2004年4月25日日曜日

産経の自己責任ということ2

4月25日 主張より。被害者の自己責任について『個人の自由を考える上で、避けて通れない問題』とし、

被害者がイラク入りした目的は問題ではない。どんな崇高な目的であれ、自分の判断でイラク入りを選択した以上、責任は自分にあるのだ。もちろん、そうであっても、国には邦人保護の義務がある。

と書く一方で、

家族は反省し、政府と国民に迷惑と心配をかけたことを謝っている。反省していないのは、家族の当初の発言を利用し、自衛隊撤退論に結びつけようとした一部マスコミである。

と批判の矛先をそぞろ朝日をはじめとするマスコミに向け始めています。産経の主張する「責任」とは何をすることなのかと考えてしまいます。

この自己責任という言葉は、最近は金融関係でよく聞かれるようになりました。例えば企業年金を止め確定拠出年金移行した企業は、社員に対して「掛け金の運用については自己責任が伴いますと」説明しておりました。損をしても会社はもう面倒みないよと。彼らや家族の負った責とは・・・既に十分という気もしないでもないのですが。

なぜもう下火になっているこの問題を引きずるのかというと、今回の一件で私の考える方向というものが、どうやら多数はではないこと、ネットでは暴言流言が横行し、私を含め感情論的にある方向へ意志が誘導されてしまう危険性を感じたこと、マスコミも一斉にある論調に傾いてしまうこと、政府の大本営的発表とは裏腹に実像が全く見えなかったことなどイロイロ知ったからであります。

マスコミといえば、特に朝日のスタンスは軸足がぶれがちであること、産経を筆頭に他のマスコミは朝日が大嫌いであること、赤旗は相変わらず相手にされないどころか嫌悪されている(文春)ことも改め分かったからでもあります。

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