2003年10月8日水曜日

平野啓一郎:一月物語



何とも美しい小説ではある。平野氏の小説は「日蝕」でも感じたが細部の描写が見事だ。特に今回は森の中の描写が生きていて、燐粉を放つ鴉揚葉や夕影鳥(ほととぎす)の鳴き声など幻想的な雰囲気を小説に与えている。例えばこんな具合だ。




庭は、背後の森に守られて、降り濺ぐ煙雨のような月光を恣にしている。色鮮やかな蘭や文目は、裂けんばかりに花弁を広げ、磨かれて将に現れようとするする刹那、螺鈿の飾りのように、暗がりに浮かび上がっている。躑躅の緑条は、その旺んな枝振りを注意深く潜めながら、咲き乱れた花の色に裏切られることを嬉しんでいるかのようである。(P.92)


物語りは明治の頃を題材としているが、取り立てて新規性のあるものでははなく、むしろ陳腐と言ってよいような怪奇譚を、彼独特の世界観で包み込み、怪しいまでの美しさで展開してくれたというところか。ここでも文体と独特の漢字使いについて言及しなくてはならない。擬古典的な文体と現在では使わない漢字使いと小説独特の世界のマッチングしている。「日蝕」では『何かを隠蔽している』のではないかと思わせたが本作ではそういう感想は湧かない。擬古典的な文体とは言っても読みにくいのは漢字だけであって、内容については晦渋なところはどこにもなく(むしろ平易)、これも質の良いファンタジーとして楽しむことができる。


もうひとつ気付いたことがある。平野氏は何者かとの一体感や成就感(今回は報われることのない愛だが)、そして一瞬ではあるが永遠の幸福感に憧れていると思わせることだ。「日蝕」では『究極の至福と統一感』について感情移入できなかったと書いたが、実はこれこそ彼の根底に流れる情念であり、小説を書かせる源泉のひとつなのかもしれない。それを表立って表出することを憚るがために、回りくどい表現になっているのだろうか。


それにしても、ラストの男女の森の中での掛け合いはいただけない。お互いを求め合うその愛の詞が、宝塚かオペラの一幕を見ているようで、今までの世界観と齟齬を来たしているように思えたのだが、いかがであったろうか。