2006年9月29日金曜日

ラゾーナ川崎オープン

本日28日、川崎駅前に三井不動産の大型商業施設である「ラゾーナ川崎」がオープン。仕事がてら夕方18時近かったのですが行ってみました。

最近そろそろ見飽きてきた感のある、モール型ショッピング施設ですが、イオンやアリオ、ダイヤモンド・シティなどとは一味違って都会的なセンスをデザインに感じます。店舗数300というのはやはり圧巻。

だからといって、こんなにイロイロな商業施設が存在する東京近郊において、いくら川崎だからって、たかだか商業施設がオープンしたというだけなのに、未だにこの集客力は一体何なのかと。川崎駅改札外のコンコースは、あたかも通勤時の品川を越える混雑振り。コンコースからまっすぐにラゾーナの2階の円形広場(上写真)にアクセスできる利便性は確かに抜群だとは思いますが、この人ごみにはさすがに驚きました。別にオープン記念だからって高木綾子さんによるモーツァルトのフルート協奏曲とか、アムランによるショスタコのピアノ曲無料ライブが催されているわけではないのですがね・・・(^_^;;

それにしても、またしても巨大な物欲と妄想と時間と金を吸収する施設が増えたということで、川崎駅前の人の流れは全く変わったものになってしまうかもしれません。

ちなみに三井不動産は今年から来年にかけて、豊洲、柏の葉、鴨居(横浜)と、相次いで関東近郊に巨大商業施設をオープンさせる予定だそうです。恐るべし勝ち組不動産の代表格。プチ金持ちからも貧乏人からもドンドン金を吸い取って、どんどん裕福になあれ。

2006年9月28日木曜日

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310/グールド

K.310イ短調はモーツァルトの中でも数少ない短調のソナタです。作曲は1778年のパリ滞在中のもの。最愛の母を亡くした哀しみが表現されているのか、あるいは思うようにパリで評価されず、満足な職を得ることができない不満をぶつけているのか、実際のところは分かりません。第二楽章こそモーツァルト的な優しさに満ちているものの、第一楽章と第三楽章の暗さと情熱は一度聴いたらなかなか忘れられません。

そして、グールドの演奏のユニークさと激烈さも特筆モノと言っていい。木で鼻をくくったような出だしの響き、極度に乾燥した音色は詩情をほとんどたたえず、冷徹に曲を虚空に放り出します。あまりにこの演奏は厳しく、突き放した孤独の中を駆け回ります。しかし激烈ではあっても曲や作者への感情移入は聴かれない。冗長さは全くなく、研ぎ澄まされた演奏から聴こえるのはグールドの皮肉とその裏に隠された意図か。

異様に速いテンポと相まって、この演奏を聴いてしまうと他の演奏は「生ぬるく」聴こえてしまう。私は非常に面白く聴いていますが、モーツァルト好きには受け入れがたい演奏かもしれません。

  1. 第8番イ短調K.310
  2. 第10番ハ長調K.330
  3. 第11番イ長調K.331《トルコ行進曲》
  4. 第12番ヘ長調K.332
  5. 第13番変ロ長調K.333
  6. 第15番ハ長調K.545
  • グレン・グールド(p)
  • SRCR2068

2006年9月26日火曜日

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番K.331《トルコ行進曲》/グールド

ファジル・サイの解説を読んでいると、グルダやグールドと比較している文章に出くわします。サイがジャズも弾くからグルダと似ているとか、グールドのように調子はずれに弾きながら歌っているからグールドの再来だとか、そういう表層的なことではないとは思うのですが、本当に二人にサイは似ているのでしょうか。

例えばグールドです。彼は1955年の《ゴールドベルク変奏曲》で有名になり、サイも1997年のモーツァルトがフランスでブレイクしました。どちらも録音媒体で有名になったのですね。ただ、フランス人というのは自分達とは異なったキャラクターを好む傾向があるようですから(>雑駁な偏見)、ちょっと眉に唾して評価を考えなくてはいけないとは思いますが。

で、他の人の評価はおいておいて、グールドのモーツァルトを改めて聴いてみました。とりあえずシングルのこの盤からK.331《トルコ行進曲》です。ちなみにグールドはモーツァルトが嫌いであったとされています。「モーツァルトの作品が嫌いだというのではない。もっと否定的だ。つまり許し難いのだ」という言葉も残しています。グールドはモーツァルトのどこが嫌いだったのでしょう。その冗舌性、俗に溺れ媚びた音符が許せなかったのでしょうか。

従ってといいますか、このK.331は極めて異質です。グールドのピアノのテンポのユニークさは今更言及するまでもないのですが、この演奏のテンポ感(遅さ)は曲を全く別物にしてしまっています。例えば私の好きなK.310イ短調のソナタの激烈な速度と比較しても、それをあざ笑うかのごとくに対照的なのです。曲が裸になって、むき出しになってしまったような感じとでもいうのでしょうか、虚飾も興奮もない。サイがジャズにまで変奏して弾ききった魅力は片鱗さえ見せません。そして、そこに、どこか諧謔的雰囲気とともに此方にはない安寧を求める孤独を感じます。

サイは、モーツァルトの「哀しさ」を表現しても、間違っても「孤独」は表現しない。こんな表現をしてしまう演奏者とサイが「似ている」とはどういうことなのか、と考えてしまいます。何度かこの盤を繰り返し聴いていますが、意識せずに涙がこぼれてしまう。サイのモーツァルトを聴いても嬉し涙は流しても、決して泣きはしません。

  1. 第8番イ短調K.310
  2. 第10番ハ長調K.330
  3. 第11番イ長調K.331《トルコ行進曲》
  4. 第12番ヘ長調K.332
  5. 第13番変ロ長調K.333
  6. 第15番ハ長調K.545
  • グレン・グールド(p)
  • SRCR2068

2006年9月25日月曜日

モーツァルトの楽譜の指示

中村音楽工房というサイトで知りましたが、モーツァルトのホルン協奏曲の楽譜に書かれた(当時のホルン奏者への)指示が、とても凄いらしい(というか卑猥)。詳しくはこちら(「大阪モーツァルトアンサンブル」のサイト)として紹介しています。


で、読んでみますと、これがまた確かにモーツァルトにしか書けない指示というか、なんというか・・・。彼の書簡集も研究者は真面目に解読していますが、性的表現がアッケラカンとしていますし、自由にして(ちょっと幼稚で)奔放な性格であったのでしょうね。改めてこの指示を読みながら、演奏を聴いてみたいものです(笑)


2006年9月23日土曜日

紀尾井シンフォニエッタ東京 第56回定期演奏会

紀尾井ホールでを紀尾井シンフォニエッタ東京の定期演奏会を聴いてきました。

  • モーツァルト:ホルン協奏曲(第1番)ニ長調 K.412
  • モーツァルト:協奏交響曲 変ホ長調 K.297B(レヴィン版)
  • ブラームス:セレナード第1番 ニ長調 op.11
  1. 9月23日(金)19:00 紀尾井ホール
  2. 指揮:アレクサンダー・リープライヒ 紀尾井シンフォニエッタ東京
  • アフラートゥス・クインテット メンバー
  • ロマン・ノヴォトニー(fl) 
  • ヤナ・プロジュコヴァー(ob) 
  • オンジェイ・ルコヴェッツ(fg) 
  • ラデク・バボラーク(hr)

紀尾井ホールは職場から歩いて行ける音楽ホールのひとつであるにも関わらず、今まで行った事がありませんでしたし、紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)も名前は知っていたものの聴くのは今日が初めて。「ぴあ」で公演を知り、当日券狙いで聴いてきたのですが、いやはや、KSTというのは本格的な実力派オケであったのですね。金曜日の夕方というのにほぼ満席です。


最初のモーツァルトの2曲はアフラートゥス・クインテットのメンバーを加えての豪華な演奏。ホルン協奏曲は何と言ってもベルリンフィル・首席を勤めるバボラーク氏のホルンに打ちのめされます。音色の暖かさ、ふくよかさ、テクニックの安定感。どこを取ってもやはり一級品といって良いのでしょうか。一見するととてもまだ30歳だなんて思えません。貫禄充分といったところ。バックを勤めるKSTも厚みのある素晴らしい響きを聴かせてくれ、極上の時間。もっと聴かせてくれといいたかったところ。10月28日はトッパンホールでリサイタルがある様子。《完売》表示に「うーん」と唸る。

��曲目はアフラートゥス・クインテットの3名の木管楽器奏者に「バボちゃん」が加わっての協奏交響曲。演奏は素晴らしいのですが、何かこの曲にはイマひとつの感を覚えてしまいました。

休憩をはさんでのブラームスは、KSTの実力を充分に発揮した演奏といえましょうか。いかにもドイツ的な曲の雰囲気に、重厚にしてふくよかな弦の響きには非常にマッチしている。ティンパニの使い方などハイドン的な香りを残しながらも、全体はしっかりブラームスで、もう秋だしやっぱりブラームスもいいなあとしみじみ。


もっともKSTの実力には非常に関心したのですが、良く聴くと弦セクションに乗る木管や金管の響きに少し違和感を感じる瞬間がないわけではない(>素人の戯言ですがね)。指揮者のリープライヒ氏は現在ヨーロッパで最も注目されている若手指揮者でありミュンヘン室内管弦楽団(MKO)の首席指揮者兼芸術監督。痩身の颯爽としたキビキビした指揮姿から、キレの良い音楽を聴かせてくれました。ブラボー。

ついでですが演奏が始まる前に、KSTの誇る玉井菜採さん(vn)と中村智香子さん(va)によるロビー・コンサートが開催、曲はモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのためのデュオ ト長調 K.423 より1楽章でした。モーツァルト友人のミヒャエル・ハイドンが病気だからって急遽彼のために2曲ほどチャッチャと描いてあげたという曲。やっぱりモーツァルトって天才。

    あと蛇足ですが、プログラムノートを音楽評論家の奥田佳道氏が書かれていますが、あの「文章の分かりにくさ」は何とかならんのでしょうか・・・。何度繰り返して読んでも意味不明な箇所が随所に・・・私がムチなだけだとは思いますが。

You Tube のファジル・サイ

著作権が何だ、You Tubeのファジル・サイを検索してみました。かの「春の祭典」は「おかか1968」ダイアリーからご覧下さい(^~^)

パガニーニのピアノ・ジャズバージョン! 冒頭から凄い、ピチカートが弦よりも鋭く、中間部のスウィングのノリの良さ。悪魔のパガニーニがかくも変容し、苦笑いをする。


こちらは、サイ作曲の「ブラック・アース」。これもコンサート評で有名な「弦押さえ」の技が見られます。

2006年9月21日木曜日

ファジル・サイのトルコ行進曲(ジャズバージョン)に驚愕

「おかか1968」ダイアリーで、You Tubeにあるファジル・サイの映像が紹介されていました。内容は一見にしかず。これが、噂に聞く(コンサートのアンコールなどで演奏したらしい)、《トルコ行進曲》ジャズ・ヴァージョンですかっ! (以下こぴぺ)



こちらは真面目なバージョン。画像が荒くてよく指の動きは見えませんが、何か尋常ならざる演奏であることが分かります。

下はトルコのCFの中での《トルコ行進曲》。歌が入っても素敵だ!カットなしで全部聴きたいぞ! 途中でのサイのひょうきんな顔が良い(^^)

この映像を見て依頼、アタマの中で《トルコ行進曲》がグルグルと回っている・・・

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番、第13番/ファジル・サイ





    モーツァルト
  1. ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調K.333
  2. キラキラ星変奏曲(「ああ、ママに言うわ」による12の変奏曲ハ長調K.265)
  3. ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330
  4. ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331《トルコ行進曲》
  • ファジル・サイ(p)
  • 1997年9月、パリ
  • WPCS-11742

ファジル・サイのモーツァルトがとても楽しい。モーツァルトのソナタ集では1953年録音のギーゼキング盤などが昔の定番であったように思えます。その中からいくつかを聴いてみますと音質は悪いものの、硬質にして男性的、そして理知的な(結構表現は激しい部分もありますが)モーツァルトを聴くことができ、今でもその価値は失ってはいないと思います。

しかしサイのモーツァルトを聴いてしまうと、録音の新しい古いを越えて、サイの音楽の瑞々しさと真新しさに驚いてしまうのです。

例えばK.330です。この曲はアインシュタインが「かつてモーツァルトが書いたもっとも愛らしいもののひとつ」と評したとのこと。今時の小学生か中学生でも弾きこなしてしまうのではないかと思えるような平易明朗な曲。しかし、この弾むようなリズム感、生き生きとした躍動感はまさにモーツァルトの天才にしか成しえない作品。サイの装飾音符の切れ味と小気味の良さ、音楽からあふれ出す喜び。第二楽章の、長調の曲に一瞬翳る憂いと気だるさ。第三楽章で再び蘇る若さの弾力と美しさを、サイの演奏は十全に表現していることに驚きます。ところどころ、左手バスの響きがはっとするほどに重く力強く(しかし粗くない)、曲に深みを与えています。まるでフィギュアスケート選手の華麗にして力感あふれる繊細な演技が描く氷の弧を眺めているかのよう。ラストのドライブ感とそれに続く強打も利き処。

K.333も同様に流麗軽快な曲。アンダンテ・カンタビーレの第二楽章はことさらに美しく、暖かい日差しの中でウトウトとまどろむがごとき曲想、しかしここにもモーツァルト的な深刻ならざる翳りが差します、このアンニュイがたまらない。冒頭の主題に戻ったときの柔らかな安心感の格別さ、全ては夢の中。再現部をサイは提示部よりも華麗かつ繊細に弾きます。とにかく聴いているだけで幸せが二つくらい増えたような気にさせてくれる曲。サイの演奏に喝采。

もっとも、17のピアノ・ソナタひとつづつの魅力や特徴を書き分ける能力は私にはないので、上の感想も、どちらがどちらのものか良く分からないのですが・・・(^^;;


どの曲でもサイは唸るように歌っていてます。それが気になるといえば気になるのですが、まあ、唸る人は他にもいますから、多めにみるとしましょう。

2006年9月15日金曜日

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番K.331《トルコ行進曲》/ファジル・サイ





    モーツァルト
  1. ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調K.333
  2. キラキラ星変奏曲(「ああ、ママに言うわ」による12の変奏曲ハ長調K.265)
  3. ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330
  4. ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331《トルコ行進曲》
  • ファジル・サイ(p)
  • 1997年9月、パリ
  • WPCS-11742

《トルコ行進曲》付きとして紹介されることの多い曲ですが、有名な第三楽章だけではなく、最初からきわめてモーツァルト的な雰囲気を楽しめる曲です。

例えば第一楽章。これは主題と六つの変奏曲の形をとっています。10分程度の楽章ですが、年頃を迎えた少女の寸劇を観ているかのような印象さえ感じてしまいます、例えばこんな具合に。

主題は、母への優しい想い、あるいは秘めたる気持ちを静かに暖めているかのような、あるいは恋人の写真をうっとり眺めているような、ほっくりとした幸福感を感じます。第一変奏は、うれしい知らせがあったのかのように快活になり、ウキウキした心の昂ぶりを表現します。第ニ変奏は更にスキップするがごとくに、あるいはクローゼットから色とりどりの服を出してはしまっているかのよう、気持ちはどんどん弾みます。第三変奏は一転してイ短調に変わり、心の乱れ、不安と翳りが表現されます。夢見る雰囲気は薄れ激しさが増し、いらだたしさに爪を噛み涙を流します。第四変奏は再び冒頭に現れた主題が、至福感と抒情と華美さを増して展開します。続く第五変奏は、何かを告白するかのような恥じらいとためらい、そして可憐さを感じさせる曲調に変わります。声も出ないほどここの変奏は美しすぎます(サイが唄うのも今回ばかりは許す)。そして最後の第六変奏はアレグロ、快活にそして力強く喜びが爆発し華麗なステップを舞います。

第二楽章も、サイのピアニズムの瑞々しさ、ドキドキする躍動感、夢見るような陶酔感を充分に味わえます。何かどこかが新しく、心を刺激する。決して奇を衒ってはいない。

終楽章の《トルコ行進曲》は圧巻でしょうか。トルコ趣味の曲をトルコ人であるサイが、抜群のテクニックで疾走します。アクセントの強さと鋭さ、弱音部の美しさ、その対比の見事さ。陶然とする想いにアタマの芯が痺れながら最後のコーダに突入。そ、そうくるかっ! このコーダの表現は、ベートーベンの《熱情》でも聴かれたテクニックに近い。独特のタメとその直後の加速が恐ろしいほどに曲を立ち上げる。続けざまに5度も聴いているが、まさに麻薬、何たる表現。


親しみやすく有名な曲ですが、私はある意味で極めて高度な曲だと思います。サイのピアノは色彩豊かで、美しくも力強く、目の前に無数の花びらが舞っているかのよう。

2006年9月14日木曜日

モーツァルト:キラキラ星変奏曲/ファジル・サイ

  1. ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調K.333
  2. キラキラ星変奏曲(「ああ、ママに言うわ」による12の変奏曲ハ長調K.265)
  3. ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330
  4. ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331《トルコ行進曲》
  • ファジル・サイ(p)
  • 1997年9月、パリ
  • WPCS-11742

もう秋だというのに天気はグズグズとして東京は雨ばかり。仕事も忙しいばかりでさしたる成果もなく、また半年が無為に終わろうとしています。あ"~、フラストレーションがァ!と心の中で叫びながら、深夜の帰宅道をiPodに入れた中から何か聴こうとクリクリと曲を探す。

結局のところ、マーラーやブルックナーには食指が伸びず、モーツァルトのピアノ・ソナタを聴いてしまう。しかも、グルダやピリス、グールドやインマゼールなどの演奏ではなく、サイのキラキラ星変奏曲を。繰り返して。

実際のところ、サイのモーツァルトは良い。硬質な弾力が心地よく、また柔軟性とスピードも充分です。彼の最近のベートーベンにも驚きましたが、この盤にも多くの驚きが込められています。強烈なスパークに満ちた怒涛の演奏といえましょうか。聴いていて、心が弾む弾む。単純な主題から煌くような変奏の数々、しかしベートーベンのそれのように深刻や深淵には向かわない。逆説的に深い歓びも哀しみも内包しつつ、表層は無邪気な戯れだけがスパンコールのように覆う。モーツァルトの天才。それを弾ききるサイの能力の確かさ。

12の変奏の中ではハ短調の第8変奏の気だるいアンニュイ、第11変奏のアダージョが聴きどころでしょうか。モーツァルトのオペラ・アリアを聴いているようで果てしなく美しく愛しい。

夜空を見上げると空の星が少しだけ高くなっていた(>気がする。曇り空だし)。心も数センチだけ高くなる(>気がする)。

2006年9月3日日曜日

ムンク事件、解決


新聞によりますと8月31日に、2004年8月にオスロのムンク美術館から盗まれた「叫び」と「マドンナ」が2年振りに発見されたとのこと。


��ノルウェー)警察によると、両作品とも同日に発見され、ムンク美術館の専門家による鑑定と、科学的な調査の結果、本物と確認された。作品の発見については、情報提供者などへの金銭の受け渡しはなかったという。

強奪に関与した犯人は、既に捕まっていたのですが、作品は不明のままだったようです。



日本の新聞では損傷度は、予想よりも小さいとありますが、


Munch Museum director Ingebjoerg Ydstie said “The Scream” had been banged hard in one corner and “Madonna” had a roughly one-inch hole and some loose paint.Our skilled conservators will be able to repair the damage,” she said.

ということらしいです。ふたつの名画は、いったいどのような「旅」をしてきたのでしょうか・・・。このままでは、2年越しの事件も私の中では半分未解決。Google NewsのUK版などで検索すると、結構記事が出てくるようですが今は読む気力ほとんどなし・・・、つーか、ノルウェー警察は詳細語らずか。


The police statement said: "Out of consideration of police working methods, it will be hard to give details about how the operation was carried out."