2010年2月5日金曜日

副島隆彦:売国者たちの末路

副島の論理を胡散臭いと感じるか、真実を伝える伝導者と考えるかでとらえ方は全くことなるであろう。読後の印象として、副島氏得意の根拠なき陰謀論満載で、こんな本を読んでいると大きな声で言うのは、やはり控えたほうが良かろうということ。裏のロスチャイルドやロックフェラーなどの金融系支配者が支配しているという世界観は面白いし、フィクションとしの時間つぶしならばよいが、副島の妄想に付き合っている時間はそれほどない。ただ、それを「妄想」と論破する論拠もこちらにはないだけのことだ。

しかし彼が誰を支持し、誰を糾弾しているのか、そしてアマゾンの圧倒的な無垢な副島礼賛と覚えておいて良いだろう。

彼の視点は、日本国民を騙してアメリカに資金を流入させる者を売国奴と称しているわけであるから、小泉-竹中路線につながる人脈を批判するのは理解できる。小泉改革がすべて間違いであったのか、ということについては、いまだ私の中で評価は定まらない。規制緩和を進め競争を進めたことは、功罪相半ばといった印象がある。資本主義が悪いわけではない以上、正当な競争原理のもとで健全な発展をすることは間違ってはいないし、用がなくなった業界や企業が退場することも、いたし方がないことである。問題は、その退場のさせ方であり、あまりに急激な変化は社会不安を生むし、失業率の増加などマイナスの要因が大きすぎるということだ。「痛み」は理解するが、誰もその痛みを自分が負う覚悟はできていない。そういう点から、池田信夫氏が指摘するように、労働市場の流動性がないこと、あるいは大企業の既得権益が強すぎることが問題であるとする主張の方が理解しやすかろう。

こういう小泉路線に対して、守旧的な小沢、亀井路線が存在し、ある程度の支持を獲得している。副島氏も彼らを支持し日本を守るという姿勢を鮮明にしている。しかし、彼らの主張は時代に逆行し、真の意味で改革することを遅らせてはいないかという点に対する疑念は晴れない。特に彼が小沢民主党を支持することには違和感さえ覚える。鳩山は論外にしても。

「改革か成長か」「需要か供給か」「金融か財政か」といった、タマゴニワトリ的な論争は専門家にまかせるとするが、日本が大いなる混迷の中にあって、この本も混迷を深めこそすれ、光明を見出す本にはなり得ていないことに変わりはない。

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