのように反応するのでしょうか。




産経の主張は、親の金で生活しながら、社会や親に反発するのは「自分で稼げるようになってからにしろ」と。会社の方針に合わなくて批判する者は、給料を貰いながら批判しているわけで「虫が良過ぎる」と。国家の保護を受けながら安全を保障されているくせに、その制度を批判するのは「勝手すぎる」といことですよね。

4月17日 産経抄より


それどころか三人は「これからもイラクで活動したい」とか「撮るのが仕事なんだよ、おれは」などと語っている。自分勝手もいい加減にしてもらいたい。これ以上わがままを通すなら「何があってもお国に助けを求めない」の一札を入れよ。


なるほど、一札入れれば何をしても構いませんか。逆に一札入れなくては政府方針に反することは一切まかりなりませんか、「いい加減にしろ」「勘当」なわけですね「はねっ返り息子や娘」は。


政府批判組だからやはり自己責任ですかね。

2004年4月16日金曜日

イラクの人質3人は解放とネットの議論


イラクで拉致されていた3人が解放されたようです。まずはよかったと胸をなでおろしますが、ジャーナリストを含む2人が新たに再び拉致されたようです。イラク状況はまだまだ楽観できません。


ネット(たとえばここ)での自作自演説は解放された今でも根強く、また「ウヨ」だの「サヨ」だののムラ的な言葉で相手を罵倒し、近隣の国々を貶めるようなスレッドは絶えることがありません。




週刊誌では三人の家族や過去を暴く記事が紙面を飾り、記者会見での家族の態度や主張がおかしいと糾弾し、更にはどちらかといえば左翼系の思想の持ち主であることまでを強調する紙面もあります。人質の家族に対する反感や嫌悪は(たとえばここ)、ひとえにイデオロギー的に「左翼的」ということであり、ひいては政府に反対する意味での「プロ市民」「反戦」「平和主義者」「ボランティア」「NGO」に対する嫌悪のようです。そういう団体や活動を「偽善者」とまで言い切る人も少なくないことを知りました。


このような感情論に支配されたスレッドやある考えの方々というのは、いったい何なのだろうかと考え込んでしまいます。口汚いスレッドであってもよく読むと(よく読みたくなどありませんが)、彼らの少なからぬ者たちは教養も知識レベルも低くはない一般人であろうことが伺えます。それだけに、薄ら寒い思いがするのです・・・(江川紹子さんのサイト


このエントリーは、Letter from Yochomachiにトラックバックしていますが、私もイデオロギー論争に興味は全くありません。こうした文章を書くのも、自分のフラフラしているスタンスが現時点でどちらに偏っているのかを確認するためのものでしかありません。


ネット上のような考えが、私が考える以上に多いということであれば、やはり護るべきものはまだ守る必要があるのではという思いにも(今の段階では)なるのでした。

2004年4月11日日曜日

イラクの人質解放?!

朝7時のNHKを付けたら人質を24時間以内に解放するとのこと。その後昼前に解放するとの追加情報も放送局に届いたとのこと。

私は「???」という思い。テロリストは人質の親の懇願する姿を見て考えを変えたと、イラクの指導者から連絡があったと。その中で日本政府はどこまで役割を果たせたのでしょう、政府に直接連絡は全くなかったそうですし。

そういう意味では「ソフト戦略」「力による解決ではなく穏健派との共同関係」が紛争解決に奏効することを示したといえますが、どこか腑に落ちません。



声明文では人質を解放するというカードを放棄しながらも「自衛隊撤退」を求めています。そもそも、なぜ米軍ではなかったのでしょう。シーア派の逮捕された指導者を解放せよとか、諸悪の根源である「米軍のファルージャ包囲を止めろ」とかいう要求は全くしていませんしね。

イラクには日本に好意的な人もいるそうですし、また声明文でも「広島」や「長崎」に触れていますから、日本に対する知識もあるようです。それゆえに日本の対米追従と自衛隊派遣を「裏切りである」と捕らえたのでしょうか。

我々は外国の友好的な市民を殺すつもりはないと』と声明文にありますが、ということは最初から殺すつもりはなかったのですね。丸腰の若者たちですから、イラクに敵対しているとは普通思いません。しかし彼らや彼女がアラビア語を話せたとは思えず、英語を話すと「敵国言語」と思う民族です、若者であるだけに組しやすく利用価値ありと拉致拘束したのかも知れません。だから人質に利用価値なしと判断(自衛隊撤退は早期に否定されたため)し、今回の解放に至ったと思われますが、どうやらプロのテロリストではないようです。

いずれにしても武装集団の言動には不可解な点が多く、自作自演説に傾く声も一部では聞こえてきますが(こちらにも疑問)、まずは無事帰って来れることに、安堵いたします。

イラク拘束事件の責任所在

被害者の家族がTVで政府に訴状やら苦情を呈していますが、ネット上の意見ではネガティブな反応が多いようです。危険地帯に自ら行った彼女と彼らと、未成年までもイラクに行かせた家族に対する非難です。

イラク撤退に反対という世論も7割近いらしく、私は少々驚いてしまいました。




私はすぐに自衛隊撤退すべきという意見にも(そもそも派遣がどうだということもあり)同調しかねるのですが、政府も世論もひとつの選択肢を即座に放棄したということに疑問を感じています。


それにしても「自己責任」と言う方々は厳しいですね。危険なイラクに飛び込んだ彼らと彼女の行動には、私も幼さと甘さを感じますが、「自己責任」を問う方々は、彼らと彼女の日本における行動にさえ批判と嫌悪を感じているように思われます。さらにそこに、家族の反応が「自己責任主張派」の感情に油を注いでいるようです。政府方針や自衛隊に反対するような輩が、どうしてその政府や自衛隊に助けられなくてはならないのだと。


当然、日本政府はイラクへの渡航に関し警告を発してしていましたが、結果的には彼らと彼女のイラク入りを許可したわけです。責任の所在という点では何処に帰結するのでしょうかね。本人と家族の自己責任もありますが政府の責任も否定できず、全力を挙げて救出することも当然であると思えます。


今回の事件に対する反応は、政府にも何か重い決断を迫られていますが、個人にも踏絵のような意味合いも持ってしまったように思えます。自衛隊派遣どころか、日米安保を含め大きな課題を投げかけている事件です。それにしても、時間がない・・・

2004年4月10日土曜日

イラクでの日本人拘束事件

イラクにおける日本人三人の拘束事件は各方面への波紋を広げています。

日本政府は早々に「自衛隊は撤退しない」という強い意思表明を行っており、アメリカからも評価されています。一方で拘束された家族は「選択肢を奪われた、なす術が無い」と呆然状態です(「筑紫哲也のニュース23」)。



ネット(例えばYahoo掲示板)を徘徊していると、今回の三人の被害者に対して否定的な意見が目に付きます。彼らに対し「サヨク」というレッテルを張りたがる方々や、自ら危険なイラクに何の手立ても無く飛び込んだのだから「拘束死志願」であるので「自業自得」、「助ける必要はない」、更には「殺されても仕方ない」「焼き殺してくれ」という意見まで散見されます。そういう方々は、好きで冬山登山やシケの日の釣りに興じる「バカども」は救助する価値なしと言っているわけでして、眩暈がしてきて読むのを止めました。

また、今回の拘束事件は「自作自演」であるという説まで登場しています。確かにテロ組織からの具体的要求が「自衛隊の撤兵」という一点であるため、何か腑に落ちない気持ちはあります。日本で放映されていない映像 も あります 。マスコミは自粛したか報道規制でしょうか。


��日の大手新聞は毎日を除いて皆この問題に触れていますが、いまさら引用せずとも内容は推察の通りです。ただその中で読売新聞は『昨年のイラク戦争の直前から、外務省は渡航情報の中で危険度の最も高い「退避勧告」を出していた。三人の行動はテロリストの本質を甘く見た軽率なものではなかったか。』と被害者の自己責任を問う意見を表明しています。そして大手のどの新聞も、人質の人命救助を強く訴える論調が薄いものであることが印象的でした。


福田官房長官は記者会見にて、ダッカ人質事件の際、当時の福田首相が「人命は何よりも尊い」としてテロリストに屈したことに触れられたのに対し、「当時とは時代が違うし、意味合いも異なる」と答えたようです(前後の脈絡は分かりませんが)。

日本政府は「国際人道支援」を止めるつもりは無く、また人質奪還の可能性やストーリーを全く描けないのに、一つの選択肢を一番最初に切り捨てたわけです。政府が守るものは、海外で勝手にテロにあった同胞の命ではなく、西側諸国の中での日本の地位と立場であることをこれほど明確に示したことはないのではないでしょうか。


もし今回のテロが本物であれば、テロリストとの連絡手段がない以上、交渉の余地のない一方的でかつ卑劣な要求であることは論を待ちません。政府は後二日で何ができるのでしょう。情報収集と救助に全力を挙げると言っても、イラクに対する諜報活動や情報網が整備されているとは全く考えられません。


昨年11月、外務省は二人の外交官をイラクに派遣し死なせてしまいました。彼らはティクリットの会議に出席するためでしたが、ティクリットが当時最も危険な地域であることを外務省は掴んでいなかったということです。外交官二人は、アメリカの関係者なら必ず携行するはずの軍用地図を渡されていなかった可能性が指摘されています。


イラク派遣前のサマワの状況判断についても同様です。このような日本政府が、どうやって人質を救出するのでしょう。私はどう考えても(>というほどには考えていませんが ^^;;)先が読めません。陸上幕僚監部調査部などの情報部関係者などが積極的に情報収集ですか、それとも、アメリカ国防総省の下の諜報機関あるいはCIAからの情報提供と米軍による武装解除にでも頼るのですか?あるいは、ひたすら非道であることを訴え続けるだけでしょうか? (いや、実は、諜報網も解決ストーリーも描けていて、一気に救助可能なのかもしれません、私が知らないだけで)


翻って、自衛隊を撤兵させることはテロリストに屈したことになるのでしょうか。日本は「人質」さえ取れば組しやすしとテロリストの標的にされるということでしょうか。そうしたとき、テロリストは日本に対して今度は何を要求してくるのでしょう。人質を取っての身代金の要求ですか、あるいは国際テロリストの解放とか・・・。


今回の武装勢力がいかなる組織かは不明ですし、イラクの中には日本人に対して敵対意識を持つ人は少ないという報道もありますが、明らかにアメリカのイラク侵略と駐留、それに加担する国を「敵」とみなす勢力、あるいはそういう勢力を利用しようとする組織は存在するということです。


イラクではスンニ派のみならずシーア派まで両派共同でナショナリズムを展開し反米活動を始めつつあるという状況に変化してきています。フセインもNoであったが、アメリカもNoであると突きつけています。そういうアメリカに日本は加担していると見なされているわけです。アメリカや日本の立場に立てば、今回の武装集団はテロリストで犯罪者ですが、彼らから見れば侵略者以外の何者でもないような気がするのです。


「人道支援」とか「国益」とか「民主化」とか言いますが、結局は西側あるいは列強諸国の経済的「勝ち組」の理論でしかなく、アラブ諸国の立場からの、アラブ人に尊厳と敬意を払った上での活動では決してないはずです。アメリカの行動こそテロリストを増殖させているのではないのかという意見に私は少なくとも今のところ同調します。


今回の事件が茶番でなければですが、大事な一日が過ぎてしまったことは確かです。