歌舞伎座の建て替え計画が発表になりました。以前から計画はありましたが昨今の急激な経済状況の変化から、大きく見直しをかけていたと思っていただけに(→歌舞伎座発表 08年10月20日、09年1月22日)、1月28日のマスコミ発表は意表を突かれた形でした。私もこのブログの中で何度か本件には触れてきました。(→2005年4月21日、2005年11月17日)
今の歌舞伎座は昭和26年(1951年)に建替えられたものです。現在の耐震基準に合わず、またバリアフリーに対応していないため、エレベータやエスカレータもない。いまや歌舞伎ファンの2/3は40歳以上です。高齢者が多い客層に対して優しくない建築であることは否定できません。その点から建て替えも止む無しという気もしないわけではない。(不便で何が悪いのかという意見もありましょうけど)
建て替えにおいて批判の対象となるのが、その外観。現在の歌舞伎座の面影は残しながら、超高層ビルが屋根を貫いて屹立している姿は滑稽とも悲劇的とも見えます。歌舞伎座の土地は松竹のもの、歌舞伎座の建物は歌舞伎興行を行う松竹に株式会社歌舞伎座が賃貸している。不動産収益の比率の増加を目論む松竹は、オフィス床面積を確保するため、区や都と交渉してきたのでしょう(都市再生特別地区として床面積の増大を含む)。
新聞の予想図からは、唐破風の衣裳は残ったものの、懸魚や化粧垂木、高欄などが大幅に削除または簡略化されているように見えます。デザインの簡素化は、おそらく経済的な理由から断念されたと考える方が妥当だと思います。現在のそれはコンクリート製であり、同じようにコンクリートで作っても、あるいは本物志向で木製としても、建設費はいたずらに増大することは明らかです。近代的要素としてガラス、そして「和のテイスト」として、申し訳に縦格子を配したといったところでしょうか。
とは言え、風景や街並み、記憶には連続性が必要です。有形なものを破壊することは、無形のものも大きく毀損します。このことを嘆く歌舞伎ファンも多いことは承知、私もガッカリしました。しかし考えてみると今の歌舞伎座とてヘンな形です。都知事が「銭湯みたい」と言ったかどうか知りませんが、寺社建築としては余程銭湯の方が立派な建物があります。唐破風とて松岡正剛氏流に言えば「和洋折衷の象徴」です。そもそも最初の歌舞伎座は洋風であったのですから、寺社建築に似せて歌舞伎座を造る必然性は余りありません。所詮は芝居小屋、再現するならば江戸のそれでしょうか。
新しい歌舞伎座にもきっと私たちは時間とともに慣れるでしょう。そして失われた細部に宿っていた呑気さや豪奢さ、ゆったりとして豊かな時間が平成の世にも生きていたことを、将来の我々は写真や語りとともに懐かしみながら。重要なのは器ではなく、無形文化としての「歌舞伎」そのもののの存続なのですから、私たちは歌舞伎をいかに存続させえるか、ということこそ議論されるべきなのだろうと思う次第です。