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2001年10月22日月曜日

ヤマハ・スタディコンサートを聴く

ヤマハのレッスンを休会(ほとんど止めたも同じだが)していたのだが、知り合いが発表会に出るというので聴きに行った。私は昨年も発表会には出られなかったが、その前は二度ほど出させてもらった。以前も書いたようにシドヴィルの「忠実な羊飼い 第6番」、ドニゼッティのソナタを吹き、実力に全くふさわしくない曲であったため、ものの見事に自爆した記憶も新しい。

自分が吹かなければ気楽なものである、素人の演奏会ではあるが楽しめた。ただ、ヤマハのホールは本来が子供のピアノの発表会用に作られているせいか、フルートにはデッドな音響である。PA(マイク)を使っていたが、本来ならばマイクなしで響かせるようなことができるような音場を作るべきであると思う。フルートというのは発生原理からして単純で、微妙なニュアンスや息遣いがマイクで増幅されたり消されたりするのは残念だ。デッドになりすぎるなら、反射板などを多少用意するなどの細工はできると思うのだが。

さて演奏の方はといえば、それこそ数ヶ月前に始めたばかりで音がやっと出るという人から、場慣れしていて堂々と演奏している方まだ幅広く、下手な人は下手なりに、上手い人は余裕をもって楽しんでいる様子であった。今年出ることになっていたら、多分ヘンデルかプラヴェのソナタを吹いたんだろうな、とぼんやり思った。

レッスン生の演奏を聴いていて感じたことがある。当たり前のハナシなのだが、演奏する上で重要なことは、その曲に対する思い入れと、そして何よりもやはり音色なのではないかいうことだ。早いパッセージをそれなりに吹いて、聴く人を「なかなかやるじゃない」と唸らせるのも快感かもしれない。しかし、最終的には音が、音楽が聴くものに届かなくては、何のために吹いているのか分からない。

わたしもレッスンを受けているときは、先生に「次はこの曲でもどう?」という風に決められていたのだが、いったいフルートを通して何を吹きたいのか、ということを改めて考える必要があるのかもしれない。


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