内田樹のブログより。(2005.03.30、2005.04.03)
- 苅谷剛彦「階層化社会と教育の危機」
- オルテガ「大衆の反逆」
メリトクラシーの前提としての誤謬について、下記が幻想でしかなかったこと。
学力には「生得的・後天的なばらつき」があるが、創意や自発性はすべての子どものうちに等しく分配されているということを人々が信じていた(階層化=大衆社会の到来)
オルテガはただでさえ非平等に配分されている「努力する能力」そのものを組織的に破壊する制度として大衆社会をとらえた
(中略)
オルテガがたどりついた結論は「努力」とは「自分自身との不一致感」によって担保されるという、平明な事実であった。おのれのうちに「埋めがたい欠落感」を抱いている人間はそれを埋めようとする。(ニーチェとオルテガ 「貴族」と「市民」)
ニーチェもオルテガも読んだことはないが、注目すべき知見である。内田氏がオルテガに指摘する自分のうちにかかえこまれた<他者>
という概念が真にオルテガの思想であるのかは判断がつかないが、内田氏の思想の根源にあるもののようである。
0 件のコメント:
コメントを投稿