朝日新聞の「私の視点」で、「非中流」意識ということについて言及しているものがあった。(2002年1月18日 東京文芸倶楽部代表理事 山形誠司 ◆生活水準「中流意識」捨ててこそ健全)
小泉首相の構造改革に賛意を示す層が、「中流意識」を持つ層と重なるのではないかと指摘した上で、「構造改革に取り組むなら景気の低迷は仕方がない、環境問題解決のためには今の生活レベルを下げる必要がある、とはっきり主張できる階層の出現がぜひ必要」と述べている。この層を「下層」では抵抗があるので「非中流」層とでも呼ぶ。
大胆なる意見といえよう。「本来、8割以上が「中流」などというのは幻にすぎず、そのような社会は不自然」と言うが、今まで階級差がないこと、みなが中流であるという幻想に守られて、これも幻想かもしれない平和と平等と安全を享受してきた。ある程度努力するとレベルの差こそあれより金銭的に豊になれると信じてきた。
そういうものが崩れるどころか、そのこと自体を否定するということ。以前にも書いたが、成長や発展を目標とする生き方に転換を求めなくてはならない。企業など資本主義の大前提は拡大再生産である、この前提を覆すことは並大抵のことではない。
自分が中流でないという意識を含め、現在の生活水準を下げることへの同意は難しいだろう。一度上がった水準は用意には落とせないものだ。しかし、家庭での父親不在や子供の教育などを考えると、今の生活がベストであるとも言いがたい。
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