大々的に宣伝していますのでGW中などは込むと思い、今日天気が良いことをきっかけに、9時の開館と同時に入館してきました。
天気が良いせいでしょうか、朝早いというのに結構な人出です。それでも絵画の出展数が少ないので比較的ゆっくり観ることができました。
お目当ては何と言っても私が最も敬愛する画家、フェルメールの「画家のアトリエ」です。最初は順番に観ていたのですが、途中からじれったくなり、一番最後に展示されているところまで、まずは行ってみることにしました。
さて、はじめてフェルメールに接した印象は、もはや言葉にすることができません。何と言う幸福でしょうかね、観ていてじんわりとしてきてしまいました。観ている他の人も絵の前から動こうとしません。もう画面に釘付けといったところです。
この絵は、フェルメールの絵の中では最大のものなのですが、フェルメールの絵の魅力が余すところ無く伝わってくる作品でもあります。手前の重い捲られたカーテンは、画家とモデルの秘事を覗き見しているような感じです。カーテンは吊るされて固定されているのではなく、今まさに「私が」捲っているように思えませんか?
そして見えてくるのは、洒落た衣装の画家と、その後ろに窓から差し込む優しい光に照らされた女性です。この女性の儚さと美しさと永遠性ときたら、ほとんど奇跡のようであるとしか思えません。眼を閉じて再び開いたら、そこに女性がいなくなっていないかと、心配になります。しかし、女性は一瞬の喪失感を感じさせつつも、永遠にそこに光とともに固定されているのです。また、壁にかかっている地図は実物の地図を模写したものですが、その皺を弄ぶようになでる光の美しいこと。
フェルメールは意識的に手前の画家や椅子などと比較して、女性を「ぼやかして」描いています。輪郭などもはっきりしないのです。これはフェルメールが当時のカメラ・オブスキュラを利用していたというのが定説ですが、それは絵画に奥行きや遠近感を与えるだけではなく、それ以上の驚くほどの効果を生じさせているように思えます。
これもよく指摘されるのですが、天井から下がったシャンデリアの表現も、光の反射の描き方など解像度の悪いカメラを通した画像と酷似しています。でも、フェルメールがカメラ・オブスキュラを使おうが使うまいが、どうでもよいことです。
そうしてキャンバスに定着された光は、移ろいやすさと永遠性という二つの相反するものが見事に合体し、観る者をどこか別の世界に連れ去ってしまうほどの魅力に満ちた作品に仕上げているからです。これを眼の恍惚といわずして何と言えましょうか。
先ほど、絵画は一期一会のものであると書きましたが、私がこの絵に再び会うことがあるとするならば、それまた奇跡のような僥倖であろうと思わずにはいられません。
とまあ、感情的な文章をしたためてしまいましたが、そのほかの絵も面白かったのですが、とにかくフェルメールの印象が強すぎてダメですね。
レンブラントの絵も2枚ほどあって、これはこれで大したものではありましたが、今日はレンブラントまで語る気にはなれませんな。
たった1枚の絵を観たさに1500円というのが高いか安いか、前評判の割には展示作品が少なすぎやしないか?(マルモッタンの時の半分だな)という疑問もありますが、まあ、それもよしといたしましょう。
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