P.F.ドラッカーが1946年に著した世界的名著「企業とは何か(Concept of the Corporation)」をボチボチ読んでいます。 本書はGMの内部調査から、組織論およびマネジメント論を生み出し、その後、企業だけではなく世界中のあらゆる組織で教科書として用いられた本です。
この本が偉大であるのは、今日の企業経営では常識的な問題を既に示唆しているに留まらず、ひろく組織と人間の関係を炙り出している点です。すなわち人間を社会的な存在として位置づけ、1940年代半ばの大量生産社会において人間が幸福でありえるかということを問いかけています。
特に「第Ⅲ部 社会の代表組織としての企業」は圧巻。ドラッカーは本論のスコープをキリスト教の伝統をもつアメリカ社会という特定の社会における信条、目的、目標にかかわる問題
として、個の尊厳と機会の平等、産業社会の中流階級、働く者の位置付けと役割について論じています。
まさに機会の平等という名の正義、社会における位置づけと役割という名の尊厳を統合して実現することこそ、産業社会の代表的組織としての企業の最大の課題である(P.140)
ドラッカーは機会の平等、自己実現の約束は個としての人間の重視という際立ってキリスト教的な思想
から生ずる政治哲学の基本であるとします。企業が(アメリカ)社会の代表組織であるなら、アメリカ社会の信条を体現しなくてはならないのだと。
翻って日本社会の信条とは、日本の政治哲学とは、根本原理とは何なのか。これらを考えることは日本政治思想的な考え方や天皇制をも避けて通ることができず、たとえば昨今の皇室典範の改正や、企業の本質論、更には相次ぐ企業の欺瞞やニート問題など、トータルに考える必要性があるのかもしれません。(物理学の統一場理論のようなものを求めるつもりはありませんが・・・)
ドラッカーの著は60年前に書かれたものですが、極めて今日的な話題(60年経ってもやっと日本で議論されはじめた問題)も扱っており、その慧眼には驚くばかりです。
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