2005年4月26日火曜日

歌舞伎座:四月大歌舞伎 ひらがな盛衰記~源太勘当


25日の本日が千秋楽となってしまった中村勘三郎襲名披露の二月目、休日に幕見席に並んで、「ひらかな盛衰記~源太勘当」と「京鹿子娘道成寺」の二幕を見てきました。

相変わらず襲名披露歌舞伎は凄い人気のようで、2時間近く前でも木挽屋(弁当屋)の近くまで列ができています。早い人は3時間近く並んでいるのでしょうか。当然のことですが、5月の公演も一般発売が開始されたときは、ほぼ完売状態・・・3ヶ月で延べ28万5千人が襲名披露公演を見ることになるのですとか・・・恐るべし歌舞伎ファン。


最初の「源太勘当」は、梶原平次景高の勘太郎と梶原源太景季の海老蔵の競演が見所の芝居。しかし他のブログでも指摘されていますが、海老蔵の演技が圧巻でした。平次は悪役でありながらに喜劇味を帯びた豪放磊落な味と、源太の恋人を狙う色の濃さなどが必要な役柄、これを海老蔵がいかにも上手く演じています。声音といい態度といい、圧倒的な雰囲気を醸し出していて主役のはずの勘太郎を食ってしまった感さえあります。「毛抜」の勅使桜町中将役だけで海老蔵を判断していたら、えらいことになるところでした。

それにしても夜の部で團十郎の弾正を見たせいもあると思うのですが、遠くから見ても團十郎に似ていますね。たった二芝居だけで判断するのは早計に過ぎるとは思うものの、成田屋の懐の大きいさとか、おおらかな明るさというのは芸風なんでしょうか。もっとも海老蔵に平次役はガラぢゃないとの意見もあるようですが、私は楽しめました。

対する鎌倉一の風流男の源太を演ずる勘太郎なのですが、これは役柄のせいもあるかもしれませんが、ちょっと演技が大人しすぎる。兄を蹴落として(殺してでも)千鳥を手に入れようとする弟平次に対し、武道で打ち負かしてしまう強さを持ちながらも、頭をかかえ這這の体で、逃げ帰る平次に注目が集まってしまうのは、何とも。

��平次)「世間は切腹したにして、其の首刎ねて埒明けう」とずばと抜いて切りかゝる刀の鍔際むずと取り「兄親に対し尾籠の振舞、腰抜の手並腰骨に覚よ」と引っかづいてどうと投げ付け、起しも立てず刀の背打(むねうち)。りう/\はっしと撲のめせば「あいた/\」と顔しかめ、はふ/\逃てぞ入りにける

見終わって感想を書こうと思っても、これといって源太のよかったところが思い出せない。よほどに難しい役なのであろうなあと、今になって思います。七之助事件がなければ、源太は七之助が、勘太郎は源太の恋人の千鳥を扮するはずっだったらしく、そうであったならまた印象も違ったでしょうか。

この芝居は、源太、平次の母親である延寿も重要な役割を果たすのですが、これは秀太郎が演じていました。延寿は歌舞伎の「三婆」の一つにかぞえられることもある難しい役どころ。源太を切腹から救うためわざと勘当を言い渡した後の場面、

一度にどっと打ち笑ふ源太は変りし我が姿の、恥も無念も忍び泣き母は我が子を助けんため、人前作る皺面顔。怒る擬勢も苦口も詞と心は裏表、『命がはりの勘当ぢゃと思ふて堪忍してくれ』と、云ひたさ辛さ泣きたさを、胸に包めど包まれぬ悲しい色目悟られじと「ヤア皆の者があの態を見て、おかしがるで母もをかしい。あんまり笑ふて涙が出る。ハヽヽヽ」と高笑ひ、泣くよりも猶あはれなり。

心のうちを隠して、皆に合わせて笑わざるを得ない難しさ。秀太郎の延寿も悪くはないのですが、三婆のひとつ微妙(盛綱陣屋)を演じた芝翫の思い出すに、芝翫だったらどうであったろうなどと考えたりしました。あくまでも歌舞伎ですから、愁嘆場もあまり生々しくなってはちょっと興ざめですし。

物語的には、この後頼朝卿より給はりし産衣の鎧兜、誕生日の祝儀に持って行けと源太に渡し、鎧と一緒に千鳥も付いていたという母親の計らいがあるのですが、源太が恥辱を雪ぐ合戦に恋人を連れ立って行けとは、足手まといにならんのかねえ、などと考えるのは野暮なことなんでしょうなあ。

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