セバスティアン・クナウアーSebastian Knauer(1971-)による、モーツァルトとマイケル・ナイマンMichael Nyman(1944-)の曲を交互に聴かせるコンセプトアルバム。マイケル・ナイマンはイギリスのミニマル・ミュージックの作曲家とのこと。
https://music.apple.com/jp/album/the-mozart-nyman-concert/1561282517
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
セバスティアン・クナウアーSebastian Knauer(1971-)による、モーツァルトとマイケル・ナイマンMichael Nyman(1944-)の曲を交互に聴かせるコンセプトアルバム。マイケル・ナイマンはイギリスのミニマル・ミュージックの作曲家とのこと。
https://music.apple.com/jp/album/the-mozart-nyman-concert/1561282517
シルヴェストロフの音楽には、シューベルトやモーツァルトの音楽の引用や断片が用いられている作品があります。
このアルバムでは、シューベルトのピアノソナタNo.4 イ短調 D.537と2つのディアローグとあとがき(Zwie Dialoge mit Nachwort)、モーツァルトのピアノソナタNo.10 ハ長調 K.330と使者(Der Bote)を演奏しています。
ピアノはこの盤でデビューするというFrancesco Spazianです。
https://music.apple.com/jp/album/twilight-travelers/1445716803
NAXOSから発売から出されているシリヴェストロフの作品集です。ピアノ曲、弦楽オーケストラ曲で構成されています。
輸入元情報では以下のように紹介されています。
このアルバムには、シルヴェストロフの代表作「使者」をはじめ、郷愁を誘う数々の曲が収録されており、シルヴェストロフを初めて聴く人にとっても良い道標となることでしょう。
https://music.apple.com/jp/album/valentin-silvestrov-moments-of-memory-ii/1274218379
この頃シルヴェストロフの作品を少しずつ聴いています。これは2020年12月発売のピアノ小品集、ピアノはローマ生まれのイタリア人、アレッサンドロ・ステラ(Alessandro Stella)。発売されたばかりなのか、今現在(2021年6月)ではHMVでもほとんど情報がありません。
予備知識なしで聴いてみますと、まさに「聴きたかったシルヴェストロフ」の音楽が詰まった珠玉のアルバムです。初めて彼の音楽を聴くにはお勧めのアルバムでしょうか。
先日、グリモーのアルバムでシルヴェストロフ(Valentin Vasylyovych Silvestrov)というウクライナ出身の現代音楽の作曲家を知りましたので、Apple Musicから人気のアルバムとして挙がっているものをひとつ聴いていみました。
「Bagatellen und Serenaden」という2007年、シルヴェストロフ70歳の誕生日を記念して発売されたアルバムです。ピアノ小品と弦楽との合奏協で、ピアノはアレクセイ・リュビーモフ(Alexei Lubimov)、クリストフ・ポッペン(Christoph Poppen)指揮のミュンヘン管弦楽団の演奏。
グリモーは、アルバムごとに新しい断面やストーリーで曲の魅力や世界観を伝えてくれる演奏家のひとりです。
今回のアルバムも、モーツァルトの曲とウクライナ生まれの現代作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフの曲を組み合わせたもので、非常に魅力的なアルバムでした。私はこのアルバムでシルヴェストロフという作曲家を初めて知りました。

https://music.apple.com/jp/album/the-messenger/1526145158
コンセプトアルバムではりネタバレ的になってしまいますので、まずは聴いてから解説などを読んだ方が良いと思います。
ディアマンダ・ラ・ベルジュ・ドラムDiamonds La Berge Drammは、オランダのヴァイオリニストにしてまた、現代アート(アバンギャルド、即興) のパフォーマーとして活躍している方のようです。
彼女のこのアルバムはJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータから第2番。その後にジョン・ケージの曲を持ってきています。
https://music.apple.com/jp/album/inside-out/1566371762
バッハの音楽とミニマルミュージックを並べたり、スカルラッティとリゲティを演奏するなど、バロックと現代曲を組み合わせているアルバムは少なくありません。
バッハは今でも実験的、挑戦的な音楽の使われ方をしていながらも、いささかもその本来の音楽の持つ力を失うことがありません。逆に、並べられた曲が逆照射されるような感さえあります。
この盤もそういう類のものかと思って聴いてみました。
以下は多少ネタバレ的になりますので、実際に聴かれてから解説を読むのが良いと思います。
Ensemble K Simone Menezes の新譜ACCENTSを聴いています。
何度聴いても凄いだす。#コパチンスカヤ
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) March 15, 2019
Patricia Kopatchinskaja & Sakari Oramo: Ligeti Duo "Balada si joc" Enco... https://t.co/wbJExAEqRv @YouTubeより
まさに驚くべきアルバムです。表題のとおり、現在も過去も自由自在に鍵盤の上を駆け巡ります。
いちおう音楽サイトのつもりなのに、音楽の話題が全く続かないので、(誰も期待していないとは思いつつ)無理してエントしましょう。昨日、リサイクル書店で衝動的に購入したCD(2枚組800円)のこと。
フィリップ・グラスの名前はゴットフリー・レッジョ監督の映画「コヤニスカッティ」(1982)の音楽で知っていました。ミニマリズムと称される曲を中心に作った人です。
宮下誠氏の「20世紀音楽」ではインドの複雑きわまるリズム構造を西洋の器楽的伝統に移植することを始め、ミニマル・ミュージックに新しい地平を開いた
と解説されています。
グラスはミニマリズムというレッテルを好まなかったようです。しかしここで聴かれる音楽をミニマリズムと言わずして何と言いましょうか。グルグルと際限なく回るメリーゴーランド。空虚な明るさ、官能と催眠、麻薬のような酩酊と白い悪夢。第4番はグラス自らオルガンを弾いていますが、他の4曲と何が違うのか未熟な私には分かりません。
金太郎飴のようなグルグルが微妙に変化するだけの反復運動、眠くなりながらも神経に障ります、聴き続けるのが快楽なのかつらいのかさえ判然としない、ちっとも良くない・・・でも聴いていたい・・・(^_^;;;。これをBGMに眠ったら、ひどくうなされてしまいました・・・。
ミニマリズムはテクノ系音楽に影響を与えたとされています。「Underworld」の曲でも聴きたくなりましたよ。
|
|
|
NAXOSの日本作曲家選輯から武満徹の盤が発売されています。曲目には晩年の「精霊の庭」が入っていることや、映画音楽からの編曲も収録されていて大変に魅力的な構成です。
早速聴いてみましたが、オールソップ&ボーマンスso.のサウンドはクリアでかつ透明な響きといった印象。武満音楽の美しさを充分に表現していて聴きやすい仕上がりになっているようです。ただ個人的な好みからは、(うまく表現できないのですが)もう少し摩擦感といいますか、ひっかかりのようなものが欲しいところです。「ユニバーサル」な武満像という点では、こういう解釈が正統なのでしょうかね。
《3つの映画音楽》は、武満が手がけた映画音楽から作曲者自らがアレンジして組曲風にまとめたものとのこと。『黒い雨』は武満展で映画を観ている時は「暗いBGMだな」くらいにしか思いませんでしたが、音楽だけ聴いてみると極めて秀逸。『他人の顔』のワルツは諧謔性とデカダンな美しさに舌を巻きます。
演奏機会の少ない「ソリチュード・ソノール」も収録されているので武満ファンには必須な盤でしょう。
それにしても驚くのは(相変わらずの)片山杜秀氏の詳細にして緻密な解説。写真が挿入されているのは最初の頁だけ、下のような調子で11頁にも及ぶ解説はCDのそれを越えています。この解説を入手するだけでも、この盤の価値はあるかと・・・
かねてから敬愛していますおやぢの部屋2からトラックバックを受けました。そちらの解説の方が適切でございます。
高木さんの演奏の感想については、拙HPやブログでも何度も書いていながらにして、実演に接するのはこれが初めてです。
過大なる期待を持って演奏会に望んだのですが、聴き終わった後での感想といえば、完全に惚れ直したというのが正直なところ(ビジュアルぢゃなくて)。
まずステージに上がってきたところから既にオーラを発しています。モノが違うというのは、こういうことなのでしょう。淡いリラかラベンダーを思わせる色のドレスを颯爽と身に纏い、ステージ中央にスクと立った姿からは貫禄さえ感じます。
今年のモーツァルト・イヤーを含めて一体彼女は何回のモーツァルトを演奏しているのでしょう。ソロ活動中のパユがそうであったように、内心少々はウンザリ気味なのか、あるいは毎回気持ちを新たにできるものなのか、演奏者の表層的な内面は聴衆には分かる筈もありません。
オーケストラの前奏が始まると顔つきが一段と怜悧になり、伴奏を軽く口ずさみさえして音楽に没入していきます。その姿はスタート前のアスリートを思わせます。そして音楽に対する集中を一気に高めた後でのフルートの第一声。
��。何という音の掴みでしょう。そのビビッドさときたら、最初の出だしで一撃です。何度も聴きなれたフレーズがクイッとばかりに立ち上がる。生き生きとして快活で敏捷なモーツァルト。
彼女の演奏からは、野性とか高度な運動性能を感じることがあります。例えば、昨年発表したCDの武満徹の《海へ》。ここでも、動物的なカンとさえ思えるような印象の演奏が展開されます。他の武満像とは
少し(いや、かなり?)違う。今回のモーツァルトも学究的モーツァルト解釈の点からどうなのかは、私には全く分かりませんが、これほどにドキドキしながら聴いたモーツァルトも他にはないということも確か。
まるで黒豹を思わせるしなやかさを展開させながら、モーツァルトの世界をゆうゆうと突き抜けてゆく自在さ。1楽章最後のカデンツァは、もう息を呑むばかり。あまりに唖然。壮観、爽快、感歎。駆け抜ける音楽の至福。これがK.313なのか、いやこれこそがK313なのか。彼女の音色と残響だけが奏楽堂空間を満たしたときの音しか存在しない緊張と充実。この演奏を聴くだけでここに来た価値は充分にありました。
横で見守る金教授や藝大の関係者の方々は、どのような思いで彼女の演奏を聴いたのでしょう。カデンツァの最中に金教授がビオラの女性と目配せしているのが印象的でした。
高木さんのブログを読むと久しぶりに興奮した演奏
、若かりし頃の演奏に近くて、やりすぎたかなぁ~?
と書かれていました。私のような聴衆(^^;;には受けは良かった
と思いますよ(笑)。
(諸事情があって行きそびれました・・・激残念)
ということで、予想以上の高木ショックのため、次なる高木綾子は8月27日、白寿ホールでの武満徹《ヴォイス》《海へ》に決定です。
��月末に直島を訪れたことは以前書きました。そこで現代美術作品などに接したせいか、無性に武満徹を再び聴きたくなってしまいました。EMI ClASSICS 決定版1300に高橋アキさんのピアノ演奏を安価で入手できますので、早速聴いてみました。
正直に言うならば、武満徹の音楽はいまだによく分かっていません。ですからこの盤に納められた「こどものためのピアノ小品」とか、おなじみのビートルズ・ナンバーを編曲した「ゴールデン・スランバー」などの、あまりゲンダイオンガクしていないメロディの中に、つい、自分にとっての武満の音楽的意味とか価値を見出そうとしてしまいます。武満は難解な曲も書いたけれど、一級のメロディメーカーだったんだなという一面的で独断な納得の仕方、武満もそんなにとっつきにくくないぢゃない、という偶像の民主化。
武満の曲は「こどものための」だとか、スタンダードナンバーの編曲であっても、実は演奏するのが、かなり難しいのだそうです。でも、そういう難しさを全く感じさせずに曲はあまりにも美しい、美しすぎて哀しくなるくらいであります。ですから、武満の音楽に癒しを求めてしまうことも否定はできません。
しかし、そういうアプローチしやすく親しみやすい武満像とは裏腹に、難解ながらも響きの豊穣さに浸りきったとき、音楽が琴線の深いところにハマる武満音楽というのもある。本盤の最初に納められている「閉じた眼」はルドンの絵を思い出さずとも、心の深いところに降りてゆくかのような静けさと、ある種の激しさに深い感銘を覚えます。比較的親しみやすい「雨の樹素描」は、たっぷりと水分を含んだ質量感のある大樹の豊穣さが脳裏に浮かびます。
相場ひろさんはCD解説の中で、前衛音楽の先駆者であった武満と映画音楽などの分野で活躍した武満を「ふたりの武満徹」の相克
として説明しています。かつては前衛時代の武満こそが本来の姿であるとして評価されていたが、現代においては武満の価値は一転しのだと。
こんにち武満を聴き、愛好する人たちの多くにとって、かつてとは逆に彼は、前衛音楽に対する調性音楽の勝利を象徴する作曲家として理解されているようなところがありはしまいか。
これを読んで一瞬はっとはしたものの、あまりに武満を理解する「型」に拘泥しすぎてはいないかとも思います。
虚心に聴くならば、先にも書きましたように、ある瞬間に音楽が琴線を奮わせる。セリー理論だとか調性だとかの専門家しか理解できない音楽理論をゆうに飛び越えて、音楽の持つ得体の知れない力が人を捉えて放さなくしてしまう。そんな武満音楽の魅力を改めて思い知らされてくれる名盤であると思います。
![]() |
|
雑踏の中に時折飛散する少し碧みがかった花弁のような真理を拾い集めてみたいとあるのですが、私には雑踏の中での無秩序で不安な断片のようなものしか聴き取れず。こちらの曲は、今の私には余り馴染めませんでした。猿谷さんは現代作家の中で確たる地位を築いている方のようですので、他の作品も機会があれば聴いてみたいと思います。
武満氏のメロディは、ことさら大声で感情を吐き出したり主張はしません。何かを感じ取るかのような感性の部分が大きい。彼の興味の対象が、水とか樹とか風や雨に象徴されるような自然的なものであったことは、曲の標題から推測できますが、彼の音楽が単なる自然描写に留まっているわけではありません。
本盤の解説で作曲家である細川俊夫氏が次のように書いています。
時々、むしょうに武満徹の音楽を聴きたくなる。その強い気持ちは、ちょうど都会生活に疲れて、森や海に行きたくなる衝動に似ている。自然にふれ合いたいという気持ちと、武満徹の音楽にふれたいという気持ちは、どこかで通じ合っている。
そして、武満氏の音楽の中に細川氏は自然のもつ見えない官能的な力
を感じるとしています。
おおむね私もこの感覚には同意します。ただ「官能的」という言葉の印象ほどには武満氏の音楽はナマさが全くありません。地層を幾つも越えることで浄化された地下水にも似た、洗練と純化を繰り返したピュアさが際立っています。
ピュアさとともに魅力なのは、絶えず変化してとらえどころのない茫洋とした感じ、しかし底に秘められた整然とした構築感。ですから、武満の音楽は漫然と聴いていると何となく通り過ぎてしまう。あれ、これだけ?みたいな感じ。でも真摯に耳を傾けると、奥から違った声や響きが聴こえてくる。
この盤にあっては、それぞれの曲の良し悪しを語る必要はなさそうです。鈴木氏のギターは、独特のメロウさと柔らかさ、そして不思議なアンニュイさを漂わせつつ、限りなく美しい武満の音楽を歌いきっています。ただ静かに浸るのみで充分です。