このほかにも、ライブで忘れられないセル&ウィーンの演奏もあるのだが、これ以上運命に付き合うのはちょっとつらいので、またの機会に譲りたい。一度聴いただけで「あたる」演奏と、何度か繰り返さないと「ピントこない」演奏、こういうのは個人差あがあるのだということが、今回の収穫か。
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」(ライヴ録音) ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77 指揮:サイモン・ラトル 演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ヴァイオリン独奏:チョン・キョン=ファ EMI TOCE-553311
ラトルとウィーン・フィルによる「運命」である。レコード芸術では絶賛級の賛辞を与えられていた、非常に刺激的な演奏である。(レコ芸の評をどう考えるかはさておき・・・)
国内版を買うのは値段の点で躊躇してしまうのであるが、どうしても聴いてみたく購入。一聴しただけで文章を書く雑さをご了承願いたいが、これはすさまじき「運命」であると感じた。
カルロス・クライバーの怒涛のような「運命」もあるが、それ以上に刺激的な演奏に聴こえる。印象に残るのは、やはりティンパニの音やピッコロなどの音、さらには、全楽章を支配している圧倒的なリズムと切れの良さだろうか。演奏からは軋みのようなものさえ聴こえてくるではないか。今さら「運命」なんて、と思うならば聴いてみると良い。新たな感動が沸き起こるのを禁じることができないだろう。
どちらかと言うと「快速系」の演奏なのかも知れないが、軽くはない。微塵の迷いもなく突き進むその姿は、聴くものの内側に大きく質量感のある感動を落とす。ベートーベンの音楽の持つ力、硬く熱く重い金属のような力強さを我々に与えてくれる。
ぜひ聴いてみて、その音楽を感じてもらいたい(ああ、こういう演奏を聴くと、つくづく生演奏に接したくなるよ)。レヴュは気が向いたら書いてみたい。
ラトルはウィーン・フィルとのベートーベン全集の録音に取り掛かっているらしく、各交響曲の特徴を際立たせることを意図しているらしい。これからが非常に楽しみである。
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」(ライヴ録音) 指揮:フルトヴェングラー 演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1947年5月27日 DG
解説不要の名盤。フルトヴェングラーが戦後ベルリンに復帰した演奏の三日目のもので、歴史的名演奏として名高いものだ。ラトルの演奏を聴いて、改めてこの演奏がどういうものなのかを知る意味で聴いてみた。
石をぶつけないでいただきたいが、この名演を聴くのは今回が初めてであった。クラシックな方々には「基礎問題的常識」であっても、この世界に疎い、あるいは足を踏み入れたばかりの若輩者には、未知の世界なのである。
さて、この演奏の凄さはあちらこちらで語り継がれている。最近のレコード芸術「21世紀の名演奏300選」でも54年版を押しのけて上位に入ってきたという演奏である。しかし、録音はモノラルだ、本当にそんなに凄いのか?と半信半疑で聴き始めたことを告白しておこう。
半ば期待を込め半ば揶揄的に聴き始めたのだが、恥ずかしい話、感動するとかいう言葉では表現できないほどの衝撃を受けてしまった。私は2楽章のあたりからから、涙を抑える事ができなかった。始終泣きどおしで最後のコーダまで聴いてしまった。あまりにも、あまりな演奏に、この盤をもう一度聴く気力がおきないほどだ。
CDであっても「あたる」というのか、何かにシンクロしてしまう瞬間というものがある。この演奏がまさにそういう状態だったのかもしれない。何と言う「運命」がここには展開されているのであろうか。どこが凄いとか説明すること自体が無意味にさえ感じさせる鬼気せまる演奏だ。
「フルトヴェングラー的アインザッツ」とか「怒涛のアッチェレランド」とか、言葉を弄すれば何か書けるだろうが、それらは空しい行為でしかない。歴史的名盤と皆が言う意味が嫌と言うほどに分かった。
「たった一度聴いただけで分かったなんて言うな。」という人もいよう。しかし、再度聴いて、さきに始めて聴いたときほどの衝撃があるかと考えれば、それは叶わないのではないかと思うのである。衝撃は最初のものだけが真実であると思う。
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」(ライヴ録音) 指揮:テンシュテット 演奏:ロンドン交響楽団 録音:1990年8月30日 米RARE MOTH RM 401/2-S
札幌PALS21で見つけた海賊版。カップリングはブレンデルのピアノによるブラームスのピアノ協奏曲第1番である。
テンシュテットも私にはなじみの多い指揮者ではない。バーンスタインと並ぶマーラー指揮者という印象が強いが、あちこちのサイトを覗いていると、スタジオ録音とライブ録音の差が大きい指揮者であるという評が多い。マーラーのライブを探しているが、なかなか見つからず、たまたまこの盤を見つけたので買ってみたという次第だ。
フルトヴェングラーの演奏を聴いてしまって、続けてこの演奏を聴くことに意味があるのか、疑問に思ったことも確かだが、半ば強迫的な義務意識で聴いてみた。
最初に聴きとおしたときは、正攻法でなんとなく響きの柔らかい(甘い)演奏だな、という印象を超えなかった。ライブの海賊盤なんで音質もいまひとつだし。何気なく流して聴くとあまり特徴のない演奏に聴こえてしまうのかも知れない、「運命」という耳慣れた曲であるだけになおさらだ。
しかし、何度か聴いいると、音が自分の中で立ち上がってくるのを覚える瞬間がある。「・・・!!」という感じだ。この演奏でもそうだった、「ええ? 何を今まで聴いていたんだ?」と自問してしまった。
確かに正攻法のベートーベンだ。例えばラトルのような切り込んだ斬新な解釈はみられない。しかし、それでいて、ここには並々ならぬ熱気をはらんだ、すさまじきエネルギーの演奏が込められていることに気づかされた。ティンパニの叩きなども尋常とは思えない。地が沸きあがるようなベートーベンである。
カップリングされているブラームスも物凄い。ブラームスはワタシ的にはちょっと苦手なのだが(嫌いなのじゃない、とっかかりがつかめないのだ)あのブレンデルがものすごいピアノを弾いている。今回はブラームスのことを書くのが主旨ではないので割愛するが、このテンシュテットのライブ録音、類稀な熱演であることは確かなようだ。