2001年7月22日日曜日

伊島りすと:「ジュリエット」


こう言っては何だが、私は結構ホラー小説が好きである。かといって古今東西のホラーものを熟読しているほどの熱心な読者ではないが、昨今の「ホラー小説大賞作」などはある程度読んでいる。

だから、本書の帯び(下に引用した文章)に、「これは期待できるか!」と思い、「考えてみたら昨年度(2000年)は大賞なしだったものな」などというこも思い出しながら本書を読み始めてみた。

こういう小説であるからして、筋について言及するのは避けたいが、私的には今ひとつの感がぬぐえなかった。この小説をまだ読んでおらず、これから読もうとする人は、以下の拙い書評は読まないほうがいいと思う。
南の島で親子三人が対面した蘇る思い出たち。
狂おしく、切ないまでの、異常な世界・・・・
ホラー小説史上にエポックメイキングな作品として
新たなページを刻み付ける名作、誕生!
「感想は?」と聞かれれば、面白いし質の高いエンターテイメントに仕上がっていることは認める。しかし、プロットの根幹がスティーブン・キングの「シャイニング」と「ペット・セマタリー」の合作のような雰囲気を漂わせており、新規性を感じない点はマイナスだ。

「ペット・セマタリー」を読んだことがあるならお分かりだろうが、蘇る死者というテーマは私には好きになれない。それも単なる幽霊とか言う形ではなく、人の一番大切にしておきたい、または、辛すぎて思い出したくない「思い出」を題材にしていると言う点で、読み進めるのが苦痛になってしまう。これは個人的な感情だとは思うが・・・・こういうテーマは心情的に受け入れにくいのだ。

S・キングの「シャイニング」は、非常にすぐれた小説であったが、この小説はそれほどのパワーも完成度も見られない。もっとも、作者は「シャイニング」を意識などしていないかもしれないが。

こうして書くと”全然ダメ”なようにう感じてしまうかもしれないが、実際はそうではない。読み始めたら止められなくなるような魅力に富んでいるし、一気に読ませるだけの筆力は十分である。特に水字貝の「魂抜け」のエピソードは、小説の一番の核となる部分であるが、ここの書き方はなんとも憎いまでに成功していると言える。後半のココ(主人公ルカの友人)が蘇るあたりなど、気色悪いがホラーとしての怖さは十分である。

ただ、小説に多くの要素を盛り込みすぎているのという気がしないでもない。主人公たちが阪神大震災の心的障害を負ってしまっているということは、小説家に多くのイマジネーションを与えるのだろうか、貴志祐介の「十三番目の人格」を思い出す。また、主人公健次の失業やバブル崩壊の傷跡、母親の幼児虐待と娘のルカの自傷行為など、一見して現代の病理を組み入れているように思えるものの、その掘り下げ方は甘く、どういうホラーを書きたいのかが見えてこない点にもどかしさを感じる。ストーリーのラストに向けての緊張感はあるものの、意外性はほとんどない。また、タイトルの「ジュリエット」というキーワードが全く生きていない点も残念だ。

伊島りすとの他の作品は読んだことがないが、むしろホラー以外でじっくりと小説を組み立てたほうが良いのではないかと思える。そんなわけで、本書帯の「ホラーの新たな領域」と言う点には、全く賛同できないものの、作者の次回作については期待してみたいと思わせるのである。

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