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2007年7月21日土曜日

美しい国へ、とてつもない日本


参院選真っ只中、自民党がどこまで議席を確保できるかが焦点になっているようです。「美しい国へ」を書いた安倍政権は支持率が低下しており、指導力不足からか、どうも人気がないようです。対する麻生氏はどうでしょう。「アルツハイマー」失言*1)で足元を掬われなければ良いですが。

実は私は期日前投票を既に行っています。どこに投票したかは明言しませんが、「積極的に投票したい政党や候補者がいない」という事実と、政治に対する期待度の薄さに、このままでは日本はマズイのではないかと思っています(>かといって具体的な行動は何もしませんが)。

政治家として安倍氏と麻生氏を比べるつもりはありません。それでも両者の本を読み比べると彼らが政治家として何をしたいのかは良く分かります。二人とも日本を立て直したいという点では一致しています。ということは日本は「ダメ」な国になってしまったのでしょうか。
だとすると、それは一体いつに比べて「劣って」いるのでしょう。近代国家成立以降であるならば、日清・日露戦争に勝利した明治から大正時代ですか、大東亜戦争の時代ですか、あるいは終戦処理とその後の経済的復興の時代でしょうか、いや「JAPAN AS NO.1」と呼ばれた時代でしょうか、はたまた・・・。

考えるに、日本が世界に対して大きな発言力を有していた時代、あるいは日本の去就に世界が注目していた時代というのは、過去にあったのでしょうか。トヨタやソニーを始めとする日本を代表するメーカーは、品質、コスト、そしてブランド力など海外に大きな影響力を与えました。しかし経済的効果から離れて、国際政治的な面での日本の影響力を考えたとき、日本は海外からどう見られているのでしょう。日本は本当に「落ちた」のでしょうか。

麻生氏は日本も捨てたものではない書きます。失った自信を取り戻させようとするのは結構なことです。日本の一部の人たちは歴史的には自虐的な過去を、国際間においては米国追従を嘆く姿勢に傾きがちです。では、日本はどの分野においてリーダーとなりたいのでしょう。日本としての存在感を、どこで出したいのでしょう。麻生氏はサブカルチャーなどは日本発で世界が注目していると説きます。またアジアにおいてしなやかなネットワークを作りたいと書きます。

それもいいでしょう。日本経済新聞を読んでいますと、日本が狭い国内の豊富な消費力に甘んじいる間に、グローバルな標準からズレてしまい、国際的な競争力を削いでしまったという論調が目につきます。日本がモタモタしている間に、韓国、中国、インド、ロシア、そして北欧などの諸国が凄まじい勢いで力を付けてきいます。結果的に高度な技術力があるにも関わらず、日本の地位は相対的に低下しているのだと。

2月に中国に仕事で行きました。読むのと見るのでは大違い、中国の目覚しい発展ぶりには度肝を抜かされました。それも20年前の卒業旅行依頼の中国訪問でしたから、その差異は尚更でした。他の国々も程度の差こそあれ同様なのでしょう。

そういう変化の激しい状況の中にあって、日本は国際的にどういう地位を占めたいのか(国連の常任理事国になりたいとか、そういう表層的なことではなく)。ビジョンからブレイクダウンして日本の国内政策はどうあるべきなのか。こういう問題は経済主導ではなく、やはり理念=政治の問題だと思うのです。国家も企業も個人も、その点での行動原理は同じであるように思えます。

麻生氏も安倍氏も、本に書いてあることは簡単な言葉で書かれていますから理解はできます。異論もありますが許容範囲内でしょうか。しかし、そこからさらに大きな枠組みや物語が伝わってこないのは残念です。

日本は国際社会の中で何をしたいのか、日本国の「生きがい」は何なのでしょう。日本はビジョナリーな国なんでしょうか、経済発展においてではなくてですよ。

  1. 麻生外相は、国内の農産物が高いと思われがちだとしてコメの価格に言及。1俵1万6000円の日本の標準米が、中国では7万8000円で売られているとしたうえで「どっちが高いか。アルツハイマーの人でもわかる。ね。こういう状況にもかかわらず、中国ではおコメを正式に輸入させてくれませんでした」などと述べた。(7月19日 朝日新聞電子版より)