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2009年9月3日木曜日

丸の内パークビルと三菱一号館

丸の内に新しい施設、丸の内パークビルとそれに付属する施設、三菱1号館が完成しました。三菱地所が手がける丸の内再開発の目玉となる施設。三菱1号館は明治27年に丸の内における最初のオフィスビルとして建築された建物で、英国の建築家ジョサイア・コンドルが設計しました。

煉瓦造り英国ビクトリア様式の優雅なスタイルでありましたが昭和43年の高度成長期に解体されてしまいました。2006年、古河ビル、三菱商事ビル、丸ノ内八重洲ビルを含む施設の再開発に当たり、三菱地所が威信をかけて当時の技術を用いた完全復元をしました。

丸の内パークビルのグランドオープンと同時に開館記念として『一丁倫敦と丸の内スタイル展』が開催されていますので、さっそく観て来ました。

多くのお客さんは、パークビルに入るテナント(ブランド)店に興味があるご様子で、幾つかの店には行列ができています。私はそれを横目に窓口で500円の入場料を払って1号館見学です。三菱地所の丸の内開発の歩みや、当時の日本の風俗資料などが展示されており、それなりに楽しめます。しかし圧巻は、本建物を復元させた、そのメイキングドラマにあります。

日本というのは、戦前戦後の名建築と呼ばれたものを、老朽化、陳腐化、土地の有効利用、耐震性向上など、さまざまな理由を付けて壊し、新しい(更に陳腐な)建築を作り続けてきました。最近では東京郵中央便局がマスコミの話題となりました。

歌舞伎ファンの間では東銀座の歌舞伎座建替計画も物議をかもしています。東京駅丸の内駅舎は創建当初の姿への復原工事が進行中です。三菱1号館はJ・コンドルの日本での代表作ともなる建物。明治初期の丸の内に赤レンガの英国風町並みが出現し、馬場先通りは「一丁倫敦」と称されました。

建設当時の図面や解体当時の写真などを参考に、三菱地所や学者、設計者、施工者など多くの方々が関わり、多大な情熱と労力をかけて復元したのが本建物です。できるだけ忠実に当時の技術を再現というコンセプトで、外壁のレンガも、手すりや避雷針の鋳鉄も、そして銅製の雨樋も、ドーマ飾りも、現代の職工の技術の粋を集めて作り上げています。

メイキングのビデオも流されていましたけど、それはそれは、気の遠くなるような熱意と執念です。鉄製避雷針は鍛造で、鉄製連続手すりは鋳造で再現されています。ドーマ飾は生の銅板金を叩き出し、経年変化で緑青が自然な色合いに変化することを期待するという拘り方。

明治の技術復元は当時の耐震技術にまで及んでいます。煉瓦の間に「帯鉄」と呼ばれる補強鉄板を挟み込んだ構造は、現在でも耐震効果が期待できるのですとか。煉瓦の製作は中国。当時の煉瓦の肌合いを再現するため、ほとんど手作業に近い工程で230万個もの煉瓦を製作しています。下のパンフレットの右写真が煉瓦工場で型に土を詰めている作業風景。本展を観に来ていた若い女性が「肌合いを再現するためですって!?」と、ほとんど煉瓦フェチとも言える様な執着に驚きを通り越した気持ち悪さを表明していたのは印象的でした(笑)。一個3kgの煉瓦を日本中から集めた煉瓦職人がひとつづつ積み上げた。屋根は本来は宮城県雄勝産のものであったのですが、量を確保できないためこちらはスペイン産の天然スレート。内部も、当時の空間を再現しており、木製の扉のや窓の金物ひとつとっても、いったい幾らかけたんだろうと余計なことを考えてしまいます。

展示室の最後には、本建物の復元に関わった職人の写真が、ドドーンと並べられており、これまた圧巻。いくらお金持ちやアタマのいい人たちの熱意と執念があっても、しょせん建築は泥臭い「ものづくり」の過程を避けることはできません。彼らが居てこその建物であることは確かに覚えておいて良いでしょう。

全てが特注品の建物。最近の建築物がのっぺりして、どれも金太郎飴のようでつまらないとお嘆きのあなた、歴史好き、建築フェチなあなた、きっと満足すると思いますよ。



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