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2003年3月28日金曜日

【風見鶏】イラク攻撃報道を見ていて

まあつまりはそういうことだ。アメリカとイギリスは手を取り合って戦争を始めた。世界世論は割れたまま、オレは戦争の真実を知ることはできないでいる。戦争で死んでゆくのはイラクの兵士ばかりではない。イラクの(おそらくは金持ちは安全な場所に逃げてしまっているので、あまり裕福とは言えない)一般市民であり、戦争の目的を遂には信じることが出来ないまま戦場に赴いてしまった(こちらも推測だが、おそらくは裕福層とは言えないだろう)前線のアメリカ人やイギリス人兵士達だ。(米国捕虜兵の顔を思い出すがいい)
マイケル・ムーアはアカデミー賞授賞式で「ブッシュよ恥を知れ!」と叫び、失笑とブーイングと退場の拍手と音楽に追い立てられた。政府高官や大企業の子息が、イラクの砂嵐にまみれ、将校に追い立てられて銃を取っているということは、あと24時間でこの戦争が終結することがあったとしても、ありえないことだ。 

まあつまりはそういうことだ。武力ってのは破壊的で暴力的だが、見入っちまうんだ。ナイフや銃やミリタリー関係の雑誌が、ヲタク的な弱々しい男性に支持されている現実を思い出すまでもなく、つまるところ人を殺したいとはマッタク思っていない人が兵器や武器に魅入られるのは、一面でそれらが強さの象徴だったりするからだ。 

まあつまりはそういうことだ。ラムズフェルドは戦争が始まる前から笑っているように見える。中道派のパウエル(改心したのかさえ分からない)は、このごろ国内世論まとめに尽力しているようだが、彼は最初から最後まで笑ってはいないように見える。さて最後に笑うのは誰なんだろう。
笑っていると言えばだ、しかし何だって全てのTV局は金太郎のように同じ番組を作りつづけるのだろう・・・。この隙に、戦争のドサクサに紛れてよからぬことを企んでほくそえんでいる輩は居ないだろうね。 

まあつまりはそういうことだ。映像やメディアの進歩は戦場の生中継というものを実現しちまった。アナウンサーやレポーターが「これは映画やゲームではありません。本当の戦場なのです。リアルタイムに人が死ぬのです」と報じるが、そう言い放った瞬間に失われる現実感ってのは何なんだ。そこに彼ら放送メディアの戦場ビジネス感覚が透けて見えてしまうからかなのか。戦場のリポーターは命がけだろうが、ブッシュやラムズフェルド同様、CNNのトップはリポーターの命より視聴率を気にしては居ないだろうか。
一方オレたち(失礼"オレは"だ)生の戦場を知らないから爆弾が投下される様を、リビングでポテトチップを食いながら正視できる。脳死状態のオレは垂れ流される映像をカンゼンに受容しちまっている。新聞やTVで「今日の戦況」をチェックするのが「日常」になっちまった。自分の肉親や友人が戦場に居ないいから心安らかにハイテク戦車が砲撃する様に内心喝采を挙げられるのか。マッタクCNNをハイエナだと責めることなどできやしない。 

まあつまりはそういうことだ。日本のメディアは刺激的過ぎるからという理由で死体映像ははっきり写さないだろうということ。
「人が死ぬ」ことを報じたいのなら、バンバン朝飯や夕飯の時間に惨たらしい死体映像を流しまくって、吐き気を催させればいい。もっとも死体映像を流すことがマスコミの使命だとは思わないが、大本営発表的になることに大手メディアは荷担してはいないか。 

まあつまりはそういうことだ。CNNをハイエナと呼びそうになっちまったが、彼らが使命感に燃えて戦場に残ったが故に、これほどまでに戦争が注視されているという現実もあるわけだ。映像技術は進化した。そして、戦争反対のムーブメントもかつてないほどの広がりだ。つまりは一面マスコミの勝利ということでもあるのかもしれない。進歩していないのはそれを受け入れる"オレ"サイドにある。 

BBCの人気キャスターは、米国政府の米国兵士捕虜映像放映規制について批判していた。戦時下においても色々な意見が聞こえてこなければ更なる脳死状態に陥ってしまう。


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