ワーグナーにとってエポックメイキング的な《トリスタンとイゾルデ》が完成したのが1859年のこと。《指環》の作曲は《トリスタン》の前後に渡っているが、《トリスタン》以前に作曲されたものが《ラインの黄金》と《ワルキューレ》、以降に作曲されたものが《ジークフリート》と《神々の黄昏》ということになっている。
それにしても、ワーグナーが書きたかったのは事象としての「ジークフリートの死」(《神々の黄昏》とそれにまつわるドラマであったらしい。それを物語として肉付けするに当たり、ジークフリートの人間としての成長を描いた《ジークフリート》が成立し、更にジークフリートの誕生に至る物語《ワルキューレ》を生み(ジークムントとジークリンデの近親相姦による禁じられた愛の物語)、そして更にはジークムントとジークリンデを生み出すことになった前史としての《ラインの黄金》(ラインに眠る黄金の物語)が着想らしい。作曲は年代を追っているが、着想は劇順と逆になされたわけである。何ともはやワーグナーの誇大妄想的なイマジネーションの膨らみには恐れ入るばかりである。
年代 | ニーベルングの指環 | その他の作品と主な出来事 |
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1842(29歳) | 《さまよえるオランダ人》完成 | |
1843(30歳) | 《さまよえるオランダ人》ドレスデンで初演 | |
1845(32歳) | 《タンホイザー》総譜完成、ドレスデンで初演 | |
1848(35歳) | 《ジークフリートの死》(《神々の黄昏》の原型)の劇詩完成 | 《ローエングリン》完成 フランスで2月革命 |
1849(36歳) | ドレスデン蜂起に参加、「未来の芸術作品」脱稿 | |
1850(37歳) | 《ローエングリン》ワイマールで初演 | |
1851(40歳) | 《若きジークフリート》(《ジークフリート》の原型)の劇詩成立 《ラインの黄金》《ヴァルキューレ》の劇詩のための最初の散文スケッチ完成 | 論稿「歌劇と戯曲」を完成 |
1852(39歳) | 《ヴァルキューレ》の第2の散文稿および劇詩完成 《ラインの黄金》の劇詩完成 | |
1853(40歳) | 《ラインの黄金》の管弦楽前奏曲を構想 | |
1854(41歳) | 《ラインの黄金》総譜完成 《ヴァルキューレ》の作曲開始 | |
1856(43歳) | 《ワルキューレ》総譜完成 《ジークフリート》作曲開始 | |
1857(44歳) | 第2幕の終わりで《ジークフリート》作曲中断 | 《トリスタンとイゾルデ》の筋をスケッチ、劇詩執筆、作曲開始 |
1859(46歳) | 《トリスタンとイゾルデ》総譜完成 | |
1860(47歳) | 《タンホイザー》パリ版完成 | |
1861(48歳) | パリ オペラ座で《タンホイザー》上演 《マイスタージンガー》の第2散文稿完成 | |
1862(49歳) | 《マイスタージンガー》の劇詩執筆、作曲開始 | |
1865(52歳) | 《トリスタンとイゾルデ》ミュヘンで初演 《パルジファル》台本の最初の散文稿完成 | |
1867(54歳) | 《マイスタージンガー》総譜完成 | |
1868(55歳) | 《マイスタージンガー》ミュンヘンで初演 | |
1869(56歳) | 《ジークフリート》の作曲再開 《ラインの黄金》ミュヘンで単独初演 《ジークフリート》総譜完成 《神々の黄昏》作曲開始 | |
1870(57歳) | 《ワルキューレ》ミュヘンで単独初演 | |
1871(58歳) | 《ジークフリート》完成 | |
1873(60歳) | バイロイト祝祭歌劇場完成 | |
1874(61歳) | 《神々の黄昏》総譜完成 | |
1876(63歳) | 《指環》全曲がリヒターの指揮でバイロイトにて初演 | |
1882(69歳) | 《パルジファル》総譜完成、バイロイトにて初演 | |
1883(70歳) | ヴェニスのヴェンドラミン館にて死去 |
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