2006年11月6日月曜日

あっという間に一週間、またしても

ふとカレンダーを見れば今年も残り2ヶ月。本当に月日の経つのはあっと言う間である。

三連休だからといって特別なことは何もない。久しぶりに帰省し、買い物をしたり、犬の散歩をしたり、TVをダラダラ観たり、読みかけの本を読んだりと、どこにいても余りかわりばえもない。




本といえば、随分前にclassicaのiioさんが絶賛していた「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン著/新潮社)を読み終える。ああ、これは本当に傑作だ。今年読んだ本の中で間違いなくベストである。こんなにもワクワクして、こんなにも読み終えるのが勿体無いと思った本は久しぶりである。もしも貴方が数学嫌いであったとしても、あるいは学生時代の数学に良い思い出が一つもなかったとしても、本書はきっと貴方を、恐ろしく深淵にして魅惑的な世界にいざなってくれるであろう。いやむしろ、数学音痴な人こそ本書を絶賛するのかもしれない。何故って、数学がこんなにも厳格で美しいものであるという事を、学校では誰も教えてくれはしなかったぢゃないか。それにしても数学者って奴はっ!!

百ページほど残して放っておいた「フラット化する社会(下)」もやっと読み終える。一口に「グローバル化」と言うが、私たちの身の回りに起きていること、そしてこれから起こるであろうことを解説しているという点において、あらゆる人に対して示唆に富む。私は本書の内容を子供に語らねばならないと深く思った。

フリードマン氏はかつて「レクサスとオリーブの木」という著書で、マクドナルドが出店している国同志は、マクドナルドがその国に出来て以来戦争をしたことがないと書いた。今回、フリードマン氏は、グローバル・サプライチェーンに組み込まれた二国は、双方がそのサプライチェーンの当事者である限り、戦争を起こすことはないとその説を修正した。グローバル化は一方で、ビン・ラディンのようなテロリストにも公平に力を与えている。フリードマン氏が今後の出発点を9.11(米国テロ)に置くのではなく11.9(ベルリンの壁崩壊)から始めたいとする主張には説得力と希望がある。

そう、日本では死語になったのではないかと思われる「希望」である。希望とは何なのか。他国もうらやむ今の日本に何故希望がないと言うのか。余りにも日本人の若者たちは無知であり世界から孤立してはいないか。

読む本がなくなっちまったので、桐野夏生氏の「玉蘭」を購入、ボチボチ読み始める。またしても社会でサバイバルできない女性の桐野氏的物語か・・・とマンネリ感は否定できない、でも読んでしまう。テーマは同じでも物語はどれもが面白い。彼女の小説は、おそらく「戦争」とか「闘争」を意識せずに生きてこられた男性よりも、女性にこそ受けるのだろうと思う。

  • (※1) 概略について知りたくば 「フェルマーの最終定理」を読みましょう(^^;;