タンホイザーを聴く (2002.06.23~30)
次に聴くのはタンホイザーと決めた。楽劇と呼ばれ循環旋律を用い、真にワーグナーらしさを打ち出したものは「トリスタンとイゾルデ」であるとされているようなのだが、序曲や行進曲で有名なこの曲が、どういう曲なのか知りたいという欲求には勝てなかった。楽しみは後にとっておこうというわけでもないが。
■ 登場人物と配役
作曲 1843~45年、1847年改訂(ドレスデン版)、1861年改訂(パリ版)
初演 1845年10月19日ドレスデン宮廷歌劇場
台本 中世歌合戦伝説と、タンホイザーの伝説により、作曲者自身(独語)
ルネ・コロ(タンホイザー)
ヘルガ・デルネシュ(エリーザベト)
クリスタ・ルートヴィヒ(ヴェーヌス)
ヴィクター・ブラウン(ヴォルフラム)
ハンス・ゾーティン(ヘルマン)
ヴェルナー・ホルヴェーク(ワルター)
クルト・エクヴィルツ(ハインリヒ)
マンフレート・ユングヴィルト(ビーテロルフ)
ノーマン・ベイリー(ラインマール)
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン少年合唱団(合唱指揮:ヴィルヘルム・ピッツ、ノルベルト・バラチュ)
1970年10月
ゴードン・パリー&レイ・ミンシャルのエンジニアリング、プロデュースによるゾフィエンザールでの優秀録音。
187分収録
■ HMVの評価
『パリ版による最初の全曲版。コロの凛とした美声によるタンホイザー、濃やかな叙情が聴きもののデルネシュのエリーザベト、ほの暗い声で独特の官能を匂わせるルートヴィヒのヴェーヌスなど歌手はかなりの高水準。
ウィーン・フィルの美しい響きもいつもながらで、序曲のホルンから見事としか言いようがありません。
なお、《タンホイザー》では合唱が非常に重大な役割を担いますが、ここでは合唱指揮にバイロイトの重鎮、ヴィルヘルム・ピッツが招かれており、元々すごい国立歌劇場合唱団のパフォーマンスをさらにレベル・アップしているのが嬉しいところ。 最後のコラールなど本当に感動的です。』
■ あらすじ
タンホイザーのあらすじはWEB検索をすると多くの方が詳しく、場合によってはMIDI音源付きで解説してくれている。以下のサイトを読んでいただければ把握できると思う。
タンホイザーよもやま話し~MIDI音源もあり
ワーグナーの部屋~場面ごとの詳細な解説あり
さて、あらすじがわかったことを前提に書きつづけるが、タンホイザーとは何て自堕落で弱い人間なんだという印象を受けてしまう。
一方でヴェヌスブルクという地下の世界で快楽をむさぼり、それに飽き不安を感じると地上世界へ戻りたいと欲する(第1幕 第2場)。 そしてまた、地上世界では官能の世界を高らかにうたい、純粋な愛というものを否定して見せたりする(第2幕 第4場)。
背徳の快楽を追求してしまった罪人たるタンホイザーと、彼を救う聖母マリアの化身とも言えるようなエリーザベトの無心の愛という図式は、 キリスト教的なイデーに満ちてはいる。しかし、よく考えると単純な図式以上に、ワーグナーがこの曲に込めた思いというものもあるのかもしれない、考え始めると深いテーマだ。
死をもってしか贖罪はあがなえないとする考え方も、現代に生きる我々にとっては遠い世界の話しに思える。それでも、タンホイザーを最後まで見捨てない友人ヴォルフラムの潔さと、エリーザベトと美しさは胸を打つ。
女神ヴェヌス(=Venus=金星)という名前も象徴的だ。また、ヴェヌスの住むヴェヌスブルク(=ヴェヌスの丘)が洞窟という地底世界であるということも暗喩に満ちている。
それにしてもヴェヌスとタンホイザーを描いた絵の艶かしいこと・・・・これなら私も騙されたいと思う人もいるのでは・・・
■ 序 曲
歌劇「タンホイザー」までは、歌劇の始まる前の曲は序曲と称している。ローエングリンで前奏曲と呼ばれているのとは音楽的な意味合いが異なるようだ。詳しいことはよく分からないのでパス!
タンホイザー序曲は、それだけで完結した音楽となるくらい密度も濃く、そして完成された音楽に仕上がっている。吹奏楽編曲版で中学時代に親しんだ曲で、金管群の咆哮は気持がいい。懐かしさがこみ上げてくる、序曲だけならワーグナーは中学から高校時代の愛聴曲だ。
歌劇を一通り通して聞いた上で、全体のストーリーと各主題を思い出しながら改めて聴くと、この序曲は歌劇そのものが圧縮されたかのようで、音楽造形の見事さに打たれる、そして負っているテーマは崇高にして深い。
冒頭のホルンで奏でられるテーマは、第3幕で歌われる「巡礼の合唱」だが、荘厳な響きが音楽を特徴付けいる。中間部に挿入されるのはヴェヌスブルクでの饗宴(バッカス)とタンホイザーがヴェヌスを称える歌だ。有名なこのフレーズに秘められた明るさと翳を感じながら聴くと、複雑な心もちになる。その後再び巡礼の合唱に至るり、このパリ版ではカスタネットまで用いられたバレエ音楽が挿入され第一幕につながる。
はじめてこのパリ版を聴いたときには、その唐突さから疑問を感じたものだ。何度か繰り返し聴いているいまでも、パリ版の妥当性については判断に迷うところだ(ドレスデン版を聴いたことがあるわけぢゃないんだけどね)。序曲だけ聴いても「おなかいっぱい」という感じで、この序曲だけ親しまれて演奏されるのも分かる。
■ 第1幕 第1、2場 ヴェヌスブルクの洞窟内
ここは、ヴェヌスブルクにおいて、タンホイザーが女神ヴェヌスに溺れている場面である。タンホイザーのヴェヌスへの愛を歌うテーマが、かの有名なフレーズに乗って高らかに歌われる。タンホイザー役のルネ・コロの歌声が印象的だ。明朗で明るくハリのある声はさすがこの役だけあると思わせる。後の合唱大会が楽しみになるほどで、惚れ惚れとしてしまう。
ルネ・コロといえば、ワーグナー歌手として実力、人気ともナンバー1であるらしい。この美声で容姿が良ければ人気が出るのも分かるよなあ、と思いながらネットを徘徊してみたが、コロの写真は見つけられなかった。
そんなコロの演じるタンホイザーとヴェヌスの女神の掛け合いは見事。「帰りたい」というタンホイザーに「帰したくない」と訴えるヴェヌス。どんな歓楽も快楽も、長く続くと人は飽いてしまうものなのか。しかしヴェヌスブルクの雰囲気って、浦島太郎伝説の龍宮城みたいなものかななんて想像してみたり、龍宮城には着衣の乙姫さまや鯛や平目は居ても、裸の女神はいないよなあ、と思ってしまうのはテーマがふしだらなためか?
最後の最後で、タンホイザーが聖母マリアの名前を叫ぶと、ヴェヌスブルクそのものが崩れ落ちるという設定も凄いな。音楽的にもまさに劇的だ。実際はどういう演出をしているんだろう、前半の見せ所かもしれない。ここを聴くと、ヴェヌスブルクがキリスト精神とは対峙する背徳の世界であるらしいと気づくわけだ。
そこのリブレットはこうなっている。(独語表記は不完全、以下同様)
Venus
Nie ist Ruh dir beschieden, (Repose will never bi your lot,)
Nie findest du Frienden ! (neither will you find pieace!)
Kehr wieder mir, suchst einst du dein Heil! (Come again to me, if, some time, you should seek your salvation !)
Tannhauser
Gottin der Wonn und Lus t! Nein ! (Goddess of pleasure and delight, no !)
Ach,nicht in dir find ich Frienden und Ruh ! (Oh, not in you shall I find peace and repose !)
Mien Heil Liegt in Maria ! (My salvation lies in Mary !)
Venus vanishes. With a terrible crash, the interior of the Venusberg is engulfed.
第1幕の前半は、タンホイザーの歌うヴェヌスの愛の歓楽のテーマも印象的だが、この部分は計り知れない効果を劇に与えていると思う。
■ 第1幕 第3、4場 ワルトブクク
さて、ヴェヌスブルクが崩壊した後に、タンホイザーは気づくともと居たワルトブルクに戻っているわけだ。追い出されたのか引き戻されたのかは分からない。年齢を重ねることもなく、もとの姿のまま、もとの世界に無事戻れるとは幸福な世界観だとは思う。
「背徳の地のヴェヌスブルクと現実の世界が表裏一体で接している」という設定も示唆に富む。タンホイザーが人間としての葛藤を背負う姿として描かれていることと合わせて、劇に込めたテーマが浮き彫りになっているようにも思える。
ともあれ、第3場で挿入される羊飼いの少年の唄と、それにかぶさる老いたる巡礼たちの唄も見事だ。派手さはない部分だが、ほっとする場面だ。角笛と子供の歌声は、マーラーを連想させるが、子供の声の純真さと巡礼の唄の荘厳さが、ヴェヌスブルクの世界との対比をなしているようだ。
第4場は、ここで役柄として重要なタンホイザーの友人たるヴォルフラムが登場して、エリーザベトのもとへ帰ることを強く勧める。最後まで重要な役割を担うヴォルフラムを演じるのはヴィクター・ブラウン、彼の歌声もルネ・コロに劣らずに見事である。優しさに満ちた歌声は、ヴォルフラムの役柄にまさに適任と言えようか。
■ 第2幕 ワルトブルクの歌の殿堂
第2幕は、タンホイザーとエリーザベトの再会、そしてヴォフラムとの歌合戦、その場でタンホイザーが清純な愛の理想に対し、歓楽の愛を歌い、その場にいた皆から総スカンを食い、ローマへ懺悔に行くハメになるという場面だ。ヴェヌスブルクでは地上の世界に戻ることを希求していたのに、地上に戻ればヴェヌスへの愛を歌う、マッタク困った男である。
導入曲に導かれてエリーザベトが登場するが、チャーミングなウキウキするような音楽に仕上がっている。こんなにかわいらしい恋人がいるのに、ほんとうにタンホイザーはダメなオトコである。
第2幕もタンホイザーとエリーザベトの二重唱など聴き所は多いのだが、それでも何と言っても有名なのは第4場のタンホイザー行進曲ではないだろうか。この部分だけでも独立して演奏されることがあるから、一度くらい耳にしたことはあると思う。トランペットに続いて奏されるオーケストラと合唱の音楽は何度も聴いてしまう。どことなくアイーダの凱旋行進曲のような雰囲気だ。しかし、この有名な曲は、全体のストーリーの中で占める重要度という点では、そんなに高いわけではない。しかし領主を称え、喜びが爆発するかのような曲であり聴いていてやはり気持ちが昂ぶる。
行進曲の後は、いよいよタンホイザーとヴォルフラム、ビーテロルフの歌合戦が始まる(歌合戦開始の合図をする子供たちの歌声のかわいらしいこと!)。
ここで、ヴォルフラムが清純な愛を歌っているのに、タンホイザーが興奮してか、禁断の「ヴェヌスへの愛の歌」を歌ってしまうところなど、なかなかである。歌合戦とは言っても戯れではなく、中世の騎士の己の誇りを賭けた決闘の替わりのディベート合戦という趣だ。この場面でタンホイザーのヴェヌスをたたえるややアップテンポな歌からは、放埓にして自由な雰囲気が伝わってくる。後ろめたさや隠微さなどは微塵もない主張は、ワーグナー自身の心情の一面を代弁しているのではないかとさえ思う。
第2幕も、「Nach Rome ! (To Rome !)」という言葉で場面が転換するという点では、第1幕と似たような効果をねらっていると言えるだろうか。挿入した絵は、怒った騎士たちからタンホイザーを守るエリーザベトである。
■ 第3幕 ワルトブルク前の谷
さて、第3幕はこの悲劇を締めくくる、一番のクライマックスだ。心して聴かねばならない。
場面はまたしても第1幕 第3場と同じヴァルトブルク城が見える谷であるらしい。遠くから巡礼団が近づき巡礼の合唱(序曲で聴かれたあれだ)が聴こえてくる。最初は静かに、それが次第に大きくなりクライマックスを迎えるが、その中には帰ってきて欲しいタンホイザーはいないのだ、「神よ! 彼を赦し賜らなかったのか!」と、聴いている方だって嘆きたくなる。この巡礼の合唱を聴いてしまうと、もはや涙なくして序曲も聴けなくなるというわけだ。
さて、次に「エリーザベトの祈り」の歌が続く。哀しく美しい歌だ。エリーザベトはタンホイザーの替わりに自分の命をマリアのもとに差し出すことを望むのだ、何と献身的な・・・。
エリーザベトが退場し第2場に移ると、フルートを中心とした木管が、静かに静かに長いフレーズを奏する。この部分の静謐さと高貴さときたらどうだろう。そして歌われるのがヴォルフラムの「夕星の歌」だ。星に彼女の祈りが叶えられることを願うんだが、その星というのが宵の明星=金星=Venusであるのだ。金星は一般にマリアの象徴ではあるが、考えようによっては、彼はタンホイザーを惑わす女神に対して祈っているのだ。この歌も美しい、ここだけ取り出して何度も聴いてしまいたいほどだ。目の前に、暮れやらぬ夕闇と一番星が見えるようだ。彼の心根と合わせて考えると、夢のように美しい曲だ。だって、ヴォルフラムはどうもエリーザベトに心を寄せているらしいのだ。ヴォルフラムが「Elisabeth, durft'ich dich nicht geletite ? (Elisabeth, might I not bear you company ?」と尋ねて、謝辞されるのがかなしい・・・
さて、そうこうしていると、タンホイザーがボロボロになって戻ってくる。最初はヴォルフラムもタンホイザーとは分からないほど。赦されずに、やけばちになったタンホイザーは再びヴェヌスブルクへの道を探しているという、あきれたものだ(><)
しかしそこは、清く正しいヴォルフラム、彼の話しを聴いてやる、一体ローマで何があったのかと。そこから長いタンホイザーの「聞け、ヴオルフラムよ」が歌われる。「こんなに頑張ったのに、赦してくれなかったんだよ~」と言っているんだが、あんまり印象に残らない。
そうこうしながら、ヴェヌスブルクに行くことを願っていると・・・あらあら、聞こえてくるではないですか、あの懐かしのヴェヌスの歌が。いやいや、ヴェヌスもなかなかタンホイザーにご執着、彼女の歌は誘うようなどこか淫靡なにおいがして素敵だ。
「ええい、放せ、はなさぬか」「なるものか」「さあ、私のもとへ!」と、三人の三重唱でクライマックスを迎える! ここで聴くもののテンションは一気に高まる。そしてだ、最後はまた、ヴォルフラムの一声で全てが一転するのだ。
ここのリブレットはこんな具合だ。
Venus
Komm, o, komm! (Come, oh, come!)
Tannhauser
Laβ mich ! (Leave me !)
Wolfram
... schwebt er segnend uber dir... (...she will soar above you, blessing:...)
Venus
Zu mir ! Zu mir ! (To me ! To me !)
Wolfram
...Eliasbeth !
the vapours darken and the gleam of apporoaching torches shines through them.
マリア、次はローマ、そして今度はエリーザベトの名。このキーワードによる劇的なる効果というものには目を見張る。
最後は、奇跡が起こりタンホイザーは救済されるのだが、その救済もタンホイザーがエリーザベトの亡骸にすがって息絶えるという、死をもっての救済というところが哀しい。しかし、奇跡が起こり救済されたことを若い巡礼の者たちは、
Alle (All)
Der Gnade Heil ward dem Buβer brschieden, (The salvation of grace is the pentient's reward,)
nun geht er ein in der Seligen Frieden ! (now he attains the peace of the blessed !)
Jungere Pilger (Yonger Pilgrims)
Halleluja ! Halleluja !
と歌って(巡礼の歌)幕となる、いやあ、感動!
■ タンホイザーを聴き終えて
こうして聴いてみると、勇壮な序曲だけしか知らなかったのだが、内容の深さと劇転換の面白さ、そして曲の美しさと強さ、どれをとっても見事としか言いようのない作品である。まったくワーグナー恐るべしという思いを新たにするのであった。
ただし、先に聴いた「ローエングリン」に比して考えると、ワーグナー世界としての音楽の独自性ということでは、ローエングリンに分があるように思える。タンホイザーは歌劇としては非常に良く出来ていると思うが(だって面白いもの)、音楽に対する陶酔感や没入感という点では、普通の歌劇の域を出ていないと思える、というのは、たぶん暴言なんだろうな=まだワーグナーは二つしか聴いていないんだから。