新国立美術館で7月2日まで開催されている《MONET 大回顧展》に行ってきました。木曜日と金曜日は20時まで開館していますので、会社を定時に退社し18時から警備員に追われて会場を後にする20時過ぎまで、たっぷりとモネを鑑賞することができました。
モネは私が美術部に在籍していた高校時代の、お手本の一人であり、憧れの画家でありました。例えば《かささぎ》(1868-69)の雪景色など惚れ惚れするほどで、この画集のこの絵のページを開いて、自ら雪景色の画題に取り組んだこともあるほどです。あまり有名ではない《ボルディゲラ》シリーズの圧倒的な力強さも色の使い方を含めて随分と画集を食い入るように見たものです。
ですから、このブログでも何度かモネについては言及しています(→展覧会:パリ/マルモッタン美術館展ほか)。今回、モネを回顧するという展覧会で、改めて初期の作品から最晩年の作品まで通して観ることで、モネの多作さと執念のような絵画にかける思いに、ほとほと打たれてしまいました。
今でこそモネは広く人口に膾炙し、日本人のみならず世界の人から愛される画家となりました。しかし、モネの活動時代は彼の画風はかなり前衛的なものであったはずです。彼の画布に刻まれた絵筆の跡は、画家として当然有する確たるデッサン力に裏打ちされた挑戦的なまでの勢いと思い切りの良さ、「光の変化」を追い求める執念が渦巻いているかのようです。
モネのデッサン力と画力は、マネ風の《コーディベール婦人》(1968)年を観ると一目瞭然です。もうひとつ私が注目したのはチケットにもなっている《日傘の女》(1886)をもとに、画商デュラン=リュエルの注文で描かれた同題材の鉛筆デッサンです。この簡素な、そして早描きのようなタッチのデッサンからは、油絵以上に風の動きや空気の香り、輝く光が伝わってくるのです。何かのCFでこの油絵を動かしている作品がありましたが、そんなチャチな細工など全く不要なほどに絵が動いていることに素直に驚きました。
これほど確かな技量と情念の持ち主が、晩年に白内障と診断され、だんだんものが見えなくなっていくと分かったときの焦燥と苦悶は一体どれほどであったか。彼の絵は、1980年代の油の乗り切った時期のものや、睡蓮の連作も好きですが、私はやはり画布に狂ったように絵の具がのたくりうっている1920年代の一連の絵に、またしても慄然としてしまうのです。モネがどのような思いで絵筆を取り、画布に定着させていたのか。絵にまじまじと近づいて、あたかも自分が描くかのように、その筆致を追うにつけ眩暈のような感覚さえ覚えてしまうのです。
良く観ると、《日本風太鼓橋》(1918-24)などの絵のいくつかに、モネのサインがないことに気付きます。これらの絵は、誰のためでもなく、自らを鎮めるために自らのために描いたものなのでしょうか。色は暗いというのとも違う。ヴァーミリオンやクリムソンレーキのような赤を多用した画面。筆致は荒々しく、モネの内面がそのまま表出したかのようでさえあります。あたかも作曲家が交響曲など描くかたわら、ひたすらに弦楽四重奏やピアノ曲を作曲するかのようなバランスの取り方。この時期に、彼は非常に静的な睡蓮シリーズを延々と描いているのです。
とにかく作品数は多いですから、モネ好きにはたまらない展覧会であることだけは確かです。会期もあとわずかです。興味のある方は行って損はしないと思います。