2014年10月19日日曜日

世界の終わり、あるいは始まり 歌野 晶午

読んでいて酷く不快である
最後の希望を描くために、ここまで悲劇的に、利己的に、絶望的になる必要がかあるのかと。

家族の崩壊を描いていながら、結局何も解決を見せてはいない。再生もない。うわべだけの平穏はまだ続く。

Amazonレビューにあるように、読んでいて疲れる。解決を見せずに繰り返される妄想にどこまで付き合うのかと?

それも、親子としてのケーススタディではなく、自己保身の妄想に、胸くそが悪くなる。

選択的な未来と複雑な自我と生き方を提示してはいるが、まっとうに向き合おうとしない登場人物たち。話し合いをしない。

この先も解決があるとは思えない、希望も感じられない。騙しとズラしがこの作品のテーマ?

この先を考えるのではなく、これを題材に生きることを考えて選べということか?
ミステリーの快感求める人にはサイアクの小説かな。