東京都美術館で開催中の藤田嗣治展にいってきました。
レオナルド藤田の名前で、知ったかぶりしてましたが、あって良かったです。全く藤田像が変わりました。
それにしても日本という国の閉鎖性を、まざまざと感じさせる藤田の才能と人生です。
日曜美術館での藤田嗣治を観て。
晩年に宗教画に向かったのは、藤田という存在に承認とか赦しを求めたのではないか。
フランスで認められ、一躍の時代の寵児にはなったものの、それはひとときのもので。日本でもフランスでも、何処か阻害され、居所がない。
彼の想いと時代や世間との微妙なズレ、誤解、偏見、羨望。それは東京美術学校時代から変わらなかったのではないか。
孤高ともいえ、分類不可能な芸術家でもあり。迷いながら自分のスタイルを作り、破り、また、戻るその葛藤と変遷の過程。
絵画的には、何だかな、と思える晩年の宗教画と、そこに描かれた自画像は、求めても求めきれなかった彼の居所への希求を見るようである
上野へ藤田嗣治展。見応えありました。単なる乳白色の裸婦の画家だけではなかった。年代ごとの画風の変化も面白く多彩。悩みの多い画家であったか。晩年の宗教画は画家の万感の思いに深い感動を覚える。 pic.twitter.com/0gAOLi4KCv
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) September 16, 2018