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2002年11月21日木曜日

分かりにくい経済再生

日本経済がデフレだと言われて久しい。日本はバブル後の不況から12年経った今も脱出できずにもがいている。日本の決断の遅さ、実行力のなさは西欧のみならずアジア諸国からも呆れられ始めている。

竹中-木村による経済再生プログラムはメガバンクの猛烈な反対にあった。竹中-木村派に反対する意見の多くは、銀行の不良債権をアメリカのハゲタカファンドに買わせ、日本経済をめちゃめちゃにしようとしている、という考えが強いようだ。

一方、竹中-木村派は日本が真に再生するためには、構造的な改革を含めた金融政策(銀行の不良債権処理と問題企業の淘汰も含む)を期待するというものだ。

銀行に注入した公的資金の優先株を普通株として経営権を国が持つとか、自己資本比率を違った基準で査定しなおし、銀行に資金注入するとかの話しは、私のように経済に全く素人のものでも(意味は分からなくとも)言葉だけは覚えてしまった。

どちらが日本を再生する力を持っているのか、「門前の小僧」以前の私には判断できない。ただ、メガバンクの猛烈な反発は自己保身と既得権益の確保という姿が見え隠れするように感じてしまったことは否定できない。

さらに不良債権と言われているものの実態がよく分からない。銀行は間接償却のための引当金を用意したくないため、不良債権の査定において実体隠しのようなことをしているとの指摘もある。銀行が生き延びるために、破綻懸念先に分類させず、延々と点滴を続けているようなものだ。そういう実態があるとしたら、それは、不良債権たる企業と銀行双方に責任があるわけで、もはや構造的な問題といわざるを得ない。

青木参幹事長は竹中案に対し「(経済政策に失敗したら)誰が責任を取るのか」と国会で首相に詰め寄った。しかし日本で一体、いままで経済政策の失敗で政治家の誰が責任をとっだろうか。どの銀行トップが自らの責任を認めただろうか。これを理不尽と言わずに何と言おうか。

正しい実態も分からない、処方すべき方策も混迷している、しかも、責任の所在も、責任の取り方も不明確であるとしたら日本経済は、いったいこれからどこに向うのか。

かてて加えて、日本外交の自立性のなさである。あと数年もすると、世界の誰も日本など気にしなくなり、十数年のうちに、少子化と教育問題の弊害が重なることで日本という国が消滅してしまうのではないか、という危機感はないのだろうか。自分の会社がなくなるということなど、些細なことかもしれない。

それにしてもと思う。政界も金融界も、普通ならとっくに隠居するか病院にいるような老人=重鎮たちが、若者以上に元気いっぱいで発言力があるのか・・・私には全く理解できない。あなたたちの残りの人生の間だけ、日本が潰れなければそれでいいのか?

極端な自閉的状況は、愛国ナショナリズムを生みやすい。世界も日本も大きな岐路にさしかかっていると、感じないだろうか。ここ数年の動きが、その後の日本と世界の枠組みを決定付けるように思えてならない。


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