2004年9月3日金曜日

ラウタヴァーラ:ピアノ・ソナタ第2番「火の説法」

  1. 練習曲集Op.42
  2. 組曲「イコン」Op.6
  3. 前奏曲集Op.7
  4. パルティータOp.34
  5. ピアノ・ソナタ 第1番「キリストと漁夫」Op.50
  6. ピアノ・ソナタ 第2番「火の説法」Op.64
  • ピアノ:ラウラ・ミッコラ
  • 録音:1997年6月 バークシャー、イースト・ウッドヘイ、セント・マーティンズ教会
  • NAXOS 8.554292

9月になって学生たちの夏休みも終わりましたので、通勤列車がまた混雑しはじめました。私は朝7時代の地下鉄に乗るのですが、この時間は制服・制帽を身に着けた小さな小学生が乗ってくるのですよね。潰してしまわないかと、気が気ではないのですが、小学生は逞しく、頑張って通っています。

さて、音楽に話題を振りますと、ここ数日は、ラウタヴァーラのピアノ・ソナタをラウラ・ミッコラのピアノで聴いています。

ピアノ・ソナタ 第2番は「火の説法」という副題がついています。1970年の作品ですが、激しさと静寂さ、不協和音と、それと全く反する静寂にして美しい旋律が同居しているという点においては、ラウタヴァーラ的な音楽と言えます。特に第二楽章の出だしは何とも言えずに良いです、すぐにまた凄まじくなってしまうんですが。第三楽章なんて、もうこれでもかという激しさですよ、ちょっとしたカタルシスみたいなものさえ感じます。
All three movements observe the principle of continuous growth and the initial idea grows extent, density and strength until the texuer cracks (often into clusters), becomes dissonant, dissolves into fog of sound or, as in the concluding fugue, goes overboard from pathos to trivial irony for a fleeting instant.
このようにラウタヴァーラが書いているように、10分程度の時間の中に大きな変化と振幅を込めた曲です。他の曲と同様に、叩きつけるようなクラスターもあちこちに聴かれます。不協和音については、耳触りというわけではなく、聴き込むにつれて大きな流れなども感じることができ、爆発する音の割には内省的な音楽であるという気がします。

ところで、「火の説法」という題ですが、T.S.エリオットの「荒地」の中に同名の(仏陀による)「火の説法(The Fire Sermon)」という詩があるのだそうです。それとの意識的な関係はないとラウタヴァーラ自身はライナーに書いていますが、《T.S.エリオットによる2つのプレリュードOp12》などという作品も残していますから、何らかの影響は否定できないのだろうと思います。

もっとも、エリオットの「荒地」が、F・コッポラの「地獄の黙示録」に影響を与えたという以外の知識はまるでないので、ラウタヴァーラの作品解釈上、私には何の足しにもならないのですがね。

ちなみに火の説法は「見よ、すべては燃えている。眼は燃えている。目に映るものも燃えている。何で燃えているか。むさぼりの火、いかりの火、愚かさの火で燃えている。このように観察して執着を離れよ」というテキストなんだそうです。