春分の日である。3月に入ってから、今までの暖かさが何処へという位に寒い日が続いていたので今日のような陽気は嬉しい。コートを脱いでジャケットだけで外出ができる身軽さよ。
��以下、あまり内容ありません>いつものことですが・・・)
どうせ今週の土日は出勤せねばならないことが確実なので、今日は有意義に休日を過ごすのだとばかりに出かけた先が、何とも情けない。
まずI駅のQBハウスで散髪。以前は近所の美(理)容店に行っていた。このごろは4000円以上を薄くなってきた頭髪にかけるのが莫迦らしくなった。「髪を切る」という実利面だけ追求すればQBハウスで充分なんである。「今日はどうしますか?」と聴かれても「刈り上げない程度に短く、さっぱりと、前髪も1cm程度切って。あとは自然に」としか言えない、それ以上の散髪店における語彙を知らない。チョキチョキ髪を切られながら「オイ、もっと短くだよ」と心の中で思っても、気の小さい私は追加指示ができない。美容店で談笑しながら時間を過ごせる輩がうらやましい*1)。
毎度のことながら割り切れない思いで散髪を終え、I駅からJRに乗る。数日前の某新聞コラムに「読書は電車の中が一番」というくだりがあった。全くである。部屋のパーソナル・チェアで音楽を流し紅茶を飲みながらの読書も格別なのだが、移動する電車の中での読書というのもなぜかしら集中できるものだ。今日のお供は山本七平著「日本はなぜ敗れるのか」(amazon)だ。確かに反省なき日本である。未だに近代日本の歴史を日本人は理解も総括も清算もできていないのか*2)。
��R秋葉原駅で降り石丸電気に向う。行ってはみたものの物欲をそそるものがない。仕方なしに7Fに上がり視聴室でケーゲルのベト7(NMV)とジンマンのマラ1(HMV)の終楽章を聴く。ジンマンのマーラーは視聴室のオーディオのヴォリューム・レヴェルを68にして聴いても、どうにもピンと来ない*3)。音は確かに良い。そして若いマーラーの音楽である。しかし何か情念の部分が薄いと感じる。もっとも終楽章だけ聴いてあれこれ書くのは傲慢でしかない。
秋葉原を後にして御茶ノ水のディスク・ユニオンへ。国立音大出身者のコントラバス四重奏団がミニ・コンサートをしていた。狭い店内の往来がかなり困難な状態になる。物欲もそそられず、演奏途中で申し訳ないが店を出る。
再びJRに乗り新宿は高島屋へ向う。高島屋は4月全面リニューアルを控え、あちこちが工事中。とても客に店舗を解放できる状態ではないのに強気の営業をしている。12階に上がりHMVを物色。まだ聴いていないCDもあるというのに、何だか発作的に下記を購入してしまう。
- Il Giardino Armonicoの11枚激安ボックスセット
- Brilliant ClassicsのVivaldi集 3枚組~Alessandrini、Il Giardino Armonico、Music Ad Rhenum
- ファジル・サイのハイドン
帰宅してから、♯Credoを最初からダラダラ読み*4)ながら、買ったCDは聴かずにトマス・ファイをNMLで聴く。
- CD98.269 名序曲集(ハイデルベルク響/ファイ)
- ハイドン:交響曲第104番ニ長調「ロンドン」/交響曲第94番ト長調「驚愕」(ハイデルベルク響/ファイ)
- ハイドン:ピアノ協奏曲へ長調, Hob.XVIII:3/ピアノ協奏曲ト長調, Hob.XVIII:4 Gerrit Zitterbart(p)、Schlierbacher Chamber Orchestra
ファイの演奏は、NMLでかなりの数を聴くことができる。名序曲集はライブ録音。「エグモント序曲」は意表を付いた堂々たるテンポでじっくり聴かせる。なるほど、こういうアプローチもできるのかと。ロッシーニの「アルジェのイタリア人」のような名曲も悪くない。
さて、ではサイのハイドンでも聴くとしますか・・・。
◇
- 散髪は美容院に行っていた時期も以前はあった。こ洒落た店で、センスよく髪を切られ、仰向けになってシャンプーされ、顔面に低温蒸気を当てられて悦に入っていた。しかし、店でかわす、とりとめのない会話に若干辟易していたことも確かだ。行けば必ず「今日はお休みですか?」「これからどちらへお出かけで?」と聞かれるのもうざったい。社交辞令と分かっていても、「イエ、今日はこれから深夜まで休日出勤です」とか「天気がいいので部屋にこもって、マーラーの聴き比べでもします」と答えたらどんな顔をしたであろうか?
- 戦後の総括の仕方について、日本と独逸の違いがよく俎上に登るが、戦後復興のあり方、そして冷戦時代におけるそれぞれの国の役割、そして当時の国益の観点から考えねばならない問題なのだと思う。
- ジンマンも、もう70歳である。私のイメージするマーラー像は「20世紀的古臭さ」をもった演奏なのだろうかと自問する。オケの配置とか録音とかばかりが取り沙汰されているが、果たして実演はいかがなのだろうか。
- ブログという表現媒体はリアルタイム性が命のところがあるため、過去のエントリを読む人は極稀である、とする記事を読んだことがある。しかし自分にとって面白いと思えるブログであれば、多少の面倒さはあったとしても、過去エントリについて知りたくなるものである。本ブログをSeptember 30, 2005まで読んでみたが期待は裏切られていない。もっとも岬沙弥に関する萌えエントリには全く共感が持てないが(笑)。
すいません(笑)。いや、過去のものまで読んでいただいて、「ありがとうございました」と言うべきですね。
返信削除初期の頃は相当ひどいエントリを書いていて、今読み直すと抹殺したくなるほどで、なんとも恥ずかしい限りなのですが・・・。過去のアーカイブについてはほとんど読まれる方もいないので油断してました。
「萌え系」ネタもいかがなものかと思うんですが、そういうクラブログがあっても面白いかなと思って、放置しております(笑)。とりあえずは「裏切られず」延命しましたでしょうか。今後ともごひいきに。
ファジル・サイのハイドンはもう出てるんですね。入手せねば。。。
いえいえ、こちらこそ、毎度ご来訪感謝です。萌えネタも、まあ、写真綺麗ですし (*^_^)/
返信削除過去エントリは私も放置状態です。たまに用あって読み返すと、文章を含めて赤面することしきりです。
興味の対象も嗜好も短い間ですが随分と変化するものだと思います。クラシックという分野の中で楽曲や演奏を、その時々で「消費しているだけ」というのは当たっているかなと。
サイのハイドンを聴こうと思っていたのに、NMLにアクセスしたら、CBC放送音源によるG・グールドのゴールドベルクてのがあったので、思わず聴いてしまいました・・・。あの1955年盤の前の年の録音だそうです(下)
PSCD2007 J.S. バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988(グレン・グールド)(1954年) http://ml.naxos.jp/?a=PSCD2007