シベリウスの4番というウニョウニョした音楽ばかり聴いていたら、急に独逸系の正統的な交響曲を聴きたくなった。ここはやっぱりブラームスとばかりに、久しぶりにワルター指揮 コロンビア交響楽団(1960)の演奏で2番と3番を聴いてみた。
この演奏がブラームスの名盤であるかは論が分かれるだろうが、私にとってはブラームスを(ベートーベンもそうだが)まじめに聴くきっかけとなった「名盤」である。
ブラームスの2番や3番は、名曲であることは認めるものの、1番や4番に比べて地味な印象がないわけではない。しかし、シベリウスを聴きつづけた耳には、骨格のしっかりした、まるで両足で地をふんばっているかのような安定感と、堂々とした物凄い立派な曲に聴こえて、改めて驚くのであった。構成美と言ってもいいのかもしれない。切々たる旋律もあるが、全体の流れの中で破綻せずに訴えかけてくる。それが心地よいし安心感がある、ととれる反面、余りにもストレートすぎて気恥ずかしさを感じないわけでもない。
こういう交響曲が独逸の伝統だとすると、シベリウスの音楽というのは、極北の音楽であると称される意味もわかるというものだ。どちらが良いとかの問題ではない。目指した音楽性も、そして時代背景も全く違うということだろう。ワルター&コロンビアの演奏は、ブラームスを熱くそして独特の粘りをもって分厚い演奏に仕上げており、非常に満足のゆくものだ。ただ、ひとつだけ気になるのは音質なのだ。
私の聴いている盤は、SONY(SRCR1663)20bit Mastering のものなのだが、特に弦の音がシャリシャリとした金属的なトゲトゲしい音に聴こえる。マスタリングのせいなのだろうか、弦は決してこういう音は出さないだろうと思うだけに、惜しまれるのであった。
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