2002年1月10日木曜日

鈴木光司:仄暗い水の底から


鈴木光司といえば「リング」で一斉を風靡した作家であるし、あるいは「シーズ・ザデイ」のような海洋冒険小説を書くこともできる作家である。

今回の小説は水をテーマとした短編集であり、分類上はホラー小説という扱いになっている。しかし、ここには「リング」で感じたような、体の底から震えるような恐怖はなかった。映画化もされ(監督:中田秀夫)2002年1月19日から東宝系で放映されるが、日本の映画界は鈴木光司という才能に頼っているのかと思わないでもない。内容的には、わたしはこれをホラー小説ととらえるのはどうかと思う部分もある。

感想には否定的な部分もあるので、映画を観ようとする方や鈴木光司ファンは読み飛ばしていただきたい。



プロローグからはドロドロとした彼特有のホラーを展開するのかと期待したが、内容は背筋も凍るような(古い表現だか)ホラーとは少し異質だった。

最初の短編である「浮遊する水」は、マンションを舞台に、屋上で見つかった真っ赤なキティバッグ、古い真夜中のエレベータ不気味さなど、現代的な感覚の中で日常生活のすぐ裏側に潜む恐怖のようなものを、実に巧妙なタッチで描いている。ラスト近くなって、冒頭のエピソードの意味に思い至り再び気持ちの悪い恐怖を味わう。あるいは「夢の島クルーズ」における主人公が、水中でも見たものの描写などもぞっとさせるものではある。しかし、なんと言うのだろうか、ストーリーとしては全てが何の解決も見せずに、途中で放り投げられて終わっている。それを説明不足というのではない。ホラーに限らず全ての謎を小説の中で明かす必要はないのだ。それは分かるが、放り投げ方そのものが中途半端な感じを受ける上にストーリー展開にも多少無理があるように思える。

「孤島」は、実際にこのようなことが起こりうるというリアリティが薄いと思ってしまう、まるで悪質なファンタジーだ。「海に沈む森」はケービングの最中で遭難してしまったことを題材とし、本編の中では一番力強いテーマ性を有してはいる。それなのに、地下の洞窟の中での描写に温度感がなく、大きくリアリティを損ねていると思ってしまう。地下深い洞窟の中の温度や水温は描写されているものよりもずっと寒く冷たいのではないだろうか。「ウォーター・カラー」に至っては、途中のトイレの描写まではよかったのに、最後の結末はそりゃないだろうという感じを受けてしまうのだ。

◇    ◇    ◇    ◇


ここで、「シーズ・ザデイ」の自分で書いた感想を読み返してみた。ちょっと無理のあるストーリー展開に乗り切れなかったことを思い出した。ここで感じた違和感も同じものだ。面白くないというのではない、しかしこれらの短編を読んでわたしが受けた印象は、文庫本の解説に書かれているような印象とはかなり異なったものとなってしまった。特にリアリティという点では、彼の小説に肌で感じるようなリアリティは感じない。文章の持つ勢いや描写の鋭さなどでは、読み進めながらハッとする部分が多いのにも関わらずだ。ホラーというフィクションは、作者の設定した舞台に乗れるか否かで成否がe決まる。私はこの作品群には乗ることができない。

考え方を変えて、これを完成された短編ホラーと考えず、鈴木が「水」をテーマに浮かんだ風景をエスキス的にまとめたという風に読めば、素材的には楽しめる。「シーズ・ザデイ」を読まれた方ならば分かるだろうが、あの小説の原型となったような要素が、この短編の中から随所で見出すことができるし、彼がいわゆる輪廻的なものに深く興味を抱いていることも読み取れる。

ここで改めて、これはホラー小説なのだろうかという疑問が沸く。そもそも「ホラー小説」という分類は、あくまでも売る側の論理で売りやすくするために便宜上つけた分類でしかないのだ。これがホラーに該当するならば、宮沢賢治の「注文の多い料理店」や谷崎潤一郎の短編などもホラーに分類されてしまうだろう。ホラーという色眼鏡をはずしてみたときに、この小説が映画化されるほどの力を持ちうるかというと、私には首を傾げざるを得ないというのが正直な感想だ。(鈴木光司ファンごめんなさい=褒めているのかけなしているのか分からない文章になってしまった)

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