2005年3月14日月曜日

歌舞伎座:近江源氏先陣館 その弐

日中はチラホラ雪が舞う寒さ、三寒四温の春の風情。京橋図書館に立ち寄りて「演劇界」「レコード芸術」「音楽の友」などを斜め読み。その後「盛綱陣屋」のみ再見せんと歌舞伎座へ。また/\しても気がせいて、幕見席の列に付いたは1時半前、列に並ぶは数えて十数人、これはちょいと早すぎた、とは思うもののまあよしと、印刷した床本取り出し読み耽る。


というわけで、まだ「盛綱陣屋」です。床本を四度ほど通読した上で劇に接すると、イヤホンガイドなど全く不要、スラスラと台詞が耳に入ってきます。役どころも性格も、しっかり把握できているので、劇で誰が何をしているのかがすっかり分かります。今日は堪能させていただきました。




まず役どころとして格段に素晴らしいのが、赤面の和田兵衛秀盛を演ずる中村富十郎(天王寺屋)。自身が語っているように「線が太く豪快」な役柄。敵の陣屋に単身ふらりと立ち寄ったり、あるいは捉えられても、隠し火矢をもって屋根を打ち抜き、御座の白幡を奪って逃走するほどの男。劇の最初と最後にしか出てこないものの、存在感の大きさが記憶に強く残ります。富十郎は台詞回しも太く声高で、人物像をくっきりと描き出しています。「十八代目さんが映えるように盛り上げたい」と語っておられますが、たしかに彼の存在あっての盛綱です。


次は、これもやはりといいましょうか、盛綱兄弟の母、微妙を演じる中村芝翫(成駒屋)。微妙はこの劇の重要人物で、盛綱以上に出番の多い役。最初は音信不通で顔も見たこともなかった孫の小四郎でしたが、見れば見るほど我が子の高綱に似ているので次第に情が移ってしまう、それでも武家の母としての気丈さも示さねばならぬ、という難しい役どころ。見終わってみると、盛綱以上にあちらこちらの台詞が耳に残っています。小四郎に自害を迫りながら、最期は情に流されて抱きかかえてしまうというのは、一つの型なんでしょうか。


ただひとつだけ、人間国宝の芝翫を、たかだか歌舞伎を見始めて2ヶ月のものが、よいだの悪いだの言えるはずもなかろうものですが、先月の「野崎村」でも感じたのように芝翫の演ずる愁嘆場はちょっと”生”すぎるという気がしないでもありません。それだけ気持ちがこもっているということではあるのですが。


さて、次は小四郎の母 篝火を演ずる中村福助(成駒屋)です。彼女は小四郎が心配で敵の陣屋に一人乗り込んできてしまいます。それを盛綱の妻 早瀬に咎められたり、目の前で息子小四郎が自害するのを目の当たりにしたりと、かわいそうな役どころ。ここで、篝火は高綱の計略を知って陣屋を訪れたのか否かということが気になります。私としては、ただ単に息子が心配という親の狼狽が行動に走らせたと思っていましたが、先に紹介した床本では、首実検の後、贋首と知って大将へ渡したそなたは京方へ味方するサ心底かとの微妙の問いに対し、盛綱の台詞は以下のようになっています。


イヽヤいっかな心は変ぜねど、高綱夫婦がこれ程まで仕込んだ計略。


この定本では、夫婦が計略したと考えているわけです。勘三郎演じる盛綱は、ここのところを「高綱親子」と言っていましたので、今回の劇においては篝火は計略を知らなかったとする方が自然かもしれません。いずれにしても、わが子の命さえも、家の名誉のためには犠牲にすることを厭わない、武士の厳しさ、哀れさがひしひしと伝わってきました。


中村児太郎(成駒屋)が演じる小四郎も、最初は一本調子とは思ったものの、最期の悲嘆の場面では、あまりの健気さに心打たれてしまいました。


先に「端役」などと書いてしまいましたが、注進役の信楽太郎を演ずる松本幸四郎もさすがに見事。たった数分の注信役なれど、短い間の華麗な舞、ツケに乗った足さばきにビシッと決まる見栄、あちらこちらから「高麗屋」の掛け声、台詞は何だか聞き取りにくけれど、劇進行にちょっと一息をつけさす役所は見事に果たしていました。


さて肝心の盛綱こと中村勘三郎ですが、これは今更いうまでまでもありません。見せ場は二つあって、ひとつは母微妙に小四郎の切腹の依頼を決意する場面、


盛綱は只茫然と、軍慮を帳幕の打傾き思案の扇からりと捨て「母人それにおはするや」と音なふ声に立出る。


という部分と、もう一つは首実検の場。このように「盛綱陣屋」では無言の中に心理の変化を表す重要な役どころ。三味線の弦の音が、心理の微妙な綾を表現しており、場の緊張感はいやが上にも高まるところ。


首実検の場面では、何故小四郎が贋首と分かっていながら自害したのかを問答すること数分、ふと傍らを振り返ると哀願するかのような瀕死の小四郎の目に気が付き、愕然としてその意図を悟るという算段です。


矢疵に面体損じたれども、弟佐々木高綱が首、相違御座なく候


弟高綱は北条時政をして軍法の奥義を極め、陣平張六にも劣らぬ有志とまで言わせた軍師、何としても鎌倉方に付かせたいという思いが時政にはあります。盛綱は「武士にニ君なし」、高綱に時政の計略に嵌らずに武士としてまっとうして欲しいという、兄心を貫いた情の男です。こういう人間的な広がりがあればこそ、劇の面白さがどんどん広がってゆきます。

かように、書き始めるとキリがないほど、やっぱり歌舞伎を見るなら床本に当たってからが良いとつくづく感じましたです。


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