2003年1月30日木曜日

《指環》を概観する

《ニーベルングの指環》は上映するだけで15時間もかかるという大作である。物語の概観をつかむのは非常に困難を極める作業だ。ネットを検索すると多くのサイトが見つかるが、そのなかにBunⅢの音楽よもやま話というサイトがある。ここはワーグナー作品ばかりではなく、オペラ作品の多くがMIDIなどを提供しながら分かりやすく解説されており初めに読むのに良いと思う。ワーグナーの《指環》につても複雑な人間関係を含め丁寧に解説してくれている。かくいう私も、ここから《指環》に取り組み始めた。

《指環》は長さとともに、複雑な人間関係に辟易して作品を敬遠してしまう向きもないではない(私もそうだった)。しかし、しばらく眺めたり聴いたりしていると、まずは重要な人物だけ押えれば良いと気づく。基本は以下の人物ではなかろうか。

- ヴォータン:欲深い神
- フリッカ:その嫉妬深き妻
- ローゲ:火の神、ブリュンヒルデを封印したりする
- エルダ:ヴォータンの不倫(?)相手の女神
- ブリュンヒルデ:ヴォータンとエルダの娘、後にジークフリートとの悲しい愛が芽生える
- ジークムント、ジークリンデ:ヴォータンが人間の女性に産ませた(!)双子の兄妹
- ジークフリート:ジークムントとジークリンデの近親相姦の愛から生まれた(!!)子供
書いているだけでムチャクチャ・・・という気がしてくる。ちなみにブリュンヒルデはワルキューレの一員、ワルキューレとは空を駆ける戦場からの死体搬送業者のことである。その他に押えておくべき人物は(異論もあろうが)以下であろうか。

- アルベリヒとミーメ:小人族、醜さ故に愛を捨てラインの黄金を盗んだ
- ファルゾートとファフナー:巨人族、強欲でアタマの悪そうな建設請負業社(?)
- グートルーネ:ジークフリートと結婚させられる女性、ブリュンヒルデの引立て役(「ニーベルンゲンの歌」のクリームヒルト)

まだまだ居るのだが、重要なのは何と言ってもジークフリートとブリュンヒルデだ。この二人の物語を作るために延々としたドラマが繰り広げられていると言っても過言ではないのだから。ただ第1日目の《ワルキューレ》においてさえジークフリートはまだジークリンデの胎内に宿るのみなのだ。

この数人が、15時間の中で入り乱れ、愛し合い、生まれ、そして企み合い、憎み合い、殺し合う。それ故に《指環》のテーマは非常に多岐に渡っている。権力と富、策略、禁じられた愛と愛憎、女性の自己犠牲による贖罪など、いかにもワーグナー的なテーマと言えようか。

特に女性(今回はブリュンヒルデ)による罪の浄化というのはワーグナーお好みのテーマなのだろか。《タンホイザー》でのエリーザベトも同じような役廻りを演じている。あるいは愛のために愛の力で自ら死すイゾルデの姿ともだぶるものがあると感じる。ワーグナーの理想の女性像の反映だろうか。

対するジークフリートは英雄という設定なのだろうが、ワーグナーの描く男性(英雄)は、女性と比べるとどことなく子供じみていると感じられてしまう。トリスタンしかり、タンホイザーしかりである。《指輪》のヴォータンもとても神とは思えないところが笑える。(このヴォータン、巨人族に自分たちの城=ヴァルハラ城 を造ってもらっておきながら、踏み倒そうとしていたフシがある>そんな神なんて聞いたことねー。)

ワーグナーは神話的世界を舞台に《指環》を始めたが、それはキリスト教倫理観に基づいた神話世界ではないことは、上のような事柄から分かると思う。神々とは言っても至極人間的な愛憎や欲求の強い神々であるのだ。

で、ストーリーはと言えば、『ラインの黄金が小人族のアルベリヒに盗まれてから再び(幾多の物語を作りながら)ラインの川底に戻るまでのお話し(まさにリング!)』とも言えるし、『ワーグナーがわざわざ蘇らせた神々を再び没落させた物語』でもある。あるいは『ジークフリートの誕生と愛と死の物語』(これぢゃあ《トリスタン》だ)でもある。

え? こんな解説では全然分からない? と言う人は、素直に書店とCD店に行きましょう。


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